仕事とそれから
ほんの数日、本来の業務を離れていただけなのに、帰ってみると血の気が引くほど仕事がたまっていた。
「うあ! なんだよこれ! 」
するとそこへ、新たな仕事を抱えて友人の一人が部屋へ入ってくる。
「おお、大士ようやく帰ってきたか。お前なら大丈夫だろうと思って、お仕事置いといてやったぞお」
うはうはと笑いながら言う友人に悪態をついたあと、大士はやれやれと仕事に取りかかる。そこで友人は初めて大士のそばに控えている永愛に気がついた。
「大士、こいつ……、あ、この方は」
永愛を指さした友人が、その無感情な瞳に気圧されて、つい敬語になっている。
「どなた?」
「ああ、俺の侍者で永愛って言うんだ。俺と同様に仲良くしてやってくれ」
机に置かれた仕事の山を、さてどこから手をつけようかと考えながら答えると、友人はなぜかもじもじしながら手を差し出している。
「永愛、良いお名前ですね。俺は……」
自己紹介しながらデレッとした顔でいる友人の手を見て顔を見て、永愛は自分の手のひらを見つめて首をかしげている。
しまった、挨拶のための握手を教えていなかった。
「あー永愛は男だぞ」
大士は友人の気を握手からそらそうと思わず言っていた。
「てへへ、え? おとこ?」
「ああそうだ、残念だったな」
不思議そうに首をかしげつつ「私は男でしたか」と言いかけた永愛の前に飛んでいって、大士は代わりに友人と握手して彼からかなり嫌がられた。
その後も、野郎の友人に紹介するたびに男だ男だと言って回る羽目になった。
永愛は見た目がとても綺麗だ。
ぱっと見は男女どちらともつかないので、女だと思ってしまう者が多いのはさておき、大士の侍者なのだから男で通そうと心に決めたのはなぜだったのだろう。
けれど幸いなことに、誰一人として永愛をからくりだと見抜く者はいなかった。
そうこうするうち大士は、永愛の本領を思い知らされる。
最初の友人が帰ったあと、邪魔が入らないようにご丁寧に部屋に鍵をかけてこもった大士は、おもむろに仕事を再開する。
「これはどのように捌いて行くのですか」
そこで初めて永愛が仕事のことを聞いてきた。大士はちょっとやっかいだなと思いつつ、そこは面倒見の良い彼のこと、まるで子どもに教えるようにひとつひとつ丁寧に仕事を教えてやった。
「わかりました」
だが、驚くことに永愛は1度教えてもらったことは決して忘れない。そして何よりその仕事は早くてしかも正確だ。
しかも。
「この課程は省いても良いかと思います」
「え? けど」
「ここはこうする方が効率的です」
「そう? でも」
永愛は、大士が惰性で行っている仕事の無駄を見抜いて忠告したり、先を読んで見本を示したりする。そして大抵それは仕事を早く終わらせてくれるのに役立つのだ。
人工知能とやらはどうやらすごいものらしい。
しかも、しかも!
「大士さまあ、聞いて下さあい」
本来の仕事の合間に訪れる、恋愛相談。
「大士聞いてくれ! あの上司!」
嫌な上司の愚痴。
「ちょっとこの計算をやっておいてほしいのだけど」
能なしの偉いさんが持ち込むどうでも良い計算仕事。
それらに順位をつけ、振り分け、相談事には、これまでの資料(でーたと言うらしい)から最適の答えを見つけ出し回答を与える。
計算は……、大士がぽかんとするほど速い。
目を通した途端にもうできている。
「これは何の役に立つのですか?」
いちどそう聞かれたことがあったので、「さあ、知らない」と答えると、仕事を持ち込んだ無能さんの顔をすべて覚えていて、彼らに会うたび、どんな場所でもしつこくしつこくしつこく尋ねるので、とうとう無能さんたちは大士に頼むのをやめてしまった。もともとは、大士の能力を妬んだ奴らの嫌がらせのようなものだったから。
永愛はわかってやっていたのだろうか?
