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08


 雛数は急遽ナポリタンを作り、改めて3番テーブルへと持っていった。


 プンプン怒っていたお客の二人は、文句を言いつつもナポリタンに手をつける。


 気が付くと、家族連れで来ていたお客はレジでお会計を済ませていて、いそいそと帰っていってしまうところだった。


「あ、ありがとうございましたー」


「……」


 その家族連れのうちの父親らしき男性は、すれ違う雛数を無言で一瞥し、それから何も言わずにお店を後にした。


(……なんだよ。何か言いたげだったな……)


 雛数の心がモヤモヤするような、冷ややかな表情だった。

 そして、例のクレームナポリタン様にナポリタンを届けて数十分。

 彼らが無事に食事を終え、いざお会計を済ませる段になったのだけれど。


「あははw いや悪かったなぁ、アルバイト君。腹が減ってるとつい気が立ってしまっていけない」


 すっかり怒りの炎は沈下しており、かえって自分達が大人げなかったことを詫び始めていたようだった。


 雛数が自分達よりも一回り近く年下であることを省みれば、この豹変っぷりは当然だったのかもしれなくて。


「ふふっ。……あなたがあれだけ声を張り上げるなんてねぇ~。あれじゃクレーマーみたいじゃない。……あ、アルバイトさん。もう気にしなくて大丈夫だからね? ふふっ」



 女性の方に至っては、まるで自分だけは初めから怒っていなかったかのような、非常に虫のいい素振りをしていた。


「……。こ、こちらの不手際で……大変申し訳ありませんでした」



 それでも雛数は、レジ越しに深く頭を下げる。


 一皿目のナポリタンに、なぜ虫の死骸が入っていたのかはわからない。


 あんな風に、怒号を浴びせられるだけの原因が自分にあったのかもわからない。

 怒られる理由は、今日、この時間に、店員として働いていたから。


 それだけの理由だとも思った。


 その三十台のクレーム・イン・ナポリターナさん達が帰ったあと、喫茶店『がまのふた』は見事に客一人いない状況となった。


 都市部でもない郊外の喫茶店。

 土日でもピークを過ぎればこんなものである。


 それから数十分後、ガマ店長がお店に戻ってくると、カレンがここまでの経緯をガマ店長に報告。


「辻さんが一生懸命頭を下げて……っ!」と、必死になって雛数のフォローをしてくれていた。


 さすが純粋を絵に描いたような女子大生、早川カレンである。

 かばわれた雛数のほうは、


「勝手に一皿作ってすみませんでした。……俺、代金払います」


 と、自分の裁量で事態を済ませてしまったことに罪悪感を覚え、店にナポリタン一皿分の代金を払おうとしていた。


 ガマ店長はそんな雛数に対し、深々ため息を吐きながら言う。


「はぁ~、辻君辻君。……君が払う必要はないよ」


「え?」


「これもお店の責任だから。君はこれからもちゃんと働いてくれればそれでよしっ」


 案外、こんな時だけかっこいいんだな。と、雛数は関心させられた。


 ぶくぶくに太っていても、メガネが定期的に曇っていても。

 さっきのクレームなんたらーなさんよりはずっと大人だと、雛数はそう感じる。


 普段お客のいない平日や、休日の混雑時のテンパりようからは想像もできない姿。大人の余裕みたいなものがそこにはあった。


 だからだろう、つい雛数はこんな言葉を漏らして。


「店長……なんだか店長っぽいですね」


「店長だからな。……え、ていうかもしかして店長じゃないと思ってたのか?」


「……割と」


「コイツw」


「ふふっ、辻さんおもしろい!」


 雛数とガマ店長のやり取りに、カレンはくすくすと笑ってみせる。

 こうして客のいない店内の空気は、少しだけ穏やかさを取り戻したようだった。


 以降、特にこれといった事件もなく、『がまのふた』はいつも通り閉店まで営業された。


 雛数はお店からアパートへ帰る途中、夜の街を自転車で駆けながらふと思い至った。


(あれは、感謝されたことになるのか……?)


