15-05 【七色の橋】VS【闇夜之翼】VS【常識の破壊者】
戦闘が激化する、第四回イベントのイベントエリア。そんな戦場で【七色の橋】のギルドマスターであるヒイロは、目的地が近い為仲間達に声を掛けた。
「もうすぐ【常識の破壊者】の拠点だな……いや、また凄い名前だけど」
「ですね……常識は大切にして欲しい所です」
最愛の存在であり、頼れるサブマスターであるレン。彼女も相手となるギルド名を聞き、苦笑しながらそんな感想を口にした。
そんな二人の数歩後ろを歩くレン専属使用人であるシオンも、目を伏せながら一言呟く。
「所謂”ネタに走った名前”のギルドが、いささか多過ぎる気が致します」
そう言いたくなるのも、無理はない。イベントに参加しているギルドだけでも、相当数のネタに走ったギルド名が存在するのだ。ちなみに彼等は、もれなく祝われている。
何はともあれ、間もなく【常識の破壊者】の拠点である。
「準備は良いか、セツナ」
「無論だ、我が主よ」
レンの護衛はシオンとロータスに任せ、ヒイロとセツナは先陣を切って突撃。ダナンを中心とした応援NPCが、その後に続く。これがヒイロチームの基本戦術だ。
そうして【常識の破壊者】の拠点が見えたが……そこで、ヒイロは異変に気付く。目的地であるそこでは、既に戦闘が開始されていたのだ。
「む……あれは」
「別のギルド……か?」
ヒイロとセツナがそう口にすると、レンは即座に襲っているプレイヤーに視線を向ける。頭上のカラーカーソルを凝視し、襲撃者の所属を確認する為だ。
「ギルド名は……【闇夜之翼】。更に南側の方に拠点を構えるギルドだったはずです。となると……その間にあったギルド【月夜の夢物語】は、既に撃破済みと考えていいでしょうね」
システム・ウィンドウを表示する事なく、レンは【闇夜之翼】と【常識の破壊者】の位置関係……そして、その間にあるギルドが破られているを看破した。
レンの優れた記憶力や、洞察力……それに加えてイベント開幕直後の、ジンによる高速マップ開放作戦。それによって、【七色の橋】は大半のギルド拠点を確認済みだ。
「なら、ここは競争だな……行くぞ、セツナ!」
「心得た!」
ヒイロとセツナは、改めて武器を構えて駆け出す。
「っしゃ! 続くぜ、お前ら!」
「おうよ!」
ダナンの号令に従い、応援NPC達も負けじと突撃を開始。
そんな、接近するヒイロ達に気付いた【常識の破壊者】のメンバー。顔を青褪めさせながら、驚愕の声を上げる。
「なっ!?」
「くそっ、こっちからは【七色】だと!?」
「おのれ……っ!! 誰でも構わん、クリスタルを守れぇっ!!」
HPゲージや装備をよくよく見ると、圧されていたのは【常識の破壊者】側の様である。
一方、【闇夜之翼】は【常識の破壊者】を攻め立てる手を止め、距離を取って目を細めた。何となく、アンニュイなムードが漂うのは気のせいか。
「こうも早く相見える事になるとは……」
「フッ……雨上がりの空に架かる虹の如く、触れられない遠い存在だと思っていたが……どうやら我等も、天に近付く事が出来たようだな」
何か、語り出した。それも何だか、妙に芝居掛かった口調と言い回しで。
「はい?」
「……えぇと……」
ヒイロ達は目を丸くし、完全に動きを止めてしまう。というか、近付きたくない……近付いてはいけない気がしてしまった。
すると【常識の破壊者】のメンバーが、忌々しげに声を荒げた。
「くそ……っ!! こんな厨二病どもに……っ!!」
どうやら、そういう事らしい。
「ちゅう」
「に」
「びょう……」
そんな【常識の破壊者】からの言葉を受けて……【闇夜之翼】の面々は、何やら「何を言っているんだ、君達は?」的な態度で肩を竦めた。
「フッ……これだから、世界の真理を理解出来ぬ輩は……」
「そう言ってはいけません、【シモン】殿」
「その通りです。低俗な呼称で真理の探究者を不躾にも一括りにするのは、彼等凡人の性なのですだから」
何だか「これだから何も知らない奴らは……」といった感じの、発言と態度。これには【常識の破壊者】達の視線も、一段と険しくなっていく。しかしながら、君達のギルド名も結構アレなのは忘れてはいけないよ?
