14-30 決別の時でした2
ジンとアンジェリカの戦いが加速していく一方で、【森羅万象】を相手取るエレナは容赦なくギルドメンバーを攻め立てていく。彼女が身に纏うのは、【森羅万象】のメンバーに共通する冒険者風の衣装ではなくなっている。
「っらぁ!!」
「はぁっ!! 危ない危ない……やはり中々やるわね、アーサー?」
銀と赤を基調とした鎧に身を包む、【森羅万象】の絶対的エース・アーサー。同じく【変身】を持つ彼だけが、今のエレナに対抗する手段を持っていた。
「まさか、彼女まで【変身】を手に入れていたとはな……!!」
苦々し気にそう言いながら、クロードは迫るスパイを迎撃する。
そう、エレナは【変身】状態で戦っていた。
エレナの【変身】装備はアーサーとも、ジンとも異なるものだ。羽根をイメージしたそのデザインは、アンジェリカの掲げるイメージに近いものがある。
実はこの装備は、アンジェリカの【変身】専用装備の候補だった品……その一つだ。その中から一つだけ、より良い物をアレク達と選んだのが≪セイクリッド・エンジェル・アーマー≫である。そして選考から漏れてしまった中で、高性能な品があった。エレナはそれを、アンジェリカに譲って貰えないかと頼んだのだ。
――この装備はアンジェの≪SAA≫に似ているし、運が良かった……いいえ、もう運命ね。
アンジェリカが【変身】を手に入れたのは、彼女にそれを貢いだプレイヤーが居たからだ。そして、エレナが【変身】のスキルオーブを手に入れたのは、第二回イベントのゴールドチケットを使って手に入れたからだった。
もしもアンジェリカに【変身】が貢がれなかった場合、エレナは躊躇なくアンジェリカにプレゼントするつもりでいた。
「く……っ!! 負けるかっ!!」
アーサーはエレナを相手取りながら、ここで彼女を倒すと気合いを入れ直す。しかし他のスパイ達の妨害もあり、APが既に半分程削られてしまっていた。
それは決して、スパイがアーサーを圧倒出来たのではない。彼等は【超加速】や【オーバードライブ】などの自己強化スキルを駆使し、一時的にアーサーの動きを阻害するのが関の山だった。
しかし、エレナにはそれで十分だった。動きを鈍らせたアーサーを、エレナが攻撃してAPを削っていったのだ。
現にスキルを使い切ったプレイヤー達は、【森羅万象】の面々によって倒されている。しかしAPのアドバンテージはエレナが得ており、互角の戦いではアーサーの【変身】が早く解けるだろう。
何故、二人が互角なのか? その理由は、アーサー達も予想出来なかったあるスキルの存在だった。
――【スピードスター】は、あなたの専売特許ではないわ……エースさん?
エレナが密かに入手していた、【スピードスター】。アーサーがそれを取得した後、エレナもクエストに挑んでいたのだ。今まで予備スキルスロットに隠していたそれは、アーサー達にとって予想外の切り札だ。
最もそれで剣術を学んだアーサーと互角に戦えるのは、エレナ自身の実力が生半可なものではないと察するに余りある。
実際、エレナの実力はアーサーやクロードに匹敵する。裏切ったとはいえ、彼女も【森羅万象】の幹部。その力は、決して偽りではない。
エレナは幹部として、ギルドメンバーの育成に深く関わっていた。スキル構成や装備についての情報を集め、アドバイスをしたりして信頼を得て来た。
しかしその影で、彼女は自分が相手と戦う時はどうするか? と何度もシミュレーションをして来たのだ。
この場で戦うのは予想外……しかし、準備が出来ていない訳ではなかった。用意周到な彼女は、正しく情報を駆使して【森羅万象】に牙を向いたのだ。
そんなエレナの猛攻によって、既に幹部の内の三名が大ダメージを受けていた。
エレナがその猛威を振るい始めると同時に、アーサーを倒させてなるものかとアイテル・シア・ナイルの三人が援護に回ったのだ。
そんな三人の戦術を知り尽くすエレナは、付き従うスパイ達をうまく動かした。
アイテルは【ホーミング】に頼りがちで、使用中は足が止まる癖が中々抜けない。
シアは近接に弱いと見せかけて、杖を使った戦い方を習得している……が、杖を封じられたらそれで無力化出来てしまう。
