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その1



 男子禁制の女の園。まだ成人もしない少女たちが、立派な淑女を目指して勉学に励む王立女学院。

 名だたる才女たちを育んできた伝統ある学院だが、王宮に併設されているのには意味がある。


 女学院は才媛を生み出すためだけの場ではない。

 王族に新たな男児が誕生した際、学院は次代の妃の養成所としての顔を持つのだった。

 第二王子の成人を間近に控え、女学院は粛々と日々を過ごす一方で、少しずつ緊張感を増している……はずである。



「殿下。15歳になったらお嬢様がたといくらでもお話できるんですから、そう慌てないでください」

 女学院に続く門をこっそり潜ろうとしたところを易々と近衛に捕まえられ、イルハイユは地団駄を踏んだ。

「未来の伴侶候補を僕が見に行って、何が悪いっていうんだ!」

「お行儀が悪うございます」

 難なく連行されながら、イルハイユは未練がましく女学院の門を睨んだ。高い柵に区切られた向こうの世界には、家柄、人格、容姿ともに優れた令嬢たちがいるのだという。

 十五歳の誕生日を迎えれば、初めて顔を合わせることが許されると何度も言い聞かせられたが、どうにも煩悩が抑えきれないのである。


「良いか! 僕はな、将来の伴侶以外の女にうつつを抜かさないようにと、これまで一度も! 一度もだぞ、同じ年頃の女の子と近づいたことがないんだ! 周りにいるのは既婚者のおば……包容力のあるご婦人ばかり。せめて、見るだけ! 見るだけくらいは許されても良いんじゃないのか!」


「それに関してはお可哀想とは思いますがね、しかし、規則は規則です。何でも大昔、幼い時分に他国の美しき間諜に誑かされて国を傾けた王がいるんだとか。恨むならその王様を恨むべきです」


 だいたい、あと半年と少しでしょう? もう少しの辛抱ですよ。

 幼馴染であり、よき理解者でもある近衛に言われて、イルハイユは絶望した。

 


 生まれてこの方、イルハイユは女の子という生き物を近くで見た記憶がない。ないが、人の話を聞くにどうやら女の子とは柔らかくて小さくて可愛いものらしい。

「可愛いものを愛でたいなら、今度うちの猫でも連れてきますよ……殿下?」

 広大な宮殿の地理を思い浮かべながら、イルハイユは眉を寄せた。

「殿下、聞いてます?」

 女学院が位置するのは、裏山の手前にあたる台地である。門を通らずに中へ入るには……。


 良からぬ策略を企てていたせいで、近衛の言葉はろくすっぽ頭に入っては来なかった。



 ***


「……よし、これで十分」

 額の汗を拭い、ラテュアは息を吐いた。


 裏庭に花壇を新設するにあたって土が少々不足しており、急遽裏山まで足を伸ばして麻袋に土を詰め終えたところであった。


 坂を下った先にある全寮制の女学院を見渡して、ラテュアはざっと距離を目測する。土がたっぷり入った袋は三つあるし、両手に抱えるにしても二往復する必要がありそうだ。

 気合いを入れて麻袋を持ち上げようと腰を屈めた瞬間、目の前の茂みが大きく揺れた。はっと息を飲んで身構えるラテュアの眼前で、「ぷはぁ!」と声を上げて飛び出してきたのは見知らぬ少年であった。


「……は?」

「えっ」

 互いに顔を突き合わせたまま、しばらく硬直する。


 癖のある茶髪に大量の木の葉をつけて、手や膝は土まみれになっている。随分と疲弊した顔ながら、少年の目はらんらんと輝いていた。……が、ラテュアと目が合った瞬間に一気に顔が曇る。


