15-23 幕間・その頃の【天使の抱擁】
ギルドクリスタルの絶対数が減った事により、ギルド同士の戦いは「自軍のポイント稼ぎ」から「敵のポイントを削ぐ」方向へ推移した。
主にその標的となっているのは、過去イベントで活躍が見られたギルドだ。特に名が挙がるのは、やはり第二回イベントの決闘トーナメントに進出したギルドだろう。
そして標的にされていて、第二回イベントに参加していなかったギルドがある。それは、ギルド【天使の抱擁】だ。
ごく一部にとっては、スパイ騒動を発端とした理由。しかし現時点でアンジェリカと【禁断の果実】の繋がりについて知っているのは、ほんの一握りのギルドのみである。
それはスパイ討伐に参戦したギルドと、その様子を見ていた観戦者達……そして、【天使の抱擁】の面々である。
スパイとの関係について知らない彼等が、何故【天使の抱擁】を標的としているのか? それはアンジェリカの活躍を通して、【天使の抱擁】が大規模ギルドの一角と認識されているからだった。
同時に彼等は、【聖光の騎士団】や【森羅万象】と異なる点がある。それは【天使の抱擁】が”アンジェリカのファンが集まったギルド”であり、誰もが強いプレイヤーではないと考えられていた。そして、それは実際にその通りだ。
そんな【天使の抱擁】は、ギルド拠点で防衛に徹している。
「ハイド、また敵襲だ!!」
「魔法職は、城壁上で詠唱開始!! 弓職は配置に付け!! 前衛の回復は!?」
「まだ半分だ!! ポーションの振り分けに難航してる!!」
「回復済みの奴は俺に着いてきてくれ!! 残りは回復次第、ある程度の人数で揃って出撃!!」
何故、彼等が拠点防衛しか出来ないのか? 理由は単純で、戦力が少なくなったからだ。
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スパイ討伐戦……その場には、【天使の抱擁】の面々も居合わせた。そこで知った、アンジェリカの目的……そして、スパイ集団【禁断の果実】との接点。
アンジェリカはジンとの戦いに敗れた後、蘇生待機時間を経てギルド拠点にリスポーンした。そこから、場は大いに荒れた。
「手下を使ってスパイ行為なんてして、恥ずかしくないのか!?」
「そんな手を使ってまで、人気が欲しいのか!?」
「カイトやジェイクは、グルなんだろう!? あいつらと共謀して、俺達を騙していたんだな!!」
「こんなやつの為に、俺はステータスポイントをあげたのかよ……!! ふざけんな、俺のポイントを返せよ!!」
そんな声を上げるのは、スパイ達の自爆や暴走で戦闘不能になった面々。拠点にリスポーンした彼等は、アンジェリカが帰って来るのを待ち構えていたのだ。
リスポーンした彼女を確認すると、彼等は一斉にアンジェリカに詰め寄った。その顔に浮かぶ激しい怒りの表情が、彼等の鬱屈した心を表しているかのようだった。
アンジェリカが何か言おうとしても、喚き散らすプレイヤー達は聞く耳を持たない。
【八咫烏】の為に譲渡したステータスポイントの返還や、贈ったアイテムや装備……更には、動画サイトやライブチケットなどの金を返せとまで言い始めた。
その騒動が沈静化したのは、スパイ討伐戦を生き残った面々が帰還してからだった。納得できない心を抑えて、スパイとの戦闘に参加したプレイヤーが少数だが居たのだ。
最も、彼等はアンジェリカの敗北を見届け……そして、スパイが殲滅されるとその場を離れた。討伐ギルドと同席する立場ではないと思ったし、そうするのは気が引けるどころの話ではなかったのだ。
「落ち着けよ、何の騒ぎだ……いや、言わなくてもいい。予想は付く」
その少数の中の一人……それは、ハイドだった。紛糾する面々に対して、クールダウンする様に声を掛けたのだが……それは、彼等の神経を逆撫でした。
「何処に行っていたんだ、お前ら!! 今更のこのこと帰って来やがって!!」
「リスポーンしてないって事は、逃げて来たのか!! 俺等を見殺しにしやがったんだな!!」