ナイルは≪メデリオルスの鎖≫に頼り切って、前方からの魔法攻撃には対応出来るが後方からの攻撃には警戒心が薄い。
それらの弱点を、これまでは仲間との連携でカバーしてきた。では、連携を封じられたらどうか? 克服できていない弱点が、致命的なダメージを生む事になる。
スパイによって分断され、大ダメージを受けた三人。彼女達を守る為に、強引に援護に入った面々もダメージを受けてしまっている。
「仲間に頼り切って、弱点を克服して来なかったツケが回って来たわよ! どんな気分かしら、お嬢さん達!」
そんなエレナの言葉に、アーサーは苛立ちを覚えた。
「それがアンタの本性かよっ!」
愛用の≪征伐者の長剣≫で斬り掛かるが、エレナはそれを避けて細剣を突き出す。アーサーは身を捩り、その細剣の刺突を回避する……が、エレナの突きはそれで終わりではなかった。
「あら、幻滅しちゃったかしら? でもごめんなさいね、女ってこういうものなのよっ!」
連続して繰り出される、鋭い刺突。それを回避しきれず、またアーサーのAPが削られる。
長剣よりも、細剣の方が取り回しが良いのはAWOでは広く知られている。ステータスや【スピードスター】の習熟度は、アーサーの方が上であっても、武器の差は無視できない要素となる。
更にアーサーの装備はAGIに特化した分を装備品で補っているが、エレナは逆にAGIを更に高める方向で装備を固めていた。これも、アーサー対策の一環である。
「あらあら、【閃光】のアーサーも大した事が無いわね。自分でも、そう思わない? 名前だけが独り歩きして、増長したお坊っちゃん?」
更にエレナは言葉という武器を駆使して、【森羅万象】の面々を煽り立てる。冷静でいようと心掛けるも、全員がそれを実行できる訳ではない。
そして彼等は自分への暴言よりも、仲間に対する暴言にこそ怒りをみせた。エレナも最初から、それを理解していた。
「っざけんな、この裏切りモンが!!」
「あんただけは、ぜってぇ許さねぇ!!」
親友であり、腐れ縁であるアーサー。それを貶すエレナを許すまいと、オリガとラグナが駆け出す。
「止まりなさい! 貴方達のAGIでは、彼女を捉えられない!」
シンラの静止も虚しく、二人はアーサーを庇おうと突撃。そこへ他のスパイ達が割り込み、奇襲を仕掛ける。
「オラオラァッ!!」
「無駄無駄ァッ!!」
頭に血が上って注意力が散漫になったオリガとラグナは、奇襲に対応し切れずにダメージを受けてしまう。この辺りは、高校生という若さによる部分も大きいのかもしれない。
「……チッ、こちらを知り尽くしている相手とは、ここまで厄介か……」
クロードは毒吐きながら、スパイ達を蹴散らしてアイテルを守る。彼女を回復しようにも、スパイ達の追撃がしつこくてそれもままならないのだ。
「お姉ちゃん、何か手はある……?」
シンラの護衛役として立ち回るハルの質問に、シンラは口惜しそうに自分の考えを口にする。
「……ギルド外のプレイヤーが、協力してくれるなら……エレナさんの予測を崩して、こちらのペースを取り戻せる可能性はある……」
一人でも、予想外の動きをするプレイヤーが居れば。シンラはそんな都合の良い存在が居るはずは無いと、考えを改めて他の方策を練ろうとし……。
「成程? それは、俺らみたいなのでも良いのかな?」
突然声を掛けられて、得体の知れない感覚に襲われた。振り返ると、そこには二人の男性が立っていた。
「あ、貴方は……スオウ=ミチバ……さん?」
「いつの間に……!?」
フードを目深に被り、口元には笑みを湛える青年。その横には、黒い鎧に身を包んだ亜麻色の髪の青年が立っていた。
「初めまして。俺はスオウの友人で、セス=ツジだ」
「俺達で良ければ、協力するよ?」
そう言うと、スオウは両手を持ち上げる。右手には、小太刀……そして左手には、リボルバータイプの銃が握られている。
セスは腰に差した鞘から、剣を抜いてみせる。二人が放つ雰囲気は、他のプレイヤーのそれとは大きく異なっていた。
――なに? 本気で殺し合いでもするつもり? なんて殺気……!