そんな剣呑な雰囲気が漂い始め、貶された【常識の破壊者】のプレイヤー達が今すぐにでも切り掛かろうとして……。
「おやめ下さい」
その人物が、声を上げた。
彼女は【闇夜之翼】のメンバー達……その後方から歩み出て来た。ウェーブがかった長い銀色の髪に、透き通る様な青い瞳。そして可憐な顔立ちをした、見目麗しい美女だった。
「例え相手の言葉が不快に感じたとしても、私達が彼等を侮辱して良いという道理は無い……いいえ、どの様な理由があれ、相手を貶める様な言葉を使ってはならない。そうではありませんか?」
彼女がそう言って仲間達を諌めると、彼等は素直に口を噤んだ。
「クリスタルを巡り戦うとしても、それは憎しみや怒りに支配されたものであってはいけません。相手を尊重し、敬意を払わなければなりません。違いますか?」
「……フッ、流石は我等が敬愛する長。確かにその通りだな」
美女の言葉に、すんなりと納得したちゅうn……【闇夜之翼】の面々は、【常識の破壊者】に身体を真っ直ぐ向けて頭を下げた。
「失礼した、【常識の破壊者】の諸君」
「うむ、先の非礼を謝罪させて貰う」
何か言い回しが結構アレだが、誠意は感じた。
「え? アッハイ」
「なんかこっちこそ、すんません」
なので、もう何が何だかなぁという雰囲気で、【常識の破壊者】側もなんとなく頭を下げる。
ともあれ、一触即発の雰囲気は避けられたらしい。美女はヒイロとレンに視線を向けると、ふわりと柔らかな笑みを浮かべて微笑んだ。【闇夜之翼】の面々が、ほぅ……と溜め息を吐いた。よく見たら、一部の【常識の破壊者】のメンバーも見惚れている。
「お初にお目に掛かります、【七色の橋】の皆様。私は……」
あ、自己紹介ですね? オーケーです……と聞く体制に入る【七色の橋】チームだが、そこにある者が乱入した。彼女の、身内側から。
「フッ!! 刮目せよ!! この御方こそ、我等【闇夜之翼】を束ねる長!! この御方こそ、【断罪の聖女】の異名を冠する……」
何かやたらと身体を傾けて、顔を掌で半分隠しながら。誰もそれを止めようとする者は居ない……何だか恥ずかしい感じに紹介されている、ご本人以外は。
「……シモンさん、ちょっと宜しいですか?」
「……フッ、如何なされたのです?」
「いえ……ギルドマスターと名乗った方が、彼等への通りがよろしいでしょうし……ここは自分で自己紹介をしますので、待っていて下さいますか?」
美女がそう言うと、シモンとやらは恭しく一礼して一歩下がる。
無駄に洗練されたその挙動に、シオンが「……五十二点」と小声で呟いた。それ、やっぱり千点満点ですかね?