「何であんなにしつこく尋ねてたんだ?」
と聞くと、永愛はいつもの無表情のままで答える。
「何の役に立つのか知りたかっただけです」
おかげで、大士は本来の仕事に大いに力を発揮できるようになったのだ。
永愛との生活は、考えていたより快適だった。
余分な仕事で食事や睡眠が削られることもなくなり、なにより永愛は、大士がいつもネジを巻くのを忘れてしまう目覚まし時計よりよほど正確に、朝は彼を起こしてくれる。
仕事に没頭していても、出かける時間になると必ず教えてくれる。持ち物の準備も万端だ。侍者と言うより有能な秘書だ。とにかく忘れると言うことがないのだ。
気になっていた毎日1時間のひなたぼっこも、なにも屋外へ出る必要はなく、最近はやりの窓ガラスを通した太陽光でも効果があることが判明した。
そのうえ雨でも曇りでも効果は変わらないと永愛が言っている。
そこで大士は、日当たりの良い窓という窓の近くに永愛の作業台を置いて、太陽の光に合わせて永愛が台から台へ移動しながら仕事をする事にしてやった。
「これで、雨の日も風の日も安心だな」
自分のアイデアにご満悦の大士をただ永愛はいつものように無表情に眺めるだけだ。
また別の日に、永愛が小さなノンホールピアスを持ってきた。
「え? な、なんだこれ? 永愛からのプレゼントか?」
なぜか赤くなって慌てる大士を、いつものように ? の顔で眺めた永愛は淡々と答えを返す。
「プレゼントではありません。少し試してみようと作りました。どうか装着なさって下さい」
「え? ああ、プレゼントじゃないのか」
少しがっかりしたような大士だか、素直にそのピアスをつける。
その間に永愛は、隣の部屋へ行ってしまった。
「何やってんだ永愛。つけたよ、見てくれないのか」
「大士」
すると、いないはずの永愛の声が耳元で響いたのだ。大士は驚いて「うわっ」と声を上げてしまう。
「私の声が聞こえていますか」
すると今度は隣の部屋のドアから顔を出した永愛が、口を閉じたまましゃべっている!
「これ、なんなんだ一体」
驚く大士の耳元で、また永愛の声がした。
「無線機です。私は人のように口を開かずとも音声をそのピアスに送れるのです」
「むせんき?」
「はい、これがあれば少し離れたところに大士がいても、声を送れる。とても便利な道具です」
「へえ。でもこんなものいつの間にどうやって作ったんだ?」
聞いても答えは「言えません」の一言のみ。
けれど驚くやら感心するやら。とにかく永愛がいると、日常に退屈することはまずない。
そんなあるときのこと。
今日の仕事は、宮殿で嘆願にやってくる人々の話を聞いて答えを返すと言うものだ。
だが、これがなかなかどうして、そう簡単ではない。
皆、月に一度ほどのこの機会に、どうしても話しを聞いてもらわねばと必死になり、お一人ずつ順番にお願いしますと言っているこちらの声など聞いていない。
5人、10人、多いときは何十人もの人が一斉に声を張り上げてしゃべり出すのだ。
話の中身を理解する以前の問題だ。たまったものではない。
大士は気乗りしないが割り当てだから仕方がない。
「それではご要望の聞き取りを始めます。並んだ順にお一人ずつお話し下さい」
大士がしゃべり終わらないうちに、各々が大声で自分の要望を言い出した。
きた! と思ったときにはもう、先頭に並んでいた者の言葉もかき消えていた。
ワアンワアン
鳴り響く雑音にしか聞こえないそれぞれの嘆願の叫び。
もういい加減にしてくれ! と叫びそうになったとき、耳元のピアスから永愛の声がした。
「前から3番目の方、今は左の方に移動してしまった女性ですが、彼女の要望はとても理にかなっています。実現する価値があると思われます」
「え?」
思わず少し身体を傾けてそちらを見ると、永愛が大士の背中に半分隠れるようにして騒ぎを眺めている。