しかし、これならば。
「お願いします。謝礼については、後程」
即断即決するシンラに、セスとスオウは口元を笑みの形に歪めた。
「謝礼は結構、勝手にこっちが首を突っ込んだだけだからね」
そう言って、セスが駆け出した。その背後にピッタリくっつく様に走るスオウが、愉快そうに口を開く。
「その言い方、やっぱ王様に似てるよね」
「やめろ。行くぞ」
「へいへい」
戦場へと躍り出る二人の背を見守りつつ、シンラは首を傾げた。
――王様? って、誰?
……
アーサーと戦うエレナも、二人のプレイヤーの乱入には気付いている。しかし、彼女はそこまで重視していなかった。
――情報を売り買いするプレイヤーなんて、情報集めの為に時間を浪費している輩。その仲間なら、同類でしょう。
限られたプレイ時間の中でそれなりの情報を扱えるスオウは、情報屋としては優秀なのだろう。自分達を嵌めた事は癪に障るが、それは見抜けなかったこちら側……特に窓口となった、アレクの失態だ。
しかし情報収集には、何かと時間が掛かる。それを考えると、スオウのレベルやステータスはそこまで鍛えられていないと予想した。
そしてセスは見聞きした覚えのない、無名のプレイヤー。見てくれは騎士の様な装いだが、見掛け倒しの可能性が高いだろう。
しかしながら、それがエレナの誤算だった。
「よっ」
セスの背後から跳び上がり、オリガを攻め立てるスパイの頭上へ移動したスオウ。彼はスパイのその首を小太刀で突き刺し、次いで背後に着地する。そのままスパイに刺した小太刀に力を込めて体勢を崩させると、武技名を宣言する。
「【一閃】」
首を引き裂くような、強引な一振り。激しいライトエフェクトが発生し、それが収まったと同時にスパイのHPバーも消え去った。
「は……?」
スパイは何が起きたのか理解できず、呆然としている。スオウはその首根っこを掴み、別のスパイに向けて駆け出した。
「あ? お、おい……! 待て、俺もう戦闘不能で……!!」
戦闘不能になったプレイヤーを盾代わりにして、接近するスオウ。その表情は真顔であり、ただただ効率的な手段を選択した結果と言わんばかりの無心。
「来るな!! おい、こっち来んな!!」
「こ、この外道があぁぁっ!!」
戦闘不能のスパイを投げ付けるように押し付けて、スオウはスパイの一人の動きを強引に止める。そして勢いに負けてバランスを崩した所で、その眉間に小太刀の刃を突き立てた。
「外道、ねぇ? まぁお前らよりよっぽど、俺は外道かもね。それじゃ、サイナラ~」
悪びれもせずに、小太刀を更に突き立てるスオウ。これまでの飄々とした雰囲気は霧散し、凄みのある笑みを浮かべている。
同時にセスはスパイ達が集まっている場所に向けて突撃し、右手で長剣を振り上げる。
「んなバレバレで大振りな攻撃が……!!」
剣を一文字に構え、セスの剣を受け止める体勢を見せたスパイ。そこへセスが剣を振り下ろすが……それは、スパイの剣を避けた場所だった。
剣がぶつかり合うのを、避けたのか? スパイはそう考え……直後、自分に向けて迫る剣の煌めきを目の当たりにした。
「ちょ……直角っ!?」
驚愕すると同時に、腹を裂かれるスパイ。その一撃に込められた力は相当なものだったらしく、呆気無く彼のHPは消し飛んだ。
「バレバレ……か。なら、何合耐えられるか試してみるといい」
涼しい顔で、セスは更に剣を振るう。その剣筋は変幻自在で、尽くスパイ達の防御を擦り抜けてHPを奪う。
「こう見えて、剣には心得がある。お前達の様な若造には、遅れは取らないさ」
驚異的な戦いぶりを披露して尚、セスは静かにそう告げる。その視線は、まるで彼の剣閃そのものの様な鋭さだった。
「や、やべぇぞアイツら……!!」
「ビビんな!! 囲んで潰すぞ!!」
スオウに標的を定めて動き出そうとするスパイ達だが、その動揺こそが命取りだった。
「やれるのか? お前達に」
自分達に向けられた注意が途切れた瞬間、鋭く踏み込むクロード。その手に握りしめた≪エッジ・オブ・プレデター≫が、足を止めたスパイ達に襲い掛かる。
「し、しまっ……たっ……!!」
二人の闖入者の参戦に、衝撃を受けたスパイ達。その衝撃は決して軽くはなく、エレナの指示で纏まりつつあった足並みが乱れる。【森羅万象】のギルドマスターは、その好機を見逃さなかった。
「プランF!! からのC!!」
唐突に声を張り上げるシンラ。その暗号めいた指示らしき声に、スパイ達は警戒心を抱く。
しかし、エレナは知っている……これは、ブラフだ。
――これは、各々の判断に任せるという指示……その合図!!
