13-22 約束しました
警報! 警報!
過糖警報!!
イベントを間近に控えた、最後の土曜日。恒例のお迎えを終えた仁と姫乃は、私服姿で二人で街を歩いていた。どこからどう見ても、デートである。
「すっかり寒くなったね。大丈夫、ヒメ?」
「えへへ、仁さんとこうしているから暖かいです!」
冬なので、姫乃も防寒用のアウターを着込んでいる。なのでこうして腕をぎゅうと組まれても、その大きさと柔らかさで仁の理性を試そうとするアレの感触が薄れる。
――ざ、残念な気持ちがあるけど!! でも、うん!! 健全なお付き合いだし、これで良いんだ!
やっぱり仁も男の子、恋人の身体とあっては残念に思う気持ちもあるらしい。思春期男子なので、当然といえば当然。
そんな事を考えていると、姫乃が不意に仁の腕を更に抱き寄せる。
「……えいっ」
「!?」
抱き寄せられた仁の腕は、丘と丘の間に埋没する。その柔らかな感触に、仁の思考は乱れに乱れてしまった。
「……ひ、ひめ?」
戸惑い、頬を赤らめる仁。そんな最愛の存在に、姫乃は悪戯っぽい笑みを浮かべた。とはいえ、その頬は赤く染まっている。
「いえ、仁さんの視線を感じたので……気になるのかなって」
「キノセイジャナイカナー」
棒読みで反論する仁だが、姫乃は仁の顔を真っ直ぐに見つめて言葉を続けた。
「いえ……結構、仁さんの視線をここに感じますよ?」
感覚が鋭い姫乃は、気配とかそういうのにも敏感である。仁の視線が自分の胸元に向けられている事など、お見通しであった。
そんな確信めいた言葉で追及する姫乃に、仁は誤魔化せないと判断。バツが悪そうな表情で、素直に謝罪の言葉を口にする。
「……ごめん」
素直に認めた愛しの恋人に、姫乃はにっこりと微笑んだ。裏の無い笑みは、どことなく嬉しそうだ。
「いえ、私にちゃんと興味を持ってくれているって事ですし……」
それも当然の事で、姫乃とて仁が思春期の男子高校生である事は理解していた。その上で、彼は姫乃を意識している……つまり、自分をちゃんと見てくれているのだと感じているのである。
ちなみに現実・ゲーム問わず、彼は姫乃以外の女性には目移りしない。仲間や知り合いに意識を向ける事はあるが、胸元などを気にするのは姫乃のみである。
しかしバツの悪そうな仁が少し可愛く思えた姫乃は、悪戯心が湧いて出る。
「あと、最近は太腿にも……」
「マジで勘弁して下さい……」
今日はロングスカートなので、足は見えていない。しかしゲームの中では、新衣装≪戦衣・桜花爛漫≫を装備している。そのデザインは、胸元も太腿も今までより強調されたデザインなのだ。
そんな和服の裾から覗く、姫乃のスラリとした美しい脚。そこに仁の意識が向いているのは、しっかり把握されていた。
「やっぱり、あの衣装……気に入ってくれています?」
期待感を込めて問い掛けると、仁は視線を泳がせながらも素直に感想を口にする。
「……正直、嬉しいは嬉しい。でも、他の男には見られたくないってのも、ある……」
仁の言葉から窺えたのは、姫乃に対する独占欲。そんな言葉すら嬉しく感じてしまい、姫乃は仁を安心させる様に彼の肩に頬を寄せる。
「えへへ、大丈夫ですよ、テニスのアンダースコートみたいなものですから。安心して下さい、私は仁さん専用姫乃です♪」
「なに、その赤いザ○みたいな……」
三倍なのかな。何が三倍になるんだろう、愛情かな。え、これ以上?
そんな会話をしていると、姫乃はふとある事を思い付く。仁が太腿にも意識を向けているならば、太腿を生かした何かで喜ばせてあげたいと思ったのだ。そうなると、すぐに思い付くのは。
「……膝枕、とか」
「え!?」
ポツリと、呟く様な姫乃の言葉。しかしそれは勿論、仁に向けられた言葉だ。仁はその呟きをしっかりと拾い、姫乃に視線を向ける。
「……今度、します?」
少し照れながらも、笑顔を向けてくる姫乃の提案。その様子が非常に可愛らしくて、仁は思わず素直に頷いてしまった。
「お、お願いします……」
――ま、まぁ……うん、膝枕は別に……変な事じゃない、よね? OKだよね? セーフ?
健全なお付き合いから逸脱しないか、真剣に膝枕について検討する仁。全然セーフですが、何か?
そんな彼氏の胸中を知ってか知らずか、姫乃もある事を考えていた。
「お嫁さんによる旦那さんが喜ぶ事リスト……あと、何があったでしょうか……」
「そんなのリストアップしてたの? 内容が気になるんだけど」
姫乃の意味深な言葉の内容に、思わずツッコミを入れてしまう仁。その反応の速さは、流石の一言に尽きる。
しかしそんなツッコミをスルーして、姫乃は表情を綻ばせた。
「仁さんに喜んで貰おうと思って、色々と考えていました♪」
天使が過ぎる。しかしながらこの天使、男を駄目にする素質を持っていそうでもある。ダメ忍者製造機かな?
