卒然の来訪者
「――あら、せっかく親が尋ねてきたというのにその反応はどうかと思うのだけど」
「……あ、いえ、その……」
予想だにしない来訪者に、思わず言葉が詰まる。……いや、こういう展開を全く警戒していなかったわけではない。……ただ、この母親の下を離れかれこれ一ヶ月経つけど、その間一度も音沙汰がなかったものだからつい気が緩んで……だけど、
「……すみません、お母さま。ご連絡も無く突然のご来訪でしたので、些か驚いてしまいまして。……それで、どういったご用でしょうか?」
気持ちを持ち直し、努めて笑顔で尋ねる。そうだ、卒然のことで驚きはしたものの、私は何も悪いことはしていない。強いて言えば、あの後の経過を報告しなかったことくらいだろうけど……報告にしたって、別に約束をしていたわけでもない。それに、母親だってこうして連絡も無しに来たわけだし、お互いさまというのも――
「ちょっと小耳に挟んだのだけれど――貴女が身体の関係を持ち掛けて、ここの大家と賃貸契約を結んだというのは本当なのかしら?」
「………………は?」
「――あら、親に向かってその口の聞き方は感心しないわね、百桃」
「あっ、すみませんお母さま! ですが、そんな事実は決してありません!」
私の反応に気分を害したのだろう、鋭い眼光でそんな指摘をする母。だけど、こっちの気持ちも理解して頂きたい。そんな寝耳に水にもほどがある知らせを急に聞かされて真っ当な対応など出来るはずもないし、それ以前にそこまで言われるほど失礼な反応を返した覚えもない。
「……まあ、それはそうよね。よもや私の娘が、そんな世間様に顔向け出来ないような愚行を犯すなんて有り得ないわよね。だけど、だとしたらいったいどういう事情があるのかしら?」
「……それは」
恐らくは私を妬む居住者の誰かが発信源であろう根も葉もない醜聞に対する誤解は避けられたものの、依然何かしらの強い疑念を私へと向け問い掛ける母。やはり、私が一人で賃貸の契約が出来たことに何か裏があると考えているのだろう。そして、そこに関しては強ち否定も出来ないわけで……。
……ただ、それにしても――
「――おや、お客さまですか? 藤川さん」
卒然、後方から届く柔らかな声。確認するまでもないけど……振り向くと、そこには柔らかな微笑を浮かべる美形の大家さん。そんないつもながらの彼の様子に、場違いながらホッと安堵を覚える。すると、
「――どなたか存じませんが、私達は今、親子の大切な話をしているの。邪魔をしないでくださらない?」
「……親子、ということは、百桃さんのお母さまでしょうか? 私は当アパートの大家を務める夜野桜雪と申します。百桃さんには、いつもお世話になっております」
そう、我が親ながらイラッとくる横柄な口調で告げる母に対し、気分を害した様子もなく穏和に微笑み挨拶を述べる夜野さん。……それにしても、急に百桃で呼ばれるとびっくりするというか……ちょっと照れるというか……いや、状況的には理解できるし、別に深い意味なんてないのも分かってるけどさ。
「……そう、貴方が大家なのね。ええ、仰る通り私はここにいる百桃の母親です。それで、夜野さん。貴方は、百桃と契約したのよね? いったい、どういうつもりなのかしら?」
「……どういうつもり、とは?」
「あら、しらばっくれるつもり? この子はただの学生――それも、高校生よ? 言わずもがな、経済的信用なんてあるはずもない。なのに、連帯保証人も無しに個人名義での契約なんて、常識的に考えて交わすはずもないでしょう?」
「……なるほど、そういうことですか」
何か、裏があるのでしょう――そんな問いを言外に含む母の言葉。そして、それは夜野さんにも重々伝わっているようで、それほど表情には現れていないものの、返答に窮している様子が伝わる。それも、きっと自分のためというよりは私のためで。なので――
些か驚いた表情で、そっとこちらに視線を移す夜野さん。そっと彼の袖を摘んだ私の表情や仕草から、こちらの意図を察したためだろう。それから少し間があった後、私に応えるように首肯く夜野さん。そして――
「――そうですね、お母さまの疑念は至極妥当なものだと思われます。そして、私自身そういった疑念を堂々と否定することは難しい状況にあるのも事実です」
「……じゃあ、やっぱり……」
「……ええ、既にご存知かとは思われますが――私は、貴女のご息女である百桃さんとお付き合いをさせて頂いております」




