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37 結局はデータの積み重ね

 それからというもの、ジョアンを中心にノース国とイース国を跨る山脈を中心に、地震や崩落の予知というとんでもない作業が繰り広げられました。

 そもそも予知できないから天災というのではないかと思うのですが、天才児たちには違うのかもしれません。


 早馬で呼び出したワンド地質調査研究所のワードナー・ベック副所長は、驚異のスピードで到着し、子供たちに顎で使われています。

 しかし質問の内容や要求される資料があまりにも適切なため、喜んで動いているのです。


 天才児たちは休憩をしませんが、凡人に休息は必要です。

 私にとっては雲の上のような才能だと思っていた博士やリック主任、ベック副所長も凡人枠で、私と一緒にお茶タイムです。


「進捗はどうですか?」


 博士の問いに副所長は肩を竦めました。


「正直に言って私には分かりません。足手まといにならないように必死で要求に応えているという状況ですね」


 回答の割には副所長の顔は嬉しそうです。


「でも始まったばかりのような緊張感はないですよね?」


 私はマフィンを手に取りながら言いました。


「恐らく取り寄せた資料の内容が、想像していたより軽度だったからだと思います」


「ああ、ノース国の地震の詳細の件ですね?」


「ええ、急激な地殻変動だと前震や余震があるはずですが、余震だけでしかも軽度だとわかりましたからね。ちょっとしたズレ程度だと判断できたのです。今彼らが取り組んでいるのは、そのちょっとしたズレを起こしそうな場所の特定と、発生時期の予測ですから多少は気持ちに余裕が生まれたのでしょう」


「とても丁寧に説明していただきましたが、私にはさっぱりわかりません」


 私の発言に皆さん笑いました。

 その声に気づいたエスメラルダがやってきました。


「ローゼリア」


「どうしたの?エスメラルダ」


「チョコケーキ」


「糖分が必要なのね?みんなのも用意するわ」


「うん」


 天才児たちは食事もそうですが、その気になった時にしか食事をしません。

 頭を使うと甘いものが欲しくなるとはよく聞きますが、本当に子供たちはチョコレートケーキが大好きです。


 部屋に控えていたメイドさんにチョコレートケーキをお願いしました。


「お茶飲む?」


「ココア」


〈みんなもココアとチョコレートケーキでいいかな?良かったらこっちに来ない?〉


 私は脳内で会話を試みました。

 三人が振り返り頷きます。

 休憩する気になってくれたようで、私はとても嬉しくなりました。


 インクで袖口まで真っ黒にしているドレックとアレクの手を、濡らしたタオルで拭いてやると嬉しそうに微笑みました。

 こんな顔を見るとやっぱり子供なんだよなぁと安心します。


「ローゼリア」


「どうしたの?ジョアン」


「エヴァンまだ?」


「そうね、連絡して二週間だもの、そろそろ何か知らせがあってもいいわよね」


 私は急に不安になりました。

 そもそもの行先であるノース国にはゆっくり行って一か月の距離ですが、皇太子殿下一行は更にその向こうの国まで足を伸ばしていたはずです。

 急いで帰ってもひと月以上はかかるのかもしれません。


「遅い」


「そうね、でも緊急な危機は発生しないのでしょう?」


「分からない」


 ジョアンが悲しそうな顔をします。

 分からないのが当たり前だと思うのですが、彼らにとっては悔しい事のようです。

 ベック副所長が口を開きました。


「イース国側の地層とノース国側の地層の間に亀裂があるというのは、ワンド伯爵も言っていました。だから定期的に計測をさせていましたが、まさかそのデータが日の目を見る日が来るとは思いませんでしたよ」


「父もあの辺りを心配していたのですか?」


「ええ、亀裂に溜まった水が地熱で温められて湧きだしているのが、あそこの温泉ですからね。湯量や温度の調査も指示していましたね。湯温が上がったり水位が下がったりすると警戒していました。でもその影響がどの地域に出るかは予測不可能という状況でした。これが今から二十年以上前です。ローゼリア所長が生まれる前ですよ」


「そんなに前から注目していたのですか。でも対策は打てていませんよね?」


「他国の土地ですからね、提言はできても手は出せないのです。しかも伯爵の病状が進んでからというもの、この研究はほとんど進んでいません。我々のような凡夫はコツコツとデータを集めて傾向を把握する程度のことしかできませんでした」


「それでも大切なことでしょう?その膨大なデータは今役立っているわけですし」


「本当にありがたいことです。苦労が報われたような気がしますよ。しかし私たちの仕事の柱は地質改良ですからね、地盤のことは伯爵の趣味のようなものでしたから、私が個人的に引継いでいたようなものです」


「ベック、えらい」


 ジョアンがベック副所長の頭を撫でました。

 子供に頭を撫でられて嬉しそうにする大人って珍しいのではないでしょうか。

 しかもジョアンの手についたチョコレートが副所長の髪についています。


 私がジョアンを止めようかどうしようか迷っていた時、ドアが乱暴に開きました。

 私について下さってる近衛騎士のアンナお姉さまが駆け込んできました。


「皇太子殿下のご帰還です」


 私はジョアンの手を握って駆け出しました。

 王宮への近道を抜けて、アンナお姉さまが先導してくれます。

 王宮の正門前にはすでにたくさんの人が集まっています。


 ゆっくりとした足取りで国王陛下と皇后陛下、サミュエル殿下が宮殿から出てこられました。

 やっとです!やっとエヴァン様に会えるのです!

 ジョアンが私の手を強く握ってくれます。


 皇太子殿下は馬車でなく騎馬で門を通って来ました。

 護衛騎士達が囲んでいますが、エヴァン様の姿はまだ見えません。

 それにしても皇太子殿下の服は異常に汚れています。

 騎士たちの中には怪我をしている人もいるようで、ものすごい不安に襲われました。


 下馬された皇太子殿下は国王陛下の前に進み、帰還の挨拶をなさっています。

 お声は聞こえませんが、そこに笑顔はありません。

 エヴァン様の姿を探す私の目には、涙が浮かんできました。


〈ローゼリア、落ち着け。すぐに説明に向かうから作業室に戻れ〉


 サミュエル殿下の声が頭の中に響きました。

 私と手をつないでいたのでジョアンにも聞こえたのでしょう、ジョアンが不安な顔をして私の手を引きました。


〈ローゼリア、一旦帰ろう。何か事情があるのだろう〉


 私は不安な気持ちを持て余したまま、泣きそうな顔のジョアンと一緒に来た道を戻りました。


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