それをスパイ達に伝えようと、エレナは息を吸い込む。しかし、そこに踏み込む剣士の姿があった。
「っらああぁぁ!!」
エレナに声を上げさせない、上げても掻き消してやる。そんな気合いを込めたアーサーの咆哮が、エレナに息を呑ませる。
武道において、呼吸とは非常に重要な要素。それを乱されると、動きも乱れる。それをよく知るアーサーは、エレナの冷静さを打ち崩そうと勝負に出た。
「【スラッシュ】!!」
相手の動きをよく知っているのは、エレナだけではない。彼女は技巧派だが、強引に流れを引き寄せる程の力は無い。だからこそ策略を巡らせ、話術を駆使して立ち回るのだ。
ステータス・装備・スキルが拮抗しているならば、流れを引き寄せた者が勝つ。
「【エイムスラッシュ】!!」
これで勝負を決めるとばかりに、【チェインアーツ】による連続攻撃を繰り出すアーサー。更に【デュアルスラッシュ】、【ラウンドスラッシュ】を繋げてエレナのAPを削っていく。
しかし、エレナは気を持ち直す。このまま攻撃を続けられれば、APが残りわずかになる……だが、アーサーの【チェインアーツ】の最高記録は八回。しかしその最高記録で叩き出せるダメージ値では、クリティカルヒットを考慮してもAPを削り切る事は出来まい。
――【チェインアーツ】のデメリットである、技後硬直……急いてそれを失念したわね、ボウヤ……!!
「【クインタプルスラッシュ】!!」
技後硬直中にアーサーを攻め立てれば、彼の【変身】を解除する事は容易だ。そして、計算上ではこちらは【変身】継続状態。それで、アーサーは落とせる。
更に繰り出した【ハードスラッシュ】で、七チェイン目。そして次が彼の最高記録であり、限界である八度目だ。
「【ソニックスラッシュ】!!」
クリティカルが発動し、激しいライトエフェクトが目を焼こうとする。しかし、エレナのAPはまだ一割が残されている。
――乗り切った……!! 私の勝ちよ、アーサー!!
勝利を確信し、いよいよ反撃だとエレナが身体に力を籠める。
だが、アーサーの攻撃はまだ終わっていなかった。
「【ブレイドダンス】!!」
「な……っ!?」
想定していなかった、九チェイン目。しかも、【長剣の心得】で最もダメージが見込める奥義。それを叩き込まれ、エレナのAPがみるみる内に減っていく。
そうして、エレナの【変身】が解除される。APを全て削り取られて、鎧は破壊されてしまったのだ。
「……このっ!!」
ステータス倍加の恩恵を失ったが、身体はようやく自由に動く。このまま攻め立ててアーサーのAPを全て削ぎ落せれば、まだ打つ手はある。
エレナは細剣を構え、技後硬直に入ったアーサーに向けて攻撃を繰り出そうとする。
「させない……!!」
アーサーとエレナの間に割り込んだのは、小柄な少女。彼女の持つ稀少なアイテムが、エレナの細剣を弾く。
「ナイル……ッ!?」
何故、彼女がこちらに来た? 分断していたスパイはどうしたのか? そんな疑問が頭に浮かぶが、その前に追撃が放たれる。
「【セイクリッドスフィア】!!」
シアの持つ≪聖女の杖≫から放たれた白い球体が、エレナに纏わりつく。それが触れる度に、エレナのHPが減少する。
「こ、の……っ!!」
その時、エレナの視界にアイテルの姿が入った。彼女は弓を構えており、矢を放った後なのだろうとすぐに察する事が出来た。
「【ホーミング】!!」
やはり、どさくさに紛れて矢を放った後だった。アイテルがスキル名を宣言すると、エレナは彼女の視線に意識を集中する。
アイテルは【ホーミング】を使う際、背後か頭上からの奇襲を狙うのだ。そして頭上を狙う時、彼女は標的の頭上に意識を向ける。今、エレナの頭上にチラリと視線を向けた。ならば、狙いは頭上だろう。
――さっき懇切丁寧に指摘してあげたのに、馬鹿な娘……!!