ともあれ、気を取り直した美女。先程よりも儚げな微笑みを浮かべて、ヒイロ達に声を掛けた。儚げになった理由は、推して知るべし。
「私は【闇夜之翼】のギルドマスターを務めております、【セシリア=ランバート】と申します……どうぞ、お見知り置きを」
これを言うだけの事なのに、何だか非常に疲れた……顔にそう書いてある気がする。ヒイロとレンは、その表情を見て心に決めた。労う代わりに、丁寧な応対をしなければ……と。
「……ご丁寧な挨拶、痛み入ります。【七色の橋】のギルドマスター、ヒイロです。どうぞ、宜しくお願いします」
「お初にお目に掛かります、セシリアさん。【七色の橋】のサブマスターを務めております、レンと申します。こちらは、私の使用人のシオンです。こちらこそ、どうぞお見知り置きを」
胸に手を当て、一礼するヒイロ。カーテシーをするレンに、メイドらしく丁寧なお辞儀をするシオン。それは誰が見ても、完璧な紳士と淑女の挙動と表情。相手に対して礼を尽くす、お手本の様な完成された挨拶である。
これには、セシリアも驚きの表情を見せ……そして、心からの笑みを浮かべた。
そんな空気を壊すのは、やはり彼女の身内であった。
「フッ、我等が【断罪の聖女】に匹敵し得るとは思っていたが……よもや、ここまでとは」
また、シモン氏が何か言い出した。更に、他のメンバーもそれに追従する。
「あぁ……見事な紳士淑女の礼だ。流石、【七色の橋】を率いる二人だな……使用人に至るまで、見事」
「正に、ノブレス・オブリージュ……あの立ち振る舞い、やはり彼等も選ばれし者だろう」
何か、変なレッテルを貼られる気がする……そう思ったヒイロは、そんな事よりGvG戦ろうぜ! と話を進めようと一歩前に出て……全く同じタイミングで、シモン氏も一歩踏み出した。
「フッ……我等の真実を見抜く眼は、貴殿の本心を見抜いていた!! 【七色の橋】を率いる者……いや、【鬼神将軍】ヒイロよ!!」
「……ッ!?」
何、その厨二病全開の名前!? もしかして、自分!? 自分の異名なの!? ヒイロはそう叫ぼうとして、グッと堪えた。レンの前で、そんな無様な慌て方は出来ない……!! と思ったのだ。
代わりに、【常識の破壊者】が声を上げた。
「辻厨二病じゃねーか!?」
祝わなくて良いよ。辻厨ニ病……新たな概念が、ここに誕生した瞬間である。祝ってはいけないよ。
さて、【常識の破壊者】は困惑しつつも、思ったままを口にしていた。
「お、おい……【七色】のヒイロ、顔が真っ赤になってないか?」
「いやぁ……だって、アレは仕方ないだろ……?」
「しかし、言われてみると……確かにヒイロもジンも、結構アレだよな……」
「やめろバカ! お前も黒歴史の一つや二つ、あるだろうが!?」
「こいつ、よく『うっ……また、あの感覚が……まさか、奴等か……?』とか言ってたぞ。まぁ、ただの眠気だったんだけど」
「テメェ、何でバラした!? なぁ、何でバラした!?」
何か一人、過去の黒歴史をバラされているヤツが居る。だが、本筋はそこではない。だから黒歴史をバラされた【クロイツ】君、本名【連岸 久路】君の事は、もう気にしてはいけない。いいね?
