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day4「歩む今、巡る過去」

 ぺたり、ぺたり。まだ半分夢の中にいる柊は、顔を触られる感覚を覚えた。



(……なに……)



 ぺたり、ぺたり。仄かに冷たい小さな手が、柊の頬をふにふにと触っている。



(……まだ眠いんだけど)



 ぺたり、ぺたり。



「……ん」



 ぺたり、ぺた——。



「あー、もう……!」




 柊はがばりと起き上がり、手が伸びてきた方向を寝ぼけ眼を擦りながら鋭く見る。



「何、フェリス……!?」

「わわ、おはよう柊ちゃん!」



 そこにはベッドの縁にちょこんと手をかけて、柊をまっすぐ見つめるフェリスがいた。


 フェリスはいつの間にか昨日と同じピンク色のワンピースを身に纏っていて、昨夜着ていたナイトキャップやパジャマはどこにも見当たらない。

 相変わらずよく分からない仕組みだなと思いながら、柊はスマホの時計で時間を確認する。



「柊ちゃん、そろそろお昼だよー!」

「あ……本当だ」



 スマホの時計が示している時刻は午前10時過ぎ。フェリスが起こさなかったら昼過ぎまで寝てしまうところだったと、柊は密かに肝を冷やした。



(……正直、起こしてくれて助かったかも)




 柊はばつの悪さを感じて、フェリスから目を逸した。そんな柊をフェリスは気にしていない様子で、こてんと首を傾げて柊に問う。



「柊ちゃん、今日はお休み?」

「……まぁ、うん」



 眠たげな声色で答えた柊に、フェリスは花が咲くように笑って言った。



「じゃあ、遊ぼ!」

「え?」

「柊ちゃん、どこか行きたいところある?」

「……別に」



 眠気によりまだよく回らない頭でフェリスと言葉を交わしながら、柊は昨夜シャワーを浴びながら考えていたことを思い出していた。


 ——私には、どうせ失うものなんてない。だから、この不思議な女の子の力になってもいいかもしれない——。


 柊は、そんな小さな決意をしたのだった。




「そっかー。うーん、どうしよう……どこに行こうかなぁ……?」

(……あ。適当に返事してたら、いつの間にかどこか行くことになっちゃった)



 実を言うと今日は家で休みたかったが、こうなっては仕方がないと柊は気持ちを切り替えた。そしてどうせ外出するのなら買い出しも済ませてしまいたいという考えが柊の脳内に浮かび、柊はうんうんと唸っているフェリスに声をかける。



「……外に出るならスーパー寄ってもいい?」

「わー! うん、いいよ! それじゃ、お買い物するのは決まりだね!」



 柊の提案を快諾したフェリスに身支度を済ませてくる趣旨を伝えてから、柊は洗面所に移動した。




 柊は鏡に映る相も変わらず死んだ目の自分と見つめ合いながら歯を磨いて、今日これからのことを考える。



(フェリスが喜ぶ場所ってどこだろう……年齢的に公園、とか……?)



 家を出る頃にはちょうど正午前になる。そのため、遠出するのは時間の都合で厳しそうだ。それに加えて悲しいかな、柊が金欠のためお金もあまり掛けられない。



(……あ、そうだ。これなら——)



 それらを踏まえて、柊はざっくりと予定を組み立てていった。そして組み上がった予定を伝えるため、歯磨きと洗顔を済ませた柊はいそいそと部屋に戻った。





 結論から言うと、フェリスは柊が考えた予定を聞いて大喜びした。喜びのあまり柊の周りを犬のように走り回って、盛大に転ぶくらいには喜んでいた。



 午前11時頃。白いロングTシャツとジャージの半ズボンというラフな服装を身に纏った柊は、玄関の扉を開けた。すると扉の隙間から穏やかな春風が吹き抜けてきて、柊の頬をふわりと撫でる。



「えへへ、柊ちゃんと遊ぶの楽しみだなー!」



 春風と入れ替わるように玄関扉の隙間からするりと出てきたフェリスは、その場でくるりと一回転すると、澄み渡る青空を気持ち良さそうに仰いだ。



「ちょっと、あんまりはしゃいでるとまた転んで……あっ」



 柊は口を噤み、慌てて辺りを見回す。そして周囲に誰もいないことを確認してからほっと胸を撫で下ろした。そんな柊の様子を見たフェリスは、はっとした顔になって柊に駆け寄り……なぜか手を握ってきた。



