第3話 : 旅立ちの時
「茜。おい、茜!」
誰かが、自分の体を揺さぶっている。
もうろうとした意識の下、茜は「この声、だれだっけ?」と、ボンヤリ考えていた。
「おい! 茜!いい加減に起きろ!」
「あっ!?」 この声!
突然、意識がはっきりして、茜は飛び起きた。
瞬間、『ごちん』と鈍い音が響く。
「痛った〜い!!」
おでこに激痛が走って思わず声を上げ、両手で額を抑えながら目を開けると、同じく額を押さえて無言で睨んでいる敬悟の顔があった。
「お前なぁっ……。だから、注意力散漫だって言うんだ。もう昼過ぎだぞ。いくら忌引き休暇中だからって、いい加減に起きろよ。何だお前、制服のまま寝たのか?」
敬悟の問いに茜は、頭が混乱する。
周りを見渡すと、そこはいつもと変わらない自分の部屋で、自分のベットの上、制服のまま座っていた。
「さっさと着替えて、降りて来いよ。朝食……、もう昼食か。出来てるから」
しょうがないなぁ、と言うように軽く溜息を付きながら、行こうとする敬悟の腕をむんずと掴む。
「敬にぃ! 何言ってるの!? だって、夕べの鬼は!?」
「鬼ぃ? 何だそれ。 夢でも見たのか?」
真顔で聞き返されて、ますます訳が分からず、混乱する。
「だって夕べ敬にぃ、私に"風呂入って寝ろよ" って言いに来て、"鬼" 見たでしょ!? それで、ペンダントが青く光って……」
敬悟の、真面目に「 ? 」な反応に、だんだん自信がなくなって来る。
(夢だったの? あれが全部? 鬼に襲われる夢を見て、又その中で、違う夢を見たの?)
茜は、あの母の顔をした『鬼女』を思い出して、ぶるっと身震いをした。
見るからに『鬼』と言う最初の赤鬼よりも、あの『鬼女』の方がよほど怖かったのだ。
「じゃぁ、早く降りて来いよ」
そう言って部屋を出て行こうとする、敬悟に慌ててくっ付いて行く。
「何だ? 着替えは?」
「う、うん……。後にする」
ちらっと、昨日赤鬼が立っていた窓際に目をやる。
例え夢だとしても、今は、この部屋に一人でいたくはなかった。
「あれ? お父さんは?」
食卓に、父の姿が見えない。
父も、今週いっぱいは忌引き休暇で、家にいるはずなのだ。今日が木曜だから、あと四日間は休みのはずだった。
「ああ、何か大学の方で急用とかで出掛けたよ。少し遅くなるから、夕飯先に食べてろってさ」
「け、敬にぃは、まさか出掛けたりしないよね!?」
今は、絶対一人になりたくなかった。
「あ、悪ぃ。俺も、ちょっと出掛ける。夕方には戻れるから。留守番、よろしくな」
「ええっ!? じゃあ、夕方まで私一人なの!?」
最悪だ。ただでさえ、一人でいられない性分なのに、昨日の今日で、一人になるのはごめん被りたかった。
「……。じゃあ、私、学校に行く」
多分、一人で家にいるよりは、何倍もマシだ。
茜の答えに、少し驚いた様子の敬悟だったが、一人が嫌いな茜の性分は良く知っているので、「そうか、じゃあ、食べ終わったら、車で送って行くよ。どうせ通り道だからな」と他には特に何も言わなかった。
「茜!どしたのー!? 登校、来週からじゃなかったの?」
ちょうど、お昼休みも真っ最中の学校の食堂である。顔を出した茜をすぐに見付けて声を掛けて来たのは、親友の高田真希だ。
「うん。お父さんも、敬にぃも出掛けるって言うんで、来ちゃった」
