16-05 初詣に行きました
糖度注意報をお知らせします。
繰り返します、糖度注意報をお知らせします。
元旦を迎えた仁は、鏡の前で身だしなみを確認していた。
これから初詣に行く訳だが、そこに待つのは最愛の人と親友・友人(未来の義姉)とその付き人だけではない。そう、姫乃と英雄の両親……将来、義理の親と呼びたい二人も居るのである。新年早々、だらしない奴だなどと思われたくはない。
最も仁は日頃から、身だしなみは人並みに気を付けている。それに加え姫乃と交際するようになってからは、更に見た目にも気を使うようになった。
どこからどう見ても、ちゃんとした男子高校生らしい服装だ。そして鏡を見ていると、仁は髪が伸びたなぁと再認識する。
みっともないとか、見苦しいという印象は無い。だが、以前の仁と比べると大きな変化である事は間違いない。
最後に散髪をしたのは、いつだったか。陸上時代は走りやすさを追求する為、短髪に整えていた。事故に遭ってからも、惰性で散髪はしていたはずだが……いつの間にか、髪が伸びた事に頓着しなくなっていた。
その原因は、もう一つの自分の姿だろう……と、仁は考える。
AWOでの髪型は、日頃しないような長めの髪だ。それがいつの間にか、自分にとって馴染みあるものとして定着したに違いない。
それはそれで、別段問題ではない。しかし後で姫乃には、前と今のどちらが好きか聞いてみようかなどと思う。
仁の日常は最早、半分以上を姫乃の事で占められていると言ってもいいだろう。
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いつもは通学もデートも、星波家へ迎えに行くのが通例の仁。しかし今日は、星波家からの申し出により現地集合となる。
家族三人で神社に向かえば、そこには既に星波家の四人が待っていた。
英雄はいつも通り、落ち着いた雰囲気の格好だ。元より容姿が整っている為、大学生に間違えられても仕方がない程である。
星波夫妻も普段通り、オシャレな格好で仁達を迎える。大人の魅力を感じさせる装いであり、美男美女という言葉がピッタリである。
そして、姫乃は……。
「仁くん!……その、どうでしょう?」
着物を着ていた。勿論、≪戦衣・桜花爛漫≫ではない。初詣に相応しい、振袖姿である。
赤い振袖は白い花の柄で、姫乃のイメージにぴったりだ。長い黒髪は結い上げられており、金色の簪で留められている。お陰で普段は隠れている姫乃の白いうなじが露わになっており、可憐さに加えて色気を感じさせる仕上がりである。
それは恐らく、背伸びをしない程度に施されたナチュラルメイクも一役買っている。整った顔立ちの姫乃の魅力を、更に引き上げるのだから化粧とは凄いと仁は再認識する。
そんな和装美人と化した姫乃の姿に、仁は思わずごくりと喉を鳴らしてしまった。
「あの……仁くん?」
不安げな姫乃の呼び掛けに、仁の意識はようやく帰還した。
「はっ!? 可愛過ぎてトリップしていた!!」
これ、バチクソ本音である。そんな仁の言葉に、姫乃は頬を染めて照れ臭そうに身を捩る。その仕草がまた愛らしく、仁だけでなく周囲の視線を集めてしまう。
そんな視線もなんのその、仁は先程の言葉では着飾った姫乃への賛辞には程遠いと言葉を続ける。
「姫、本当に似合っているよ。いつも可愛いけど、今日は髪型も、メイクも大人っぽくて……凄く、綺麗だね」
褒めるべき所は、しっかり褒める。誰に似たのかと言われれば、仁の横でニヤニヤしている父親だろう。
「えへへ……仁くんに褒められて、嬉しいです……♪」
可愛いが助走を付けて殴りに来ている。既に遠巻きに仁と姫乃を眺めている参拝客に、影響が出始めていた。
「うっ……!! か、可憐だ……」
