16-06 家にお邪魔しました
親勢との待ち合わせ場所に戻ると、姫乃の忍耐も限界を迎えた。
「本っ……当に、失礼な人でしたっ!!」
珍しく、声を荒らげる姫乃。先程は堪えていたらしいが、やはり相当にご立腹だったらしい。
「珍しく怒り心頭ね、姫ちゃん」
「当たり前です! 仁くんを馬鹿にするような態度で、酷い事をいっぱい言ったんですよ! 許せません!」
本当に珍しく、姫乃が感情を露わにして怒っていた。英雄すら驚いているのだから、どんだけレアな事かがよく解る。
仁としては、そこまで怒らなくても……と思う傍ら、そこまで自分の事で怒ってくれるのが嬉しくもある。
「ありがとう、姫。まぁ、あの程度の事は聞き流せるから、大丈夫だよ」
そう言って、姫乃の頭をポンポンと軽く叩く。撫でたら、折角セットした髪が乱れてしまうだろう。だから、撫でるのは髪を解いた後だ。
陸上で有名になった辺りで、瞬く間に仁はクラスや部の人気者になった。それに便乗する様に、ミーハーな女子生徒から声を掛けられることも多々あった。そこで天狗にならないのが、仁らしいといった所か。
そして逆に悪意のある言葉を、向けられる事も少なくはなかったのだ。その頃に比べれば、先程の暴言は可愛いものである。
とはいえ、苛立ちを感じないとは言っていない。それをグッと堪えて、飲み込めるだけだ。仁の精神が同年代より大人びているのは、間違いなくその頃の経験が原因だろう。
「まぁ、社会的に破滅させる手段もありますが」
「待って、恋さん。やめてやめて」
そう言えば、こちらのお嬢さんもこういう時は怖い人だった。
仁が二人を宥めるのに奔走していると、ようやく親勢が帰って来る。
「ごめんねー、お待たせー! あら、何かあったのかしら?」
雰囲気が妙な事に気付き、親達も怪訝そうな顔をする。しかしながら、ここで先程の件を話すのも気が引けた。
「まぁとりあえず、移動しましょうか」
こんな所で長々と話してしまえば、周囲の注目を集めるだろう。ただでさえ、整った顔立ちの顔触れなのだ。
一番最悪のパターンは、先の二人と再び遭遇する事だ。会いたくないというのもあるが、今度こそ姫乃が爆発する。更にこの分だと恋も怪しいし、英雄や鳴子も黙っているとは思えない。
ひとまず仁達は、連立って星波家へと向かうのだった。
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星波家に到着した際に、初音夫妻はこっそり周囲をガードしていた使用人達に指示を出していた。要約すると、星波家にお邪魔している間にご飯でも食べておいで、せっかくのお正月だから……と。
最初は渋っていた使用人達だが、星波家に鳴子が同行するなら安心か……と、その言葉に甘える事となった。鳴子さん、そこまで信頼されてるらしい。すげぇ。
そして鳴子以外の使用人の目が無くなり、不特定多数の目もなくなり……。
「いやぁ、我々まで御相伴に預かってしまい、申し訳ないですなぁ」
「はー、疲れました。人混みはやはり、苦手ですね」
これまでTHE上流階級の人……という感じだった初音夫妻の仮面が、ペロリと剥がれた。
既に大将と、寺野家・初音家は座卓を囲んで談笑を始めている。最初はその変わり身に驚いた訳だが、寺野夫婦と大将はすぐに気を取り直していた。
「いやはや、英雄君や仁君の様な立派な息子さんがいて羨ましい限りだ」
「子は親の鏡と言いますからねぇ。姫乃さんもとても愛らしくて、お二人が十分に愛情を注いで来たと解りますよ」
「いやいや、それは初音さんもじゃないですかー! 恋さんの、なんて可愛らしいこと! しっかりしていて、礼儀正しくて、その上可愛い! 羨ましいわぁ」
「仁君や恋さんと出会ってから、うちの子達もとても幸せそうでしてね。今後共、こうしてお付き合い頂ければ嬉しいですよ」
「それを言うなら、うちの台詞ですよ! 仁がこんなに生き生きと、楽しそうにしているのは姫乃ちゃん……そして、英雄君や恋さんのお陰です。勿論、鳴子さんや隼君達も」
和やかというか、もう賑やかだ。よく見ると、既に瓶ビールをグラスに注いで酒盛りが始まっている。あと、空きっ腹に酒は良くないよ。
そこへ姫乃と恋、鳴子が帰還する。二人は姫乃の部屋で、振袖から普段着に着替えて来たのだ。鳴子は二人のお手伝いである。
リビングに入って恋は、仮面キャストオフ状態の両親に気付いた。そんな両親の姿を見て、流石の彼女も盛大な溜息を吐いてしまう。