自分は全てを知り尽くしている、そう考えたエレナは笑みを浮かべる。この展開は想定外だったが、自分ならば対処可能だ。
エレナは本気で、そう信じていた。背後で、彼女の声が聞こえるまでは。
「【リヴェンジ】!!」
そのスキル発動宣言の直後、激しい衝撃が背中から襲って来た。その威力は強力無比で、エレナは踏み止まる事適わず顔面から地面に倒れ込んでしまう。
「ハ、ル……!? 何故……ッ!?」
シンラの護衛に専念していた彼女が、何故そこに居る? その疑問を解消したのは、【森羅万象】のギルドマスターだった。
「ハルは私の側に居たんだもの、こっそりと指示するのは簡単だったわ」
すぐ近くで聞こえた声に、顔を向けようとして……それは出来なかった。エレナのHPは、既にゼロになっていたのだ。
「あれだけの数の攻撃を、受けてくれたんだもの。さっきのハルの一撃は、あのお姫ちゃんも超えたんじゃないかしら」
土を踏み締める足音が近付き、シンラがエレナの視界に収まる。その姿を見て、エレナは目を見開いた。
「あの娘達のクセを指摘したのも、余裕のつもりだったのでしょうね。でも、悪手だわ……あの娘達は、ギルドを牽引する存在よ。それを逆手に取るくらい、やってのけるわ」
顔やローブは、土や煤で汚れている。その身体のあちこちに、ダメージエフェクトが刻まれている。頭上のHPゲージも、危険域まで減らされている。
にも拘らず、シンラは倒れるエレナの前に立って、堂々としている。見る限り、満身創痍だというのに。
「これで、ケジメは付けたわね。エレナさん……あなたをギルドから追放処分とします。あなたが、強制ログアウトした後でね」
そう言うと、シンラはシステム・ウィンドウを開く。不可視状態ではあるものの、そこにはギルドマスター専用の画面が表示されているのだろう。
「あなたはもう、重犯罪プレイヤー。イベントの仕様では、デスペナルティによるドロップが無い事になっているけど……本当に重犯罪者への措置も同様なのか、もうすぐ解るわ」
シンラは運営……シリウスの言葉の裏に隠された意図を、自分なりに考察していた。彼が口にした”温情”という言葉が、ずっと引っ掛かっていたのだ。
――ここまでの騒ぎを起こし、その内の一人が現実で暴力沙汰を起こしている……AWOの運営が、そんな相手にアカウント削除を躊躇うとは思えない。
シンラの予想は、重犯罪者のデスペナルティは健在である……というものだ。しかしイベントの仕様で、その場でドロップする形にはならないとも予測している。
恐らくスパイが強制ログアウトになると同時に、そのスパイが所有していた物は所属していたギルドに返還されるのではないか。
――スパイ達への本当のペナルティは、プレイヤーの手に委ねる。そういう意図なのかもしれないわね。
とはいえ、それが正解なのか不正解なのか……重要なのは、そこではない。自分達の手で、ケリを付けられる事が重要なのだ。少なくとも、シンラはそう考えた。
「……絶対にアンタ達を許さないわ」
エレナは最後まで、シンラ達に恨みがましい視線を向けてそう口にした。そんなエレナに、シンラはニッコリと微笑んで頷いてみせた。
「私もよ、エレナさん。地獄に落ちるといいわ」
最後の最後だ、もっと気の利いたセリフを言いたかった……とシンラは思うが、時既に遅し。
エレナの身体が光の粒子になり、消滅する。その姿が完全に消えると同時に、シンラの視界にメッセージウィンドウがポップアップした。
『ギルドに所属する重犯罪者プレイヤーが強制ログアウトとなりました。イベント仕様として、該当プレイヤーのドロップ品がギルド倉庫に格納されます』
あぁ、予想通りか。そう思いながら、シンラは体の力を抜く。
「はぁ……生産職に、この乱戦は、しんどいわ~……」
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エレナが強制ログアウトしたその頃、ルシアは【遥かなる旅路】に追い詰められていた。
「……くっ」