「天女様……? まさか、実在するのか……!?」
「なんて麗しい少女……まさか、これが恋ッ!?」
「可愛い~ッ!! そして私も、あんな風に褒められた~い!!」
「着物の娘と一緒に居る子だけじゃなくて、あの男の子も結構イケてない……?」
「お汁粉飲もうと思ってたけど……今飲んだら、絶対胸焼けする……」
新年一発目の糖分拡散。新年とあって、いつもより多く撒き散らしております。
その後は両家の新年の挨拶が始まり、残るメンバーの到着を待っていると……神社の入口から離れた、コインパーキングに一台の高級車が駐車した。
「あ、来たね」
「コインパーキングに停まる高級車……」
「恋ちゃんの家の車ですね!」
黒服が後部座席のドアに駆け寄り、左右の扉を開けた……そこで、英雄の口から驚きの声が上がる。
「え゛……っ!?」
……
「新年、あけましておめでとうございます。本年もどうぞ、恋ともども宜しくお願い致します」
そう言って綺麗なお辞儀をした男性に、連立ってやって来た恋達も続く。仁達はツッコミを入れることも出来ず、その挨拶に応じる以外の選択肢が無かった。
初音秀頼……恋の父親。初音財閥のトップにして、ファーストインテリジェンス代表取締役社長。想定外の大物、襲来である。
そして、その隣に立つ整った美貌の女性………仁達だけでなく、英雄も初めて会う人だった。
「お初にお目にかかります。恋の母で、【初音 乙姫】と申します」
しゃなりという擬音が聞こえる気がする程に、優雅で気品に溢れた礼。その振る舞いに、思わず撫子・聖までつられて似たような礼をしてしまうが……やはり、乙姫のそれには及ばなかった。
「英雄さん、そして姫乃さんに仁さん。やっとお会いする事が出来て、嬉しいです。娘がいつもお世話になっているそうで、本当に感謝しております」
仁達に視線を向けた乙姫の表情は、気品に溢れているものの柔らかな印象を受ける。恋を大切に思っている、その気持ちが滲み出ているのだろう。
「いえ、むしろお礼を言いたいのはこちらの方で……いつも恋と鳴子さんのお世話になっていますし、旅行の件だってそうです。本当に、ありがとうございます」
英雄の誠心誠意の言葉に、乙姫は目を細めて微笑む。
「恋は本当に、良い人を見つけたのね。これからも娘を、どうぞ宜しくお願いしますね」
「こちらこそ、宜しくお願い致します」
英雄がしっかりとしたお辞儀で応えると、秀頼も乙姫も嬉しそうに表情を綻ばせた。
さて、地味に緊張感が漂う場であるが……幸いな事に、ここには彼女が居る。
「恋ちゃん、鳴子さん、今年も宜しくお願いします♪」
新年の挨拶は、秀頼達に合わせて済ませた。なので今年もよろしくと挨拶をしつつ、姫乃は恋と鳴子に歩み寄る。それだけで初音夫妻の齎した緊張感が、一気に緩んだ。このお姫様、強い。
「ふふっ、今年もよろしくね、姫ちゃん」
「本年も宜しくお願い申し上げます、姫乃様」
恋も恋で、自分のイメージカラーである青の振袖姿だ。恋の両親の襲来でテンパっていた英雄も、意識を取り直して恋に向かい合う。
「恋、鳴子さん、今年も宜しくお願いします。恋も、振袖を着て来たんだね」
英雄の挨拶に、同じように挨拶を返した恋。しかしその視線は英雄に固定されており、振袖の感想が聞きたいですと顔に書かれているかの様だった。
勿論、英雄としてもそのつもりである。
「普段の服装も素敵だけど、やっぱり和装も凄く似合う。髪型もとても似合っていて、凄く大人っぽくて綺麗だよ」
特に目を引くのは、その髪型。長い髪を駆使した編み込み……そこに頭の低い位置で髪をまとめる、ギブソンタックという髪型を合わせたものだ。上品さを漂わせつつ、可愛らしさが感じられる。恋にピッタリの髪型だ。
