06-11 お付き合い始めました〜ヒイロとレンの場合〜
ついにやってきた、決戦の日曜日。英雄は濃紺のカッターシャツに黒いパンツルックと、カジュアルスタイルで身を固めている。今は、最寄り駅で彼女を待ち侘びている最中だ。
緊張でガチガチになるんじゃないかと思ったが、思いの外落ち着いているのが自分でも解かる。どうやら英雄は、本番に強いタイプらしい。
そうこうしていると、一台の車が英雄の前で停まる。何度か見た事のある、黒塗りの高級車だ。車道側の後部座席の扉が開くと、何度も顔を合わせた黒髪の美女が姿を見せる。
彼女は英雄に視線を向けると、車内からは見えない位置で親指を立ててみせた。その視線と仕草から、彼女の言いたい事が嫌という程伝わって来る。
――英雄様、御武運を。
美女……鳴子の無言の激励に、英雄は小さく頷いてみせた。それを確認した鳴子はすぐに車へ向き直り、歩道側の後部座席の扉を開ける。
車から降りて来たのは、白いブラウスに青いチェック柄のスカートを身に纏った黒髪の美少女だ。
「おはようございます、英雄さん」
柔らかな笑顔を向けて来る恋に、英雄は息を呑む。しかし、ボーッとしてはいられない。
「おはよう、恋」
今更になって緊張感が顔を覗かせようとするが、それを振り切るべく一歩を踏み出す。
恋の前に立った英雄は、努めて穏やかな笑顔を作って声を掛ける。
「今日は、来てくれてありがとう。予定とかは大丈夫だった?」
「はい、今日は大した予定はありませんでした」
それは嘘である。本当ならば休日の恋は、それなりに予定が入るのだ。それは主に初音家と懇意にしている家との会食に同行したりといった、社交的な用事である。
最も、英雄とのデートと天秤にかけるならばどうか? それは今現在、ここに恋が居る事が答えになるだろう。
「それではお嬢様、お気を付けて行ってらっしゃいませ。英雄様、お嬢様を宜しくお願い致します」
深々と一礼した鳴子が、車の中に戻る。するとすぐに、高級車が静かに走り出した。
「それじゃあ、行こうか」
「はい。ふふ、楽しみです」
英雄の隣に並び、笑顔でそう告げる恋。本当に楽しみなのだろう、その表情はいつになく明るいものだった。
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二人がデートする事になったのは、英雄のメッセージがきっかけだった。英雄は昨夜、思い切って恋をデートに誘ってみたのだ。
――明日、俺とデートしてくれませんか。
誘いのメッセージは、遠回しな表現ではなくハッキリとしたものだった。そうでなければ、恋は断るかもしれない……そんな気がしたからである。そして、その判断は正解であった。
英雄のメッセージを受け取った恋は、取り乱す事も、変にはしゃぐ事も無かった。ただし、その後はひたすらご機嫌だったが。
そして、英雄に送られた返答のメッセージ。内容は実に恋らしいものだった。
――喜んでお付き合いします。楽しみにしていますね。
それは、簡素なメッセージ。しかし、その文面に恋の想いがこれでもかと込められている。
本心から英雄の誘いを喜び、心から楽しみにしている。そしてデートの後に、何が待ち受けているか……それを期待していた。
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そんな経緯もあって、ついに開始された英雄と恋のデート。まず、二人は並んで街を歩いていく。
整った顔立ちの英雄と恋が並んで歩けば、実に絵になる。その証拠に、擦れ違う人々は美男美女の二人組を二度見するくらいだ。
しかし、互いに周囲の視線など気にしない。何故ならば、意識を向ける相手は周囲の不特定多数でないのだ。
「AWOでは良く一緒に行動するけど、現実でこうして二人で歩くのは初めてだね」
「そうですね、朝と放課後に少し挨拶をするくらいですもの」
幸いな事に、お互い過度な緊張は無い。これは恐らく、仮想世界で行動を共にする事が多いお陰だろう。
「そういえば、恋の服装……色合いがAWOの服と同じだね?」
「ふふっ、気付かれちゃいましたね。でも、そう言う英雄さんだって」
「ははっ……考える事は同じだったみたいだ」
二人の服装は、色合いがAWOのアバターの服装と似通ったものである。それはやはり、今日を一緒に過ごす相手を意識しての事だった。
「でも残念ながら和装じゃないね」
「流石に、現実で和装を着ては目立ってしまいますから」
「それもそうだ。でも、普通の洋服もよく似合っていて可愛いよ」
「あら、お上手ですね。英雄さんも素敵ですよ」
そんなやり取りをしている英雄と恋。だが内心ではどちらも、相手の反応が上々だった事でガッツポーズを決めていた。