真希は、「えへへっ」と照れ笑いする茜の顔をじっとのぞき込むと、「そっかー。まぁ、座りなよ」と茜を自分の隣に座らせる。
真希とはいわゆる「幼なじみ」で、幼稚園以来の親友である。
どちらも人一倍きかん気の強い子供だったので、事あるごとに衝突して、取っ組み合いの喧嘩をした仲だった。
「あなた達、まるで、男の子同士みたいねぇ……」
幼稚園の担任が溜息を付きながら良く言った物だ。あれ以来、茜にとっては気の置けない一番の親友だった。
「昨日は、ありがとう。葬儀に来てくれて……」
「何、言ってんの。水くさい奴だなぁ」
いつもの真希の笑顔がありがたかった。
茜は、やっぱり学校に来て良かったと、心底そう思った――。
「しかしさぁ、あんたがブラコンになるの分かるなー。実際、いい男よねー、従兄殿」
にひひと、真希が変な笑いをする。
放課後、練習も終わった弓道部の部室である。
帰ってもまだ誰もいないので、どうせなら部活も、と言うことになったのだ。他の部員は皆もう帰っていて、部室には茜と真希の二人だけだった。
真希共々、中学から弓道一筋の茜である。
茜は今年の全国大会で3位だが、真希は中学の時に全国1位になった腕前だった。
実は、彼女の家は大きな旧家で、敷地内に弓道場が有ると言う、生粋のお嬢様だ。その関係で、キャリア自体は真希の方が長かった。
茜が弓道を始めたのも、真希の影響だ。
「な、何の事よ。私の何処がブラコンだって言うのよ!」
自覚しないでもない事を言われたので、しどろもどろになってしまう。
「あれで、もう少し押しが強ければ、言うこと無しなんだけどなぁ。ね、茜ー」
ニヤリと笑う真希を、睨み付ける。
確かに、敬悟はよく言えば「温厚」な性格だ。
茜は、彼が感情的に声を荒げた場面を、今まで見たことがなかった。
まぁ、面倒見は良いし、料理も上手い。(茜は、からっきしだが)
父の影響か、考古学どっぷりの、ちょっとオタッキーな所があるが、それはそれで「自分の夢を持っている」と言えなくもない。
好きか、嫌いかと聞かれれば、それは好きに決まってる。
でも、それは、肉親に感じる親愛の情のはずだ――。
茜は、ぶるぶると頭を振る。
「敬にぃは、敬にぃよ。それ以上でも、それ以下でもありませーん!」
「ほうほう。んじゃ、私が、モーション掛けてもいいわけだ」
真希の言葉に、茜の動きが止まる。
「真希〜〜」
「あはは。あんたからかってると、飽きないなぁ」
その時、ブルルと、マナーモードにしてある真希の携帯が鳴った。
「あ、ちょっとごめん。家からだ」
携帯を持って窓辺に歩いて行く。
「もしもし。あれ? もしもし〜? 何これ?」
訝しげに真希が茜の方を振り返る。
「も……」
不意に真希の動きが、ピタリと止まった。
電話を持った手がだらんと下がり、携帯が、ゴトンと足下に落ちる。
「ま、真希?」
突然の親友の変化に家で何事かあったのかと、落ちた携帯を拾って、顔をのぞき込む。
「!?」
茜は目を疑った。
真希の血色の良いピンクの口角がニイッ、とスローモーションを見るようにつり上がって行く。
邪悪さをたたえたその笑いには、見覚えがあった。
ニヤリ、と上がった口の端に、ぬらり、と白い大きな犬歯が光る。
それはもはや、肉食獣のそれであった。
「ま、真希!?」
湧き上がる恐怖心で、じりじりと後ずさる。
あれは、
夕べの事は、夢なんかじゃない――。
あれは、本当にあったことだ!
