19-01 バレンタインデーを迎えました
二月十四日、聖バレンタイン・デー。それは多くの少年少女にとって、特別な一日だ。
今年のバレンタインデーは金曜日で、深い仲のカップルにとっては色んな意味で都合が良さそうなタイミングである。
そんな特別な一日のスタートは、とある高校の教室から……。
「星波君、受け取って下さい!! 本命は嫌がられると思ったので、一応控えめにしました!!」
「私も同じく!! 多分、本命だと受け取らないと思ったので!!」
「あ、ありがとう……道端さん、猪里さん」
同担歓迎派のクラスメイトは自分の想いを押し付けるのではなく、受け取って貰う事を優先したらしい。ナイス判断である。
「手作りも重いと思われるかと思って、市販のにしといたよ」
「素敵な彼女さん居るしね~、受け取って貰えればファンとしては御の字な訳で」
「……二人のそういう所、正直助かる」
そう言って英雄は、机の上を見た。そこには既に、結構な数のチョコが積まれていたのだ。朝来たら下駄箱の中に入っていたり、机の中に入れてあったり……その数、十個。登校したばかりの段階で、二桁突入だ。
お陰で朝から、謎の疲労感に苛まれていたのだ。そんな英雄にとって、直接こうして自分の事情を慮ってくれる相手からの善意は身に染みた。
「あ、寺野君にもあるよ!」
「星波君のと同じやつね、良かったら受け取って?」
「え、僕にも?」
自分にもあるとは思っていなかったので、仁は正直驚いていた。するとそこへ、サッと会話に加わる女子生徒がいた。
「寺野君、これ私から……受け取って貰えるかな」
お察しの通り、根津さんである。やはり根津さん、期待を裏切らない。
「ありがとう、道端さん、猪里さん。根津さんも、ありがとう」
そこへ人志と明人が登校して来て、仁と英雄に歩み寄る。
「おはよっす。早速、羨ましい事になってんのな」
「おはよう、皆。英雄はもうそんなに貰ってるんだ……」
既に登校している他の男子とは異なり、妬ましいとかそういった悪感情は二人からは感じられない。それ故か、彼等に向けて集まっていた女子生徒が笑みを浮かべる。
「アンタ達にもあるよ」
「はい、義理ね」
「「えっ!?」」
二人は差し出されたチョコを受け取り、顔を見合わせ……そして、女子達に感謝の言葉を伝える。
「あ、ありがとう! 味わって食わせて貰うよ」
「僕もありがとう。貰えると思っていなかったから、嬉しいよ」
「うむ、しっかり感謝して食べるのだ!」
「義理だけどね! まぁ、それでも渡す価値はありそうってのはあるからさー」
その様子を見ていた一人の女子生徒……小斗流は、紙袋に入れて来たモノをいつ渡そうかと悩んでいた。
――まずい、あの輪には加われない……鳴州のだけ、他と違うから……!!
人志用のチョコは、どうやら特別らしい。これは彼にAWOで大変お世話になっているからという、もっともらしい理由付けがされているのだが……手作りでラッピングもバッチリな訳で、他のクラスメイトに見られたら本命だと思われること請け合いだろう。
「何……だと……」
「星波は当然として、寺野もまだわかる……!! だが、鳴洲と倉守まで……!?」
「お、俺には!? 俺には無いのか!?」
「えー……仕方ないな、狩沼にはこれあげるよ」
「チ■ルじゃねぇかぁっ!!」
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朝のホームルームが終わり、授業の合間に教室に訪れる生徒の多い事多い事。英雄目当ての女子生徒が、次から次へとやって来るのだ。
「星波君、これ……貰って下さい!!」
「あ、ありがとう……」
「私からも、どうぞ!!」
「う、うん……ありがとうございます、先輩」
英雄に恋人が居るという情報は、既に全校生徒が知る所となっている。それでもこうしてチョコを渡しに来る女子生徒は、後を絶たない。
そんな中、仁達の教室にある三人が訪れた。
「うっわ、凄い人……」
「しょ……星波君目当てだね、こりゃあ」
「流石というか、何と言うか……あ! とう……じゃない、寺野君!」
三人は仁を見つけて、「お邪魔します」と断って教室に入って来た。
「あ、先輩方……」
「姫様に許可を頂きましたから、良かったら受け取って下さい」
「私からも、こちらを!」
「あはは……私も、弟共々お世話になってるから。日頃の感謝の気持ちだよ」
そう言って差し出されたのは、丁寧なラッピングがされたチョコである。大き過ぎず、小さ過ぎずの程良いサイズだ。
「ありがとうございます、先輩方」
「それと、こっちは星波君に。今行ったら、多分ファンな子達に睨まれそうだから」
「あー、確かに……責任を持って、英雄に渡しておきますね」
親しげにチョコを渡したりすれば、間違いなく星波英雄ファン一同にロックオンされるだろう。それならば、仁経由ででも渡す事が出来ればオーケーだ。伊栖那と夜宇的には、仁の方が本題だし。
──寺野君、その人達は誰……? どういう関係……? おかしい、今まで二年の先輩と接点なんて無かったのに……。
と思いきや、三人は根津さんにロックオンされた様だ。ある意味、星波英雄ファン勢よりもヤベー奴にロックオンされた様な気がしてならない。
根津さんは不自然じゃない程度に、三人の容姿を確認し……そこで、彼女はある事に気付く。
──いや、あの二人……以前、寺野君を訪ねて来た事があった。彼女さんの事も把握してるみたいだし、許可を得たとか言ってたよね……まさか彼女達は、私みたいに寺野君の幸福を見守る者……?