「恋は行きたい場所とかあるかな?」
隣で上機嫌な恋に、英雄は聞こうと思っていた事を問い掛ける。
「あら、デートプランは考えていなかったんですか?」
「考えているけど、それは俺が決めたものだからね。恋の意見も聞いておきたい」
「成程……では、月並みですがゲームセンター、とか……?」
ゲームセンターという場所は恋にとって、お目付け役の目があるので日頃は入れない場所である。とはいえ恋も人並みに興味はあり、一度くらいは入ってみたいと思っていた。
「ふむ、オッケー。隣町に大きめのゲームセンターがあったな、午後にでもそっちに行こうか」
「えぇ、ありがとうございます」
……
まず、英雄が恋を連れて来たのは水族館だ。
「恋は水族館は来た事ある?」
「小さい頃に一度……ですね。こちらの水族館は初めてです」
それならば、恋も楽しめるだろう。そう思った英雄は、笑みを零す。
「ここは、県内で一番大きいらしいよ。さ、行こうか」
「それは楽しみですね、行きましょう」
笑顔を交わして歩き出す二人。その様子を見ている者が居たならば、誰もがこう思うだろう……美男美女のカップルだ、と。
水槽の中でのびのびと泳ぐ魚や、ライトアップされたクラゲ等を見て回る二人。普段は生で見る事の無い光景に、お互いテンションを上げていく。
「俺も水族館なんて、小学校の頃に遠足で来て以来だよ」
「あら、じゃあ久し振り同士だったんですね」
「そうだね。どう、楽しめてるかな?」
英雄の質問に、恋は花の咲く様な笑顔を浮かべて頷く。
「えぇ、まるで異世界に迷い込んだみたいです」
「あはは、VRドライバーをしていなくても来られる異世界か」
「ふふっ、本当にそうですね」
順路に沿って海洋生物の楽園を見て回り、その後はイルカのショーを見物した。
そのまま水族館のレストランで昼食をとり、二人は会話を楽しむ。他愛のない話をしていたのだが、話題は自然とAWOの話になっていく。
「ダイオウイカみたいなモンスターが居たら、かなり大変ですね」
「恋とヒメ、ハヤテは後方だからまだ安心かな? 俺達は前衛だし、仁の速さが活かせる場所じゃないと厳しいね」
「それなら、私達が全力で倒しますね」
「その時は頼むよ」
そんなもしもの話で、会話を存分に堪能する二人。互いに好意を抱いており、共通の趣味がある。それによって、二人の間で交わされる会話は穏やかなものだ。
――今日一日だけに、したくないな。
恋と笑顔で会話しながら、英雄は何度もそう思う。
これからもこうして、恋と二人で様々な場所に行ってみたい。誰よりも、彼女の側に立つ存在になりたい。会話を重ねる毎に、笑顔を交わす毎にその思いが強くなっていく。
対する恋も、この穏やかな時間を心から楽しんでいた。
まさか自分が、こんなに一人の男性に固執する事になるとは思っていなかった。これまで身近な存在と言えば、家族とごく限られた使用人くらいなものだった。それ以外の人に、心を許せる日が来るなんて想像出来なかった。
しかし恋は今、英雄と居られるこの時間を心から楽しんでいた。そして夕方、帰宅する際にはこの時間が終わるのだと思うと……胸にチクリとした痛みを感じる。
――このまま、ずっとこうして一緒に過ごせたら良いのに。
……
その後二人は、ゲームセンターへ向かう。恋はこういった施設へは、初入店だ。
「け、結構、音が大きいんですね……」
「そうだね、慣れないと大変か。辛くなったら言ってね?」
「はい、その時はお言葉に甘えますね」
様々なゲームを、物珍しそうに見ていく恋。そんな興味津々の様子に、年相応の可愛らしい部分を見られたという思いが英雄の胸中を広がっていく。
「あ、あのヌイグルミ……」
恋が見付けたのは、UFOキャッチャー。その筐体の中に、何十年も前から続く名作アニメのキャラクターが居た。電気ネズミのヌイグルミだ。
「おー、昔から人気あるキャラだよね」
「はい。可愛いですよね」
UFOキャッチャーのヌイグルミに、笑顔を零す恋。その笑顔を見てしまっては、英雄も男を見せるしかない。
「やってみようかな」
「……え?」
コインを投入して、英雄はボタンを操作する。英雄の操作したアームは目的のヌイグルミを掴むが、一度目の挑戦は失敗に終わった。
「クラスの娘が話していた通り、やはり難しいのですね」
「そうだね。これは結構、大変かも」
そう言いつつも、英雄は更にコインを投入した。
「……英雄さん?」
「待ってて、絶対取るから」
そう言って、英雄はヌイグルミとアームを交互に見る。真剣な表情でUFOキャッチャーに向かう英雄に、恋は苦笑したが……その頬はほんのり赤らんで、口元は緩んでしまっている。
――私の為……なんて、自惚れでしょうか?
