(1)rainy day
この異国の港町に着いてから、もう1か月が経つ。
上役からは一向に音沙汰がない。
ただ、上限なしのトラベラーカードを渡されているので、こちらでの生活にはまったく不自由がない。
目立たぬようひっそりと潜伏せよの指示だけが、俺をこの場に縛っていた。
俺は、先刻から降り出した雨をやり過ごそうと、波止場近くのカフェで時間を潰していた。腹の足しにもならないパン一切れを放り込むと、黒いコーヒーに口をつけた。だが、どうもこの国の豆は苦くて口に合わない。一口、二口と口に含んだが、それ以上は飲む気になれず、カップを下に置いて冷めるに任せた。
それにしてもよく降る雨だ。
ただでさえ、湿気の多いこの国で、身体中がじっとりと湿る感覚に嫌気がさす。
カフェの窓から、どんよりと曇ったネズミ色の空を眺める。近くの港から寂しげな汽笛の音が聞こえた。
重く垂れ込めた空を眺めながら、自分の行く末を考えていると気分がだんだん滅入ってくる。
そんな気分を払おうと俺はソファに身を沈めて目を閉じた。
ひたひた、ひたひた。
目を閉じると聴覚が研ぎ澄まされて、雨の降る音が心の耳に響いてくる。
そして、その静かな雨音の向こうに、その目がぼんやりと見えた。
だが、その目の主にビジョンはない。この異国の地に俺に関心を持つ人間など、到底思い当たらないからだった。
ただ、ここ何日か、近くで俺を見つめる目の存在を感じていた。
俺の生業は、人目に立っては務まらない。だから、誰よりも人の目に敏感だ。
あくまで目立たぬよう、関心も持たれぬよう、人の中に紛れて、与えられた指示を確実に実行する。そして、全て終わった後は、なんの痕跡も残さずに静かに消え去ってゆく。
その俺に、あの目がずっとつかず離れず、静かで冷たい視線を送ってくる。
思い過ごしかも知れなかった。
だが、異国で過敏になった所為と一笑に伏すには、まとわりつくようなあの視線がだんだん強く感じられてならない。
やがて、そんな思いを全て振り切るように、俺は目を開けて上体を起こした。
そして、傍の英字新聞を手に持つと、レジスターでコーヒーの代金を支払った。
異国人に慣れていないのか、おずおずとレジの女の子が口にした「サンキュー ベリーマッチ」を背に聞きながら、カランカランとドアの音をさせ、傘をさして雨の中を歩きだした。
街は雨にけむっていた。そして、前には港が見えている。港に停泊しているクルーザーやタグボートは、叱られた子供のように、寂しげに萎れて雨に打たれていた。
足元を雨の跳ねで濡らしながら、俺は潮の匂いに惹かれるように港へと歩き続けた。
すると、ふいに目の前に、鞠が転がるように赤い傘が現れた。
その主は、傘の下から長く黒いショールと足首まで覆ったスカートをのぞかせた女性だった。
彼女がふとこちらに顔を向けた。
まだ、少女だった。
だが、俺にはその目には覚えがあった。
それは、この数日俺にひりつくような視線を送ってきた、その目だった。