「セツナさん。絶対にご自分が【剣鬼】と呼ばれていた事を、口にしてはいけませんよ? ヒイロさんの為です」
「む? ふむ……よく解らぬが、主の伴侶たるそなたの言う事だ。委細承知した」
見て見て、内助の功が炸裂してるよ。流石はレン様だね。
それより、問題は【闇夜之翼】。彼等は何か、やたらとテンションを上げている。
「ククッ……己の腕に悪鬼の魂を封じ、使役しているのは存じている。まるで古の魔導書に秘された、勇敢なる戦士の物語の様だ!!」
その古の魔導書って、アレですかね。まだフルダイブVRが無かった時代の、テレビゲームの事ですかね? 鬼の武者とか、悪魔も泣くヤツとかの。
「【神雷女王】に【不動侍女】……一目見ただけで解る。彼女達は、やはり本物だ」
「しかし残念だな。あの【九尾忍者】……そして彼の最愛の花嫁、【破軍戦姫】もここには居ない様だ」
「【虐殺凶弾】と【天誅剣姫】が居ないのは、命拾いした可能性もあるがな……いや、別に恐れてる訳ではないぞ?」
自分達にまでそんな異名付けちゃったの? レンとシオンの目から、ハイライトが消えていく。
「初めて君達の勇姿を目にしてから、僕もずっと見守り応援していたよ……あの【聖剣勇者】アークとの戦いは、不覚にも魂が震えた」
アークにそんな異名付けて大丈夫? ヒイロ達のみならず、【常識の破壊者】の面々も戦慄を隠せない。
「フッ……俗世の住人達には知られていない様だが、我等の目は誤魔化せはしない……君達も、我等と同じ深淵に秘められし真理の識に触れた者だと!! そう、我々は同志!! そうだろう、【鬼神将軍】!! フッ……!!」
どうでも良いけど、このシモンって人「フッ」が多いな。ヒイロは現実逃避の為に、そんな事を思った。
「こうして間近で、その姿を拝見できる日が訪れるとはね。何という僥倖、生き恥を晒した甲斐があったというもの」
「待て、それはおとめ座のあの人の台詞だ」
あと人によっては、生き恥は今も晒している判定になるかもしれない。多分、晒している。晒し過ぎているかもしれません。
余りの(身内の)暴走に、脳細胞がパーキングギアかつサイドブレーキ状態に陥ったセシリア。しかしその虚ろな瞳に、ヒイロの表情が映った。
耐えている……!! 彼は必死に、この有り得ない辻厨ニ病に耐えている……っ!!
しかし、このままではヤバい。マジヤバい。だって、顔が真っ赤だし!! 早く何とかしてあげないと!!
「……お下がりなさい」
そう言って、セシリアはシモン達よりも前に歩み出る。
「お、長……!?」
「ここは戦場、そして私達は競い合う間柄です。やるべき事は、まだまだあります。私達も、彼等も……そして【常識の破壊者】の皆様も、時間を無為に浪費する訳には参りません」
要約すると、もうやめたげてよぉ! と言いたいらしい。何だかヒイロ達に向けられる視線に、巻き込んでごめんなさい的な感情が浮かんでいるようである。
「私の部下達が失礼しました、【七色】の皆様。彼等は貴方がたの名の如き、輝かしい活躍に深く魅了されてしまっただけなのです……えぇ、それだけなのです」
念、押しとく。ちょっと表現が詩的になってしまったけど。赦されるとは思っちゃいないけど、ちゃんとしとく。
「あ、はい……そうですか」
乾いた笑みを浮かべるヒイロに、セシリアの申し訳無さが炸裂しちゃう。もう、何かとにかく真剣に、ヒイロに向けて……そしてレンとシオンにも向けて、言葉を尽して謝罪する。
「ご容赦頂きたいとは、決して申しません。ですが貴方がたに悪意がある訳でも、貶めようというつもりがある訳でも無いのです。ちょっと性格というか、思考がアレなだけなんです……その事だけは、どうか信じて頂けませんでしょうか」
何だか、とても真摯に謝罪を重ねて来るセシリア。それだけで、ヒイロとレンは察する事ができた。
――あ、この人はそっち側じゃない人なんだ……。
「……何となく、解ります」
「はい。気にしていないとは言い切れませんが、気にしていない事にしておきますね」
「……本当に、寛大な方々なのですね。ご厚情、深く感謝申し上げます」
苦労しているんだな……それが解ったので、ヒイロとレンの眼差しはとても優しい。
その視線を向けられて、セシリアは理解者に出会えた事を喜び……そして我が身に降り注いだ不運を、嘆いた。
――私は何故、こんな事をしているのだろう……?