だが、一番は恋という少女自身。英雄の言葉に薄っすらと頬を染め、嬉しそうな表情で自分を見つめる彼女そのものが何よりも愛らしい。
が、その視線が悪戯っぽい……小悪魔の笑みに変わる。
「ふふ……そう言って頂けて、嬉しいです。英雄さんの為に、朝から準備を頑張って来ましたから」
「……正月早々、そうやって男心をくすぐるのはズルいかな」
仁と姫乃で散々注目を集めたのに、こんなやり取りが始まってしまった。もう周囲の人々の視線は、この一団に釘付けである。
「あ、あの小柄な娘も……超美人じゃね?」
「美男美女カップルかよ……っ!! くそ、羨ましい……!! けど、何かお似合いなんだよなぁ……」
「めちゃくちゃカッコいいから、声掛けようと思っていたけど……これは、勝てない……」
「気温は低いのに、何かやたらと暑く感じるなぁ……」
最早、隠す気も無くなったらしい。口々に己の心情を漏らす周囲に、仁達は苦笑するしかない。ゲームでも、現実でもこんなんばっかだ。
そうして三つの家族が挨拶を終えると、恋がやれやれといった様子で話し始める。
「皆様、驚かせてしまいまして申し訳ありません。その、私が星波家や寺野家の皆様と初詣に行くと言ったら、うちの両親が我侭を言い出しまして……」
「いやいや、恋? 我侭は言い過ぎではないかな。日頃からお世話になっている、そしてこれから長い付き合いとなるご両家だ。ご挨拶も兼ねて、ご一緒したいのは親として当然の事だと思わないかな?」
言っている事は、確かに最もだ。恋は下校時に星波家によく寄らせて貰うし、可愛がられている。仁の両親と会うのは初めてだが、仁と姫乃の関係性・英雄と恋の関係性を考えれば、長い付き合いとなるだろう。
だがしかし。それで納得する恋ではなかった。
「事前に一言、断りの連絡を入れようとしたら止めたのは?」
そう、仁達にしても事前に連絡が欲しかった。恋も当然の様に、連絡をしようとしていたのだ。しかし、秀頼はそれに待ったを掛けた。その理由はこちら。
「驚いて貰いたいじゃないか、やっぱり」
「……後で家族会議ですからね、お父様。逃げないで下さいよ。お母様もですからね?」
ぴしゃりと言い切る恋に、英雄は本当に呆れているのだろうと察する。これが漫画であれば、恋様のこめかみに怒りマークが浮かんでいそうだ。
今日の初音家家族会議の議題は、間違いなく報連相の重要性についてだろう。
「ははは。まぁその話はあとにしよう。ここでこうして長話をしていても、何ですしね。そろそろ、参拝に行きませんか?」
秀頼がそう促すと、寺野家と星波家も素直に応じる。恋が実の父親にジト目をしているのには、触れてはいけない。
仁達としても、移動するのに異論はない。むしろ神社中の視線を集めるかのような状況から、早く脱したい。
ようやく、三家族は神社の境内に向けて歩き出したのだった。
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着物姿の姫乃と恋は、歩きづらいだろう。家族からそう言われた仁と英雄は、それぞれ最愛の人の手を取って歩く。ちなみに、いつもより丈は長いが歩きづらいと言われたらそうでもない二人だったりする。
「仁くんも着物着てくれたら良かったんですけど」
「いや、初詣に着物で来る男って相当レアだよ……」
「着けてるマフラーが長いのは、その代わり?」
「しっ、英雄さん! そこは触れちゃいけない所ですよ」
「違うけど!?」
めちゃくちゃいつも通りである。むしろ、安心感すらある。そんな四人に、親勢と鳴子は柔らかい笑みを浮かべていた。
手と口を清めた一行は、そこから賽銭箱まで長い列を作る人混みに加わる。
「あ、あそこで甘酒とお汁粉を売っているみたいです」
姫乃が視線を向ける方には、確かに賑わう屋台があった。