後ずさりながら、茜は胸のペンダントを握りしめる。
ひんやりした石の感触が伝わって来る。
『我ハ、ソノ石ノ、正当ナ、持チ主ナリ。 ソノ石ヲ、返シニ来イ
サモナクバ、コノ娘ハ、鬼人ト化シ、死ヌ――。
キガクレノサトニ、来イ』
真希の口から発せられたその声は、明らかに彼女のものではなかった。
まるで地の底から響いてくるような、他者を威圧し、恐怖を抱かせる声。
茜はその声が、夕べの赤鬼と同じものだと気付いた。
ドスンと、糸が切れたように、真希の体が床に転がる。
「真希!?」
慌てて駆けより抱き起こした彼女の顔は、青ざめていたが、いつもの真希の顔だった。
だが、生気という物が感じられない。
茜の背筋を、冷たい物が走った。
「真希?真希!? どうしたの真希!?」
茜は必死に真希を揺さぶる。
「真希、起きて! 起きてよ!」
ピシャピシャと、頬をたたいてみるが、何の反応も示さない。
「真希っ……!」
茜は、どうすることも出来ずに、まるで死んだように横たわる親友の体を、ただ、ぎゅっと抱きしめた。
結局、そのまま真希は目を覚まさなかった――。
慌てて救急車で運んだ病院で下された診断は、原因不明の昏睡状態。
原因が不明なだけに、手の施しようがないのだと言う。
真希の両親に何があったのか問いつめられても、茜には答えようがなかった。ただ、「突然倒れた」とそれだけを伝えるしかなかった。
だれが、信じるだろう。真希のあの変化を。
「その石を、返しに来い。さもなくば、この娘は鬼人と化し、死ぬ」
あの、声はそう言った。
「キガクレノサト」に、石を持って来いと。
茜にはもう、分かっていた、その石がこのペンダントであることが。
これは『守りの石』だから外さないようにと、母は言った。
その石を『鬼』が返しに来いと言う。それは、自分が正当な持ち主だからと。
ならば、その石に守られている自分は何なのだろう?
病院の待合室に一人座り、床を見詰めながら茜は、そんなことをぼんやりと考えていた。
「茜!」
連絡を受け、慌てて駆け付けて来た敬悟が走り寄ってくるのを見て、茜は初めて、凍り付いてしまった感情が一気に溶け出すのを感じた。
「敬にぃ……」
色々な感情があふれすぎて、声が震えてしまう。
――敬悟なら、分かってくれるだろうか?
今まであったことをすべて茜が話し終わると、敬悟は「そうか……」とそれだけを言った。
ポンポン、と茜の頭に手をやると「それで、茜はどうしたいんだ?」と問うた。
絶対、信じてもらえないと思っていた茜は、驚いて聞き返す。
「信じてくれるの?こんなムチャクチャな話し……」
自分が敬悟の立場だったら、到底信じられないだろうと思った。
ふっと、敬悟の表情が和む。
「俺の大事な従妹は、ドジでおっちょこちょいだけど、嘘つきじゃ無いからな」
そう言って、茜の髪をくしゃくしゃっとかき回した。
「私……」
「うん?」
「私、キガクレノサトに、行く」
「行ってどうするんだ?その石を返すのか?」
「分からない……。分からないけど」
このままでいいはずがない。真希は自分のせいで巻き込まれたのだ。そしてあの声の言うことが真実ならば、待っているのは「死」なのだ。
そんなのは、絶対嫌だった。
「探す当てはあるのか? それとも、当てもなくただ探し回るのか? 学校はどうするんだ?」
微妙に険のある敬悟の言葉に、元来きかん気の強い性格が刺激される。
「私は! 私は、自分が何者なのか知りたいだけよ。だから、放っといて!」
敬悟はその反応を予測していたように、クスリと笑う。
「しゃーないな。俺も付き合うよ。お前一人で行かせたら、親父さんの胃に穴があくの確実だからな」
「バカじゃないの? そんなお節介ばっかり焼いてるから、いい年して彼女の一人もできないのよ!」
完全に頭に血が上ってる茜は、思ってもいないことを口にする。
「そうかもな」
愉快そうに笑う敬悟の笑顔が憎らしかった。どうも、良いように遊ばれている気がして本当は嬉しいのに、素直に「ありがとう」と言えないでいた。
翌日、父宛の置き手紙を残し、二人は「キガクレノサト」に向かった。
そこで待ち受ける「真実」を知るために。
お父さんへ
「キガクレノサト」 に行って来ます。
心配掛けて、ごめんなさい。必ず帰ります。
茜
茜一人では心配なので、一緒に行きます。
敬悟
早朝の食卓の上に、その短い置き手紙を見付けた父、衛は、驚きと言うよりは、来るべき時が来たかと言うような、半ば諦めにも似た表情をした。
「明日香……。子供たちが、行ったよ」
妻の遺影を見つめると、静かに目を瞑る。
「守ってやってくれ……」
それは、祈りにも似た呟きだった――。