「汚い真似しやがって……お前らも、ぶっ潰してやろうか!!」
ヒートアップしたプレイヤー達は、ハイド達にまで噛み付き始める。その顔は醜く歪み、口から吐き出される言葉は更に過激な発言も増えていく。どれもこれも見るに堪えない醜態、聞くに耐えない罵声ばかりだ。
そんな彼等に対して、声を掛ける女性が居た。
「ねぇ……今の様子の動画、撮れたんだけど。見る?」
そう言って、システム・ウィンドウを可視化したのはソラネコだった。再生され始めた動画には、糾弾するプレイヤーの様子が撮影されている。
「恫喝に、人格否定に、脅迫めいた言葉まで……うーん、不適切発言のデパートだよね? これを通報したら、どうなると思う?」
「はぁ、そりゃあ脅しか!?」
「脅しも何も、純然たる事実だよ。だからそうなる前に、落ち着こう? 冷静に話をしないと、何の意味も無いでしょ?」
「悪いのはそっちだろうが、怖くも何ともねぇぞ!!」
状況は変わらず、糾弾するプレイヤー達は勢いを維持している。
その様子に溜息を一つ吐いて、ソラネコは何でも無いかのようにシステム・ウィンドウの可視化を解除して操作し始めた。
「そ? じゃあ、通報しちゃうかな」
ポチポチと、ウィンドウを操作するソラネコ。彼女の様子は淡々としている。それを見る糾弾側のプレイヤーは、馬鹿にしたような表情だ。まるで「自分達に否は無い、悪いのはこいつらだ」と確信しているかの様に。
そんな彼等に、ソラネコはシステム・ウィンドウから顔を上げずに声を掛けた。
「そうそう、スパイは全滅したわ。あの場に居たギルドの面々が、徹底的にやったから。そのまま強制ログアウトして、イベントに再参加は出来なくなったみたいね」
その言葉を聞いて、プレイヤー達は顔を見合わせた。彼女がそれを知っているのは、最後までその場に居たからだと思ったのだ。
「まさか、戦っていたのか?」
「さぁ、どうかしら? あなた達は、私達が貴方達を見捨てて逃げたと決め付けた訳だけどね。その根拠はあるのかしら? 言い掛かりで相手を非難する……何だか最近、そんな出来事があった気がするわ……どこだったかしら? 誰か覚えてる? あぁそうそう、スパイ達が【七色】にやった事だったわね。あら、貴方達も彼等と同じ事をするの? あらあら、見事なダブスタねー」
彼等を見るどころか、ウィンドウから顔を上げすらしない。その状態で、淡々と捲し立てるソラネコ。普段は穏やかで、ほわんとした雰囲気の女性なのだが……普段とはかなり異なるその様子から、誰もがソラネコの本気の怒りを察した。
糾弾していたプレイヤー達が、何とも言えない表情で口ごもる。それ幸いと、ソラネコはウィンドウからようやく顔を上げた。その視線の向く先は、アンジェリカだ。
「アンジェリカさん、まずは事情を聞かせて欲しいの。今の断片的な情報では、事の経緯を理解出来たとは言えないもの」
努めて冷静に呼び掛けるソラネコに、アンジェリカも頷いてみせる。彼女としても、自分の事を話すという意思はあったのだ。
――今までの事は、きっと間違っていたんだと思う。だから、皆は倒された……私がそうならなかったのは、私が間違っていなかったからじゃない。
静まり返るプレイヤー達の視線を一身に受けながら、アンジェリカはこれまでの事を話し始めた。ポツリポツリと、記憶を呼び覚ます様に。
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アンジェリカから話を聞いた面々の内、半数以上のプレイヤーは自らの意思でギルドを離れた。とはいえ、その理由は一様ではない。
彼女の真実を信じず、嘘を付いていると決め付けた者。真実を知って、彼女に幻滅した者。そしてアイドルとしての彼女に未来は無いと、見切りを付けた者。
ギルド【天使の抱擁】はスパイの壊滅と、離反者によって戦力を激減させるに至った。残ったプレイヤーだけで、この戦いを勝ち抜くのは困難を極めるだろう。たとえ、ユニークスキルを保有するアンジェリカが居たとしても。