え、なんて? というか根津さん、記憶力もヤバかった。ちなみに伊栖那と夜宇が彼女の目に留まったのは、第四回イベントの直前……不正騒動の時だ。
根津さんの視線には気付かず、夜宇が仁に小声で問いかける。
「ちなみに、頭領様……姫様からは、もう?」
「あぁ、いえ……放課後に、英雄と姫の家でって」
「へぇ、そうなんですね」
――やっぱり、彼女さんの事は知っているみたい。そっか、寺野君はまだ彼女さんからは受け取ってなかったんだ……それはそれとして、頭領様って何だろう?
小声で会話? 読唇術の前では意味がない……読唇術もあるし、この娘さんのスペックは地味に高そうだ。
「あ、そうそう。会長達も、せめてゲーム内では日頃の感謝を込めてお渡ししたいんだそうです」
「感謝してるのは、こっちなんですけどね。了解です」
――ゲーム……? あ、そっか。寺野君は星波君と一緒に、VRMMOをやっているんだったっけ。確か、アナザーワールド・オンラインっていうゲームだったかな?
その時だった。
「ねぇ、あなた……もしかして、私達の会話を聞いていた?」
「……ッ!?」
根津さんが気付かない間に、伊栖那が彼女の背後に回っていた。数秒前までは視界の隅に居た彼女が、自分の背後に回っていた事を考え……根津さんは、全身の毛穴が開くような感覚を覚える。
そんな根津さんに、伊栖那は穏やかな声で……仁達に聞こえない様に、語り掛ける。
「私は二年生の浦島。もしかして、ゲームに興味あったりするのかな?」
「え……」
「ふふ、もしAWOをやるなら……協力できることがあるかもしれないし、声を掛けてね」
伊栖那はどうやら、根津さんに何か感じるモノがあったらしい。しかしもしそれが実現した場合、やべー奴がこれまたやべー集団に加わる事になるのだが……残念ながら、仁も英雄もその会話には気付く事が無いのであった。
……
昼休み、仁達は英雄の疲労具合を察して屋上へと向かった。普段は教室で食べるのだが、今日ばかりは英雄も気が休まらない状態だからである。
ちなみに仁は母親が作った弁当で、英雄も同様。人志と明人は、購買部で購入した惣菜パンである。
「英雄、現時点での数はどんなもん?」
「……二十三個」
「「「やばっ……」」」
流石に、仁でさえも驚きを禁じ得ない。この分だと、放課後までに三十個を超えるのではないか。
と、そこへ一人の女子生徒がやって来る。
「食事中ごめん、今大丈夫かな」
「お、委員長」
ずっとタイミングを伺っていた小斗流は、四人が教室を出たのを見計らって後を追ってきたらしい。
「星波くんには申し訳ないけど、一個追加で……」
そう言って紙袋から取り出したのは、どこからどう見てもバレンタインチョコだ。一瞬複雑そうな顔をする英雄だが、すぐに笑みを浮かべてみせた。
「まぁ、委員長からなら喜んで受け取るよ。信頼できるし、日頃から良くして貰ってるからね」
「良かった。寺野君と倉守君も、これどうぞ」
仁と明人にチョコを渡した小斗流は、最後に人志に視線を向ける。
「で、鳴洲は……これね」
そう言って差し出されたのは、三人の物とは少し違う装丁のチョコレートだ。
「……委員長、これって」
「鳴洲には色々と助けて貰ったり、お世話になってるから……少しだけ、特別」
そう言われた人志は、チョコレートを両手で大事そうに受け取る。
「……そっか。ホワイトデーのお返し、気合い入れねーと」
「別に、無理しない程度で良いし……」
――青春だなぁ……。
何だか良い雰囲気の二人を見守りながら、仁達はほっこりするのだった。
……
そうして、放課後。仁と英雄はいつもの通り、最愛の婚約者を迎えに行く。
「それじゃあ、また来週」
クラスメイト達に簡単な挨拶をして、二人は早々に教室を出る。英雄としてはさっさと恋に会いたいのと、これ以上チョコを持って来られても困るからである。
ちなみに仁は片手、英雄は両手にチョコレートが詰まった紙袋を持っている。最終的に、仁が受け取ったチョコは十一個、英雄は三十二個だ。
「英雄は別格として、仁もめっちゃ貰ってたな」
「本当にね……まぁ、彼等の人間性あっての事だね」
