第一章:魔力が貯まるのは、働かない者だけだ
「働いたら負けだと思ってる」
その日、俺は本気でそう考えた。
広大な世界を救う英雄にはならない。剣を振るって血を流すことも、仲間と冒険の旅に出ることもない。
家の中で、誰にも干渉されず、誰にも期待されず──ただ静かに、生きていく。
汗水垂らさず、魔王とも戦わず、なにより外に出ない生活を──永久に。
俺の名はレイン・ルーグ。
元・勇者候補(十年以上前に除名)、現・魔力ニート(生涯現役予定)。
かつて、俺はそこそこ期待されていた。
王立魔術学院のスキル鑑定儀式で、“魔力投資(極)”というレアスキルを引き当てたからだ。
【魔力投資(極)】──一言で言えば、「使わなければ魔力が貯まる」というスキルだ。
魔力を使えば使うほど成長するタイプの人間が多いこの世界において、このスキルは“使わずにひたすら貯める”ことで、魔力の質と量を底なしに向上させていく。
成長速度は緩やかだが、時間をかければかけるほど、まるで利子が利子を生むように力が増していく。いわば、“放置するほど得をする複利型スキル”。
スキル鑑定のとき、鑑定士のおじいちゃんはひときわ目を見開き、「これは……本当に極スキルだ!」と叫んだ。
王都の魔術研究者たちも沸き立ち、俺の名は一時的に注目を集めた。「新時代の賢者が現れた」なんて、新聞の隅っこに載ったくらいだ。勇者候補として王様から薫陶を受けたこともある。
──だが、そこまでだった。
実戦ではまったく使い物にならなかった。
火球ひとつ出せない。風すら起こせない。魔力量を測れば、農民以下の数値。見栄えのいい名前とは裏腹に、中身はまるで空っぽだった。
「おいおい、極スキルだって騒いでたのに、これかよ」
「ただのハズレじゃねーか。詐欺スキル乙」
「魔力貯めるだけ? じゃあ一生寝てろよ」
周囲の反応は、日に日に冷ややかなものへと変わっていった。
魔術学院では孤立し、勇者候補からも外され、スキルを得た直後の注目はあっという間に嘲笑に変わった。
いつしか俺は「動かない置き物」「エネルギー貯金箱」と陰で呼ばれるようになっていた。
そして、誰も俺に期待しなくなり、俺も次第にやる気を失っていった。
どうせ努力したところで、「魔力が貯まるだけのスキル持ち」としか見られない。
授業に出ても訓練に参加しても、周りの視線は冷たく、指導者の態度も適当だった。
“極スキルを持ちながら、何もできない落ちこぼれ”。
それが、俺の完成された肩書だった。
ある日の訓練後、地面に倒れ込んだ俺は空を見上げながら、ふとこう思った。
「……もう全部、どうでもいいな……」
努力も、友情も、絆も、ぜーんぶまとめてクソ食らえだ。
なにもせず、なにも望まず、ただ生きるだけの人生。
それが俺の“選択”だった。
──でも。
「……まあ、どうせ魔力は勝手に溜まるし?」
気づけば、身体がポカポカする日が増えていた。
魔法を使ったこともないのに、魔力だけはどんどん膨れていく感じがする。
貯めれば貯めるほど強くなるスキルなんだ。だったらもう、使わない方が得じゃね?
そう思った瞬間、スーッと心が軽くなった。
バカにされたスキルも、蔑まれた人生も、ただの“引きこもっていい理由”に変わった。
学校? 王都? 勇者パーティ? 戦争? 魔王?
