一泊二日『洒落怖』体験ツアー
「ここ、行ってみない?」
「なになに…?オカルト好き垂涎!北陸の謎の村で『洒落怖』一泊二日体験ツアー 夏の納涼特別セール中!3人様一組でご応募ください…。」
同じサークルの友人、舞から突き出されたスマホの画面には、そう書かれてあった。
「面白そうね。」
こちらも同じサークルで、横からスマホを覗き込んでいる美衣が答える。メガネの奥の綺麗な目が輝いているのは気のせいだろうか。
「よかった〜。もう愛と美衣の分、予約しちゃったんだよね。じゃ、8月3日と4日空けといてね!」
「マジか…。」
舞の自由さに半ば呆れながら、彼氏もいない大学2年生。
暇な夏の思い出になりそうで、半分は心躍っていた。
8月3日。東京から新幹線と車で3時間半ほど、私たちは北陸にいた。
「いや〜。山道の運転がすでにホラーだったね。」
「半年ぶりの運転、ヤバすぎたわ。疲れた…。」
唯一免許を持っている私はすでにヘトヘトだ。
「ここね。」
「間違いない!こんにちは〜。今日予約したものなんですけど〜。」
そんな私を尻目に、舞と美衣は今日の宿——と言っていいのだろうか。いわゆる古民家風の建物に入っていった。
「遠い所をどうも。山ん中やさけ、大変やったやろ。」
「ようこそいらっしゃいました。運転大丈夫でしたか?」
どうやら宿で間違いなかったらしく、訛っているが優しい声音をしたおばあさんと、妙齢の綺麗な女性が出迎えてくれた。
「いえいえ!友人が頑張ってくれました。素敵な建物ですね。」
「ありがとうございます。女将が住んでいた古民家をほとんどそのまま使っているんです。洒落怖といえば、田舎のおばあちゃんの家から始まるものでしょう?なんて。申し遅れました。私、ツアーの案内をさせていただきます。井伊と申します。」
「女将の間です。ささ、玄関も暑いで、中はいんねはいんね。」
2階も合わせたら10部屋はあるだろう、大家族時代を感じさせる広い家だ。サ◯エさんの家を2階建てにしたような形とでも言おうか。長い廊下を歩きながら、そんなことを考えた。
「さて、改めましてようこそ『洒落怖』体験一泊二日ツアーへお越しくださいました。皆さまには、10年ほど前にインターネットへ投稿された『洒落にならない怖い話』を追体験していただきます。」
仏間でお茶をいただきながら、井伊さんにツアーの説明を受ける。
「投稿された『洒落怖』は、特に凝った名作というわけではございません。田舎の祖母の家に遊びにきた3人が蔵で遊んでいたら『あるもの』を見つけ、呪われてしまいます。恐ろしい夜を過ごした後、祖母に助けを求め、事情を知った3人は山寺へ向かいます。寺で供養してもらった3人は無事、街へ帰って行く。ただし、呪いは完全に解けたわけでは無かった…。言ってしまえばよくある筋書きですね。もちろん、私たちはいつでも家におりますので何かお困りごとがございましたらお声がけください。それでは、皆さまお楽しみくださいませ。」
「泊まりがけのミステリツアーみたいなものかなあ。」
「そうじゃん?にしても、でっかい蔵。」
都会育ちの私からすると、一軒家にしか見えない蔵の鍵を美衣が開け、中に入る。
あまり手入れはされていないのか、埃っぽい匂いが立ち込めた。
「さて、『あるもの』を見つけるんだっけね。」
「なんなんだろうね〜。愛、そっちの箱開けてみてよ。」
「はこのなかは、からっぽ!」
「RPGみたいなこと言うね〜。お、これなんだろ?なんだ、ゴミか…。」
蔵の中は雑多で、宝が何かわからない宝探しは骨が折れそうだ…。と思った矢先。
「愛、舞、多分、これ。」
一人黙々と作業していた美衣が何かを見つけたらしい。こいつ、そういえばオカルト好きだったな。
「何…これ。紙?」
「文字だよね多分。読めない…。」
美衣が差し出した紙には、時代劇に出てくるような文字が赤黒く書かれていた。
文字は一行ずつぐるりと円状に配置されていて、どこを上にしても読めるようになっている。
「何かはわからないけれど、これが入ってた箱にもう一枚紙があって、『母屋にお越しください』って。」
なるほど、井伊さんが言っていた曰く付きの『あるもの』はこの紙で違いないだろう。
「とりあえず、母家に戻ろうか。」
「そうだね!いや〜、ワクワクしてきたね!」
「呪い、何かしらね。楽しみだわ。」
美衣の興味はややズレているような気もする。
「井伊さん、戻りました!」
「あら、お早いお戻りですね。血判状、無事見つけられたようですね。」
