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その2

「女学院にいる銀髪の女騎士? ああ、ラテュア・テルトライリですね」

 当然のような口調で、近衛はあっさりと頷いた。

「それにしても、どうして殿下がラテュア嬢のことを?」

「なんというか、風の噂で」

 まさか裏山から女学院に忍び込んだなどとは、口が裂けても言えるはずがない。曖昧に濁すと、近衛は不思議そうな顔になる。どんな噂だ、と聞きたげな表情に、イルハイユは目を逸らした。


「女学院の女子生徒たちが、そのラテュアとやらにお熱らしいと聞いたんだが」

「ああ……ついにお耳に入りましたか」

「お前、知ってたのか!?」

 思わず掴みかからんばかりに食いつくと、近衛は両手を上げて降参の姿勢になった。


「別に、わざわざ殿下にお聞かせするようなことじゃないでしょう? お熱って言っても、少女時代に女の子しかいない空間にいると、少しばかり中性的な少女がすごく格好良く見えて憧れてしまうものなんだそうです。あくまで女学院という場で形成された文化であって、殿下がご心配するようなことは何もありませんって!」

「早口で弁明しているのが後ろめたさの表れなんじゃないのか!?」


 大体、あれは『少しばかり中性的』なんてものではない。一度相対してみれば分かるが、随分と端正な顔立ちをしている上に口まで上手い。魔性とも言うべき存在である。……正直、ちょっと少女たちの気持ちも分かるのだ。それだけに腹が立つ。

 一過性の憧れに過ぎないと言い聞かされても、とても見過ごせる気分にはなれなかった。


「――僕の将来の妃が、既に浮気してるんだぞ!」


 イルハイユは拳を握りしめて大きな声を出す。思わず、それまで堪えていた涙がぽろりと大粒の雫となって頬を転げ落ちた。

「浮気って、そりゃ大袈裟な……」

 言いかけて、近衛が口を噤んだ。ややあって、「そうですよね」と頷く。「殿下にとっては一大事ですよね」


「大丈夫ですよ。女学院にだって、ご令嬢はたくさんいます。全員が全員、ラテュア嬢に熱を上げている訳ではありません。殿下の方を好んでくださる方だって、絶対にいます」

 にこ、と力強く微笑んで、幼馴染みは握りこぶしを掲げてみせた。

「ですが、あのラテュア嬢に勝つには、殿下自身もより立派な紳士にならねばなりません。これまで以上に勉学や鍛錬に励む必要がありますよ」


 上手く丸め込まれた気もするが、イルハイユは素直に頷いた。今のうちに状況を把握できて良かったと思うべきである。今までのように漫然と過ごしていたら、初めて女学院に足を踏み入れた際にさぞや落胆の声が聞こえてきたことだろう。


「打倒ラテュア……だな!」

 気合いを入れて宣言したイルハイユに、近衛がけらけらと笑う。


「それにしても、将軍家の天才孫娘が仮想敵とは、殿下も大変だ」

「は?」

 何を言っているのか理解できず、イルハイユは両の拳を握り締めた姿勢のまま固まった。「あー……」と近衛が言葉を選ぶ。


「齢七つにして九つ上の従兄を進軍演習で完封し、あの厳格な将軍をもってして『世が世なら名軍師として諸国に名を馳せていた』とまで言わしめた、最年少一等騎士のラテュア・テルトライリ……もしかして殿下、ご存じなかったんですか?」

「え?」


「一等騎士まで昇り詰めておきながら、それ以上の役職に就くには最低でも二十歳にならないといけないと分かると即日退職し、今度は侍女職に就いたかと思うと、勤続一年足らずで既に二等侍女。出世の鬼ですよ。次は殿下のお妃様の近衛隊長に内定していますし、何がそこまで彼女を駆り立てるのやら、錚々たる肩書きをいくつも持っているようですね」

「え、えっ」


 止まったと思った涙がまた込み上げてきて、イルハイユは狼狽えた。打倒だとか掲げた矢先にそんな情報を出されても、勝ち目がないじゃないか。

「あいつ、そんなに凄いのか……?」

「殿下、ラテュア嬢に会ったことがあるんですか?」

「い、いや。見てない……ような……」

 勢いよく首を横に振る。まさか谷越えして女学院に侵入した挙げ句、当のラテュアに摘まみ出されたなどと言ったら、どんなに叱られるか分かったものではない。


「まあ、官舎と女学院を毎日往復しているそうですし、目撃する可能性はありますからね」

 へえ、ふーん。まあ別に興味ないけどな。わざわざ僕が足を運んで見に行ってやる義理はないからな。そんなようなことを言いながら、イルハイユは官舎と女学院の立地を思い浮かべていた。



 ***


「おい、お前!」

 女学院へ続く遊歩道に目的の人影を見つけて、イルハイユは勢いよく飛び出した。

 白い石畳を朝日が照らしているせいか、どうにも視界が眩しく思える。


「おや、蛮勇でお馴染みの」とラテュアが眉を上げる。

 覚えられていたことに安堵した。……どうしてこいつの記憶に残っていることを喜ばねばならないのだ!?

