1婚約破棄の打診
「すまないマリーローズ嬢、あなたとの婚約を破棄させて欲しい」
久方振りに従兄弟で婚約者のレイナルド王太子殿下からお茶に誘われたと思ったら、開口一番に婚約破棄の打診。マリーローズは耳を疑った。
「…理由をお聞きしてもよろしいですか?」
普通の令嬢ならここで取り乱していたかもしれない。しかしマリーローズは長年厳しい王妃教育を受け続け、感情のまま直ぐに行動しない自制心を持ち備えていた。
「私は…ファレノプシス男爵家のレティシアを愛してしまった。彼女以外と結婚するなんて考えられないんだ!」
レティシア・ファレノプシス。彼女の事はレイナルドがいたくご執心だと、侍女から耳にタコが出来そうな位聞いていた。ミルクティー色の柔らかい髪の毛に新緑を彷彿させる美しい瞳、陶器のように滑らかな肌と庇護欲そそる面差しは可愛らしいの一言に尽きる。
一方でマリーローズは令嬢にしては背が高く、黄金に輝く流れる様な髪と宝玉の様な青い瞳は美しいが、長年の妃教育の影響か、漂う気高さが近寄り難い雰囲気を醸し出していた。
男爵令嬢となれば、正室は難しい。もしレイナルドが彼女を側室として迎えたいと言ったら承諾しよう。レティシアの存在はその程度の問題に捉えていたが、まさか婚約破棄とは…予期せぬ事態にマリーローズは頭痛を覚えた。
「殿下、ご自身の立場を考えた上での判断ですか?私と婚約を破棄したとしても、レティシア様は男爵家。婚姻は困難を極めるかと」
「百も承知だ。私も何も捨てずに彼女を得ようなんて考えていない。王位継承権を手放し、ファレノプシス男爵家に婿入りする覚悟だ」
ファレノプシス家に子供はレティシアしかいない。彼女と結婚する為に今持っている富と権力を捨てるというレイナルドにマリーローズは目を見張った。
レイナルドとの付き合いは長いが、彼は感情が乏しく、ヘーゼルカラーの瞳はいつも冷めていた。しかしレティシアとの噂が出始めてからは、生き生きとしていて、王太子としての風格が出て来たと好評だった。恋というのはここまで人を変えるのかとマリーローズを感嘆させたものだった。
これは所謂「真実の愛」というものなのかもしれない。恋愛小説好きのマリーローズは感銘を受け、だんだんレイナルドとレティシアの恋を応援したくなってきた。
「それほどまでにレティシア様を愛しておられるのですね。分かりました。婚約破棄を受け入れましょう」
「ありがとう、マリーローズ嬢!」
「殿下、あなたはまだ王太子の御身分なのですから易々と頭を下げてはなりません」
深々と焦げ茶色の頭を下げるレイナルドを嗜めマリーローズは「ですが」と言葉を続ける。
「私達の一存で決められる問題ではございません。陛下への説得は殿下にお任せ致します」
レイナルドとマリーローズは来週学園を卒業する。そして3ヶ月後には挙式が迫っている。結婚直前の破談となったら、大勢に迷惑を掛けてしまうのだ。
「ああ分かっている。婚約破棄を承諾してくれた君にこれ以上迷惑はかけない。マリーローズ嬢。今までありがとう」
「ですから頭をお上げになって下さい…」
昔から腰が低い所があったが、ここまでされるとマリーローズも苦笑を浮かべるしか出来なかった。
その後、このまま円満に事が進む様にと願いながら、マリーローズは周囲に感づかれぬ様に普段通りに妃教育を受けつつ、正式な婚約破棄の一報を待った。