19-29 二月二十一日(終)
短いです。
甘いです。
【極糖警報】発令です。
様々な人達から、盛大に祝われた十六歳の誕生日。あと一時間程で日付が変われば、そんな二月二十一日は終わりを迎える。
AWOからログアウトした仁は、一人ベットに腰掛けてそんな事を考えるが……まだ一時間あるんだな、なんて考えてしまう。なにせある意味では、今日一番大きなイベントはこの後すぐなのだ。
……そう、一人である。先程までは姫乃がすぐ側に居たのだが、今は席を外しているのだ。
姫乃はAWOからログアウトした後、少し待っていて欲しいと言って仁の部屋から一旦離れた。恐らくは何かしら、考えている事があるのだろう。そう思って仁は大人しく、姫乃が戻るのを待っている。
「ん-……去年までは、誕生日って言っても陸上の事ばっかりだったな」
幼い頃から走るのが好きで、陸上選手になってからは走る事に全てを捧げていた。だからこんな風に周囲の人達と、濃密な時間を送る誕生日は初めてでは無いかと思ってしまう。
勿論誕生日を祝う言葉や、贈り物はありがたいと思っていた。だが心のどこかで自分は、陸上の方を優先していたのかなと思ってしまう。
そして、去年は本当にそれどころではなかった。
事故によって大怪我をし、その後遺症で二度と走れないという現実を突き付けられ……その状態で誕生日を迎えても、何一つ喜ぶことが出来ないでいたのだ。
だが今年は……ゲームセンターで親友と遊び、ファミリーレストランで食事をして、カラオケで歌い、誕生日パーティーを開いて貰い、ゲームをプレイして、そこでも多くの人から祝われた。
陸上一辺倒だった時や、塞ぎ込んで自暴自棄になっていた時には知らなかった。誕生日をこんなにも祝い祝られる事が、尊いものなのだと実感してしまった。
「……勿体ない事を、していたのかな……」
これまでにない経験というものは、これまで取り零していたものなのではないかと感じてしまった。だがしかし、仁はそんな考えを振り払う。
時計の針は巻き戻せないし、失ったものは取り返せない。自分に出来るのは、得たものを大切にし……そして、それを伝えていく事だろうと。
――こんな風に思える様になったのは、皆のお陰だよね。
そんな事を考えて、仁は思う。
今日一日は、これまでにない経験だった。ならば今度は、自分がそれを皆に返していこうと。大切な人達に、心から喜んで貰えるように……今度は自分も、祝う側として皆を祝福したい。
そして自分が感じた喜びを、皆にも感じて貰えたら……それは、とても幸せな事ではないかと思うのだ。
その時、仁の心に僅かだが……確かに、生まれたモノがあった。
事故に遭って、走れなくなって。
目指していたものに手が届かない、辿り着けないのだと絶望して。
諦め、失い、見付ける事が出来ずにいたモノが。
仁の心を覆っていた暗闇は、春先から徐々に晴れていった。
そして今……最後に残っていた暗い影が、晴れつつある。
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どれだけの時間が経ったか。実際には数分であるが、思考の海に沈んでいた仁にとっては長い時間にも感じられた。
静寂を破るのは、仁の部屋の扉をノックする音だ。
「仁くん、入って大丈夫ですか?」
扉一枚に隔てられ、くぐもって聞こえるのは最愛の少女の声。仁は思考の海からすぐに浮上し、彼女に向けて「勿論だよ」と返事をする。
仁の部屋の扉が開き……そこには予想外の装いをした、姫乃の姿があった。
「お待たせしました……仁くん」
頬を染めながらも笑顔を浮かべていた姫乃は、室内に入り扉を閉める。彼女がそんな一連の動作をする間、仁は彼女から目が離せなかった……前進、反転、そしてもう一度反転。これで彼女は時計回りに一回転して、前後左右を仁に披露していたのだ。
姫乃が身に纏っているのは、ワンピースタイプの可愛らしいナイトウェア。所謂、ネグリジェである。
透けない様にちゃんと内布がされているが、それでも姫乃の持つメリハリのあるボディラインは隠すことは出来ない。