「へー、その隣は豚汁だね」
「冬場に外で食べる豚汁って、何故か凄く落ち着くんだよね」
「あら、そうなのですか?」
仁の何気ない一言に反応する恋。しかし、次の瞬間その表情は凍り付く。
「陸上の大会とかで、応援に来てくれたご父兄が作ってくれたりしてね」
仁の言葉は、昔を懐かしむ様な声色であった。二年前までは陸上選手として、ひたむきに走っていたのだ。それも無理のない事だろう。
仁が陸上の話題を出したので、英雄達は思わず口を噤む。寺野家の両親も、そんな息子の背中を見て辛そうな表情を隠せなかった。
しかし、仁はへらっと、気にしていないと言わんばかりに笑った。
「久し振りに、後で食べようかな。冬場だと、身体が温まっていいんだよ。こんにゃくが入っていたらなお良し」
姫乃はそう言う仁の顔を見て、気付く……これは、無理をして笑っているのではない。仁の事をよく見ているから、解る。断言できる。その自信がある。
だから、姫乃は笑顔を浮かべて仁に呼び掛ける。
「私は甘酒にしようと思っていましたけど、ちょっと気になります。仁くん、一口貰っても良いですか?」
「ん、勿論」
そんなやり取りで、英雄達は思わず肩に力が入っていた事に気付き……そして仁の強さを再認識する。彼は既に、自分の中で壁を乗り越えていたのだろう。そうでなくては、こんな風に屈託なく笑う事は出来ない。
親達もその様子に安心し、流れる人混みに合わせる様に歩を進める。
……
「仁、随分熱心に祈っていたね」
「うん? はは、まぁね」
参拝を済ませた仁達は、運よく空いていたベンチに腰掛けていた。女性陣は、おみくじを引いてきゃあきゃあと盛り上がっている。
「英雄は何を祈ったの?」
「うん? 今年も皆と楽しい日々を過ごせるように、見守っていて下さいって所かな」
「ありゃ、お祈りが被ったね」
「別に良いんじゃないかな、きっと二倍で見守ってくれるよ」
そんな会話をする少年二人に、秀頼が興味深そうに声を掛ける。
「ふむ、興味深い。普通の人は、そこで”過ごせますように”と祈る所だろう? しかし、君達は”見守っていて下さい”と祈った。それは、何故なのかな?」
余裕そうな態度の裏に隠された、純然たる好奇心。それを薄っすらと感じつつ、仁と英雄は顔を見合わせる。だって、その答えは解り切っているのだから。
「神様に頼らなくても、ねぇ?」
「あぁ、俺達だったら」
二人の少年は、示し合わせた様子もなく……まったく同じ言葉を返す。
「「皆と一緒なら、楽しいのは確定ですから」」
そんな二人の言葉を受けて、秀頼は「くっ……」と顔を歪ませた。それは、二人の返答が真っすぐで……好ましくて、笑みを堪え切れなかったのだ。
「ふふっ、本当に君達は得難いね。欲が無いと言えば無いのだが……自分達と、仲間の事を信じているからこそとも言える。であるならば……」
そう言って、秀頼は空を見上げる。その視線の先には、すっかり日が昇った雲一つ無い青空が広がっていた。
「君達の願い通り……神様もきっと、見守ってくれるだろうね」
そう言った秀頼の表情は清々しさすら感じられ、そしてどことなく自信ありげに。
もしかしたらこの初音を率いる男性は、神という存在を信じているのでは? そんな事を思わせる様な、確信めいた声色だった。
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参拝を終えて境内を後にする仁は、姫乃と並んで歩く。相変わらずの冷え込みだが、繋いだ手から伝わる温もりで身も心も温まるような感覚を覚える。
「確かに、豚汁美味しかったですね!」
「でしょ? 甘酒も美味しかったね」
そんな風に会話していると、両親達が「あっ」と声を上げる。
