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冥の花嫁

月明かりだけが頼りのその場所には、整った顔立ちの男が立って冷ややかに此方を見ていた。ただ整ったという形容だけでは物足りなかった。その人物の月光に冴える姿を、ツェツィーリアは呆然と見つめた。彼の瞳は今探していた紫の宝石のようだった。胸がトクンと高鳴った。

 この城では見かけない人物だった。この場所で堂々と歩いているのだから怪しい人物では無いと思うのだが・・・

 それも此処に居るということは皇城に居住を許されたかなり身分の高い貴族に違い無い。しかしそれなら今日は夜会に出席している筈だった。皇后の祝賀会なのだから・・・・でも着ているものは上等だが夜会服では無い。


 誰なんだろう?とツェツィーリアは首をかしげた。


 その人物は彼女がまだ会った事の無い皇帝ナイジェルだった。

 彼は時々、ツェツィーリアを夜見かけていた。何故か気になってしまった。身元は彼女の服装を見れば分かった。皇后の宮の侍女服だったからだ。しかし名前までは分からないし、そこまで知る必要性も感じなかった。だが・・・何故か目が離せなかったのだ。

 今日も楽しげに下を向いたまま歩いているのを怪訝に思い、かけるつもりは無かったのに声をかけてしまった。


 顔を上げ、間近で見たその少女は美しかった。弱光に照らされた淡い金糸のような髪。それに縁取られた顔は夢見るように愛らしく、その瞳は何色だろうかと思った。


(藍?青?ああ・・たぶん・・・瑠璃色だろう)


 驚いて自分を見上げている彼女を見て、ナイジェルは会った記憶は無いが自分を知っているのだろうか?と思った。

「――返答は?」

 ツェツィーリアは、はっとした。

「し、失礼しました。まさかこんな場所に誰かいるとは思わなくて・・・・あの・・石畳の夜の宝石を見てて・・・」

「夜の宝石?ああ・・・これか・・」

 ナイジェルは気にする事も無かった足元を見た。当たり前の風景で今まで気にも留めて無かった道だったが、確かに先人が造った贅沢なものだ。

「素敵ですよね?まるで夜の花園みたいだと思いませんか?」

 少女はにっこり笑った。


 その畏まらない様子にナイジェルは彼女が自分の事を知らないのだと察した。そういう感覚は久し振りだった。当然だが誰もが自分に平伏した態度なのだから彼女が新鮮だった。

 ツェツィーリアも只の侍女とはいえ、皇后に仕えていて貴族は見慣れているから平気だった。失礼の無いように対応出来る。だが正直、この謎の人物から問われると、胸がドキドキして何も考えられなくなって素顔が出てしまう。恥ずかしくなって再び下を向いて、聞かれても無いのに続けて喋り出した。


「今日は満月だし、宝石も綺麗に輝いているでしょう?ほらっ、赤に青に・・・白でしょ?やっぱり紫は無いみたい・・・」

 ツェツィーリアは可愛らしい顔をしかめてナイジェルを見上げた。

 ナイジェルは黙したままだった。

自分のこの胸に広がる感覚は何だ?と問いかけていた。彼女を見ていると何かがざわめいているのだ。例えば――無色だった自分の周りが鮮やかに色づくような感覚?この娘は危険だと心の中で点滅する――何が危険なのか?何故なのか?ナイジェルは分からない。


 しかしナイジェルはその後も、ツェツィーリアを夜の城で探した。

 今日もあの道で石を探しているのだろうか?それとも水面に映った月を眺めているのだろうか?それとも・・・・見つけたら一言二言話しをして別れる。たったそれだけの短い時間だがナイジェルの渇いた心は無意識に彼女を求めていた。

 ツェツィーリアも夜になるとその時々現れる謎の人物を探してしまう。


今日は来るのだろうか?会ったら何を話そうか?と―――


 お互い名前も名乗らず静かな夜を共有しているだけなのに、同僚に言わせればそれは〝恋だ〟とからかった。そんなものじゃないとツェツィーリアは思う。それでも心は夜が待ち遠しいのだった。

「ツェツィーは最近、とても輝いているわね?何か良いことでもあったのかしら?」

 イレーネは聞いた。

 彼女の事情を知っている侍女がツェツィーリアの代わりに答えていた。恋人が出来たのだと。

 ツェツィーリアは真っ赤になって違うと答えたが、聞き入れてもらえなかった。

「まあ、そうなの?それでどんな方なのツェツィー?」

 ツェツィーリアの初々しい様子を微笑ましく思いながらイレーネは聞いた。

 また本人じゃない者が答える。

何度か後を付けたけどその日に限って現れなかったと―――

ツェツィーリアはそんな事をされていたのかと驚いて、尚更真っ赤になってしまった。

 本当に微笑ましい様子にイレーネは少し羨ましく感じたが、彼女には幸せになって欲しかった。


 そしてある夜、イレーネが何気なく外を見ているとツェツィーリアが出かけていた。皆が言っていた夜の逢瀬かと微笑んだ。イレーネはふと心配になった。

大事なお気に入りの侍女の相手はちゃんとした人物なのだろうかと―――

 そっと後を付けてみた。

見失ったかと思って帰ろうとした時、彼女の軽やかな笑い声が聞こえた。

 イレーネは微笑んでその方角を注視した。

 少し離れた場所だったがツェツィーとその相手は此方からはよく見えた。

 