苦虫を噛み潰した様な顔で、ルシアは自分の周囲……スパイ達の様子を窺う。残ったスパイは十人程、そのHPも大分削られている。
――ここから、勝ちの目は無い……当たり前ね。
ルシアとて、勝てると確信していた訳ではない。心の中では、負ける可能性の方が高いと解っていた。
それでもギルドに抗ったのは、アンジェリカの為だ。
「お前達が、彼女に執着する理由は解らんが……もう、ここまでだ」
厳しい視線を向けるカイセンイクラドンだったが、ルシアは負けじと睨み返す。
ここで自分達が全滅すれば、カイセンイクラドン達はアンジェリカの方へと意識を向ける可能性が高い。ルシアは、それを阻止したかった。
遅いか早いかの違いでしかなくても、アンジェリカを庇いたかった。その理由はやはり、アンジェリカの一番となる事。その願望は、同性であるルシアも同じだった。
彼女もアンジェリカの唯一の座を欲し、その為にスパイ行為に手を染めたのだ。
「降参しろ、ルシア」
「そうだよ、まだ今なら……」
ロビンとゼノンがそう告げるが、ルシアはそれを一笑に付す。
「それ以上は言わないでくれる?」
そう言うと、ルシアは空になった矢筒を放り投げる。弓も捨て、残る武器は腰の後ろに差した短剣だけだ。それを鞘から抜き、ルシアは【遥かなる旅路】の面々を睨む。
そんなルシアに、タイチは哀しそうな視線を向ける。既に彼女のHPは危険域で、あと一発か二発で倒せてしまう状態だ。
それで尚、降参しない意思を示した。それだけ、アンジェリカ側に強い執着を抱いているのだろう。
――ルシアは俺達の事を、仲間とは思ってくれていなかったのかな……。
その事が辛くて、悲しくて、タイチの心が黒い感情に覆われ始める。騙されて、裏切られて来た事に、腹立たしさを覚える。
可愛さ余って……という言葉がある様に、ルシアへの憎しみがタイチの胸中に生まれ始めたのだ。
そんなタイチの変化に、トロロゴハンは気付いていた。伊達に彼等の姉貴分として、世話を焼いてきていない。
負の感情で誰かを傷付ければ、それは必ず何かしらの形で自分達に返ってくる。現在進行形で追い詰められている、【禁断の果実】の様に。
今のタイチに、ルシアを倒させるのは駄目だ。トロロゴハンはそう判断し、タイチを下がらせる方便を口にしようとして……。
「ちょっと、タイチ兄。犯罪者みたいな怖い顔するの、やめてよ」
エルリアに、先を越された。
「……エル、お前な……」
「いやだって、今めっちゃ悪人顔だよ。勘弁してよ、ウチは品行方正がモットーのギルドなんだから」
「いやお前、聞けよ……」
「やれやれ……【旅路】のエースとあろうものが、ダークサイドに落ちないでよね。あ、ベ〇ダー卿のマスクいる?」
「いるかぁっ!」
「え、いらないの? 悪人面を隠せるよ」
「お前、俺を何だと思ってるんだ!? 何だと思ってるんだ!?」
「おっと、大事な事だから二回。決まってんじゃん、ウチのエース様だよ」
「それが〇イダー卿で良いのか!?」
「うん、あかんやつ」
茶化すような言葉で、タイチを煽り始めるエルリア。しかし、そんなやり取りがタイチにとってガス抜きになっていた。
元より、タイチは前向きな青年だ。今回は最愛の女性の裏切りによって、負の感情に飲まれかけた。
だがエルリアが煽りに含めた言葉に、このままではいけないと気を強く持とうと意識し始めた。
――そうだ……俺は【遥かなる旅路】のメンバーで、幹部で、エースだ。しっかりしねぇと!
途端に表情が引き締まったのを見て、エルリアとトロロゴハンはもう大丈夫だと確信する。
いつものタイチならば、そう簡単に暗黒面には落ちたりしない。長い付き合いで、それを重々承知しているのだ。
――世話の焼ける兄貴分だこと、やれやれね。
――やるわね、エル。ふふっ、なんて優秀な弟子かしら。
冗談めかしたやり取りで、タイチを持ち直させた。そんなエルリアを見て、トロロゴハンは内心では誇らしげだ。
そしてその様子を見たルシアは、下唇を噛む。
――エルリア……!!