『柊ちゃん柊ちゃんっ!』

「っ!?」



 フェリスの真意を掴めずにいた柊は、今起きた出来事に驚いて思わず声を漏らした。柊は困惑しながらも、フェリスのひんやりとした小さな右手を自分の左手でおずおずと握り直す。


 柊がここまで驚いた理由は、フェリスの声が明らかに自分の脳内から聞こえたからだ。耳から聞こえるのとは明らかに違う、不思議な感覚である。

 これは俗に言う、テレパシーというものだろうか。



『フェリス……直接脳内に……?』

『うん! 手を繋いだら、こうやってお話できるんだよ!』



 柊とフェリスは全く口を動かさないままそんな会話をした。フェリスは柊の手を離し、柊に向き直る。



「手、いつでも繋いでいいからね!」



 柊はまだ理解が追いついていないものの、とりあえず頷いた。そんな柊にフェリスは、ぴこぴこと猫耳を動かしながらにっこりと笑いかけるのだった。





 青空をゆっくりと流れていく雲のように、二人は気の向くままに近所を散策していた。鼻歌を歌ってスキップをしながら数歩先を行くフェリスとは対照的に、柊の顔色は良いとは言えなかった。



「……っ」



 太陽の光に刺激され、柊の頭にズキズキとした痛みが走る。その他にもキリキリと痛む胃、全身に纏わりつく倦怠感など——柊を襲う謎の体調不良は、今も尚続いている。柊はフェリスに聞こえないように、小さくため息をついた。



(体調が悪くなかったら、もう少し気持ち良いと思えたかな……)

「——あーっ!」



 フェリスの弾むような大声に柊が思わず顔を上げると、フェリスはとある場所を指差していた。



「この公園、懐かしいね!」



 その公園は柊が幼い頃、よく遊びに行っていた公園だった。ところどころで、シロツメクサが風に揺れていた。柊はゆっくりと歩いてフェリスに近付き、少し躊躇ってからその手を取る。



『あぁ……そうだね。ここ、小さい頃よく遊びに行ってた公園だ』

『うんうん! 二人でいっぱい遊んだよね!』

『……? 二人で……?』

『あれ、覚えてないの……?』



 テレパシーを送ってから不安そうにこちらを見たフェリスに、柊は慌ててテレパシーを送り返す。



『……冗談。覚えてる』

『なーんだ、それなら良かった!』



 フェリスはほっとした様子で柊の手を離し、公園の中へ走っていった。




 柊がフェリスの後を追って公園に入ると、フェリスはちょうど公園内をぐるりと走り終えて入り口に戻ってきたところだった。住宅街の中にある小さな公園のため、すぐに周り終えてしまったようだ。



(この公園……昔はもっと広い感じがしたのに、久しぶりに来るとすごく狭く見えるな)



 狭い公園を見回しながら、柊はそんなセンチメンタルな感覚を覚えたのだった。



「柊ちゃーん、ブランコ乗ろうよー!」



 自身を呼ぶ声に顔を上げると、少し先にあるブランコの前でフェリスが柊に大きく手を振っていた。柊は仕方なくブランコの前に移動した。するとフェリスは柊の手を取り、瞳を煌めかせてテレパシーを送る。



『柊ちゃんがブランコ漕いで、それでね、柊ちゃんの膝の上にわたしが座りたいの!』

『嫌』

『えー、なんでー!?』



 フェリスのお願いを柊は即座に断った。不満げに頬を膨らませるフェリスに、柊は小さなため息をついて『この歳でブランコに乗るなんておかしいでしょ』とテレパシーを送り返す。



『ふぇー、つまんないのー!』



 フェリスは頬を膨らませて柊の下から走り去り、今度は公園の中央に向かっていった。柊はそれを眺めながらベンチに座り、少し休憩することにした。




「あははっ、桜の花びらがいっぱーい!」



 公園の中央には満開の桜の木がぽつんと立っていた。その下でフェリスが桜の花弁と共に舞い、花が咲いたように笑っている。



「ねぇ、柊ちゃんもおいでよー!」



 フェリスはそう叫ぶと、柊に手招きした。柊は仕方なく座ったばかりのベンチから立ち上がってフェリスへ歩み寄る。舞い散る桜の花弁と暖かな木漏れ日の中で、フェリスは柊を見つめて穏やかな笑みを浮かべていた。



(フェリスって、やっぱり……)



 そんな光景を見ていると、柊の中にとある感情が生まれた。



(——綺麗)



 桜の木の下でしばらくそれ以外の言葉を失っていると、フェリスはいつしか滑り台の方へ走り去ってしまった。




 約10分後。柊にぶんぶんと手を振りながら、フェリスがベンチに座り直していた柊の元へ走ってくる。その無邪気な笑顔を見るに、フェリスは公園で遊んで大満足したようだ。柊はつい、フェリスに小さく手を振り返す。