 数秒の混乱ののち、いち早く立ち直ったのはラテュアであった。

 逃げようとした少年の襟首を捕まえ、「何者だ」と怒鳴りつける。


「ここが、男子禁制の女学院だと分かっての狼藉ですか!」

「こ、ここは女学院の敷地ではない!」

 半ば吊り下げられたまま、爪先立ちで少年は反駁した。


「とと、登記簿によれば、女学院の敷地は裏山より下の平地部分であって、ここはギリギリ女学院ではないのだ! だから僕が侵入したとて咎められる筋合いはなかろう!」

「……あなた、まさか女学院を覗くためだけに谷を越えてきたんですか」

「それの何が悪い」

 呆れ果ててラテュアは顔をしかめた。


「これまでに何人もの侵入者をつまみ出してきましたが、ここまでのど根性を見せるお馬鹿は初めて見ました」

「お前は一体誰なんだ! お前だって男じゃないか!」

 真っ向から放たれた発言に、ラテュアは真顔のまま応じる。


「昔から長身で勘違いされやすいですが、私はれっきとした女です。女学院の護衛兼雑務を任されております」

「う、嘘だ……これが女の子……? 全然柔らかくないし小さくもない……」

「世間知らずにも程があるな」

 思わず呟いてしまうと、少年は目に見えて焦った様子になった。必死に弁明しようとしているのが何だか可哀想なので、ラテュアは襟首を掴んでいた手を離してやった。


「と言いたいところですが、去年まで軍部に所属していましたから、並の令嬢とは雰囲気が異なるのも事実です。本当のご令嬢はもっと可愛らしいものですよ」

 失礼なほど安堵の表情を浮かべた少年の顔を覗き込み、「それで」とラテュアは怖い顔を作った。


「女学院を覗いて、何をする気だったんですか。どなたか意中のご令嬢でも?」

「い、いや……」

「今のうちに現実を教えておきますが、女学院にいるご令嬢がたは王子殿下の妃になることを強く望んでいる方が大半です。よしんば侵入に成功してご令嬢に相見えたとしても、あなたを受け入れる方はいらっしゃらないと思いますよ」

「だからその妃ってのが!」

 勢いよく何かを言いかけて、少年はぱっと口を塞いだ。


「……なんですか?」

「なんでもない」

 もごもごと黙ってしまった少年をしばらく眺めてから、ラテュアは小さく嘆息した。

「確かに、規則の穴を突いた手段ゆえ罪を問うのも難しいですね。とはいえ、あなたのような小さな子どもに、もう一度山を通って帰れと言うのは安全管理の上でも問題……」

 足元に積まれている土嚢を一瞥すると、ラテュアは少年に向き直った。


「その隊服、城内警備の三等騎士のものですね」

「え!? そ、そうだったのか……」

「罰として訓練を命じますから、今回はそれで不問と致しましょう」

「僕に罰だと?」

「はい」

 三つある袋のうち二つ持たせようかと思ったが、新兵と思しき細腕を見ると何だか不安になってくる。甘すぎるかと思いながら、ラテュアは麻袋をひとつ抱えあげて少年に押し付けた。

「女学院の裏庭までこれを運んでください。そうしたら門までこっそり送り届けてやりましょう」

 袋を抱いて大きくよろめきながら、少年は真っ赤な顔でラテュアを睨み上げる。


「お前、僕を誰だと思って……!」

「ですから、三等騎士ですよね? 言っておきますが、軍部にいた頃の階級は一等騎士です。上官の指示は素直に聞くことですね」

 言いながら、ラテュアは残る二つの袋を持ち上げて両脇に抱えた。


「わざわざ藪漕ぎして谷を渡ってきた根性に免じて、垣間見くらいは許してやります」

 女学院に入ってから一言でも口を聞いたり、顔を上げたりしたら牢獄にぶち込みますよ。低い声で脅しをかけると、少年は流石におののいた様子でこくこくと頷いた。



 ***


 必死の思いで女学院まで辿り着いたと思ったのに、こんな青年みたいな女騎士にとっ捕まるとは予想だにしなかった。

 今にも腕が抜けそうに重い土嚢を何度も抱え直しながら、イルハイユはえっちらおっちらと長身の女の後を追った。女はラテュアと名乗った。


「それにしても、女学院は護衛まで男子禁制なのだな」

「男性の護衛もいますよ。とはいえ、みだりに学舎を出入りすることは推奨されませんし、やはり護衛も同性の方が融通が効きますね」


 目の前の女は、イルハイユが必死に運んでいる麻袋を軽々と二つ抱えている。高い位置でまとめた長い銀髪が一歩ごとに揺れるのを、何とはなしに目で追ってしまう。

「お前は、あくまで侍女なのだな」

「ええ、はい。お茶汲みや身支度などは得意ではございませんが、ある程度は習得しております」

「そ、そうか」


 初めこそ『可愛いおんなのこ』の幻惑に目が眩んで受け入れられなかったが、改めて注視してみれば、確かに詰所なんかに集まっている他の騎士たちとは雰囲気が違う。細い首に柔らかい後れ毛がかかっているのを凝視してしまってから、イルハイユは大きな咳払いで目を背けた。