「お前、あの声が聞き取れるのか?」
後ろを振り向こうとした大士の身体を押しとどめて永愛が言う。
「そんなに大きな声で話さなくても聞こえます。はい、あの程度の人数なら苦もなく」
「そ、そうか!」
なんと言うことか、永愛はあの雑音を聞き分けることができるらしい。
「それで、あれらを全部、なんて言うか、覚えておけるか?」
「はい、私は忘れません」
よし! と、思わずコブシを握りしめる大士。
そして両手を高々と上げて振り回し、声を限りに皆を鎮めさせた。
「ええと、皆様ご静粛に! お話はだいたいお伺いしましたので、あとは宮廷から示される回答をお帰りになってお待ちください」
すると、先頭に並んでいた輩が言い出す。
「あんだけ聞いただけで、ぜんぶわかったってのかよ!」
「はい」
「じゃあ俺の嘆願言ってみろ」
「はい……〈うしろの永愛に小さく聞く〉永愛、彼の嘆願は?」
「地元の橋が壊れてもう何ヶ月もたつのに、まだ誰も見に来もしない。いい加減にしろ一体どうなっているんだ、とのことです」
「橋が壊れたとのこと、それはどれほど以前のことですか?」
すると息巻いていた男は、一瞬きょとんとしていたが、「お、おう!」と言ってから、
「もうかれこれ3ヶ月だ。ほんとになんとかしてくれよ」
と、すがるように言う。
「それは申し訳ありません、この後すぐに手配を致します」
「おう! ありがとよ」
目を見張りつつ驚く他の嘆願者たち。
そのあと、大士は並んだ順に嘆願の内容を言い、皆に詫びと今後の手配について答えていくのだった。
皆の喜びようはいかほどだったか。
その日から大士は、地獄耳の大士として世間に名をはせるようになった。
噂を聞きつけて時醍がやってきたのは、それからしばらくしてからだ。
「うまく永愛を使っているようだな」
「使ってるなんてそんな言い方、永愛に失礼ですよ。俺は本当に助けてもらってるんですから」
お、と言う顔で大士を見る時醍。
その向こうでさんさんと日を浴びながら、永愛は相変わらず無表情で書類に目を通している。
「うん、悪かったよ。君たちは本当に良い関係を築いているようだ。けど、永愛の感情の方はまだまだみたいだね」
自分の話をされているのにこちらを見ようともしない永愛に、ちょっと苦笑気味の時醍。
「そうですか? 俺から見ればずいぶん感情豊かになった気がしますが」
大士がそう言うと、永愛はようやくこちらを見て1つ頷くと、また元の仕事に戻る。
時醍はまた、お、と言う顔をして満面の笑顔になった。
「さてそこで地獄耳の大士くん、君に久々の出張命令が下ったんだ」
「その呼び方は勘弁してください。でも出張って」
時醍が久々と言ったように、永愛のお世話を任されてから、出張のようにここを離れる仕事は入ってきていない。どうやら時醍が押さえてくれていたかららしいが、それもそろそろ限界のようだ。
「君の地獄耳がどうしても必要なんだそうだ」
と言うことは必然的に永愛も同行することになる。
「ちょ、ちょっと待ってください。実はあの地獄耳は」
とここで大士は時醍に事の真相を打ち明ける。
「なるほど。だったら永愛をどうしても同行させないとならないな」
「はい、ですが」
「なんだ?」
「出張となると時間的にも制約が多く、屋内で太陽光が取り入れられない生活になるかもしれません。それはまずい」
「ああ、それか」
永愛の食べ物は太陽光だ。それが十分に受けられないと、どうなるのか、本当のところは大士にもわからない。
「そうだな、だったら、少し時間をくれ」
考えるように言った時醍は、そんな言葉を残してその日はいったん帰って行った。
次の日。
ノートを抱えてやってきた時醍が、大士にそれを見せて説明を始める。
