黒い世界
「大きな扉だね」
この作品の主人公である少女「弓月」に声をかけたのは文月という同性の友人。
文月は、ショートボブに薄地のカーディガンを羽織っている。細い足がショートパンツから伸びており、両目はカラーコンタクトを付けているため真っ赤だ。
それに対し、弓月は白髪ロングかつ長い前髪。色白で華奢な体躯を持つ。前髪は長く影になっているため表情は見えない。
現在、弓月は文月の背中に背負われている。
しかし、弓月が文月の背中に乗っているのは怪我をした訳ではない。
単純に歩くことが面倒になったからである。そして、弓月は背負ってほしいと文月に伝えた。
性格を知っているため、弓月は快諾し背中に背負ったのだ。
文月が歩を進め扉に近づく。この時、弓月が身にまとっている白と紫を基調としたワンピースもフワフワと揺れ動いた。
「鍵かかってるみたい」
ドアノブを片手で掴み、上下に動かしながら文月がそう言った。
そして、怒りに任せて扉を蹴りつける。
現在、2人がいるのは迷路のように入り乱れた謎のエリア。そして、眼前にそびえ立つのは出口と思しき扉だ。
弓月が周囲を見回す。
内臓や皮を剥いだ筋肉を彷彿とさせるうごめく床や、光沢のある黒い壁。
天井は、くすんだ色のパネルが敷き詰められており、どのような方法を取っても手が届きそうにない。
遡ること数時間前。この2人は、高校生であるため不本意ながら学校に通う予定だった。
しかし、今日は2人とも寝坊したため学校をさぼった。1日くらい学校をさぼったところで何も変わらない。強いて言えば、ほんの少しだけ教師や同級生などから悪印象を抱かれるだけだ。
そんな些細なことを気にして、慌てて支度し学校に向かう方が滑稽である。少なくとも2人はそう思っている。
そのため、文月は連絡してから弓月の家を訪ねた。そして、2人でアニメ鑑賞をしていたのだが、突然天井に謎の穴があき、吸い込まれてしまったのだ。
それから、気が付いた時にはこの場所にいた。その後、脱出するために辺り一帯を調べながら歩き、現在に至る。
「いきなり知らない場所に閉じ込められて脱出するため頑張るとか・・・典型的な脱出ゲームみたいで笑っちゃうね」
文月が楽しそうに言った。
「だってそうじゃん?この場所って、パスワードで施錠されたロッカーとか、目の前にあるような鍵がかかって開かない扉たくさんあったし。それに、ここに来る前は首のない人体模型みたいな怪物にも追いかけられたよね」
「後、おっきな虫とか」
「そうそう!ハエをデカくしたようなあのキモイ虫!捕まったらどうなってたんだろうね。リョナゲーのヒロインみたいに、卵とか体液注入されて強制出産してたかも」
めっちゃ動き遅かったから余裕で逃げることできたけどね。
そう付け足し、文月は楽しそうに笑った。
「ねえ、ふと思ったんだけどさ、クラスメイトの奴ら全員ここに投入できたら面白いと思わない?舌を引っこ抜かれたり下顎だけ残して残りの頭部が吹き飛ぶ様子が間近で見られるかも」
「おい、そこの2人」
文月の言葉を遮るように声が響いた。
「こっちだよ」
いつからそこにいたのか。
改めて2人が前を向くと、扉の前に佇む赤いフードを被った何かが目についた。
声は中性的であり、青色の仮面をかぶっている。
2人はこの存在を数秒間凝視し、弓月が文月の背中から降りた。
そして、この存在に無言で歩み寄りゼロ距離まで迫る。
「お、おいなんだよ・・・」
相手のそんな戸惑う様子も気にせず、頭からつま先までまんべんなく見回すと、弓月はこの存在の下半身に当たる箇所に手を伸ばした。
感触がない。手ごたえが一切なかった。
「・・・もしかして私の性別確かめようとしたのか?ただ残念だが、私の体を構成するのは、このフードと仮面だけだ。性別なんてもんは存在しねえよ」
そう言うと、弓月は未知の力で弾き飛ばされた。
背中を床に打ち付ける寸前で、文月が弓月の体を受け止める。
その後、文月は必死の形相で弓月の体を確認し始めた。
怪我はない?痛いところはない?と声をかけながら。
「あー・・・大丈夫だ。加減はしたからよ」
弓月が体を起こし、静かに首を傾げた。
「私が何者かって聞きたいのか?」
目の前の存在はそう言い、考えるように仮面を数秒間上に向けた。
そして、正面を向くと
「わりい、いい表現が全く思いつかねえ。"神"って言えばいいか?このエリア作ったの私だし、お前ら2人の考えていること全部わかるからよ」
「つまらないエリア作ったんだね。あんな怪物とか仕掛けとか全部面白くなかった」