 それに……若い。女学院に通う少女でもおかしくない年齢のはずである。

「女学院には、お前のような侍女が他にもいるのか」

「いえ。護衛と侍女を兼任できる人材は限られておりますし」

「そうか。……悲しくならないのか?」

「と、言いますと?」

「同じ年頃の少女たちが華やかな生活を送っている横で、こんな土にまみれた重労働をしているんだぞ。大変だろう。羨んでも当然だ」

 女学院に通うのは、押しも押されもせぬ有力貴族の令嬢たちである。生まれついたときから労働とは縁のない生活を送っているはずだ。労働階級の人間がそれに劣るなどとは思ったこともないが、しかし、眼前で貴族生活を見せつけられて生活するのも鬱屈したものがあろう。


「いわゆる社交界にはそれほど憧れませんし、お嬢様がたを妬んだことはございませんよ」

 が、ラテュアの返答は拍子抜けするほどあっさりしていた。むしろ不思議そうにきょとんとしている。

「私が学院の警護をするのと同様に、皆さんも毎日勉学に励んでおられます。どちらも大切な職務です。応援こそすれ、羨むなどとは」

 澄んだ眼差しで返され、イルハイユは思わず息を飲んだ。



 そうこう言っているうちに、女学院の建物は眼前まで迫ろうとしていた。

「下ろして良いですよ。お疲れ様でした」

 煉瓦を並べて作られた枠の傍で言われて、イルハイユはやっとの思いで運んできた土袋を足元に置く。肩で息をするイルハイユとは対照的に、ラテュアは平然と手を払っている。

「では、裏道を通って通用門から外へ出して差し上げますから、大人しくついてきなさい」


 結局、山越え谷越えの大冒険の末に女学院まで入ったのに、女生徒の影すら見ることなく摘まみ出されるらしい。お咎めなしになりそうなのは不幸中の幸いだが、どうにも落胆してしまうのは隠しきれなかった。


「テュアさま! 何をしてらしてるの!?」

 と、唐突に学舎の方から明るい声が響いて、イルハイユはびくりと肩を跳ねさせた。紛う事なき女の子の声である。開け放たれていた窓から声をかけられたらしい。

 咄嗟に視線を向けようとしたイルハイユの背が、痣になりそうなほど強くつねられた。耳元で低く脅される。

「いっ……」

「見たら懲罰房」

 呻いて足元に視線を落としたイルハイユの前に、ラテュアが立ちはだかる。


「どうされましたか、リルフェ様。今は授業中の時間のはずですよ」

「課題が終わった者から順に解散だったの。わたし、クラスで三番目だったのよ!」

「それは素晴らしゅうございます」

 早く会話を切り上げたそうな素振りを見せつつ、ラテュアの受け答えはあくまで慇懃であった。俯いたまま、イルハイユはそっと視線だけを持ち上げる。

 ラテュアの立ち姿を見て驚いた。土嚢を運んでいたときの仕草とまるで違う、凜と背筋を伸ばしつつも優雅な身のこなしであった。


「あ、テュアさま! ごきげんよう、今日も麗しくていらっしゃるわ」

「オリヴィ様も、課題を終えたところですか」

「そうですの。……私たち、次の授業まで少し時間があるのですけれど、こちらへ来て一緒にお話してくださらない?」

「申し訳ありませんが、まだ作業が残っておりますので。また後日にでも」

「あら、ラテュア様だわ」

「テュア様、ごきげんよう」


 次から次へと現れる少女の気配に、イルハイユはほとんど叫び出さんばかりであった。顔を上げたい。一瞬で良いから、同じ年頃の可愛い女の子を見てみたい。が、不埒な気配でも察知したのか、ラテュアが後ろ手に手を回してイルハイユの腕を強く掴んだ。見るな、と言いたいらしい。


「さっきのお誘い、聞こえたわよ。ラテュアさまを独り占めするなんて駄目。抜け駆けなんてしたら、この学園の皆が許さなくてよ」

「テュアさまを傍に置きたければ、イルハイユ殿下に見初められて妃となるしかないのよ!」

「そうよそうよ!」


(は?)