微笑を浮かべていたイレーネの顔が一瞬のうちに凍りついた―――


 その相手はナイジェルだったからだ。

間違いはしない。片時もこの男を忘れる事は無いのだから・・・・憎くて酷い自分の夫。

 イレーネは許せなかった。主人である自分に黙って、夫を盗ったツェツィーリア。可愛い顔をして、従順な侍女を演じながら、陰では夫に省みられない私を嘲笑っていたのか?

 目の前が怒りで真紅に染まりそうだった。こめかみの血管がドクドクと脈打つのが分かる。ナイジェルの他の女達にこれほど怒りを覚えたことは無かった。ツェツィーリアを信頼していただけに、その裏切りは許せるものでは無かったのだ。

 イレーネは激しく燃える怒りを胸に秘めその場から立ち去った。

 自室に戻ったツェツィーリアにイレーネからの呼び出しが待っていた。

 こんな夜更けに珍しいと思いながらツェツィーリアは皇后の寝所へと向かった。

 そして扉の前で立ち止まると中へ声をかけた。

「失礼致します。ご用を承りに参りました」

「お入りなさい」


 イレーネの声がいつもと少し様子が違うのを感じた。

 静かに扉を開いて中へ入ったと同時に、左右から男達の手で拘束された。口は塞がれ悲鳴も封じ込められてしまったのだ。驚くツェツィーリアの前にはイレーネが立っていた。彼女が今まで見た事も無い冷たく残忍な顔をしたイレーネだった。

 イレーネは静かに嗤った。

「ツェツィーリア。何故?と言う顔をしているわね?何故こうされるか?あなたは分かっている筈でしょう?」

 ツェツィーリアは必死に首を振ろうとしたが、男に押さえつけられて動けなかった。

「知らないとでも言っているの?」

 ツェツィーリアは今度、縦に首を動かそうとした。イレーネが何を怒っているのか見当がつかない。


 イレーネは顔を醜く歪めた。

「この大嘘つきの恥知らず!わたくしは許しませんよ!絶対に!さあ、もう二度とあの人の前に出られないようにしてあげるわ・・・おやりなさい!」

 あの人?イレーネの言っている意味がツェツィーリアには全く分からなかった。

何を?と思った瞬間、片側の男の手には鋭利な刃物が握られていた。

  全身の血の気が引くようだった。足を払われて床に押し倒され動きは封じ込まれた。涙で霞んだ視界に蔑みの目で見下ろしているイレーネと、ツェツィーリアの顔に向かって狙いを定めている刃先が見えた。


 もう駄目だと諦めた時、大きな音と共に扉が開く振動を感じた。


 イレーネは振り向いた。

開くはずの無い方向からの音だったからだ。そこは只一度、婚礼の夜にだけ開いた扉だった。皇帝と皇后の寝所を繋ぐ扉だ。

 そこから現れたのは当然だがナイジェルその人だった。

 驚いて硬直しているイレーネに一瞥する事無く、ナイジェルはその横を通り過ぎた。その手には長剣が握られていた。

 

そして何だ?と顔を上げた二人の男に抵抗する間も与えず、ナイジェルは鞘から剣を抜くとその男達を切り捨てたのだ。男達の断末魔と共に鮮血が部屋に飛び散り、重なり合うようにツェツィーリアの上に転がってきたのだ。ツェツィーリアは何がおきたのか分からなかった。急に視界が真っ赤な血で染まったと思ったら醜く歪んだ顔の男達が降ってきたのだから・・・・

 その男達は死んでいた。べっとりとした血がツェツィーリアを濡らした。


 悲鳴を上げた―――しかし声は出ていなかった。大きく息を吸い込んでせき込むと目の前に手が差し出された。その手の先を見ると、それは夜のあの人だった!

いつものように無表情の冷めた瞳で手を差し出している。

「・・・・何故?あなたが此処に?・・・」

 何処から入って来たのだろうか?とツェツィーリアは思った。扉は一つしか無いがその扉の前で自分は襲われていたのだから・・・・

「――陛下!それはわたくしの侍女でございます。勝手をして頂いたら困ります」

 ツェツィーリアは瞳を大きく見開いた。


(陛下?イレーネ様は今、陛下と?)