文月が怒りを見せながらそう言った。自身の大切な人である弓月をぞんざいに扱われたことに対する怒りだろう。
そんな文月に対し、神は特段気にする様子もなく
「あーそうかよ。実際、このエリアはそれなりにいい世界を作る前の準備体操的なつもりで私が適当に作ったしな。つまんなくて当然だ。ちなみにこの世界、黒い壁があるから"黒い世界"って仮名を付けてるんだが」
「どうでもいい」
文月が言葉を遮った。
ただし、この時も神は、怒る様子もなく「つまんねえ話したな」と言い文月をなだめた。
突如として、カランという音が響く。
弓月が足元を見ると、白と黒のペンキを塗りたくったような鍵が転がっていた。
神は、扉から離れながら言った。
「その鍵使えば目の前の扉開くからな。そしたらお前ら2人は人間界に戻れるぜ」
弓月は、ゆっくりと身をかがめ鍵を拾い、それをまじまじと観察した。
そして、扉に近づこうとせず。
背後に鍵を投げ捨てた。
それに応じて、カランという鍵が床に転がる音が響く。
そんな様子を見た神は、驚く様子もなく静かに頷いた。
「お前ならそうすると思ったよ。帰りたくねえんだろ?お前らの名前も考えてることも全部わかるぜ。何といっても私は神だからな」
ここまで進んできたのは、2人の単なる好奇心だ。脱出したいとは全く思っていなかったし、途中で死んだ場合、それはそれで問題ないとも考えていた。
そのため、眼前の扉を開けて現実世界に戻りたいとは思わなかった。
少なくとも弓月の場合は。
神は、首を一回転させ喋り始めた。
「弓月、お前は生きることに執着してねえな?生きていても仕方がねえし苦労して生きる理由はないと思ってるだろ?」
次に、文月に体を向ける。
「文月、お前については人間界に戻ること嫌がってるだろ?弓月だけが心の支えで、常日頃から死にてえなって思ってるな?後、現実に恐怖してるよな?両親はお前のこと虐待してるし学校での立場も散々だしよ。最悪な毎日送ってるの丸わかりだ」
弓月は素直に頷き、その場に座り込んだ。そして、両膝に顔をうずめる。
全て当たっている。弓月と文月は生きることに対し常に恐怖心を抱いている。
「だったら・・・」
文月が声をあげた。
「だったら弓月に鍵を渡したのはなんで!?あんたって神なんだよね!?私たちが考えていること全部わかるのに、なんで帰らせようとしたの!?」
文月も神が言ったことと全く同じことを考えていたようだ。実際に、前々から死にたがっていたことは弓月も知っている。
ただ、両親に虐待されていたという話は初耳だった。
「まーちょっとした仕返しってやつだ」
「ああもう・・・ムカつく!ムカつく!」
飄々とした神の声と文月の怒声が聞こえてくる。
「ナイフでめった刺しにしたいし硫酸ぶっかけてやりたい!」
「んなことしたって私は死なねえしダメージゼロだ。意味ねえよ」
「弓月・・・!」
弓月が顔を上げると、文月が声をあげて泣きながら抱き着いてきた。
弓月は、文月の背中をさすり頭を撫でる。
そんな様子を見ていた神が、1つ提案なんだがと言った。
「お前らの願いかなえてやるよ。ちょっとやり過ぎちまったし詫びるぜ」
しかし、2人は黙ったままだ。この神の力が本物であれば、自分たちの願いなど筒抜けのはずだからである。
そして、そんな考えも知ったのか、神は言葉を紡ぎ始めた。
「今すぐ私たちを楽に死なせろ。同じ墓に埋葬しろってところか?」
神は、頷きながら続ける。
「安心しな。私にお前らの考えを否定したり肯定する理由はどこにもねえ。叶えてやるよ」
「もし嘘を言ったら・・・」
「こんなタイミングで嘘つく理由あんのか?いいから弓月と手をつないだままじっとしてろ」
文月に対しそう命令する神。
生きることを辞めたいというのは両者の願いである。
さらに、同じ場所に埋葬されたいというのも。
文月は弓月の手を固くつなぎ、弓月もまた、文月の手を握り返した。
「よし、そのまま動くなよ」
神の言葉が聞こえてくると共に、突如として強い眠気が襲ってきた。
それと同時に、弓月はここままなら楽に逝けると強く確信した。
「死は希望」という言葉があるが、まさに自分たちにとってぴったりの言葉である。
これ以上生きずにすむこと。
それは、弓月に安心感を覚えさせ、加えて、文月とともに逝けることは幸福だと確信した。
「お前らの遺体は、私が新しく作る世界に丁寧に埋葬してやる。安心しろ」
弓月と文月は、そんな言葉を聞きながら、これ以上ない心地よさを覚えた。
そして、入眠するようにゆっくりと意識を手放し、2人は息を引き取った。