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セシリア=ランバート……本名【仲社 二乃】。高校一年生の、普通の少女だ。
彼女は別に、厨二病というわけではない普通の少女だ。
ただ単に、純文学とかが好きなだけの普通の少女なのだ。
そして休日には、近所の教会のボランティアとかをしているだけの普通の少女です。
ちょっと表現が詩的だったり、貴族令嬢っぽくなってしまうのはそういう事な、普通の少女である。
ちなみにアバター名に名前と名字が入っているのは、何となくそうしただけだった。特に意味は無く、そういうものだと思っていた普通の少女だった。
つまり、とってもとっても普通の少女であるはずだった。
そんな普通の少女である彼女は、ソロプレイヤーだった。それなりに実力はあり、順調にゲームを攻略して楽しんでいた。
そして、運命の日が訪れた。世界に潜む闇の声は、彼女を見逃す事は無かった。その宿命、そして試練の時は、彼女が望む望まざるに関わらず訪れた。
セシリアが、野良でエリアボス討伐に参加した日。その際、彼女はある人物に出会った……出会ってしまったのだ。
遥か古より世界を蝕む暗黒の歴史を紡ぐ難病を患った男・シモン……本名【米谷 藤之】に。
ちなみにシモンは、現在高校三年生……もう大病を患ってから五年も、深淵なる闇とか、世界を陰から支配する機関とか、家族からの冷たい視線とかと戦っている。あと、己の学力とも。
どうでもいい余談だが、彼は朝起きた時は必ず「また会おう、闇の住人達……」とか言っている。
セシリアの言葉と立ち振る舞いから、彼女が厨二病だとシモンは勘違い。即座に厨二病患者達と共に、セシリアに声を掛けた。
気が付けば彼女は”長”と持ち上げられ、トントン拍子にギルドマスターになっていた。
シモン達は言動がちょっとアレなだけで、本質的には善良な人間だとセシリアは感じた。感じてしまった。また温厚で誠実な彼女なので、頼られて無碍にするのも気が引けた。
そうして普通の少女である彼女は、厨二病ギルド【闇夜之翼】の長となった。そのついでに、【断罪の聖女】の異名も付けられた。仲間達にそう初めて呼ばれたその日、セシリアは羞恥心から顔が真っ赤になってしまった。セシリアは泣いていい。
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謎の混乱が沈静化したので、ヒイロはキリッと表情を引き締めた。
「セシリアさんの言う通り、今は戦う時……全力で、行かせて貰います」
そんなヒイロの言葉に、セシリアは眩しいものを見る様な表情を浮かべて……そして、彼女も表情を引き締めた。
「流石です、ヒイロさん」
そう言って、セシリアは自分の得物……黒い大きな鎌を掲げた。
「ですが、私達も負けるつもりはありません」
狙いはあくまで、【常識の破壊者】のギルドクリスタル。二人は同時に駆け出して、拠点の中心に建つ建物へと向かう。セツナ達や、【闇夜之翼】の面々も二人に続く。
「さ、させるか……!!」
武器を構える【常識の破壊者】のメンバーだが、明らかに腰が引けていた。
【七色の橋】はこれまでに、いくつものイベントで最高の成果を上げて来たトップギルド。そして【闇夜之翼】は、少なくとも【七色の橋】が来るまでの間に自分達を追い詰めて来た相手だ。
分が悪い……それは、誰もが感じていた。
「こ、こうなったら、クリスタルを持って逃げてやる!!」
そう言って、一人の斥候が建物の中へと入る。すると彼は、クリスタルを置いてある台座に駆け寄った。
もしもジンが居たら、詰んでいた。あの最速忍者に追われては、逃げ切る事は出来ないだろう。
しかし今、この場にジンは居ない。ヒイロ達ならば、撒けるかもしれない。そんな淡い期待があった。
その瞬間。
「【一閃】」
首元を通り抜ける、不快な感触。同時に、自分の身体から力が抜けていくのを実感していた。
「……なっ!?」
前のめりに倒れ始める自分を追い抜いて、黒い和装の人物の背中が視界に映る。素早い動きでギルドクリスタルに接近すると、彼はそれを手にして振り返った。
――あいつは……執事!? 一撃でやられた……っ!!