「絵馬やら何やら見ていたら、お守りを買うの忘れちゃったわね」
「あ、そう言えば……」
三家の親達が、お守りを買いに戻るか迷い出す。仁達は絵馬などよりも真っ先にお守りを買いに向かったので、買い忘れは特に無い。
「戻られるならば、私達はここで待っていますよ?」
恋がそう言うのは、歩き疲れたのもある。が、一番の要因は仁だ。神社の境内に戻るには、長い階段を登る必要がある。足に障害を残す彼にとって、それは苦痛だろうと考えたのだ。
「そうだね、その言葉に甘えさせて貰おうか」
「すぐ戻るから、待っていてね」
親勢が境内に戻るのを見送り、残ったのは子供達と鳴子だけだ。AWOにおける初期メンバーであり、この空気感は久し振りに感じるものである。
そこで仁が、どうせならと言葉を切り出す。
「あ、今の内にちょっと……」
お茶を濁す言い方だが、要するにトイレを済ませておきたいという事だ。その意図を察した英雄・恋・鳴子は、詳細を聞かずに「いってらっしゃい」と送り出す。
しかし、姫乃だけは別だった。
「仁くん、いっぱい歩いたからお疲れですよね。私もお付き合いしますね」
姫乃は別段、お花摘みは行かなくても大丈夫そうだ。純粋に、仁の身体を慮ったのだろう。後は、一時も離れず仁の側に居たいだけかもしれない。
「あはは、ありがと。それじゃ、すぐ戻るから」
……
用を足した仁が手を洗って戻れば、姫乃はトイレ入口から少し離れた場所で待っていた。ちょうど姫乃に声を掛けようとしていた男性二人組が、姫乃に歩み寄ろうとした所で……仁に気付いた姫乃が、満面の笑みを浮かべて仁に向けて歩み寄る。
――危ない危ない、離れるのは必要最小限にしないと。
「仁くん、お帰りなさい」
「待たせてごめんね」
仁が手を差し出せば、姫乃は躊躇うことなくその手に自分の手を重ねる。仁を待っている時に浮かべていたのは、落ち着いた淑やかな表情だった。しかし仁と手を繋いだ瞬間に、その表情が緩みふにゃりとしたとろけるような笑顔に変わる。
「それじゃあ、戻ろうか」
「はいっ♪」
声を掛けようとした男達は、その表情の変化を見て動きを止め……どう足掻いた所で脈など無いと、強制的に理解させられた。ナンパ目的ではあったが、腕力に物を言わせるような輩ではなかった様だ。
去って行く男性二人組と入れ違いになる様に、一組の男女がやって来た。そして仁に視線を向けて、男の方……髪を明るい茶色に染めた少年が、声を上げる。
「お前……もしかして、寺野か?」
苗字を呼ばれた仁が、少年の方に視線を向ければ……その二人の顔に、実に見覚えがあった。
「上画栗君……? それに、軽河さん……」
それは中学時代に同じ学年であり……同じ部に所属していた、二人。
仁同様に陸上選手だった【上画栗 剛】と、陸上部のマネージャーだった【軽河 依理子】だった。
「うわ、ホントに寺野じゃん。マジ久し振り過ぎ」
「寺野君、お久し振り。あけましておめでとう」
中学時代の部の仲間に会うのは、決して不思議な事ではない。しかし中学時代よりも二人が垢抜けていたので、仁としては少し驚いた。
「うん、久し振り。二人共、あけましておめでとう」
仁が新年の挨拶をすると、少年……剛が姫乃に視線を移す。
「何だ、いっちょ前にデート……か、よ……」
新年の挨拶もせずに、そんな事を言う剛。しかしその言葉は、語尾が尻すぼみになっていった。
無理もない事だろう。姫乃は紛う事なき美少女であり、更に今は振袖姿。そしてあざとくない程度にとどめているものの、しっかりとメイクを施しているのだ。いわば、完全武装状態の和装美少女である。
恋人である仁でさえ、直視すればクラリと来てしまうのだ。耐性のない彼が、その美貌に魅了されるのも不思議では無かった。
