第16話 : 崩落
誰かが泣いている。
小さな小さな女の子、あれは私だ。
――真っ暗は、嫌い。
――真っ暗は、怖いよ。
ぎゅっと握ってくれた暖かい手。
――大丈夫。大丈夫だよ。僕がいつも側にいるからね。
優しい声。
あれは、あの声は……。
「茜! 呆けてる場合じゃない! しっかりしろ!」
「きゃっ!」
怒鳴り声と共にギュンと体を引かれ、茜は思わず小さな悲鳴を上げた。
「え? えっ!?」
敬悟に右手を引かれ走りながら、今の状況を飲み込もうと必死で考えを巡らす。
確か、大きな鬼に追われて、崖に落ちなかったっけ?
「ここ、地獄じゃないよね?」
「この状況で、良くそんな冗談が言えるな」
「な、何で私たち生きてるの!?」
「俺に聞くな! 俺がやったんじゃない!」
四散していた黒い影が渦を巻き、また一固まりになって唸りを上げながら二人を追いかける。
まるで、猫に追い詰められるネズミのようだった。
――こんな状態が、いつまでも続くはずがない。相手は疲れを知らない精神体。怨念の固まりのようなものだ。
敬悟は茜の手を引いて、ただひたすら逃げ回るしかなかった。
ハアハアと、茜の息が上がり、足がもつれ始める。
軽口を叩いてはいるが、緊張の連続で、心身共にもうとうに限界点を越していた。
逃げ切れないなら、戦うしかない。
敬悟は茜を背に庇うと、黒い追撃者に向かい合った。
精神を統一すると、ぎゅっと目をつぶり、強く念じる。
一度出来たことだ、必ず出来る。お前は、茜を守るためにここに居るんだろう!
次の瞬間、再び開かれたその双眸は赤く、炎のごとく燃えていた。
「敬にぃ!」
息をのむ茜の目の前で、敬悟の身体の輪郭がゆっくりと、ぶれて行く。
ボキボキボキ――。ゴキリ。
筋肉が隆起し、骨格が変化する。
やがて現れたのは、赤い異形の鬼の姿だった。
「敬にぃ……」
力のない茜の呟きを振り払うように、赤い鬼が黒い大きな影に向かい跳躍する。
パシィィン――。
鋭い炸裂音だけが青白い薄闇の中に木霊していた。
茜は悔しかった。
純血体だというのに、何の力も出せない、だた逃げ回るしか出来ない自分が不甲斐なかった。
敬悟は、鬼の姿に変化してまで戦っているのに。
自分を守ろうとしてくれているのに。
茜はペンダントを握りしめ、ぎゅっと唇をかんだ。そして心から願った。
力が欲しい。
力が欲しい。
ビイィィィン――。
茜の心に共鳴するように、胸のペンダントが激しく振動を始める。
熱を帯び、青白いオーラが立ち上る。
戦う力が、欲しい!!
パアッッ――! と青い閃光が茜を包み見込む。
とてつもない力が体中にみなぎり始めるのを茜は感じていた。
腹の底から沸き出し、体中を駆け巡るエネルギーの奔流は、ペンダントを握る右手へと集中する。
スウッと、握りしめているペンダントが、細く長く伸びて行く。
それはやがて、青く光り輝く一対の弓と矢へ変化した。
躊躇なく、茜はその弓を構える。
黒い巨大な敵に向かって、力の限り弓矢を引き絞る。
「敬にぃ! 伏せてっ!」
ビィィィーン――。
叫ぶ茜の手から矢が美しい放物線を描き、青白い尾を引きながら黒い影へと吸い込まれて行く。
影が、断末魔の叫びを上げて四散した。
その刹那、地面がグラリ、と揺れた。
それはすぐに地響きに変わった。
ガラガラと音を立て、崩落を始める洞窟――。
もう、逃れる術は二人には無かった。
茜は、力尽きたように、その場に崩れ落ちた。
「茜!」
敬悟が声を限りに名前を呼びながら、茜の元へ行こうとするが、落ちてくる岩に阻まれ近付く事が出来ない。
「茜!!」
敬にぃ。
ごめんね。最後にどじっちゃったみたい……。
茜の放った矢は黒い大鬼を倒したのみならず、結界の発生装置をも貫いていた。
連動している船の自爆装置が作動し、洞窟を崩落させ始めたのだった。
「茜、しっかりしろ!」
やっと茜の元にたどり着き、敬悟が茜を抱き起こす。
「ごめ……敬に……」
「もういい。何も言うな。良くやったな」
「わた、し、敬に……好きだ……よ?」
「知ってるよ」
いつもの優しい敬悟の笑顔がそこにあった。
迫り来る死は、不思議と怖くは無かった。
――お父さん。戻れなくってごめんね。
一際大きな岩盤が、まるでスローモーションのように、二人を目がけて落ちて行った。