 いきなり話題に出されて、イルハイユは耳を疑った。

(何言ってるんだ?)


 いや、彼女たちが妃に選ばれることに意欲的なのは大変良い。ここでうっかり『妃とかに選ばれたら最悪』だなんて言葉を聞いていたらしばらく寝込む自信があったが、しかし、今の発言は、……どういうことだ?


「テュア様が妃殿下の近衛隊長に内定しているということは、妃になれば誰よりも近くでテュア様を独り占めできるということ……」

 うっとりとした口調で、少女の一人が呟く。


(え?)

「わたくし、テュア様がお側にいてくださるなら、どんなに厳しい妃教育だって乗り越えられますわ」

「正直、学院を出てもテュア様より素敵な殿方に出会える気がしませんの。わたしたちの心を奪った責任、取っていただきたくってよ」


 ラテュアの背中から、少々困ったような気配を感じる。

「申し訳ありませんが、私の体はただ一つにございますゆえ、皆さま全員のお側に侍ることはできません。妃殿下が決定した後は、この身も忠誠も捧げる所存です。だからこそ今だけは、皆さまのことを平等に慈しみたく存じます。……それが答えではいけませんか?」

 きゃあ、と黄色い悲鳴が上がる。


「さすが、学院の王子様……!」

 本当に聞き捨てならない発言が耳に入って、イルハイユは卒倒する寸前であった。


 自分の将来の妃候補たちが、揃いも揃って、ラテュアとかいうちょっと長身で美形なだけの女騎士に心奪われているのである。学院には男共は出入りできないから大丈夫と抜かしていた幼馴染みを問い詰めてやりたい。


 想像を絶する現状に、イルハイユはついに尻餅をついた。

「あら? テュアさま、そちらの方は一体……」

「騎士服を着てらっしゃるわ。軍の方?」

 それでようやく、イルハイユが後ろに隠れていたことに気づいたらしい。ざわつく令嬢たちの声を聞きながら、イルハイユは顔を見られないように必死で下を向いた。

「ああ、新入りの騎士です。作業の人手が欲しくて軍部から派遣してもらいました」

 ラテュアはごくごく平然とした声で応じ、イルハイユの手を掴んで立ち上がらせる。


「すみません、まだ不慣れなうえに人見知りなようで。まだ皆様の前に出せるほど教育が行き届いておりませんので、この場は失礼させて頂きます」

 言うが早いや、ラテュアはイルハイユの手を握ったまま身を翻して大股で歩き出した。慌てて小走りでついていくイルハイユの背中に、残念そうな少女たちのため息が聞こえていた。



「……ここまで来れば十分でしょう。この門を通って直進すれば宮殿の裏庭に到着しますから、くれぐれも人に見つからないように戻るんですよ」

 通用門を細く開いて、ラテュアが振り返る。俯いたままのイルハイユを見つけて、ぎょっとしたのが分かった。

「何でちょっと半泣きなんです?」

「何でもない」

 ぐす、と鼻を鳴らしながら、イルハイユはとぼとぼと通用門をくぐった。一旦振り返って、俯きがちに呟く。

「見逃してくれてありがとう。……助かった」

「二度目はありませんからね。今後は、裏山からも侵入できないように対策をします」

 淡々とした声で返され、ほとんど項垂れるように頷くと、ラテュアが少し息を漏らして笑ったのが分かった。


「動機は不純ですが、目的のために手段を考え手間を惜しまずに実行できるのは、優れた資質のひとつです。大切になさい」


 不意に声音が柔らかく綻んだので、目を丸くして見上げた。

 ほんの僅かに、そうと思って見なければ分からないほど微かに、彼女は頬を緩めて微笑んでいた。

 思わず息を飲む。

 お前、笑っていた方がずっと良いよ――そう言おうとした瞬間、ラテュアは一転怖い顔になって指をさした。


「また侵入しているのを見つけたら、私から直々に上官まで報告した上で懲罰房行きですからね」

「ハイ!」

 低い声で釘を刺され、イルハイユは大きく頷いた。



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