更に五回ほど挑戦した甲斐あって、英雄はヌイグルミをゲットできた。
「お待たせ、恋。はい、どうぞ」
「あ……ありがとう、ございます……」
それはありふれた既製品のヌイグルミであり、特段好きなキャラクターという訳でもない。取るのに要した金額も六百円と、UFOキャッチャーと考えたら安く上がった方だろう。
しかし英雄から渡されたそのヌイグルミが、何故かとても大切な物に思えて来た。これまで貰ったどんな高価な物より、欲しいと思っていた物よりも。
「ふふっ……大事にしますね」
「あぁ、そうしてくれたら嬉しいな」
ヌイグルミを大事そうに抱える少女と、それを見て微笑む少年……どこからどう見ても、良い雰囲気のカップルである。
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楽しい時間は、あっという間に過ぎて行くとはよく言ったものだ。既に街を照らす太陽は、赤い夕焼けに変わっていた。
そんな夕暮れ時、英雄は恋を連れて公園を訪れていた。
「今日はありがとう、恋。楽しんで貰えたかな?」
「えぇ、とても。素敵なプレゼントも頂いてしまいましたし」
電気ネズミのヌイグルミを、大事そうに抱える恋。袋に入れて持つという選択肢もあったのだが、恋はどうしてもヌイグルミを抱えて居たかったらしい。
「そんなに気に入った?」
「はい、それはもう。英雄さんからの、プレゼントですもの」
そう言って微笑む恋が、歩みを止めた。
「今日のデート……きっと、ずっと忘れられませんね」
その頬が赤いと感じるのは、夕焼けだけのせいではない。それは、恋だけでは無いのだが。
「次も、俺とデートして欲しい。恋と一緒に行きたい場所が、他にもいろいろあるんだ。今度は、友達じゃなく……恋人として」
万感の思いを込めて、最後にその一言を口に出来た英雄。その言葉を口にするのには、もしかしたら一生分の勇気を振り絞ったのではないかと思ってしまう程だ。
だが、これだけでは足りない……それは英雄も解っている。男らしく、ハッキリと口に出さなければ……きっと彼女は認めてはくれないだろう。
だから、もう一度。拳を強く握って、恋に向けて想いを告げる。
「恋、君が好きだ」
恋の目を真っ直ぐに見つめて、英雄は今まで言い出せなかった一言を告げる。
そんな英雄への返答は、予想外の言葉だった。
「英雄さん、ゲームセンターで貰った袋を頂いて良いですか?」
「……え? あ、あぁ……どうぞ」
それはゲームセンターで貰える、クレーンゲーム等の景品を入れる袋だ。恋はそれを受け取ると、電気ネズミのヌイグルミを入れて背負う。
「これで良し、と……それじゃあ」
万全の体勢を整えた恋が、満面の笑みで英雄に迫る。頭一つ分高い英雄の胸に飛び込んで、その身体に腕を回す。
「私、欲張りな女の子みたいなんです。だから英雄さん……もう一声」
英雄の胸元に額を当てて、恋はそんな事を言い出す。欲張りとは言いつつも、その程度ならば可愛らしいおねだりの範疇だ。何よりも、それは肯定を意味する言葉に他ならない。
そんな恋の意図を察して、英雄は困った様な……それでいて、嬉しそうな表情になる。
「恋……俺と、付き合って下さい」
そう言って、英雄は恋の背中に腕を回して抱き締める。それに対する応えのつもりか、英雄に回していた腕に力が籠もる。
「はい……喜んで」
恋の返事が耳に届いて、英雄は叫び出したい衝動に駆られる。しかし、この大人びた少女の前でそんな失態を晒す訳にはいかない。衝動を堪えて、英雄は恋を強く抱きしめる。
「ふふっ、そんなに強く抱き締めなくても良いじゃないですか。私は貴方から、逃げたりしませんよ?」
「そんな心配はしていないよ。恋はそんな子じゃないって知っているから」
それでも、抱き締める力を緩めはしない。
「……情熱的なんですね、意外と。でも、流石にそろそろ恥ずかしいかもしれません」
そんな恋の言葉に、英雄は我に返る。ここは夕暮れ時の公園であり、日曜日ともなれば学生や親子連れでまだまだ賑わっていてもおかしくない時間。
顔を上げて視線を巡らせると、誰も彼もが自分達に注目していた。
「ごめん、公衆の面前で……」
照れくさそうに腕の力を緩める英雄だが、恋は彼の胸元から顔を上げてにっこり微笑む。英雄の身体に回した腕に、ギュッと力が込められた。
「あら、わざとじゃなかったんですね? 私が誰のモノか、見せ付けているのだとばかり……」
「……そうからかわないでくれよ、いっぱいいっぱいだったんだ」
少し拗ねた様な口調になってしまい、英雄はバツが悪そうな表情になる。しかし恋は笑みを崩さない。そんな英雄の初めて見せる表情が新鮮で、自分だけの特権の様に感じられたのだ。
「好きですよ、英雄さん」
英雄がちゃんと言葉にしてくれたのだから、今度は自分から……そんな想いを込めた恋の言葉に、英雄が優しく微笑む。その笑みが、恋が一番大好きな表情だった。
「改めて、これからよろしく……恋」
※作者は砂糖を吐き過ぎて埋もれてしまいました。
次回投稿予定日:2020/10/2