「お父様もお母様も、ハメを外し過ぎないで下さいよ? 大将さん、聖さん、本当にご迷惑をお掛けします……」
本気で申し訳無さそうな恋に、リビングで酒盛り中の大将は機嫌良さそうにしていた。
「いやいや、うちは構わないよ恋ちゃん。こうして初音さんや寺野さんと話せて、新年早々楽しませて貰っているからね」
あ、これは酔い始めているなと恋が苦笑すると、キッチンの方で食事の準備をしている聖が声を掛ける。
「そうよー、恋ちゃん。ほら、恋ちゃんも自分の家と思って寛いで良いんだから」
「いえ、流石に申し訳なさが先に……あ、お手伝いします」
「お母さん、お皿持っていくね~」
「僭越ながら、私もお手伝いを」
そうこうしていると、聖がおせちの入った重箱を手にやって来る。その後ろから、姫乃と恋、鳴子が食器やら飲み物やらを運んで来ていた。
「お待たせしましたー♪ 大したものではないですけど、召し上がって下さいな」
そう言いながら、重箱の蓋を聖が開ければ……そこには、見事なおせち料理の数々が綺麗に並べられている。
これには撫子も乙姫も、驚きと感心で目を丸くしてしまった。
「うわ、凄っ……!!」
「あらまぁ、これはまた豪華ねぇ……」
聖が事前に申告していた通り、おせちの量は実に多い。これだけの量を作るのは、相当な重労働だったのではないだろうか。
「聖さん、ありがとうございます」
仁がそうお礼を言うと、聖は仁を見て……そして、にんまりと笑う。
「良いの良いの、それより仁君……まずはこれと、これとこれを食べてみましょうかー」
聖がせっせと、仁の皿におせち料理を盛り付けていく。何故、自分なのか? と思っていたら、聖は他の人にも盛り付け始めた。
――そう言えば、クリスマスの時にヒメが同じ様な事をしていたなぁ。星波家では、これが普通なのかな?
しかし、何故最初に自分だったのか? と首を傾げてしまう。それはさて置き、姫乃がやたらと静かだ。自分の隣に座ってから、何やらもじもじしていらっしゃる。
どうしたのだろうか? と思うが、原因はやはり先の神社での一件しか思い付かない。
使用人である自分は、同席を控えようとしていた鳴子を食卓に巻き込むという一幕があったものの……無事、料理も飲み物も各々行き渡った。大将の簡単な挨拶を経て、乾杯をした所で新年初の食事が始まった。
仁が伊達巻を一つ口にすると、見た目にそぐわぬ美味しさだった。口いっぱいに広がる幸せの味に、思わず「美味しい」と言葉が漏れ出る。
「……!! えへへ」
仁の言葉を耳にしたら、隣に座る最愛の人が照れ臭そうに笑った。そんな姫乃の態度で、仁は全てを理解した。
「これ、姫が作ったの?」
「はい。お母さんに、教えて貰いながら……」
それも、花嫁修業の一環なのだろう。仁の口に合った事が嬉しいのか、姫乃は頬を染めながらふにゃりとした笑顔を浮かべる。
――伊達巻の甘みも、この笑顔の甘さには敵わないなぁ。
そんな事を考えつつも、仁は姫乃に率直な感想を口にする。
「本当に美味しいよ、姫。凄いね、頑張ってくれてありがとう」
仁がそう言えば、姫乃は更に嬉しそうに身をよじる。それがあまりにも可愛らしくて、その場にいる全員が笑顔を浮かべてしまう。
「その……仁くんや、皆さんに喜んで貰いたくて……お母さんに、教えて下さいってお願いしました」
恥じらう様子も実にグッド。これには親勢も、口元が緩んで仕方がない。
「とても美味しいわ、姫ちゃん。ありがとう」
「うん……恋ちゃんにも喜んで貰えて、嬉しいな」
頬を染めたまま、嬉しそうに笑う姫乃。その笑顔は同性から見ても可愛らしく、恋ですらたじろいだ。
「くっ……この天使、全方位攻撃を……そりゃあ英雄さんが自他共に認めるシスコンになる訳です」
「恋、何で今さり気なく俺に飛び火させたのかな?」
「仲睦まじいお二人はさておき、姫乃様のお料理の腕は非常に高いですね。お見事です」
「鳴子さんまで……そんなに言われると、照れてしまいます」
「でも、本当に美味しいですもの。私も聖さんに、お料理を教わりたいですね」
「あら、勿論大歓迎よ♪」
「それなら、恋の習い事も数を減らしても良いかもしれないわね」
「講師の先生が、教える事がもう無いと言い出すくらいだ。その分の時間を、花嫁修業にあてるのもいいかもしれないなぁ」
「恋ちゃんは、そんなに習い事をしているの?」
「はい。華道や茶道、日本舞踊に社交ダンス、バイオリン等もそれなりには。料理も勿論、多少の心得はあります」
「いやぁ……疑っていたわけでは勿論無いんだが、本当にお嬢様なんだねぇ」