「そういう人志と明人も、ちゃんと貰ってんじゃん」
「巣平君もねー」
ついでに言うと人志と明人は六個、野球部の宝留は七個……内一つは、彼女からである。これは彼等にとって、過去最高の数らしい。
ちなみに教室内では、項垂れている男子生徒が結構な数居る。
「こうも格差を見せ付けられ続けると……心が、折れて……」
「ほ、星波のあの数は……凄すぎる……」
「あんなに貰っているヤツ、初めて見た……」
英雄が貰っていたチョコの数は、正に圧倒的だった。モテない男子生徒達の目の前で繰り広げられたその光景は、彼等の心を折るには十分過ぎたらしい。
仁と英雄が電車に乗ると、英雄が深い溜息を吐く。
「まともなチョコは良いんだ、まともなのは……」
「……まともじゃないチョコとは?」
仁が不思議そうにそう問い掛けると、英雄はげんなりした顔で実体験を口にする。
「中学時代にもあったんだけどさ……自分の毛とか、唾液が入っていたり……」
「うわっ……それは確かに嫌だな」
そう考えると、受け取ったチョコがまともな物なのか心配になるまである。
「受け取る時、どれが誰のチョコか付箋でメモして貼ってあるから……安全な人のから、味わって食べるよ。他のは、まぁ市販品なら大丈夫かな。手作りは、うーん……」
小斗流や鏡美達は手作りらしいが、妙な物を入れたりはしないだろうという安心感がある。彼女達の分は、ありがたく食べるのに不安は無い。
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その頃、[日野市高校]の二年生の教室。
「くっ……!! 何故だ……!!」
「一個も……貰えない……だと」
ここでもまた、チョコを貰えなかった男子の呻き声が響いていた。
「まぁ、これが日頃の行いの結果だろうよ……ほら、帰ろうぜ」
友人四人に映真が声を掛けるが、彼等はそれに抗った。
「まだだ、まだ終らんよ!!」
「もしかしたら、俺が一人になるのを待っている女子生徒が居るかもしれない!!」
「そうだ、皆の前だと恥ずかしいのかもしれん!! 俺は中庭で待機するぞ!!」
「じゃあ俺は、校門前だぁ!!」
「ならば屋上は俺が引き受けた!!」
飛び出していく友人達を見送って、映真はポツリと呟く……「馬鹿ばっか」と。
仕方ないので、一人で帰ろうと鞄を手にしたその時。
「伊毛君、ちょっといいかな」
映真を呼び止める女子生徒が、三人。それは伊栖那と夜宇、そして鏡美だった。
バレンタインデーの放課後に、女子生徒から呼び止められる……男子だったら期待で胸を膨らませる所だろうが、映真はそういう話じゃないんだろうなと内心で苦笑した。
「あぁ、大丈夫だ。多分、昨日の件……だろ?」
妙な期待はしていないと、言外に告げる映真。その態度に三人は頷いて、聞きたかったことについて問い掛ける。
「昨日の私達の会話……聞こえていたよね?」
「あー、ごめんな。盗み聞きする気は無かったんだけどさ」
「……って事は、私達がAWOプレイヤーって知った訳だよね?」
伊栖那がそう言うと、映真は首を縦に振った。
「あぁ……俺等は普通に教室でも、AWOの話はしてるから気付いてると思う。俺は【絶対無敵騎士団】で、エムって名前でプレイしてるよ。三人は、【忍者ふぁんくらぶ】のメンバーなんだろ?」
「え? あぁいや、私は【桃園の誓い】なんだけど……」
「……えっ? あれ、そう……なのか? でも、第四回には……」
「えーと、始めたのは年明けからだから」
そう言われて、映真は「成程……」と納得した。それならば、彼女を知らなくても無理はない。
「まぁ、言いたい事は何となくわかるよ。俺達はオープンにしてるけど、そっちはそうじゃないんだよな?」
映真がそう告げると、三人は「おや?」といった反応を見せる。
「他の四人は……まぁ感情の赴くままに動くとこあるから、教えてないよ。特に今日なんかは、余裕が無さそうだし」
「「「……確かに」」」
先程までの痴態は、三人も見ていた。これからあのノリで絡まれるのかもと思っていたが、映真の判断でそれは回避できたらしい。