レンのPACとして知られる、黒髪の執事・ロータス。これまでのイベントでは表立った活躍は無く、レンの傍らに控えているだけの印象が強い。しかし彼も【七色の橋】創設時からの、初期メンバーの一人。そんな彼が、普通であるはずも無い。
彼はレンに与えられたスキル【隠密の心得】で隠密状態になり、建物内に潜入する隙を窺っていたのだ。
更に彼の持つ【暗殺者の心得】……このスキルは、人型の生物に対する特効効果を持っている。斥候が一撃でHPを散らしたのは、【刀剣の心得】の【斬首】と【奇襲】……そして同様の効果を持つ【ネックハント】と【サイレントキリング】により、【一閃】の威力が上昇していたお陰である。
ロータスはそのまま入口から出るのではなく、階段を駆け上がって行った。入口から出れば、【常識の破壊者】のメンバーに囲まれてしまうからだ。
加えてロータスは、この場でクリスタルを破壊するのは愚策だと判断した。ロータスのSTRでは、クリスタル破壊まで何度かの攻撃を重ねる必要がある。その間に、入口から斥候の仲間達がなだれ込んで来る可能性は高い。
「な……っ!! クリスタルが!!」
「【ホロウ】!! や、やられたのか!? 誰に!?」
案の定、【常識の破壊者】のメンバーが斥候を手伝おうと入って来た。だが、まだロータスの存在は気付かれていない。
ロータスは二階に駆け上がると、そのまま窓を開けてバルコニーに出る。
「【ハイジャンプ】」
地面を蹴る様に、柵の外へと跳び上がる執事。そして彼は、主に視線を向ける。
「ご苦労様です、ロータス」
彼の主は既に、魔法詠唱を完了していた。その手にした魔扇を翳したのを見て、ロータスはクリスタルを主の方へと放り投げる。
「【サンダーアロー】」
宙に投げられたクリスタルを、最高レベルのINTが込められた【サンダーアロー】で破壊したレン。砕け散ったクリスタルを見て、【常識の破壊者】の面々が絶望の表情を浮かべる。
「あの執事PAC……悔しいですね、全く気が付きませんでした」
敵対者から距離を取り、警戒しながらもそう口にするセシリア。そんな彼女の言葉に、シモン達が同調した。
「フッ……主の為ならば、身命を賭して任務を遂行する……深淵に秘められし真理の識に通ずるものがある。中々どうして、やるな」
「えぇ、見事な手腕でしたね……さしずめ【静殺執事】ですか」
同調と言ったな、アレは嘘だ。ズレていた。速攻で異名を考えやがった。
「ヒイロさん、ナイス演技です」
「最近、演技するのが多い気がするよ……よし、次に行こう」
レン達の所まで下がったヒイロは、このまま次のギルド拠点襲撃に向かう事を提案。レンとシオンもそれに頷いて、【七色の橋】は【常識の破壊者】の拠点から離れる事にした。
「奴ら、逃げる気か!?」
「くそ……そうはさせねぇ!!」
その様子を見ていたセシリアも、即座に判断を下す。ギルドクリスタルという最優先で守る対象が無くなった今、【常識の破壊者】はあらゆる手でこちらを倒そうとするだろう。
「……ここまでですね、退きましょう」
キリッとした顔で言うセシリアだが、その内心は……。
――もう、やだ。拠点かえりたい。
ストレスのせいか、ちょっと心が折れかけていた。
「無闇に戦っても、得るものは無い……か」
「フッ……道理だな、流石は長」
シモン達もセシリアの意向に従い、拠点に戻る事にしたらしい。だが、【常識の破壊者】がそれを許すかは別問題だ。
「逃がすかよぉ!!」
「こうなりゃヤケだ、ブッ潰してやらぁっ!!」
破れかぶれで襲い掛かる、【常識の破壊者】。しかしながら、数名のプレイヤーを倒す事に成功するも……追撃部隊は、軒並み全滅と相成ったのだった。