すっかり打ち解けた三つの家族は、豪華なおせち料理を堪能しながら賑やかな時間を過ごす。どうやら良い雰囲気で、新たな年のスタートを切れた様だ。
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腹も満たされた所で、話題は神社での一件についてに移行した。英雄としても、最初からその場に居た訳では無いので状況が気になったらしい。
「成程、そんな事があったんだね……」
親達も難しい表情をしているが、英雄や恋・鳴子のそれは更にそこに不機嫌そう、という要素が加わる。それだけで、仁は自分が大切にされている……それが実感できる。
「……その無粋な輩、やはり社会的に……」
「恋さん、ステイステイ」
やりすぎについては、しっかり止めないといけない。実際に初音家なら、どうとでも出来てしまいそうで怖い。
「その上画栗少年は、仁君に及ばずともそれなりの成績を残せる選手だったのかい?」
秀頼にそう問われた仁は、素直に首を縦に振る。現役時代の自分と比べると、常に一歩劣る成績……と言ったところが、それでも全体的には好成績を叩き出せるランナーだったのだ。
「上画栗は確か、[池逗島高校]に進学したんだったね。寮生活を送るって聞いたから、帰省しているのかな」
「[池逗島高校]……」
「ふむ……」
英雄が上画栗の進学先について言及すると、寺野夫妻が苦い表情を浮かべる。
「やっぱりそうだったんだ。という事は……多分、僕の推薦枠が彼に行ったんだろうね」
何でもない事の様に仁がそう言うと、星波家と初音家は驚いた表情になる。
「[池逗島高校]は陸上に力を入れている高校だからね……インターハイ常連だし、オリンピックの金メダリストを何度も輩出した学校なのさ」
「私達も仁に来た推薦の話を聞いて、何度も話し合って……その推薦を受けるはずだったのよね」
仁が事故に遭わなければ、上画栗が得た推薦枠は仁のものだったに違いない。それを思うと、居た堪れない……そんな空気になる。
しかし、仁だけは違った。
「まぁ過去の事は、過去の事だね。イフの話をしても、得るものは無いし」
過去があったから、今がある。もしも事故に遭う事もなく、陸上をやめる事にもならずに[池逗島高校]に行っていたら……仁はAWOを始めていなかっただろうし、姫乃にも出会えなかったかもしれない。
「大切なのは、自分が今をどう生きるかだからね。彼が僕の代わりにあっちの学校に行ったからって、別に悔しくも羨ましくもない」
そう言って笑う仁は、どことなく晴れやかだ。それは今の彼が、満ち足りているという事の証明だ。
最愛の恋人が居て、最高の親友と仲間が居て、自分を思ってくれる両親や星波家・初音家の大人が居る。イトコや他の仲間も、巡り合った友人や知人達も自分を大切に思ってくれている。
「結果論だけど、今はこうして幸せだからそれで良いよ」
その言葉に嘘は無い。
それに上画栗は、仁の推薦枠を得たのがおこぼれの様で気に入らなかったに違いない。そんなコンプレックスが、先の暴言に繋がったのだろう。
仁もそれを察したが、それが何だといった感じである。少なくともそれで仁に八つ当たりをして、姫乃に絡んだのは自分自身を貶める行為だ。言い方が悪いが、仁の代わりみたいに扱われるのが嫌なら実力で黙らせれば良いじゃないかと思うのだった。
「それに今更だけど、あそこの寮生活だと自炊しないといけなかったわけで……」
そこで初めて、仁が何ともいえない微妙な表情になる。前半の部分も気にはなるのだが、英雄としては最後の部分の方が気になった。
「仁、料理は得意じゃないのか?」
「……正直言って、自分でも壊滅的なレベルだと思う」
その自己申告は英雄や恋、鳴子にとって意外過ぎるものだった。
仁という少年は、基本的にハイスペックな人間だ。現実・ゲーム問わずに、数々の功績や実績を打ち立てて来ているのだから、そう思われるのも不思議ではない。
顔立ちはそれなりに整っているし、陸上で鍛え上げられた身体は細身ながらもがっしりとしている。成績も平均をしっかり超えており、授業態度も真面目で教師からの評価も高い。
更にゲームでも発揮される、その人柄の良さ。多くのプレイヤーに良い影響を与え、並み居るトップランカー達が一目置くその性格。熱狂的なファンが付く程の人間性は、英雄達も全幅の信頼を置いている。
更に人の心の機微に聡く、あのユージンの正体すら看破する鋭さも併せ持っている。
平たく言えば、彼の評価は「理想的で誠実な男子高校生」という認識であったのだ。