 そして周囲に目を向けて誰もいないことを確認してから軽くしゃがみ、フェリスに目線の高さを合わせて声をかけた。



「満足した?」

「うん! 予定通り、そろそろ柊ちゃんのお買い物行く?」

「……そうしようかな」

「はーい! 行こ、柊ちゃん!」



 二人は肩を並べて公園を後にした。





 ぺたり、ぺたり。フェリスはほんの少し骨ばった華奢な指を、隣を歩く柊の指に絡める。



(……はぁ)



 ぱしっ。柊はフェリスの右手を左手で軽くはたいた。



「あぅっ」



 ぺたり、ぺたり。しかしフェリスは諦めない。今度はもう少し強引に、柊の左手を握ろうとする。



(もう……!)



 ぱしっ。柊は再度フェリスの右手を左手ではたいた。



「ぐぬぬ……!」



 ぺたり、ぺた——。フェリスはまだ諦めず、もう一度右手を伸ばす。



『分かった分かった、繋げばいいんでしょ……!』

『わーい、わたしの勝ちー!』

『はぁ……もうこの際なんでもいいか……』



 空いている左手を使って頬の前でVサインを作っているフェリスを見やり、柊はため息をついたのだった。




 そうこうしているうちに柊の行きつけのスーパーに到着し、柊は通常の買い物に加えてとある料理の材料を買い揃えていた。一人暮らしのため買う物もそう多くはなく、買い物はすぐに終わった。

 早速レジへ向かおうと柊が顔を上げると、小さな手が背後から柊の手をきゅっと握ってきた。



(……フェリス?)



 公園ですっかり遊び疲れたのか、先ほどから眠たげに目を擦りつつもふらふらと懸命に柊の後を着いてきていたフェリス。そんなフェリスが、スーパーに入ってからは初めてテレパシーを送ってきた。



『……あのね』

『何?』

『柊ちゃんのこともだけど、わたしのことも……思い出せないの』

『……そう』



 突然何を言い出すのかと思いつつも、柊はとりあえずテレパシーで相槌を返す。フェリスはそのルビーのような目を伏せ、甘えるように柊の腕に頭を擦りつけながら、引き続きテレパシーを送る。



『わたしは、何かをするためにここに来たと思うんだけど……何をしたらいいのか、分からないの』



 柊は脳内に響いたその言葉を聞き、思わず立ち止まる。



『……私も』

『え……?』



 スーパーの隅で眩しい照明を仰ぎながら、透明な少女の小さな手を握って。



『こうやって買い物して、その為の日銭を稼いで、食べて寝て。そんなことを毎日繰り返して』



 柊は常日頃から感じていた仄暗い想いを、ぽつりぽつりとテレパシーで紡ぐ。



『……私も、何をしたらいいのか分からない』

「——そっか」



 ふわりとその手が離れて。今度は柊の数歩前から耳に直接、弾んだ声が届いた。



「柊ちゃんも、わたしと一緒なんだね……!」



 その瞬間、柊は自身の頬が熱くなるのを感じた。



(あ、まずい、素直に語り過ぎた……あぁ、もう……!)



 そして柊は、あまりの恥ずかしさにフェリスと目が合わせられないまま俯きつつ、レジに向かって早足で歩き始める。



「わわ、柊ちゃんどうしたの!? 待ってよー!」



 そんなフェリスを無視し、柊は会計と袋詰めを手早く済ませて早々にスーパーを出た。


 ——これは余談だが。その後フェリスは余程眠かったのか、レジで会計をしている最中に柊の袖を握って立ちながらうつらうつらし始めた。柊は少し可哀想だと思いつつも、フェリスに話しかけられて余計なことを口走ってしまうリスクがなくなったことに正直ほっとしたのだった。





 昼下がり特有の穏やかな空気が流れる住宅街をゆっくり歩いて自宅に向かっていると、フェリスが柊の手を握ってふにゃふにゃとした声で言った。



「柊ちゃん、おんぶ……」

『嫌』

「む……せっかく柊ちゃんの方が大きくなったんだから、ふわぁ……いいでしょ〜……?」

(……私の方が大きくなったって何?)