動く度にふわりと揺れるドレープが、仁の視線を引き寄せる。
それでいてデコルテが美しく見える胸元には、可愛らしいリボンが添えられている。
袖口にあつらえられたレースもまた、少女らしさを引き立てていた。
大人と少女の間を行き来する、そんな姫乃を表現する為に誂えられたかのようなネグリジェ姿。仁は目を離す事が出来ず、ベッドから腰を上げて彼女に歩み寄る。
「……仁くん」
仁が何をするのか……どうしたいのか。それを察して、姫乃はふにゃりと微笑んで両手を広げる。最愛の人を出迎えて、自分を包んで離さないで欲しいと言わんばかりに。
そんな姫乃の想いは仁にも伝わっており、仁はその身体を抱き寄せた。そのまま仁は、姫乃の唇に自分の唇を重ねる。
「……ふ……んぅ……」
柔らかく瑞々しい唇から漏れる吐息交じりの声は、とても甘やかである。同時に改めて、中学生が持って良いものか? と感じさせるくらい、色気も混じっている。
立ったまま、抱き締めた状態での口付け。されるがままの姫乃は、仁を全て受け入れるかのように心地よさそうにキスに応じる。
寺野家のシャンプー・コンディショナーやボディソープのものではない、鼻腔をくすぐる甘い香り。姫乃自身が漂わせる匂いは、仁の自制心を麻痺させようとしているのではないかと思わせる甘やかさだ。
そして十四歳と思えない豊かさと柔らかさを備えた肢体が、仁の触覚を刺激してやまない。透ける事はないものの、ネグリジェというナイトウェアは薄手である。抱き締める事で感じられる彼女の柔らかさが、仁の男としての本能を刺激していく。
何よりも全てを受け入れる姿勢の姫乃は、仁がする事全てに抵抗なく応じるのだ。もしも仁が彼女の全てを欲したとしても、姫乃はそんな彼の全てを受け入れるのだろう。
全てを許されているという実感は、ある種の甘美な毒では無いか? そんな思考が浮かびつつ、仁は更に姫乃を求める。
しかし、そこで姫乃が仁の胸元を優しく、だが力を込めて押す。ゼロだった二人の距離が開き、仁の視界に姫乃の顔が映り込む。
「はぁ……仁くん、お布団に、行きましょう……? 仁くんの足、疲れちゃいますし」
熱のこもった口付けのせいか少し呼吸を乱しながら、そう言う姫乃。長いキスが嫌だったわけではなく、仁の足を気にしての事だったらしい。
「……うん。ありがとう、姫……」
「えへへ。私、仁くんのお嫁さんですから」
そんな可愛らしい返答に微笑み、仁は姫乃の腰に手を回してベッドに誘う。そんな仁の誘導に対する姫乃は、やはり抵抗なくそれに応じる。
仁は先に姫乃に腰掛けて貰い、その太腿から下に掛け布団を掛ける。そんな仁に嬉しそうに笑みを浮かべながら、姫乃はVRギアの電源を落とした。
これで姫乃は、視界を失う。しかしそれでも、彼女は笑みを浮かべていた……その安心感を与えているのは、やはり仁が側に居るからだろう。
「お誕生日……良い日に、なりましたか?」
姫乃がそう口にすれば、仁は思わずそのまま彼女の肩を抱き寄せる。姫乃の言葉で、改めて感じるのだ……今日、自分の誕生日を祝ってくれた人達の想いと、それに対する感謝の気持ちが。
「うん。迷わず断言できるくらい、最高の一日だよ」
それは過去形では無く、現在進行形で。家族・友人・仲間……そして最愛の少女に対する、感謝の気持ちのままに。
だから仁は、この少女じゃなきゃダメなのだ。そう改めて感じて、姫乃の額にキスを落とす。
「姫……本当にありがとう。今日の事も、これまでの事も……全部含めて、ありがとう」
口付けと共に言葉を送ると、姫乃はふにゃりと微笑みながら首を横に振る。
「……こっちこそ、ありがとうございます」
そう口にした姫乃は、そのまま仁の身体に腕を回す。そして仁の頬に手を添え、優しく親指でその唇を撫でる。
そして姫乃は、仁に微笑みかける。見えなくても、そこに仁の顔があり……そして自分の顔をしっかりと、その瞳に映してくれていると理解しているから。
「生まれて来てくれて、ありがとうございます。出会ってくれて、ありがとうございます」
そうしてもう一度、仁に顔を近付ける。
「愛してくれて……ありがとうございます、仁くん」