タイチをフォローする姿が、何故だか苛立たしい。そのポジションは、今までは自分の居場所だったのに……と。
そこでルシアは、ハッとした。自分が今、考えた事……それは、まるで自分のポジションにエルリアが居るのが我慢ならないというものだ。
タイチの隣に立つのは、自分。そんな考えが、ここへ来て顔を覗かせた。自分はタイチに対して、どんな感情を抱いていたのだろう……と。
その事に気付けば、これまでタイチと過ごしてきた記憶が蘇る。からかい合い、励まし合ってきた日々。彼の視線や態度を受け、自分が充実感を覚えていた事。
つまるところ、自分はタイチが好きだったのだ。
しかし、もう遅い。ルシアはギルドを裏切り、タイチを裏切り、追い詰められている。今、タイチにその想いを伝えても……罠だと思われるに違いない。
実際、戦う前にタイチを油断させて戦闘不能にしようとした。自分の為に死ねとまで言って。
――もう、どうしようもない……それなら、せめて……!!
タイチの記憶の中に、自分の事を焼き付けたい。自分への想いを、忘れさせたくない。自分以外の女に、好意を向けさせたくない。
子供じみたその独占欲で、ルシアはタイチへ向けて駆け出した。
「あっ……!?」
「ちょっ、待っ……!!」
唐突に、無謀な突撃を始めたルシア。そんな彼女の行動に、残ったスパイ達が慌て出す。
スパイ達からすれば、ルシアはアンジェリカに近付く為の手段。彼女がアンジェリカに近い存在だから、援護していたに過ぎない。彼女が倒されれば、自分達がここまで戦って来た意味が無に帰すのである。
そんなルシアの突撃を阻もうと、前に出る人物が居た。
「そぉれっ!」
ロッド型の杖を、メイスの様にして横薙ぎに振るう女性。その仕草は軽やかであるにも関わらず、力強さを感じさせる。
「チッ……邪魔しないで、オヴェール!!」
「いや、するでしょ。それは」
ルシアの言葉に、オヴェールは正論で返す。ついでに「何を言っているんだ、お前は?」とでも言わんばかりに、真顔である。彼女の言う通り、敵の行動を阻むのは確かに当たり前だ。当たり前過ぎる。
そんなルシアをフォローする為に、スパイ達も後から駆けて来ている。前衛職相手では、オヴェールも囲まれて落とされるだろう。
「【ウィンドボール】!!」
そう判断したトロロゴハンは、スパイ達を止める事を優先。発動の早い魔法攻撃で、足を止めさせる。
しかしそれでは、同時に十人程を止める事は出来ないだろう。とはいえ、心配などはしていない。
何故なら【遥かなる旅路】は、連携に定評のあるギルドなのだから。
「焦ったか? お前等、付いて来い! これで終わりにするぞ!」
剣と盾を手に、駆け出すカイセンイクラドン。その背中に、ギルドメンバー達が続く。
「っしゃあ、行くぜ!」
「覚悟しろよ、スパイ共っ!」
タイチもそれに続こうとしたのだが、エルリアがそれを阻止していた。
「エル、離せって……!!」
「だが断る」
タイチの行動を阻むのは、またもエルリアだった。タイチの腕をガッツリ抱き込み、行かせるものかと離さない。
――タイチ兄がルシアさんをやっちゃったら、絶対にこの人はそれを引き摺る。持ち直したとはいえ、それは駄目だ。
それにルシアの考えが、何となくエルリアには読めている……彼女は、タイチの手で果てたいのだろうと。
タイチと一番仲が良く、そして好意を抱いていた自分を倒させる。その最後に「本当は自分も好きだった」とか、そんな言葉を口にして戦闘不能になる。それはまるで、悲劇のヒロインの様に。
そうする事で、タイチの気持ちを自分に向けさせ続けようと考えたのだろう。
――そうはさせないよ、ルシアさん。スパイらしく、最後まで悪役のまま消えて貰う。
大切な仲間、そして兄貴分を縛り付けられてなるものか。裏切って尚、兄貴分を苦しめるなど許してなるものか。
だから、エルリアはタイチを行かせまいと止め続ける。
「助けに来たぜぇ!」
ルシアを守ろうと割って入るスパイ。だが、同時にカイセンイクラドンがオヴェールの援護に到着する。
「邪魔だっ!」
折角追い付いたスパイは、カイセンイクラドンの左腕の盾で殴られ体勢を崩された。HPは残っているが、それは致命的な隙だ。
「さぁ、狩りますかね!」