しかし、仁の意外な弱点がここで明かされたのだ。これには付き合いの深い英雄達も、びっくりである。だが、その中で姫乃だけは驚いていなかった。
「……もしかして、ヒメは知ってた?」
「はい……その、第四回イベントで……私と和美さん、それとユージンさんだけは……仁くんの名誉の為に、黙っていましたけど」
二日目の朝、朝食の支度をする時に発覚した新事実だったのだそうだ。
「昔から、何でか知らないんだけど……レシピ通りに料理をしても、何かが多かったり足りなかったり……めちゃくちゃ慎重にやってもどこかが失敗していて、運よく上手くいっても味が……こう、何か味気なくて……」
言っている内に、仁がしゅんとしてしまった。そんな姿も見た記憶が全然ないので、英雄達は狼狽えてしまう。
「い、いやまぁ、ほら! そういう事もあるって、たまには!」
「それが、常になんだよね……」
「な、撫子さんに教わってみてはどうですか!?」
「付きっきりで教わって、これなんだよ……」
「仁様、まずは簡単な料理から慣らしてみるのは……」
「ゆで卵ですら、失敗するんですよ……」
「……ど、どの様な失敗……いえ、良いんです!! 言いたくないのだけは解りましたから!!」
どんどんテンションが下がっていく仁だったが、それにストップをかけるのはやはり姫乃だ。
「大丈夫ですよ、仁くん」
仁の手に自分の手を重ねて、姫乃はふわりと柔らかい笑みを浮かべる。その笑顔は、甘い甘いとろける様な笑顔だ。
「将来、仁くんのご飯は私が作りますから♪ その為に、練習していますし」
その一言で仁の顔が真っ赤になり、他の面々からニヤニヤされたのは言うまでもない。
……
食事もそこそこに親達からお年玉を貰って、そろそろ場もお開きになるかという頃合いだ。
ちなみに秀頼が用意したお年玉は、規格外の金額だった。流石に貰い過ぎだと仁達が固辞し、お札を十枚から一枚まで減らして貰うまで紆余曲折あった。
「本当に、君達は欲が無いねぇ」
「いえ、中高生だと一万でも十分貰い過ぎですよ……」
英雄の言葉に仁と姫乃が頷くので、秀頼もそれで納得する事にしたらしい。
そうこうして、話題は二日後に出発する旅行の件になった。
「確か場所は、隣の県の南側でしたか」
大将がそう言うと、秀頼は笑顔で頷く。
「えぇ。駅に寄り、空港に寄り、そこから高速で現地までという感じですね」
少し迂回する形になるものの、大幅な遠回りにはならない。
「ケイ……左利さん達は、新幹線で来るんだよね」
「だね」
結構な人数になるが、大丈夫なのか? と親達も気にしているのだが、秀頼と乙姫は朗らかに笑うだけだ。恋も何でもない事だとばかりに笑みを浮かべ、この旅行のもう一つの目的について言及する。
「今回は旅行であると同時に、新たにオープンする温泉施設のモニターを兼ねていますので。寄せられる意見は多ければ多い程良いですし、気心知れた仲の方が率直な意見を伺えて良いんですよ」
これが応募者抽選だと、中々率直な意見というのは集まりにくいそうだ。初音に対して胡麻を擂る様な意見になる事が多く、逆パターンだと具体性も何もない悪意のある意見もあるそうだ。後者は本当に、レアケースであるらしいが。
宿泊施設と温泉施設は繋がっており、敷地は全て初音家の所有らしい。当然ながら多くの客を受け入れる事を想定しており、規模は相当に大きい。家族連れや学生の旅行先を想定している為、ウォータースライダーや流れるプールもあり、温泉とプールの融合した施設の様だ。
交通の便も良い様で、竣工と同時に高速道路のサービスエリアとインターチェンジがすぐ側に新設されている。何でも、温泉の一部はサービスエリアからも入場できるらしい。更にオープン後は空港から高速バスが直通運転するというのだから、初音家の本気度がよく分かる。
そんな大規模温泉施設だが、今回はオープン前のモニター会なのでその全てが貸し切りになる。とんでもない話ではあるのだが、相手は初音家なので言うだけ野暮だ。
「夏の海もだったけど……本気で凄い旅行になるね」
「確かに……まぁ、今更だけどね」
「ふふっ、楽しみです♪」
「ええ、楽しみにして頂いて良いですよ」
次回投稿予定日:2023/5/28(幕間)
おまけ
「おせち、まだいっぱいありますので持っていきます?」
「明後日の旅行までに、処理し切れるか分からないしなぁ」
「それじゃあ、お言葉に甘えようかな」
「そうだねぇ」
親達もすっかり、仲良くなりましたとさ。