「君等にも迷惑はかけたくないし、フデドラさんの顔に泥も塗りたくないんでね。他言しない、約束する」
ハッキリとそう口にした映真の表情は、真剣そのものである。彼は本気で、自分達に迷惑をかける様な事はしないと言っている……伊栖那と夜宇、そして鏡美はそう感じた。
――他の四人は論外だけど、伊毛君なら多少は信用できそうかな……彼なら、内密の話も出来るかもしれない。
――この感じだと、口だけじゃ無さそうだね。しばらく様子を見るけど、何かあれば声を掛けても良いかも。
――へぇ、伊毛君ってゲームオタクだと思ってたけど、結構しっかりした人なんだ。よく知りもしないで、判断しちゃダメだなぁ。
三人の映真に対する評価は、概ね良好だ。彼は自分の人間性を示す事で、彼女達の信用を勝ち取ったのである。
「ま、伊毛君だけなら良いかな。私は【忍者ふぁんくらぶ】のココロだよ」
「んで、私がイズナ」
「私は【桃園の誓い】で、生産メインでやってるの。アバターの名前は、ラミィね」
「解ってると思うけど、他の四人にはちょっと知られたくはないかな……申し訳ないけど」
「いや、うん。ここ数日のアレ見られてるし、俺も信用してやってくれとは言えないわ」
「「「デスヨネー」」」
そこで、鏡美は自分の手荷物の中に残っているあるモノの事を思い出した。
「あ、そうだ。はい、伊毛君」
それは友人にあげるつもりで用意していたが、当人がインフルエンザで欠席したため余っていたチョコだった。
「え!? い、良いのか?」
「口止め料代わりに、あげるよ」
「お、おう……」
昨年は、中学生の妹と母親から貰っただけで終わったバレンタイン。それに比べれば、口止め料だったとしてもありがたかった。そもそも、他言する気は無かったし。
その様子を見て、伊栖那と夜宇もフッと笑みを浮かべた。
「ほーれ、それじゃあ私からも口止めチョコ」
「林原さんが休みで、余ったやつだけどね」
更に追加で二つ、手渡されたバレンタインチョコ。自分の為に用意した物では無いと解っていても、映真は素直にそれを喜んだ。
「あ、ありがとう……!! 口止め料でも、嬉しいわ。インフルに掛かった林原には、申し訳ないけど」
やはり、映真は善人だ。三人はそう感じて、映真に対する評価を上方修正した。
そうこうしていると、廊下の方から騒がしい声が聞こえて来る。教室を飛び出していった四人が、戻ってきている様だ。
「やべ、奴らにバレたら絶対に絡まれる……!」
慌てて鞄の中にチョコを入れる映真に、三人は苦笑する。確かに自分達の渡したチョコを見られたら、映真は詰問を受けるだろう。打算はあれど折角渡したチョコが、彼以外の手に渡るのは面白くはない。
とはいえ自分達がこうして会話しているのを見られたら、流石にお馬鹿なあの四人でも何か勘付く可能性はある。となれば、ここらで会話は切り上げるべきだろう。
「それじゃあ、今回はここらでお開きかな。またね、伊毛君」
「バイバーイ! また来週!」
「バレない事を祈ってるよ、またね」
「あ、あぁ! ありがとうな!」
何事も無かったかのように、三人は教室を出る。そこから数メートル先には、チョコを貰えずに悲嘆に暮れながら歩いて来る四人の姿があった。
「何で……なんで……ナンデ……」
「今年もチョコは、家族からしか……」
「お前は姉ちゃん居るからいいじゃんか……俺なんてオカンだけだぞ……」
「やめろ、言うな哀しくなる……」
そこで四人の内の一人が、教室から出て来た三人に気付いた。もしかしたら、ワンチャンあるのではないか!? という顔である。
「ハッ!? な、なぁ!! 浦島、来羅内、名井家!! チョコ余って無いか!?」
一縷の望みを賭けて一人がそう言うと、残る三人も期待を込めた視線を向けて来るが……伊栖那・夜宇・鏡美はあっさりと首を横に振った。
「友チョコも全部、完売済みだねぇ」
「四つも余分作らないしね」
「ごめんね~、また来週~」
「「「「ちくしょーっ!!」」」」
崩れ落ちて咽び泣く四人を尻目に、三人は全く同じことを考えていた。
――会話を聞かれた相手が、伊毛君で本当に良かったなぁ。