「行かなくて済むなら、行く必要ないじゃん」
そのまま、俺はスキルを口実にすべてをバックレた。
王都の推薦は捨てた。勇者パーティの誘いもスルーした。
親には「世の中を見極める旅に出る」と適当な手紙を残し、実家の裏山にある誰も使っていなかった古びた離れへと引きこもった。
こうして、俺と【魔力投資(極)】の長期積立生活が始まったのである。
――引きこもって早十年。
俺の部屋は、もはや人の住処というより、掃き溜めと化していた。
床には栄養食品の空パック(主食)、読みかけの魔法書(最後に開いたのは7年前)、壁には毛布が何重にも積み上がり、布団兼クッションが部屋の隅を支配している。
空間自体は静かだが、俺の身体は違った。
十年分の魔力が体内に蓄積され続けているのだ。
一歩動くたびに、筋肉の奥がぴりぴりと震える。心臓の鼓動に魔力が乗り、血液と一緒に全身を巡るのがわかる。
かつての【魔力投資(極)】スキルは、いまや自分でも制御できないほどの魔力の塊を体内に貯めこんでいた。
それはもう、“魔力貯金箱”というより、“歩く爆弾”に近い。
寝返りを打つたびに、ベッドが軽く浮くのはたぶん気のせいじゃない。
「ふわぁああ……。今日もいい朝だな」
俺は寝ぼけたまま伸びをし──その瞬間、腹がぐぅぅと鳴った。
「……あれ? 食料のストック、まだあったよな?」
ゴソゴソと段ボール箱を漁る。乾パン、なし。栄養チューブ、空。魔力グミ、袋だけ。
完全に底をついていた。
「ま、まさか……引きこもりプロの俺が……外出しなきゃならないのか……?」
十年間、魔力の蓄積に全振りしてきた引きこもり魔力ニートとしてのプライドが、ポキッと折れる音がした。
それでも背に腹は代えられない。
部屋の角に押し込んでいたホコリまみれのマントを引っ張り出し、軽く魔力でしわを吹き飛ばす。
そして──ついに決意する。
「よし……じゃ、ちょっとだけ社会復帰するか……食料でも買いに」
こうして俺は、久しぶりにドアノブを握った。
ーーーーーーーーー
俺が向かったのは、離れから徒歩二十分ほどの場所にある小さな町。
人口は千人にも満たない地方の田舎町だが、物資の流通の中継点でもあるため、それなりに店は多い。
街中は、いつものんびりした田舎町……かと思いきや、この日はやけにざわついていた。
露店の店主たちが商品の前で腕を組み、道行く人々が立ち止まってはなにやら噂話をしている。
「……ん? なんか騒がしくね?」
いつもなら干し肉や野菜を並べて無言で売っているおじさんすら、店先から顔を出して通行人に話しかけている。
何かあったのかと思い、俺は人だかりの方へ足を向けた。
広場には十数人の人々が集まり、中央ではギルド職員らしき人物が身振り手振りで何かを説明していた。
ざわざわと飛び交う声に耳を澄ませてみると──
「おい聞いたか!? 北の森に“あれ”が出たらしいぞ!」
「まさか……黒嵐竜!? あれ、数年に一度どころか数十年に一度出るか出ないかというレベルだろ……」
「ギルドもBランク以下は出動禁止令だとさ。S級の出番だな……」
黒嵐竜。
確か、暴風と雷を自在に操るという災厄級のモンスター。
上空を通過しただけで村一つが吹き飛んだとか、どこかで聞いたような記憶がある。
災害扱いされるモンスターの中でも最上位。出現そのものが“国家レベルの非常事態”とされている存在だ。
「へぇ……そんなヤバいのが出てんのか」
俺は肩をすくめて、そっと露店の方へ方向転換する。
向かうのは、目立たない角にある雑貨屋兼食料品屋の屋台。そこには、俺の目当てである実用一点張りの保存食が並んでいた。
棚には干し肉の束、岩のように硬そうなクラッカー、そして色も形も味も怪しいが“5年保存可能”と記された謎の栄養ブロック。俺は備蓄目的でそれらを次々と袋に詰め込んでいく。