 柊がフェリスの発言の真意を掴み損ねていると、突然背中に衝撃を感じた。



「……えいっ」

「わ……っ!?」



 その衝撃の正体は、柊の背中に飛びついて乗ってきたフェリスだった。どうやらフェリスは柊に強行策を講じたらしい。



 思わず小さく声を上げてしまった柊は、慌てて周囲を見渡す。結果、通行人はちらほらいたがこちらに気を留めている様子はない。

 どうやら先ほどの柊の声量がかなり小さかった上に元々通りやすい声でもなく、さらに通行人との距離も離れていたため、柊の声は運良く誰にも聞こえていなかったようだ。



 柊はフェリスを背負ったまま歩みを進めつつ一息ついて、はたと気が付く。



(あれ、思ったより重くない……?)



 そう、フェリスは異様に軽かった。


 いくら10歳前後の華奢な女の子とはいえ、同年代と比べて小柄な体格の柊が背負えばかなり重く感じるはずだが——。人を背負っている感触は確かにあるものの、全く重くはない。

 身近な物で例えるならば、空っぽのリュックサックと同じくらい軽かった。何かに集中していたらフェリスを背負っていることを忘れてしまいそうなくらいだ。



(……まぁ、今更か)



 しかし柊は昨日から不思議なことばかり起きて精神的に疲れていたのと、元から物事を深く考える性格でもないため、そのまま何も考えずぼんやりと自宅へ向かうのだった。





「ねぇ、ちょっと……」



 自宅に着いた柊は、寝息を立てるフェリスを背負ったままリビングの真ん中で立ち尽くしていた。フェリスが落ちないように気を使いつつ買い物袋を床に置きながら、柊は全身を使って優しくフェリスを揺らす。



「……起きて、フェリス」



 そうして何度か声をかけると、耳元で小さくあくびをする声がした。



「ふわぁ……あれ、もうお家……?」

「……早く降りて」

「はーい……」



 フェリスは柊の背から冷たいフローリングへ音もなく飛び降りた。それから雲の上を歩いているような心許ない足取りでベッドに向かい、こてんとベッドに突っ伏す。




 一連の流れを見届けた柊は、買い物袋の中身と既に寝息を立て始めているフェリスを交互に見ながら考える。



(……あの様子だと今日はできないかも)



 柊は昼前に即興で立て、フェリスに伝えた今日の予定を思い起こした。




 近所を散歩する。歩く場所はフェリスに任せる。フェリスの気が済んだらスーパーに行く。切らしている日用品に加えて食パンを買う。この時、フェリスが好きそうな食材も購入する。そしてフェリスと一緒にサンドウィッチを作って、夕食にする。


 以上が、柊が立てた今日の予定の全てだ。



 ちなみにサンドウィッチを作ろうと思った決め手は、材料を切って食パンに挟むだけで完成するため、食パンに挟む工程をフェリスに任せることでフェリスでも簡単かつ安全に料理を楽しめるだろうという理由である。


 さて、予定ではこれからサンドウィッチを作るのだが……フェリスは見ての通りベッドに突っ伏して寝息を立てている。いくら予定を立てたからと言って、わざわざ寝ている子を起こすのも忍びない。



(サンドウィッチ作りは別に明日に回してもいいか。材料の消費期限も問題ないし)



 このままフェリスが起きなければサンドウィッチ作りは明日に回そう。柊はそう考えながら買い物袋を持ち上げて、静かにキッチンへ向かった。




 買ってきた物を買い物袋から冷蔵庫へと慣れた手つきで収納しながら、柊はフェリスのことを考えていた。



(フェリスって、人間と同じようにご飯食べないと生きられないのかな……それとも、食べなくても平気……?)



 柊の収入的に、前者だと明らかにフェリスの分の食費が賄えない。そうなると目一杯バイトをするか、両親に仕送りを増やしてもらうしかなくなってしまう。



(できたら両方とも避けたいし……うん、食べなくても平気だといいな)




 大抵の物を収納し終わった辺りで、柊はふと手を止める。



(……フェリスは、楽しかったかな)



 ——基本的に孤独を好む柊がなぜ柄にもなくこんな予定を立てて実行し、フェリスのことを気にしているのかというと。柊の心中に、とある想いが芽生えたからだった。





 フェリスは魅力的な女の子だと思う。一言で表すなら『魔性の女』……といった感じか。



 あの作り物のように整った容姿で、私の周りをふわふわと動き回る。その度に微かな甘い匂いが私の鼻孔をくすぐる。明るく人懐っこくて、遠慮なく顔を近付けてきては鈴の鳴るような声で話しかけてくる。