そこで、ハイドがある事に気付く。
「アンジェリカさん。貴女の話だと、近しいメンバーは貴女の家も知っているのでは?」
「……? うん、そうだね」
アンジェリカの返答を聞き、ハイドはこうしている内に何が起こるのかを予想した。アンジェリカに対する思いだけで、こんな大事を引き起こした張本人達。彼等がこのまま、何もせずに居るはずがない。
「アンジェリカさん……貴女はログアウトして、身を守る必要があると思う。ゲームにログイン出来ない彼等は、現実で貴女に何かする可能性が高い」
アンジェリカ……伊賀星美紀の家に入り込み、彼女に何かをする。カイトやジェイクの様子を見た限り、そんな事を考えてもおかしくない。
特に、彼女の親戚であるカイト。現実で暴力沙汰を起こした彼だ、何が起きても不思議ではないだろう。
「……確かにそうね」
「あぁ、ハイドの言う通りだ。既にあれから現実で一時間近くの時間が経っている……現実で、彼等が何かをしようとしても不思議じゃない」
他の残ったメンバーも、ハイドの意見を支持した。彼等はアンジェリカの真実を聞き、彼女もある意味で”被害者”だと考えた面々だ。
彼女にこれ以上、スパイ達と関わらせるのは危険。そう判断して、その提案を支持していた。
「……皆は、どうするの?」
残ってくれた彼等を残して、自分だけ逃げるようにログアウトして良いのか。
アンジェリカも解っている……このまま、今の人数で戦うのは無謀だ。それにアンジェリカと【禁断の果実】の事を知るギルドならば、【天使の抱擁】を徹底的に叩こうと襲って来ても不思議では無い。
かつてのアンジェリカならば考えなかっただろうが、彼女は確かに自分の意志で仲間達の身を案じていた。
しかしハイド達は、笑みを浮かべて何でも無い事のように言葉を返す。
「やりようは、いくらでも。残りの戦いは、俺達が引き受けますよ」
「まずは自分の安全よ、アンジェリカさん」
「そうですよ。何か起こってからじゃ、遅いんですから」
そんな彼等の説得に折れたアンジェリカは、謝罪の言葉を残してログアウトしていった。彼女はイベントの間、戻って来る事は出来なくなったのだ。
そこで一人のプレイヤーが、残り僅かな仲間達に向き直る。彼は魔法職のエミール、ハイドやソラネコ同様に高レベルプレイヤーの一人である。
「こんな時に何なんだけど、私は現実では精神科医なんてものをやっているんだ」
唐突な、リアル情報の公開。しかし彼の職業を聞いて、誰もがある可能性に思い至る。それは、アンジェリカの心の事だ。
「皆も薄々気付いていると思うが、彼女は過去の出来事……両親からの虐待や、クラスメイトからの暴行によるショックが原因で……精神に異常を来しているというのが、私の見解だ」
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ログアウトしたアンジェリカ……伊賀星美紀は、VRドライバーを外してベッドから起き上がった。暗い部屋には、誰も居ない……はずだった。
「……美紀? こんなに早くログアウトしたのか? まだ、イベントの途中だろうに」
ゾクリと、背筋に得体の知れない感覚が走る。彼女はその感覚を覚えていないが、過去に感じた事があった。
『今日は、母さんは居ない……か。なぁ、美紀。もう、俺は我慢出来ねぇよ……』
『血が繋がっていなくても、父親よ!? それを相手に、アンタって子は……!! アンタなんて、私の子じゃない……ッ!!』
『伊賀星さん……!! 大丈夫、俺が守るから……!! もう、誰にも傷付けさせないから……!! だから、伊賀星さん!! 俺と……っ!!』
脳裏に浮かぶのは、過去の出来事。痛み、恐怖、絶望……それがフラッシュバックする。それを齎すであろう相手を前にして、美紀の感じた感覚……それは、悪寒だ。
「……どうして、ここに居るの……? 舵定……」
次回投稿予定日:2022/11/30