「今回の出張、俺も同行させてもらえるようになった。これが出張の細かい日程だ。そこであれこれ試行錯誤の末、大士と俺は、交代で永愛のひなたぼっこに同行しつつ日程をこなしていくことにした。幸い、地獄耳が必要なのは夜の会議が多くてな、日中は自由な時間が多いんだ、助かったぜ」
ノートには日付と時間が書かれていて、時間割が事細かに書かれている。だがよく見ると、ひなたぼっこの時間がかなり多めにとられているのがわかる。
「ひなたぼっこが多すぎます」
意義を申し立てる永愛の頭をクシャとなでながら時醍が言う。
「備えあれば憂いなし。出張の日程や時間割なんてのは、その通りに行かないことの方が多いんだよ。もしものために多めにとっておけば、お前さんたちも安心だろ?」
ここで予想外のことが起きる。
時醍が頭に置いた手をなかなか離さないものだから、永愛がちょっと嫌そうにその手をつかんで頭から外し、かわりに大士の頭の上に置いたのだった。
「え?」
「あ」
「私ばかりでは不公平です。大士もなでてあげてください」
無表情と言うより、どちらかと言えばむっとした表情で永愛が言った。
これには時醍は大笑い、大士はどう答えれば良いのか困って苦笑いをするだけだ。
このあと彼らは、初めての出張も難なく終えることができた。
これを機に、大士は出張の日程を事細かく分析して、ひなたぼっこ時間がとれるように調整して上司と掛け合い、永愛とふたりだけでも諸外国へ出かけられるようになったのだ。
そしてこの後もふたりして力をあわせ、この地の平和と調和と安寧に大いに力を注いでいったのだった。
そうして、月日は風のように過ぎていき。
大士と永愛が出会ってから、もう何十回目の春だろう。
「お前にそんな機能がついているとは。はじめに気づいたときは本当に驚いたな」
「そうですか」
花びらが風に舞う桜の木の下に、2人の老人が立っている。
1人は大士、もう1人は永愛だ。
ロボットの永愛が老人?
そうなのだ、永愛は大士の老化に合わせるように年をとっていく。
大士の笑いじわが目立つようになると、永愛にもまたしわができる。
大士に白髪が見え始めると、永愛の頭にも白いものが増えていく。
2人はまるで映し鏡のように、同じように老いていく。
「少し背が縮んだか?」
「はい、5センチ伸びて、4センチ縮みました。はじめから換算すると1センチ伸びています」
なんと、永愛は内部の関節を調整する事により、身長を5センチまで伸ばせるのだそうだ。もちろん縮めることも。
「お前は、本当に……」
「?」
「誰よりも俺のことを知ってくれている。できるなら……」
そう言って桜を見上げた大士は、永愛すら聞き取れないほどの声で何かをつぶやく。
「どうしましたか?」
「いや、何でもない」
その年の初夏のある日、大士はこの世を去った。
「ありがとう、永愛」
と言う言葉を残して。
大士は荼毘に付され、ささやかに葬儀が執り行われた。最後の最後まで彼を見送った永愛は、皆が帰ってしまった後もひとり彼の墓前に残っている。
その後ろへ音もなく近づく者がいた。
黒のトレンチコートに黒の中折れ帽子、おまけにサングラスをかけているので、誰なのかは皆目見当がつかない。
その者は永愛の隣に立つと、「行くぞ」と一言だけ言った。
永愛は横目で彼をチラと見た後、かすかに頷いた。
けれど歩き始めたその者について行くこともなく、静かにその場にたたずんでいる。
しばらくすると永愛は、ゆっくりと美しい仕草でその頭を垂れた。
「ありがとうございました」
〈世話になった人には、こうやって頭を下げてありがとうと言うんだよ〉
永愛の記憶の中に、そう言って笑う若き日の大士が鮮明によみがえる。
顔を上げると永愛は、立ちこめ始めた霧の中へ歩いて行く彼の後を追う。
やがて永愛の姿もまた、濃い霧に包まれ消えていった。