 それにフェリスは外見だけではなくて、中身も……いい子、だと思う。フェリスは私が素っ気ない態度を取っても優しいし、まだ幼いであろう年齢の割に聞き分けはいい。

 けれど年齢相応にわがままな面もあって、要求を無視していると強引に通してくることもある。さっきみたいに、勝手に背中に乗ってきたりだとか。


 かといって、やられたら本当に困ることは絶対にやらない。話していても、触れられたくない部分までは踏み込んでこない。



 それに……と、危ない。またフェリスのことを長々と考えてしまった。



 ……とにかく。フェリスが意識してやっているのか、無意識にやっているのかは分からないけれど。そんな彼女の行動の一つ一つが、私を狂わせる。

 だからなのか私はまんまとフェリスの言うことを聞いてしまうし、それどころか彼女を楽しませるプランまで考えて、今日みたいに実行してしまうんだ。


 私、そうやって人に興味を持ったり、ましてや気に入って入れ込むタイプじゃないんだけどな。



 自分の生活費を賄える程度に働いて、平穏に過ごせるだけで充分。そしていつか……いや、できるだけ早めに、寝ている間にでもぽっくり逝きたい。

 それが私の人生観だ。そこに他人は勿論、家族ですら入る余地なんてない。この生活に誰にも踏み込まれたくない。もし踏み込まれたら、全力で逃げてやる。


 きっと私は過去の経験が積み重なった結果、こんな考え方になったんだと思うけど……そこは割愛するとして。




 兎にも角にも、フェリスは。見てくれも心根も孤独な私……冬乃柊という人間の前に。桜の花弁が肩に舞い落ちてきたかのように、あまりにも唐突に現れて。そして当たり前のように私の手を取って、隣で笑ってみせた。そんな不思議な存在だ。



「……私は、どうしてフェリスに——」





「柊ちゃんっ!」

「ひぁ……っ!?」



 物思いに耽っていた柊のすぐ後ろから、突然明るい声が降ってきた。柊は思わず情けない声を上げると同時に、跳ね上がった心臓を押さえる。



「ふぇ、フェリス……か……」

「? うん、そうだよー!」



 思わず考えていた当人の名前を呼んだ柊に、フェリスは一瞬きょとんとした表情になったが、すぐにいつものように笑った。開けっ放しにしていた冷蔵庫の中を覗き始めたフェリスに、柊は何事もなかったかのような無表情を作って問う。



「……もう眠くないの?」

「うん! 柊ちゃんの背中とベッドでいっぱい寝たから、もう大丈夫!」



 フェリスの言う通り、確かに彼女の瞳は煌めいてぱっちりと開いている。もう完全に眠気は覚めたようだ。



(フェリスも大丈夫そうだし……よし、伝えよう)



 そこで柊は予定通り、フェリスに『一緒にサンドウィッチを作る』という予定を伝えることにするのだった。




「あー……フェリス。その……えっと」



 フェリスはニコニコと柊の次の言葉を待っている。そんなフェリスからそっと目を逸らし、柊は頭の中でぐるぐると思考した。



(ど、どうしよう……。いきなり一緒に作ろうなんて言ったら引かれるかもしれないし……というかそもそも、夕飯作りを手伝えっていうのも傲慢かも……)



 ——そう、柊はコミュ障だった。彼女は元々人並みのコミュ力はあったのだが、家庭環境と学校での過ごし方が災いしてか、そのコミュ力は今では立派なコミュ障と言っていいほどにまで失われてしまったのだ。




「……柊ちゃん?」



 フェリスは心配そうに眉を下げて、柊をまっすぐ見つめる。その様子を見て、柊は慌てて口を動かした。



「……ゆ、夕飯は、サンドウィッチにするから」

「そうなんだ!」



 再度、二人の間に沈黙が流れる。開けっ放しにしてしまっていた冷蔵庫のモーター音だけがその場に響いた。どこか気まずい雰囲気に耐えられなくなった柊は、そっと冷蔵庫の扉を閉じた。そして目を伏せ、小さく言う。



「……じゃあ、そういうことで」



 柊はこれではまずいと思いながらも話を終わらせ、その場から逃げるように立ち去ろうとした。すると、そんな柊のシャツの裾をフェリスがぎゅっと掴む。



「柊ちゃん、もしかして……」

(な、何……?)



 柊はドキドキしながらフェリスの次の言葉を待つ。



「サンドウィッチ、わたしも食べていいってこと……!?」

「え、まぁ……うん」

「わぁ……! ありがとう、柊ちゃん!」



 ——その日の夜。柊は結局、一人でサンドウィッチを作ってフェリスに振る舞った。そして柊の料理は相変わらずフェリスに好評で、フェリスは一心不乱にサンドウィッチを頬張って綺麗に平らげたのだった。

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