 

ナイジェルは差し出していた手を引くとイレーネの方へ振り向いた。

「誰に向かって言っている?」

 ナイジェルの声はいつものように低く冷めていた。

イレーネはそれでも怯まなかった。もう我慢の限界だったのだ。この場で殺されようと構わないと思っていた。彼が戯れで関係しているツェツィーリアを懲らしめようと決めた時から覚悟はしていた。

「仕置きの最中です」

「仕置き?」

「ええ、そうです」

「いずれにしても終わりだ。この者は私が引き取る」

「いいえ!それはわたくしの侍女です!」

 ナイジェルはイレーネを無視して状況に驚いているツェツィーリアを抱き上げた。そして血で汚れていた胸元を自分の袖で拭った。

「間違い無いな・・・」

 ナイジェルはそう呟いた。


 この夜はツェツィーリアと別れた後、大神官から緊急の連絡が入り急ぎ宣託の間へ向かったのだった。そこで告げられたのは長年待ち望んだ〝冥の花嫁〟の神託だったのだ。十七回目の誕生の時を迎えるとその少女の左胸には〝星の刻印〟が現れる。そしてその少女はイレーネの侍女ツェツィーリアだった。

 イレーネの侍女と聞いてナイジェルは、名も知らない夜の少女を思いだした。まさか?と思ったが何か確信を感じていた。それを早く確かめたくなり、呼び出しの使いを出したが、イレーネに呼ばれているとの事だった。自分が待つつもりも無く、部屋も隣なのだからと向かったところ、この変事に気が付いたのだった。


 ツェツィーリアの血塗れた胸には確かに〝星の刻印〟が刻まれていた。


「あ、あの・・・あなたは?・・まさか・・・本当に?・・・」

 ツェツィーリアはナイジェルの腕に抱かれながら恐る恐る尋ねた。

 ナイジェルは答えなかったがその答えは行き先で確認出来た。今まで開いたのを見た事が無い皇帝の部屋に通じる扉に向かったからだ。そこを通り抜けようとした時、ナイジェルは振り向いた。

「イレーネ。朝までにその部屋を引き払うように。後は後宮のどの部屋使っても構わない」

「陛下!わたくしは皇后です!この部屋は―――」

「――そうだ。その部屋は第一皇后が使うものだ。明日からはこの娘が使う」

 イレーネもツェツィーリアも同時に驚いた。

 イレーネはわなわなと震えていた。今まで一度も問うたこと無かった事を言った。


「そ、そのような事・・・わたくしは承知いたしません。わたくしに何の不満があると言うのですか?お教えくださいませ!」

「不満?不満など無い。今まで十分お前には満足していた」

「そ、それは嘘でございます!それならば何故、何故わたくしを無視なさいましたか?」

「・・・・これからも今まで通り、自由にするがいい。ただし、この娘が私の正式な后だ。神が定めた私の花嫁だ」

 イレーネは、はっとした。神?まさか?

「ま、まさか・・・冥の花嫁・・・」

 ツェツィーリアもイレーネが呟いた言葉に驚いた。


(まさか・・・私が?)


 ナイジェルはそれ以上、答えるつもりも無く扉の向こうへと去って行ったのだった。

 何が何だか混乱しているツェツィーリアは、皇帝付きの女官達に預けられた。そして湯殿で返り血を洗い流され身体中清められたのだ。抗った時に付いた傷や打ち身が湯にしみたが、左胸に今まで無かった痣を見つけた。うっ血したものでは無いのは見るだけで分かる。さっきはこの痣を彼が確かめていたようだった。


(いつもふらりとやって来たあの人が皇帝陛下だったなんて・・・・)


 ツェツィーリアは未だに信じられなかった。だが、今日のイレーネがあんなに怒っていた理由もこれで分かった。夜のあの人を皆、恋人だと勘違いしていたのだから、イレーネが何らかで知って誤解したのだろう。夫と自分の侍女が浮気をしていたと・・・・

 ツェツィーリアはイレーネが怒っても当然だと思った。しかし手首に残る痣を見るとぞわりと寒気がした。そして殺された二人の顔を思い出し恐ろしくなった。無体な事をされようとしていたとしても殺す必要は無かったと思った。人を殺したというのに平気な顔をして、無表情で血刀を握って立っていたあの人を初めて恐ろしいと思ってしまった。


(・・・でも・・・私が冥の花嫁だなんて・・・)


 〝冥の花嫁〟は誰でも知っている話だ。冥神が帝国に贈る神の娘―――

 その娘は時が満ちると現れ、皇統を継ぐ者と婚姻を結ぶ。おとぎ話のような伝承だ。

ツェツィーリアは自分が神の娘なんて信じられなく不安だった。何もとりえの無い平凡な自分が、大きな運命の渦中に投げ込まれてしまったのだから当然のことだろう。しかし小さな希望はあった。見た事も無い皇帝の花嫁になるよりも、あの人で良かったと・・・・ほんのりと温かいものが胸の奥から感じていた。


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