どうせまたしばらく引きこもるし、腐らなければそれでいい。味なんて二の次だ。
保存食でパンパンになった巨大な袋を担ぎ、財布を取り出して会計を済ませる。
袋を肩に担いで店の暖簾をくぐり、帰路につく。しばらく歩くと、どこかで聞いたような鼻につく声が聞こえた。
「お前……まさか、レイン?」
懐かしい声に振り返ると、そこにいたのは、かつての魔術学院の同期──リクト・バーン。
学生時代、俺のスキルを「なんの役にも立たねーゴミ」と言って笑い飛ばしていた張本人である。
そしてその周囲には、同じく見覚えのある顔ぶれ──学院時代、俺のことを笑っていた連中だ。
「うわ、マジでお前!? レイン!? まだ生きてたんだ……」
「てか、見た目酷すぎ。髪の毛ボサボサにも程があんだろ」
「つかその荷物なに? まさか今でも引きこもってんの?」
一気に浴びせられる言葉の数々。見下す気満々の笑い声が耳に痛い。
「いやーでもほんっと懐かしいなあ。“戦場で貯金箱は役に立たない”って言われてたの、覚えてる? あれ俺が言い出したんだぜ。名言だったよなー」
「へぇ、そうなんだ」
俺が淡々と返すと、別の同期がニヤニヤしながら割って入ってくる。
「せっかくだしうちのギルドに志願してもいいぞ? 雑用くらいなら回してやれるし」
「俺ら今となってはB級ランクにまで昇格したからな。十年で差がついちまったな」
心の中でため息を吐きながら、俺は巨大な袋の重さを肩で直した。
こいつらに何を言っても、俺の時間の無駄なのは昔から変わってない。
言いたい放題の連中に、俺は何も返さず静かに振り返る。
──その時だった。
バリバリバリッ!!
まるで空そのものが悲鳴を上げるような轟音が広場に響き渡った。
頭上に広がる青空が、みるみるうちに黒く塗り潰されていく。雲というよりも、雷そのものが集まって渦を巻いているような不吉な暗雲が、街をまるごと包み込んだ。
空気が変わった。ひやりとした湿気と、肌を刺すような静電気の気配。
人々のざわめきが一瞬で止まり、街中が水を打ったように静まり返る。
無意識のうちに、皆が空を仰いでいた。
「……な、なんだ、今の音……?」
「空……空が……裂けてる……?」
誰かの震える声が漏れた。
その瞬間、空を横切る巨大な影が、まるで月を覆い隠すように通過した。
ズゥゥン……!
低く唸るような羽音が鳴り響き、すさまじい風圧が街を襲う。
露店の看板が吹き飛び、果物が転がり、店主たちが慌てて商品を押さえ込む。
石畳の道に亀裂が走り、一部はめくれ上がって浮かびかけていた。
俺も、そしてリクトたちも、ただその姿を目で追うしかなかった。
空を飛ぶその影──漆黒の鱗に覆われた巨体、稲妻を纏う翼、災厄そのもののような存在。
見る者の本能に「死」を刷り込むような禍々しさを放ち、その名は誰もが知っている。
「ま、まさか……」
「う、嘘だろ……」
「黒嵐竜……!」
その名前を口にした瞬間、リクトたちの顔色が見る間に蒼白に変わった。
さっきまでイキっていた彼らが、まるで魂を抜かれたかのように震えている。
「いやいやいや! こんな街中に現れるわけ──」
ズガァァァン!!!
言い終える間もなく、黒嵐竜が天から降臨した。
まるで巨大な鉄塊が叩きつけられたかのような衝撃音が轟き、地面が陥没する。
俺たちが立っていた場所のすぐ横。石畳はクレーター状に抉れ、砂煙と瓦礫が激しく舞い上がった。
あまりの爆風に、俺たちの髪や服が激しく揺れ、食料の入った袋すら浮かびかけた。
「ひぃぃぃぃぃ!? し、死ぬ死ぬ死ぬ!!!」
「な、なんでこんなところに!!!」
「S級ギルドも呼ばれてねぇのにぃぃ!!」
パニックに陥ったかつての同期たちは、顔を真っ青にし、喉を潰さんばかりの悲鳴を上げながら、四方八方に散ろうとする。
だが逃げ場などなかった。
バチバチッ!!