「……へぇ、もしかして彼女?」
そう言ったのは、依理子の方だった。彼女の視線も姫乃に向けられているが、どこか値踏みする様な視線だ。
「うん、そうだよ。もしかして、二人もデート?」
仁はその視線に思う所があるものの、新年から嫌な思いをするのもさせるのも宜しくないと判断した。第一、相手も腕を絡めているのだ。ならばあちらも、初詣デートの最中だろうと思った。
「うん、まぁそうだね。寺野君も隅に置けないなぁ」
仁は口に出さないものの、そういえば……と中学時代を思い出す。陸上部に所属していた、現役時代の頃だ。
剛は同じランナーであったものの、ろくに会話をした覚えが無い。仁が話し掛けても、機嫌悪そうに立ち去っていったのだ。
その理由は、同じ種目で仁が常に前を走っていたから。中学に入ってから、仁が陸上を離れるまで……その差は、開いていく一方だったのだ。
つまりは仁に、対抗心を抱いていたのだろう。そのくらいは、仁にも察する事が出来た。
そして依理子は、マネージャーとして選手達のサポートをしていた。彼女は仁に頻繁に話し掛けたり、世話を焼いたりしてくれていた様に思える。
他にも選手はいたし、マネージャーも彼女以外に二人いた。しかし彼女はその容姿と性格で、部内の男子からはたいそう人気だったと記憶している。
しかしそれは、仁が将来を期待された選手だからだったのだと思う。現に仁が事故に遭ってから、今日この日まで彼女と会話した覚えはない。
適当に話を切り上げて、英雄達の所に戻ろう……そんな事を考えていると、衝撃から復帰した剛は仁を睨む様に見た。しかしすぐに表情を取り繕い、笑顔を浮かべる。どことなくいやらしさが滲んでいるのは、仁の気のせいでは無いだろう。
「ほんと、可愛い子だなぁ。寺野にゃ勿体ないぜ、こんな美人」
それは明らかに、仁を見下したような発言だった。
仁に対するやっかみからか、剛は更に否定的な言葉を繰り出す。
「君もさ、寺野なんかのどこが良いわけ? こいつ、中学時代も走る以外に取り得なんて無かったし、今は気の毒だけどそれも出来ないだろ? いや勿体無いなぁ、そんなに美人なのに。もっと他に、良い男居ると思うけどね。あ、それとも弱みでも握られてるとか?」
「ちょっと、やめなよ」
最早それは、明確な暴言に等しい。流石に看過できなかったのか、依理子も剛を窘める様に口を挟む。
仁としても、足の事に触れるような発言をした剛に思うところはあったが……一番気掛かりなのは、そんな暴言の数々を耳にした姫乃の反応だった。
そして剛の暴言に対して、姫乃は真顔で話を聞いていた。その真顔が、仁としては一番怖い。
そして次の瞬間。
「ええと、お話は以上でしょうか? それでしたら、貴方の勘違いを一蹴させて頂きますね」
やたらと丁寧に、そう告げた。その言葉に籠められた圧力を察してか、剛も依理子も息を呑んでしまう。
「見る目が無い様なのではっきり言いますが、仁くんはとても素敵な彼氏さんです。それこそ、私にはもったいないくらい。離れる気は無いですけどね」
姫乃は満面の笑みを浮かべて、そう断言した。
果たして剛と依理子には、彼女が普通に笑っている様に見えるのだろうか。仁は姫乃の内心を、誰よりも正確に察している……なので、彼女の笑顔が笑顔には見えない。
――姫……キレた。
姫乃の背後に、八本首の大蛇の姿が幻視できる。本気で、静かに、これ以上ないくらいに怒っているのが、仁には解る。
「取り柄と言いますが、仁くんの取り柄は他にもあります。文武両道で人望もありますし、沢山の人から信頼と尊敬を集めています。仲間内では年上年下問わずに頼られていますし、それらは十分取り柄と言えるでしょう」
彼の暴言は自分が仁より上だという、ちっぽけな自尊心故のものだろう。それを見抜いたからこそ……剛の暴言を、姫乃は真正面から叩きのめすつもりなのだ。