ランランがクロスボウの矢で、体勢を崩したスパイを狙撃。その一撃がトドメになり、スパイが戦闘不能になる。
更に、カイセンイクラドンと共に駆け出したゼノンとウィンフィールド。
「【スラッシュ】! からのっ、【デュアルスラッシュ】!」
【チェインアーツ】を駆使して、スパイを斬り伏せるゼノン。まだスパイのHPは残っているが、【チェインアーツ】を止めてしまう。あと二回はチェイン出来るのに、だ。
するとそこで、ウィンフィールドが攻撃を引き継ぐ。
「【スティングスラスト】!」
ゼノンが危険域にした敵を、ウィンフィールドの槍が貫いた。その攻撃で、スパイのHPがゼロになる。
「調子に乗るな! 【クイックステップ】!」
技後硬直に入ったウィンフィールドに、短剣使いのスパイが急接近。更に武技を発動しようとするが、彼は二人の狙いを見抜けていない。
「させるか……! 【エイムスラッシュ】!」
【チェインアーツ】を2チェインで切り上げた理由が、これだ。ウィンフィールドの攻撃と、相手のHPを考慮に入れて過剰な攻撃を控える。それにより技後硬直時間を最低限に抑え、仲間のフォローに入る。このチームワークこそ、スパイ達との決定的な違いだ。
「こっちは即席と違って、仲間なんだよ」
「そういうこと」
流れは完全に【遥かなる旅路】側が優勢で、スパイ達の抵抗は勢いを失っていく。そしてついに、ルシアに最後の一撃が放たれた。
「終わりだ、ルシア」
カイセンイクラドンの剣が、ルシアのアバターを捉えた。彼女のHPゲージのバーが、完全に黒く塗り潰されていく。
アバターを動かす権限が奪われていき、膝から崩れ落ちるルシア。最後にタイチに手を伸ばそうとするも、その力は残されていない。
「タイチ……」
一言で良いから、彼に気持ちを伝えようと口を開くルシア。しかしまだ生き残っているスパイ達と、ギルドメンバーの戦いの音に掻き消される。
「くそっ、≪ライフポーション≫を……!!」
「させるかよ!!」
短剣使いのロビンが、アイテムを取り出そうとするスパイに切り掛かる。
「畜生があぁぁっ!!」
「スパイの言っていい台詞じゃねぇっ!!」
破れかぶれの特攻を試みるスパイを、マックスの槍が貫く。
「タイチ……!!」
「最後まで油断するな! スパイを残らず殲滅しろ!!」
「「「おうっ!!」」」
ルシアの叫びに被せる様に、カイセンイクラドンの檄が飛ぶ。勿論、カイセンイクラドンはわざとそうしている。
ルシアがタイチを想っていた事など、カイセンイクラドンにはお見通しだった。それが演技とは、微塵も思っていなかった。
だからルシアが最後の最後まで追い詰められた時に、タイチに縋るのは予測範囲内だった。
――お前を救い上げられれば良かったが……もう、遅い。タイチは連れて行かせないぞ、ルシア。
そうしてギルドメンバー達の威勢のいい声に、ルシアの言葉は掻き消される。エルリアに押し留められるタイチは、ルシアに近付こうとしているようだが出来ずにいる。
「タイチ!! 私は……」
最後まで言い切る事が出来ず三十秒が経過し、ルシアは強制ログアウトさせられて消滅した。
「……ルシアさんの事、好きだったのは知ってる。でも、あの人はスパイ(あっち)側を選んだんだよ」
消滅したルシアを見送って、エルリアがそう告げる。その言葉に、タイチは何も返す事ができない。
「だから、タイチ兄にトドメを刺させる訳にはいかなかった。そんなの、悲し過ぎるからさ。それが、皆の気持ちだよ」
自分がルシアを好きな事は、知られていると解っていた。そんな自分に手を汚させまいと、仲間達が心を砕いてくれているのも理解している。
だからこそ、このままじゃいけないとタイチは歯を食いしばる。
「エル、決着を付けに行こう。こうなったら、徹底的にやってやる」
ヤケになったり、自分を見失っている様子は無い。そう判断したエルリアは、ようやくタイチを解放する。そして、冗談めかした笑みを向けてみせた。
「おけ、止まるんじゃねぇぞ」
「どこの隊長だ……止まらねぇよ!!」
次回投稿予定日
2022/4/10(本編)のはずでしたが、4/1が本作投稿開始から丁度二年なので予定を変更して
2022/4/1(本編)
と致します。
急な変更で申し訳ありません。