 ぶんぶんと頭を振って、イルハイユは「話がある」と切り出した。


「話は結構ですけど、あなた、こんなところにいてはいけないんじゃないですか」

「こ、ここは、女学院の敷地じゃないから、何も規則違反ではないはずだ!」

「そうですけど、この時間は朝の鍛錬中でしょう。まさか脱走してきたんですか?」


 知らなかった。

 う、と言葉に詰まるが、こうなったら押し切るしかない。イルハイユは胸を逸らして断言する。

「今日は休みなんだ」

「はあ、そうですか」

 呆れた子、とラテュアが聞こえよがしに嘆息した。もうまるで相手にされていない。


「道に迷ったということなら、訓練場まで送って差し上げますよ」

「い、いや結構」

 ラテュアはしばらく腕組をしてじっとこちらを見つめてきたが、心底迷惑そうに時計を一瞥すると「何ですか」と向き直った。


 勢い込んでイルハイユは人差し指を突きつけた。

「お前、女学院の生徒たちに取り入って、何が目的なんだ」

「はい?」

「女学院にいる女の子たちが、みんなお前に憧れていると聞いた。……僕は、ゆくゆくはあの女学院を出た女性と結婚するはずだ。それなのに、お前みたいなのが記憶の中にいたら、誰も僕になんて興味を示さなくなるんじゃないのか」


 ははぁ、とラテュアが頷く。

「随分と世間知らずで無鉄砲な子どもだと思いましたが、どこぞの高位貴族の生まれでしたか」

「……そんなところだ」

 目を逸らして頷く。

 女学院に通うのはいずれも名だたる旧家の令嬢たちである。イルハイユのみならず、並居る名家の嫡男にとっても、あの女学院は将来の伴侶が通う場だ。


「それは余計な心配ですよ。卒業してしまえば皆さんとは縁も切れますし、数年も経てば私のことなんて遠い思い出になります」

「いや卒業しても結婚しても縁が切れそうにないから言ってる……」

「何ですか?」

「何でもない」

 イルハイユは顎に皺を寄せて呻いた。



 数秒躊躇ってから、「よろしいですか」とラテュアが膝を折ってかがみ込む。視線の上下が逆転し、俯いていたのに真っ向から目を合わせられた。

「女学院に通う皆さんが、まるで遊びに来ているような物言いはおやめください。彼女たちは卒業後、それぞれの場所で己の才覚を生かし、この国をより良く導くために尽力なさる覚悟を決めて、今この宮殿にて青春時代の数年を捧げているのです」


 目に見えて苦笑しながら、ラテュアが手を握ってくる。いざこうして間近で見てみると、ほかの騎士らとは手が全然違う。華奢であたたかい。


「学生時代の戯れを卒業後に持ち越すような方は、学院のどこにもおりません。あなたの危惧は、女学院に通われる皆さん、ひいてはあなたの将来の伴侶を侮辱することに他なりませんよ」

 低めた声で窘められ、イルハイユは眉を下げた。でも、と言いたくなるのを飲み込む。

「数年後、あなたが未来のお嫁さんに一目置かれたいのなら、今すべきことは何ですか?」

 言い負かされたつもりなんてないのに、目がゆっくり潤んでくる。ラテュアは真剣な面持ちでこちらを見ている。


 イルハイユは目を伏せて唇を尖らせた。

「……これからは、ちゃんと」

「そう。これからちゃんと朝の鍛錬に参加するために、今すぐ全力疾走で訓練場に向かうことです」

「は?」


 一緒に上官に謝ってあげましょう、と立ち上がったラテュアを、呆然と見上げる。なんだって?

「そ、それは良い」

「どうしてですか。あまり酷く怒らないようにと私が口添えしておきますよ」

 恐らく教官は元同僚の誰かだろうから、遅刻は自分が引き止めたせいだと弁明してやる。親切ごかして頷いてくるラテュアの手を必死に振り払った。訓練場になんて連れていかれたら、女学院へ侵入したことが周囲に知られてしまう!

「いい、いらない!」

 両手を振り回して拒否すると、イルハイユはそそくさと距離を取った。捕まえられてはたまらない。十歩ほど離れて振り返ると、ラテュアは腰に手を当てて呆れ顔をしていた。

 追ってくるつもりはなさそうだ。


 遠くから人の話し声が聞こえて、イルハイユは縮み上がった。はやく帰らないといけない。


「あ、でもお前!」

 一度は角を曲がったが、急ぎ足で遊歩道を駆け戻って指をさす。ラテュアはまだそこにいた。

「やっぱり恐ろしいから、女学院であんまり色目を使うんじゃないぞ!」

 捨て台詞を言い残し、イルハイユは返事も待たずに頭を引っ込める。


「あのねぇ……色目なんて使うわけないでしょ!」

 背後から風に乗って声が聞こえてきたが、気付かないふりで走り続ける。

 砕けた口調での否定に、自然と頬が緩んでいた。


 この動悸は、間違ってもときめきではないのである。好敵手を前にしたゆえの高揚だ。


 見ていろ、と内心で呟く。

 想像のなかで、ぼんやりとした顔のお嬢様が指を組んで見つめてくる。「ラテュアさまとは比べものにならないくらい格好いいわ!」と。

 それを聞いて隣で悔しがるラテュアに言ってやるのだ。

 僕のほうが本当の王子様なんだからな、と!



結構前に途中まで書いていた短編です。

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