プロローグ
ーーa prologueーー
帰らなくては、とあなたは思う。
どこかに帰らなくてはいけなかった。
そう約束した筈だった。
しかし、帰ろうとした場所がどこだったのか、最早あなたには思い出せなかった。
それどころか自分が誰なのか、今どこにいるのかも、何も分からない。
ただ、何か温かい流れの中にいることだけが感じられる。
ーー以前にも、ここに居たことがあるような気がする
まだ自分が自分になる前。まだ個という存在でなかった頃、この流れの一部であった。知識としてではなく、自分という存在に刻まれた根源的な要素がそう告げていた。
同時に疑問が浮かび上がる。何故まだ自分は、個としてここに存在しているのだろう。そんなことは、あり得ない筈なのに。
「いや。あり得ない、ということもないよ」
不意に声がした。誰もいるはずが無い場所。自身と他人、そういった概念がなく、総てがひとつである筈の流れの中で彼女は言った。
「たしかに人の身でここに来るのは無謀だ。人間の体なんてものは例えるなら泥の塊で、ここは濁流みたいものだからね。普通ならあっという間にバラバラに流されて消え去るだけさ。君もほとんど流れていっちゃってるけど……ほら、そこを見てごらん。彼女の残した術式が君という概念の形を僅かながらにこの場に留まらせてる」
術式、と言われて何かを思い出しそうになる。それは誰かの顔や声、名前といった何かだったかもしれないが、記憶が形を成す前に霧散していった。何せよ今の自分には身体が、考える脳味噌すらもないのだ。
ただ、自分の中に術式と呼ばれるものが刻まれていることは知覚できた。この大きな流れに呑み込まれ四散し、術式という楔ににかろうじて引っかかって残った滓が、今や自分という意識の全てだった。
「君と彼女が行った儀式は本来、自分の存在概念の一部を代償に、ここの力の一端を現世に表出させるものだったんだ。それを一部どころか存在の全てをこっちに持ってきたんだから、君の存在は何も残らない筈だった。彼女特製の術式で一時的に、ほんの僅かに生前の形を維持したけど、実のところ力不足で本当ならもう君は消え去ってる筈だった。でもここに来れるやつは貴重だし、何より君は"外なる者"だ。是非とも話してみたいと思って、君が消えないように私から手助けさせてもらった訳さ。ああ、なんかこんな場所で訳知り顔で話していると変な勘違いをされそうだけど、私は神とかなんとか、そういった大層なもんじゃないからね。好きでここにいる人間さ」
人間とはとても思えない。今にも消えそうなこの身だから分かるが、ここに平然として居られる存在は人間ではあり得ない。
そう感じたことが伝わったのか、彼女は言う。
「厳密にはもう人間ではないかもね。人間の領域からちょっとはみ出した元人間ってところかな。まあ、私のことはどうでもいいんだよ。問題は君だ。助けたとは言ったけど、あまりに無茶をするものだから、君を為す概念は最早修復不可能だ。残った分でどのくらい自我が残ってるか怪しいものだけど、自分の名前は言えるかい?」
あなたは自分の名を思い出そうと、か細い記憶の糸を辿り、
ーー■■■
辛うじて浮かび上がってきたその名を告げる。
「ふむ。こちらの言葉で表すなら【エルク】ってところかな。自分が何だったか、どうしてここにいるのか、これから何をしようとしていたのか、思い出せる?」
……。
「無理か。ここから生まれたものや、ここに還ってきたものなら何でも干渉できるんだけど、君たちのことはよく分からないから直接話して色々聞きたかったなあ。でもこうして、こちら側に混ざってもらえた訳だから、これからはいつでも好きな時に君のことを視ることができる。ひとまずはそれでよしとしようーーおっと、時間切れかな」
彼女が言葉を切ると同時に、自分に刻まれた術式が稼働するのを知覚した。消えかけていた自分という存在が、周囲の概念を取り込んで、新しいカタチを構築していく。
「これから君は新しい存在となって現世に顕現する。まだ残ってる分の君の意識はその術式によって新しい肉体にちゃんと転写されるだろう。失った部位が多すぎるから殆ど何も分からないまま生まれ直すことになるし、ここで話した記憶は残らないだろうけどーーそうだな、こっちでの名前くらいはあった方がいいか。エルク、君の名前を君の存在に刻んでおこう」
じり、と。自分の中の根幹に何かを焼き付けられるような感触と共に、エルクという名が自分のものとなったことが分かった。
「それじゃ、暫しお別れだ。これ以上君にとって訳がわからない話を一方的に続けても、互いに面白くないからね。そんなプロローグはさっさと終わらせて、早く君の物語を始めよう。どうか私の退屈を紛らわさせてくれ」
そしてできるならーーと、彼女が続けた言葉は聞こえなかった。人の言葉に耳を傾けるどころではない。欠片でしかなかった自分という存在が急激に補完されていき、元とは違う何かに変貌していくのを感じた。そして遥か昔にそうしたのと同様に、大きな流れから枝分かれ、この世へと生まれ出ていった……
ここだけ読んでも一体何のことやら、という感じですがエルク達がいるのはみんクエでいう命脈、シャーマンキングでいうグレートスピリッツみたいなものです。
元プレイヤーなら翠霊召喚を思い出すかもしれませんが、それに近いことが起きています。
このシーンが何だったのかは追って明かされる予定です。