空中を漂っていた黒嵐竜の鱗から、細かい電流が弾けるように広がった。
細い雷が空間にばら撒かれ、それが周囲の地面に落ちていく。
足元に走る青白い稲妻。石畳が一瞬で焼け焦げ、閃光とともに爆ぜる。
「うわあああああ!!!」
「ちょ、まって、本当に死ぬってこれぇぇぇ!!」
誰もが悲鳴をあげ、身を守るどころか立ち上がることすらできず、ただ這いつくばるしかなかった。
動けない。逃げられない。
訓練を積んだとはいえ、黒嵐竜の圧倒的な力を前にしては、彼らのレベルもスキルも意味を成さなかった。
まさに絶望という言葉がぴったりな光景だった。
俺はその場に、袋を肩にかけたまま、ただ、ぼうっとその様子を眺めていた。
空気は焼け焦げた匂いで満たされ、髪の先にまで静電気が伝ってくる。
「……いやいや、オレ、食料買いに来ただけなんだけど……」
誰に向けたわけでもなく呟いたその瞬間、空から重低音が轟く。
ドゥンッ!!
雷鳴のような音と共に、黒嵐竜が口を開いた。
その口内で、黒い雷が渦を巻きながら急速に凝縮していく。雷の球体が徐々に形を成し、放出寸前の殺気が空間を軋ませる。
「あぁ……これはヤバいな」
雷の球体はすでに直径数メートルを超え、今にも放たれようとしていた。
あの魔力の濃度、雷の規模──撃たれた瞬間、俺どころかこの町全体、その周辺の地域ごと丸ごと消し飛ぶ。
地図から一つ、町の名前が消える。そんな未来が、はっきりと想像できた。
……仕方がない。
働いたら負けだと思ってるが、やるしかない。俺にはまだ、この町の雑貨屋にある保存食が必要だ。
「ーー魔力解放。出力1%」
俺は無言で、右手の人差し指を竜に向けて突き出した。
そして、ごくわずかに──指を弾く。
パチン、と小さな音が鳴った。
それだけだった。
だが次の瞬間、空気が震え、見えない衝撃波が一直線に竜へと放たれた。
風でも光でもない、ただ“圧”だけが貫くように走る。
衝撃波は真っ直ぐに黒嵐竜の首元へと伸びていく。
直撃した瞬間、竜の首から上──頭部と両角、稲妻を纏ったその顔面が一瞬で粉砕し、まるで塵のように消し飛んだ。
胴体だけになった巨体が一瞬もがいたあと、バランスを崩して回転する。ドサァッ……という肉が潰れる鈍い音とともに、竜の残骸が地面を揺らして横たわった。
……世界から音が消えた。
誰も声を出さない。誰も動かない。
黒嵐竜の断末魔すら残らなかった。
ただ、辺り一面に漂う沈黙だけが、俺の攻撃が現実だったことを物語っていた。
「……え……?え……なに……? お前、なんで……?」
しばらくして、呆然とした声が響く。
リクトだった。土埃まみれの顔で、俺を見上げている。瞳は信じられないものを見た子供のように揺れていた。
【魔力投資(極)】──それは、“使わないほどに強くなる”という異端のスキルだ。
通常、魔力とは使ってこそ磨かれ、戦いによって増幅していくものだがこのスキルは逆だ。
魔力を使用せずに保持し続けることで、時間経過とともに内部で魔力が自己増殖する。
しかも、その増加は単純な直線ではなく、“複利式”──すなわち、蓄積した魔力量に比例して、次の増加量が指数的に膨れ上がっていく。
最初の1年では、わずかに人並みを超える程度だった。
3年経てば、上級魔術師のレベル。
5年目には、国家級。
そして──10年間、ただひたすらに魔力を使わず、引きこもって溜め続けた今。
その量は、すでに魔王級を遥かに超え、もはや“災厄”と呼ばれる域に到達していた。
俺はただ部屋にこもり、何もせず、世界最強になったのである。
「──さて。一生分働いた。もう二度と家から出ない」
そう呟いて、俺は彼に目もくれず、肩にかけた保存食の袋を持ち直し、くるりと背を向ける。
広場の中心に残る巨大な死骸と、茫然と立ち尽くす人々を後にして、俺は黙々と、帰り道を歩き始めた。