「血判状っていうんですね。これ。名前からして、血を使った書面か何かですか?」
「その通りです。ちなみに、手漉きの和紙を使って、数百年立っているよう加工を施しています。さすがに人の血は使っていませんけどね。詳しくは明日、女将から説明差し上げますね。」
「だからこんなにリアルなんだ。すごい。」
「ありがとうございます。さて、この後は…。」
「呪われた私たちに恐ろしい夜が待っている。ですよね?」
「ええ。その通りでございます。恐ろしい夜と言いましても、美味しいご飯と大きなお風呂はご用意しておりますので、ご安心ください。」
井伊さんの言葉通り、料理は素晴らしいものだった。近隣の川で釣れた鮎の塩焼きに、畑で採れた夏野菜のサラダ。そして抜群に美味しいのがフキなどの夏の山菜の天ぷら。白米も艶やかだ。派手ではないが、旬の具材をふんだんに使った上、丁寧に下拵えされているおかげで癖もなく、箸が止まらない。
「恐ろしい夜って何が起きるのかしらね。」
「美衣、気になる?」
「そりゃね。流石に身の危険は無いだろうけど。」
「私も気になるな。お化けとか苦手なんだよね。」
「安心しなって愛。もしお化けが出たら私が追い払ってあげるよ。美味しいご飯で力一杯だしね!」
「舞、頼りになるかな。」
「ひどいっ。って苦あっ!?」
「舞?」
「こ、この天ぷら…人生で食べたものの中で一番苦い…。」
「ええ?私のは美味しいけど。」
「あら、舞さんに当たりましたか。」
「井伊さん。」
「舞さん。申し訳ありません。そちらはニガダケと言いまして、夏に採れるタケノコの天ぷらでございます。アク抜きをすれば非常に美味しいもののですが、『呪い』として一つだけアク抜きしていないものを入れておいたのです。」
「なるほど。舞、しっかり守ってくれたわね。ありがとう。」
「美衣〜。ひどいよ…。」
「あの、井伊さん。他にも『呪い』はあるんですか?」
「ええ。この夜にいくつか用意させてございます。と申しましてもこのような悪戯程度のものばかりですが。」
「なるほど。舞、今後も任せた。」
「舞、期待してる。」
「舞さん、良いリアクション、期待してます。」
「皆ひどい!!」
その後も全く泡立たない石鹸や、丈が短すぎる浴衣など、舞が全ての恐ろしい呪いを引き受けながら夜は更けていった。
(もちろん、井伊さんが代替品を用意してくれていたが。)
「舞、美衣、もう寝た?」
返事はない。長旅だったし、二人とも疲れたのだろう。
私はというと、体は疲れているのに妙に目が冴えている。二人のことも考えるとスマホも使えないし、こうして一人思索をめぐらせる以外できることもない。
山奥特有の蛙の大合唱が聴こえてくる。。謎の虫も加わってきて賑々しい。
これが毎日ならば鬱陶しいどころではないだろうが、私にとってはもの珍しい。少しうとうとしながら耳を傾ける。
——達者 …楽 退… 無…獄 達者 …生極楽 退… …地獄 達者
蛙のオーケストラに、人の声らしきものが混じっているような気がする。何を言っているんだろうか。一人や二人の声ではない、もっと、大人数の、地鳴りのような…。
——達者 往生極… 退者 無間地獄 達者 往生極楽 退者 無間地獄
少し鮮明になってきただろうか。意味はわからないが、何を言っているかはわかるほどになってきた。
人の声に紛れて、金属の擦れる音も聞こえてくる。あまり良い金属とはいえない、錆びついた金属音。
——達者 往生極楽 退者 無間地獄
かなり近い。家の前の畑どころか、廊下でなっているような気すらしてくる。
すえた臭いが漂ってくる。
これも『呪い』なのだろうか?井伊さんがCDでも鳴らしているのかな…?それなら、この匂いはなんなんだろう。
——達者 往生極楽 退者 無間地獄
おかしい、近いなんてものじゃない。部屋に、誰かいる。
声は低く、重く、悪意をこれでもかと詰め込んだかのようだ。体の芯が震える。
——達者 往生極楽 退者 無間地獄 達者 往生極楽 退者 無間地獄 達者 往生極楽 退者 無間地獄
目を開けられるわけもない。すえた臭いの元は明らかにこの部屋に入ってきている。声が部屋の中で聞こえる。
声の発生源は、私の横。舞のあたりから聞こえるようになっている。井伊さんは一体どんな手を使っているんだ。
ダメだ。頭が働かない。眠気が…限…。
「愛?愛。もう9時だよ。おはよう。」
「愛〜?朝ごはん食べようよ。」
「ん、ん…。もう朝?」
「うん、よく寝てたね。おはよう。」