普段は、仁からのキスを受け入れる事が多い姫乃。しかし今夜は、自分から積極的に仁にキスをするつもりらしい。触れるだけのキスから、吸い付く様なキスに……そして予想外だったのは、姫乃がふいに仁の唇を軽くペロリと舐めた事だった。
もしかして姫乃は、更に深いキスをご所望なのだろうか? と仁は迷ってしまうが、結果として踏み止まった。というのも姫乃からのキスを受け入れる間に、彼女が唇の感触を楽しみ味わう為だけに舌先を使っていると解ったからだ。
そうして、短くも長くも感じるキスが終わる。そのきっかけは、姫乃からの反応が途切れたからだ。唇が離れて距離が出来た所で、仁は姫乃の顔を見てその目がトロン……としているのに気付いた。
横目で時計を見れば、既に日付が変わりそうな時刻。普段ならば既に、姫乃は夢の中である時間である。
「……やっぱり、ありがとうはこっちの台詞だよ」
「ん……そう、でしょうか?」
「そうだよ……絶対にそう、ウルトラそう」
「はい……」
プレゼントの用意、いつも通りの学業、パーティー料理やケーキの調理、そしてAWOでの攻略。きっといつもより気合いも入っていたはずだし、疲れているだろう。
自分の為に、ここまで一日中頑張ってくれた最愛のお嫁様。そろそろしっかり、休んで貰わなくてはなるまい。
そう考えた仁は、姫乃の背に手を添えて優しくその身体を寝かせる。
「最高の誕生日をありがとう……お休み、姫」
「……えへへ、良かったです……おやすみ、なさい……じんくん……」
仁の言葉に安心したのか、姫乃は最後に仁を抱き締めようと力を込めて……それを成し遂げると、スッと目を閉じた。やはり疲れていたのだろう、その口から洩れる呼吸は寝息に変わっている。
ただしかし、一つだけ問題があった。
「ひ、姫……? も、もうちょっと、力を緩めて……だめだ、寝てる……」
姫乃に抱き締められた仁は、本日最後にして最大の試練に直面していた。抱き締めて引き寄せた位置が、問題だったのだ。
幸福中の幸いだったのは、呼吸が出来る状態だった事か。不幸中の幸いの間違えではないのは、きっとご理解頂けるだろう。
「あ、来たよ!」
「待ってたよ、僕!」
「特別なイベントの度に出番がある、それが我等でゴザル」
「最後の最後に登場だね、コン!」
デフォルメされた自分に似た、何かに出迎えられた。その光景を目の当たりにして、ジンは思う。
「あぁ、夢か。僕、あの状況で寝れたのか……」
「? 私はよく覚えてないんですけど……何かありましたか、ジンくん?」
……?
「あれっ、姫!?」
「あ、はい……えーと、ジンくんのお嫁さんの、姫乃ですよ?」
夢の中の愉快な奴等が居るならば、間違いなくこれは夢だろう。しかしそこにヒメノが居るのは初めてで、流石にジンも困惑する。
「……いや、でも夢だもんなコレ」
「あー……まぁ、そうですね? 私もジン君っぽいこの子達が、夢に出て来た事がありますし」
「おい、お前等!? 何勝手に姫の夢に出てんの!?」
「「「「いや、そう言われましても!?」」」」
夢の中の存在は、唐突にキレられて困惑気味。珍しく、ジンの方が押している。
「……えへへ、でも嬉しいです。夢でも、ジンくんと一緒ですから♪」
「えっ……あっ……」
「もう一度……お誕生日おめでとうございます、仁くん♪」
……
【作者からの、本当の後書き】
ジンという少年を主人公として描写するにあたり、彼の「人間として成熟している部分の多さ」が結構難しい点だったりする本作です。
物語も仲間も、ライバルでさえも牽引するタイプの真っ直ぐな少年を描いているつもりです。
そんな彼の中には、物語開始前に発生した事故によって引き摺り続けている暗闇がありました。
ヒメノをはじめとした多く人達との出会い、そして賑やかな日常を経て得た彼だけの答えが提示されるまでもう少しです。
今後もジンとヒメノ、そしてその仲間達との物語にお付き合い頂ければ幸いです。
最後に作者からも、簡素ではありますが。
ジン、誕生日おめでとう。生まれて来てくれて、ありがとう。
次回投稿予定日:2025/2/25