 あれというのは、無論、クレームなんたらーなさんのことである。

 お会計時点になって謝罪はされたけれど、あれは感謝じゃない。

 店側のミスを責めすぎたことへの罪悪感。

 その罪悪感を払拭するために、柔らかい物腰に切り替えていただけで――――


(違うよな。あれは感謝とかじゃない。自分達のために態度を軟化させてただけだろうな……。うん。そうなんだ)


 ◇ ◇ ◇



 六月の最終週の金曜日。

 専門学校が終わり、雛数はアパートへと帰ってきていた。


 疲れた身体でベッドへと倒れ込む。


 足だけにかかっていた重力が、そこから全身へと均等に配分されたのだと感じる。


 この瞬間が一番気持ちいい。


(……疲れた。脳みそ疲弊してんだよな……)


 建築士を目指す学校の座学というものは、大変な頭脳労働を強いられるものである。


 設計、施工、力学、法規など、一口に建築といってもその切り口は様々で、自分の関心が湧く授業は面白くもあるが、疲労度もそれ相応なものだった。


 ただ本来なら、そこに学生らしい恋愛だったり青春だったりが絡んで、癒し癒されのあらあら素敵なスクールライフ♡♡ へと昇華できるはずなのだが……


 残念なことに、雛数はその昇華を上手くできずにいた。


 友達と呼べる者はいなくて、どちらかというと彼はクラスでは浮いている存在だった。


(今日なんてせっかく話しかけてもらったのに、大して会話できなかったしな……)


 雛数は今日一日の自分を振り返る。

 今日は、一週間の中でも少々特別だった。


 いつもなら、彼は登校から下校まで基本的に一人ぼっちで過ごすことが多い。


 誰とも会話をしない。する機会がない。

 それが当たり前になりつつあったのだけれど、今日は違った。



 ◇ ◇ ◇



「くぁ……」


 一日の全課程が終わり、雛数が教室で軽くあくびをしていた時のこと。


「あの……辻君……」


 滅多に話しかけられない雛数が、クラスメイトの、それもコミュ力高めの可愛い系女子・歌野うたのさんに声を掛けられたのである。


 歌野さんは、雛数の所属する一年一組の中でも飛びぬけて美人で、クラスの中心的なグループにいつもその身を置いている。


 よく女子同士できゃっきゃと騒ぎ、楽しげなガールズトークに勤しんでいる姿を見る。


 そうして、時には男子からも恋愛目的で声をかけられていたりと、まるで雛数とは住む世界が違うような人物だった。


 そんな彼女から、奇跡的に声を掛けられたのだが……


「辻君……?」


「ぁ~……あ?」


 運悪くあくびの途中だった雛数は、思わず変な声が出てしまって。


「ヒッ!」


 一瞬にして歌野さんの綺麗な顔が歪む。

 その後、目をそらした彼女は慌てて用件を口にした。


「きょ、今日……辻君、掃除の当番…………だと思ったけどやっぱり私とミカでやるね! ごめん! なんでもなかったの‼ それじゃあね!」


「あっ、え……?」


 彼女はわかりやすく怯えてしまい、あっという間に雛数のもとを離れていってしまった。


(えぇ……。まぁ、いいけど……)


 いくらなんでもあんまりである。


 愛想がないことは雛数自身重々承知していたが、こうも目の前で拒絶されるとさすがに凹むもの。


 特に、歌野さんが逃げるように離れたことで、教室内に居た他のクラスメイト数名は、雛数のことをせせら笑っているようだった。


 ◇ ◇ ◇


 この出来事が週末の金曜日に起こったのは、まだそれ自体救いだったのかもしれない。


 土曜日曜の二日間で、このメンタルも多少は癒せるに違いないからだ。


(……でも、あんなタイミングで話しかけてこないでほしかったな。ていうか、やぶヘビ過ぎるだろ。もはやあれはテロだよ)


 このように学校生活、もといクラスメイトとの人間関係に難を示していた彼は、家に帰ってくるといつもこうして悩んでしまうのだった。


 学校のこと。アルバイトのこと。

 うまくいかない出来事に見舞われ、それを解決する術もよくわかっていなかった。

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