資格
「――ところで夜野さん。今更ですけど、なんで私に恋人の役なんて頼んだのでしょう?」
「……すみません、藤川さん。やはり、ご不満でしたか?」
「ああ、そういうわけじゃないんです! ただ……そんなことしたら、夜野さんは本当の恋人ができないんじゃないかと思っただけで……」
「……ああ、そういうことでしたか」
それから、一週間ほど経過して。
私の問いに、不安そうな表情で尋ね返す夜野さん。誤解を招いてしまったようなので慌てて否定すると、彼はほっと安堵の表情を浮かべて……ふぅ、良かった。
ともあれ、ずっと……いや、ずっとと言ってもまだ一週間くらいだけど……それでも、ずっと疑問ではあった。
もちろん、度々交際を迫ってくる居住者に困っていたという事情は理解できる。できるのだけど……部屋を無償で貸し出してまで、私に偽の恋人を演じてもらうほどの理由になるだろうか? そんなことをすれば、それこそ本当に恋人が欲しいと思った際に困ることに――
「――お気遣い、ありがとうございます藤川さん。ですが、そのご心配は杞憂です。そもそも、私が依頼したことなのに、私が不満を抱くなど道理が通っていないでしょう。むしろ、貴女の方こそ本当に良かったのですか? こちらも今更ではありますが」
「……あ、はい。私も何ら問題ありません」
「……そうですか、それは良かったです」
するの、私の問いに穏やかな微笑で答える夜野さん。……まあ、彼がそう言うのなら私としては異存もないけど――
「……それに――私に、誰かを愛する資格なんてありませんから」
「…………え?」
新生活が始まって、およそ一ヶ月経過したある日の夕さり頃。
誰もいない静謐な公園にて、私は木組みのベンチにゆったりと腰を下ろしていた。まだ五月だというのに茹だるような暑さが続く今日この頃ではあるけど、流石にこの時間ともなると熱も和らぎ、柔らかな微風が優しく身体を包んでくれる。そんな心地好さに身を委ねつつ茜に染まった空を眺めながら、ここ三週間ほど頭に引っ掛かって離れないある発言についてぼんやりと思考を巡らせる。
『……それに――私に、誰かを愛する資格なんてありませんから』
およそ三週間前の、夜野さんの言葉。淡い微笑みを浮かべたその表情には、何処か物憂げな様子が見て取れて。……いったい、彼の過去に何が――
「……まあ、考えても分かることじゃないよね」
ふっと息を吐き、そう結論づけ立ち上がる。何度も同じ思考が巡っては、同じ結論に至る――ここ三週間、この繰り返しだ。直接聞いてみようかとも考えたけど、流石にそれは躊躇われた。そこまで踏み込む勇気はなかったから。
……まあ、そもそも私が気にすることじゃないんだけどね。彼の過去に何があったとしても、私には関係のないことで――
「…………ん?」
そんな思考に沈みつつアパートへ到着し鉄筋の階段を登ると、私の部屋の前に人が佇んでいた。いったい、誰なのだろ――
「………………え」
刹那、背筋が凍る。……なんで、なんで――
「――久しぶりね、元気そうで安心したわ――百桃」
――なんで、母親がここにいるの……?