「他にも仁くんの良い所は、沢山あります。あり過ぎて、上げたらきりがないですね。優しい所も、格好良い所もたくさんあります。誠実で気遣いが出来る、よく出来た人です。それに表も影も問わず人の悪口を言うことも無いですし、礼に対しては礼を尽くす素敵な人です。たまに、可愛い所もありますし」
悪口や礼云々については、暗に「あなたと違って」という意味合いだ。最も、剛がそれに気付けるかは微妙な所だと言わざるを得ない。
姫乃が自分を思い、この口撃で相手を言い負かそうという意図は察した。あと、どことなく恋の言い方に似ている気がする。もしかしたら、彼女の影響を受けているのかもしれない。
しかし仁としても、ここは口を挟まざるを得なかった。
「姫さんや。詳細については、絶対に口にしないで下さい……特に、可愛い所とやらについて」
「え、駄目ですか?」
「僕が恥ずか死んでしまう可能性が極めて高いので、どうか」
「むぅ、残念です」
――助かった……最悪の事態は免れた。
そう思っている内に、姫乃はトドメを刺そうと口を開く。
「で、他に良い人が……というお言葉ですが。私にとって仁くん以上に、良い人なんて存在しません。私が身も心も捧げたいと思うのは、仁くんだけです。それは他の方が何を言おうと変わりません。最も、貴方がたに何を言われても私達は寄り添い続けるんですけどね」
そう言いながら、仁の腕に抱き着く様に身を寄せる。甘える様に顔を寄せるのは、見せ付けようと思ったからだろう。
どちらかというと、それは剛ではなく依理子の方がメインではなかろうか。何となくだが、仁はそんな感想を抱いてしまった。
無論、その感想は正解である。
依理子が仁を見る視線は、気のある相手に向けるもの。姫乃と並んだ仁が優良物件に思えて、さり気なくモーションをかけようとしたのだろう。
しかし、姫乃はそれを見抜いていた。相手の方からマウントを取って来たのだ、やり返されても文句は言えまい。マウントを取ろうとしたのは剛だが、姫乃的にはそれを途中で止めなかった依理子も同罪である。
そんな姫乃の言葉と態度に、二人は絶句するしか無かった。しかし、これで済むはずもなく。
「仁、ヒメ。どうかした?」
そこへ、英雄がやって来た。
「「ほ、星波君!?」」
「ん? ……あー、確か、同じ中学の……」
突然の英雄登場に、二人は更なる衝撃を受けている。中学時代も、英雄はその容姿と性格で学校中の人気者だったのだ。そんな彼が突然現れたのだから、それはさぞ驚くだろう。
でも、まだ足りない。なので、おかわりはちゃんとあります。
「姫ちゃんと仁さんのお戻りが遅かったので、様子を見に来たのですが……そちらはお友達ですか?」
「そう言えば仁様も姫乃様も、こちらが地元でしたね。ご友人とお会いするのも、不思議ではありません」
おかわりは勿論、美少女と美女のダブルコンボだ。英雄・恋・鳴子と整った顔立ちの三人が立て続けに来て、仁と姫乃に歩み寄るのだから。ひたすらに、顔が良いの三連撃である。
これには二人も、混乱状態で何も口に出す事などできない。もしここで【七色の橋】フルメンバーが揃ったら、この二人は仲良く過呼吸にでもなるのではなかろうか。
「そろそろ、父さん達が戻って来る頃だよ」
「あ、そっか。ごめん、つい話し込んじゃったよ。それじゃあ二人共、さよなら」
「私達は、これで失礼します」
金魚の様に、口をパクパクさせる二人を尻目に歩き出す五人。剛と依理子は、その背中を見送る以外に出来る事は無かった。
次回投稿予定日:2023/5/25(本編)
注意報で良かったと思います、多分。
作者、ちょっと短編あたりで感覚がマヒしてるかもしれません。