「おはよう。ねえ、昨日って。」
「散々だったよもう〜。私ばっかり『呪い』降りかかってさ〜。ねえ。」
「うん。超ミニ浴衣は傑作だった。」
「お、思い出させないで〜。」
昨夜の出来事を二人は口にも出さない。実害はなかったし、あれもツアーの一興だったのだろうか。もうあの声はしない。だが、あのすえた臭いは消えていない。不思議に思った時。
「愛さん、起きられましたか。お食事をお運びしますね。」
井伊さんが朝食を運んできてくれた。旅館らしい、ご飯のお供がたくさんある。海苔、温泉卵に鯵の開き。そして。
「たくあん?」
「ええ。古漬けなので少し臭いがきついですが、害はございませんよ。ちなみに恐ろしい夜は開けたので、本日は女将の話を聞いて、お寺に行っていただければ。」
すえた臭いはこれが元だったのか?まあ、あまり気にしても仕方がない。美味しいご飯を食べているうちに、昨夜の出来事は意識しなくなっていた。
「よう来たの。ひっで悪戯にやられてたの。怒っとるかね?」
昨日も通してもらった仏間で、美味しい茶とお茶菓子をいただきながら女将さんはにこやかに口を開いた。
「いえいえ!楽しい一日でしたよ。『呪い』は全部舞が受けてくれましたし。」
「あはは…。でも、私も皆と笑えて楽しかったです。」
「ほうかほうか。仲が良くて良いの。ほんなら、怖い話を聞かせようかの。」
「お願いします。」
「皆血判状は見つけたんやがの。」
「ええ。これですよね。」
「ほや。これは私らが作ったレプリカやけど、参考にした本物があるんや。何百年も前、この辺りは一向一揆って言って●●●宗を信じる農民らが幕府やら、戦国大名やらと戦ってたんや。初めは調子も良くて、凄いところでは百年間、幕府も手が及ばんような場所もあった。でも段々と劣勢になってきて、上杉軍やら、織田軍やら…、皆も学校で習うような有名な大名がようけ攻めてきた。酷いところでは川が血で染まるほどの負け戦も。散々手を焼かされた一向衆に容赦は無い。女、子供も皆殺されつんた。」
「ほんで、この血判状は一揆をする前に仲間うちで書いたもんや。血と墨を混ぜて自分らの決意を誓うために自分の名前を書き合う。このぐるりと円になってるのは、傘連判状っていっての。首謀者が誰か分からんくしたり、自分らは皆同じ立場の同士やって示すためにこういう円形にしたって言われとる。」
「ここに名前を書いた人らは大名からしたら、皆首謀者やさけ、負けた時は惨い目にあった。磔にされた人らもおるらしい。そんな目にあった人らが自分らの手斬るほど、想いを込めてたのが、この血判状。充分人を『呪う』に足るわな。」
「なるほど…。」
「ほんで、これをお寺さんのとこでちゃんと供養してもらうのが今日の皆への『みっしょん』やな。もちろん、皆は恨まれるようなことはしとらんさけ、もし本物を持っててもそんな大事にはならんと思うけど。せいぜい、枕元に出るくらいやろ。」
そういって女将さんは笑った。
お寺での供養は簡単なものだった。宿から話がいっているのであろう。お坊さんは私たちを見るとすぐ本堂に通し、女将さん同様一向一揆の話を聞かせてくれた後に念仏を唱えてくれたり、血判状を焼き上げてくれたりした。お寺の貯蔵物も色々と見せてくれ、一向一揆で使われた旗なんかもあった。お坊さんは旗に書かれている文字は、「達者 往生極楽 退者 無間地獄」と教えてくれた。戦って死ねば極楽に行ける。退いて逃げれば地獄行き。自分たちを鼓舞するための合言葉的なものだったそうだ。
8月4日。山道を運転し、新幹線に乗って東京に帰る。井伊さんが色々と持たせてくれたお土産にはあのたくあんも入っていて、すえた臭いが少しだけする。
蔵から何か持ってきてしまったらしい舞は、女将さんにお礼と謝罪の手紙を書いている途中で眠ってしまった。
美衣も疲れて眠っている。
私も、普段なら一緒に寝ているのだろう。
眠れない私は惨たらしい一向衆の最期を想像する。
武器である鍬や鋤、鎌は刃こぼれも、錆もひどくて、それでいて血でぬらぬらと濡れている。
白米を食べる機会も少なかったのだろう。皆、痩せている。それでいて支配者層への恨みで目はギラギラと光っていて、皆で声をそろえて敵に向かっていく。
対する敵は戰慣れしている上に、装備も全く違う。一人、また一人と無惨に討ち取られていく…。最期まで「達者 往生極楽 退者 無間地獄」と唱えながら。
ああ、眠ってしまいたい。
舞の目の前にいる、あれさえ目にはいらなければ。