しかし、仁は誘惑に流されない自制心の持ち主。そうそうダメ忍者にはならない。
「側に居てくれるだけで幸せだよ?」
「……じゃあ、膝枕は?」
「……是非お願いします……」
ダメかもしれん。
姫乃の膝枕の誘惑に抗えなかった仁は、念の為に他にどんな案があるのかを確認したい所である。回りくどい聞き方はせずに、ストレートに問い掛ける事にした。
「他にどんなのがあるのか、気になるんだけど」
そんな彼氏の質問に、今度は姫乃が視線を泳がせながら返事をする。
「え、えぇとですね……て、手料理を……今、練習中なんですけど……その、現実でも、ゲームでも……」
星波姫乃、中学二年生。現在、母・聖の指導の下でお料理を絶賛勉強中である。同時に誰よりも早くログインする彼女は、カームに料理を教わっているのだ。
全ては、そう……愛する少年の為に。
そんな姫乃の言葉に、仁は目を輝かせる。恋人の手料理といえば、全男子憧れの概念と言って良いだろう。そして何より、あんまり恥ずかしくない。
「それも是非! あ、一緒に作るのもアリかも?」
一緒に料理とか、新婚っぽいんじゃないか? そんな仁の提案に、姫乃も笑みを零した。
「あ!! それ良いです!!」
しかし、姫乃は気付いた。気付いてしまった。
「あ……でもそれだと、帰ってきた仁さんにあの台詞が言えないですね……」
仁に料理を作ってあげたら、真っ先に言うと決めていた言葉。そう、新妻と言えばあの台詞。お約束のその台詞が言えない展開だ……と。
「……どの台詞? まさかアレ?」
「ご飯にしますか? お風呂にしますか? それとも……」
「お待ちなされ。お嫁様、それはお待ちなされ」
それ以上はダメよ? と仁が制止しようとすると、姫乃は可愛らしく頬に人差し指を当てて微笑む。
「コ・ン・ちゃん?」
「モフモフかわいいけど!!」
すかさずツッコミを入れる、AGI極振りさん。勿論、ゲームでもリアルでもAGIはツッコミに影響はない。
「えへへ、何が良かったんですか?」
「……ヒメのハグ」
正直、期待していたのは別のもの。しかし仁は気恥ずかしくて、ハグと告げてしまう。
だが仁が視線を逸らしているのに気付いた姫乃は、本音は別だろうなと感じ取っていた。直感Sくらいありそう。
「ふふっ……本音は?」
「……キス」
仁が素直に白状したので、姫乃は周囲から見られていないのを確認し……背伸びをして、仁の頬に唇をそっと触れさせる。一瞬ではあるが、ほっぺにちゅーである。
「え、えへへ……照れちゃいますね」
「……ですよねー」
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今日のデートは、スイーツバイキングのお店に行く……というものだった。
「ん-、結構食べたね」
「バイキングって、凄いんですね! いろんな物がありましたよ! ちょっと食べ過ぎちゃったかもしれません」
実際、バイキングだからと姫乃はかなりの量を口にしていた。これでちょっと? と思ってしまう仁だったが、決してそんな事は口にしない。
付き合い始めてから知った事ではあるが、姫乃は意外と食べる。そう、仁と同じくらい食べるのだ。
あの食事は、この身体のどこに消えているのだろう……と考えて、仁は視線を動かすのを堪えた。二の轍は踏まない、忍者的に。
ともあれ、嬉しそうにする姫乃。そんな恋人の笑顔に、仁も笑みを零す。
「喜んで貰えたみたいで、良かった。あのお店、クラスの人が教えてくれたんだ。デートには丁度良いんだって」
仁のクラスメイトが教えてくれた情報に、姫乃は感謝する。そしてもし顔を合わせる事があれば、ちゃんとお礼を言いたいと思った。
「へぇ……素敵なお店を教えて貰っちゃいましたね! その方のお名前は?」
「根津さん」
「根津さん!」
根津さん!? と思うかもしれない。しかし彼女は、あの頃の根津さんではない。
日野市高校の文化祭で、仁と姫乃の仲睦まじい姿を目の当たりにした根津さんなのだ。そして姫乃の天使っぷりを前にし浄化された、あの根津さんなのだ。
「寺野君も彼女さんも、幸せそう……喜んでくれたみたいで、良かった……」
だから決して、尾行なんてしていない。してないよ、多分。これ、本当に浄化されてるのかな。
ちなみにこの根津さん、本当にたまたま近くを通り掛かっただけだった。右手に下げたコンビニ袋が、全てを物語っている。
ちなみに、その中身はアイスである。冬場に炬燵に入りながらアイスを味わうという、贅沢な行為を楽しむ算段だった。
そして仁と姫乃は、この後どうするか……という点について考える。二人のデートは、割と行きあたりばったりが多い。
「ヒメはどこか、行きたいところはある?」
「仁さんとなら、何処でも嬉しいですけど……」
折角だから、仁の事をもっと知りたい。そんな考えに至った姫乃は、ある事を思い付く。
「あ、仁さんの中学ってお兄ちゃんと同じ学校ですよね? 行ってみても良いですか?」
恋人の通っていた中学は、どんな所だろうか。そんな純粋な興味から、姫乃は行き先を提案する。その提案に、仁は即答は出来なかったが……すぐに笑顔を浮かべ、頷いてみせた。
「……うん、良いよ」
そう答えた仁だが、その笑顔には微かに翳りがあった。
しかし腕を組んで嬉しそうな姫乃には、顔を見せないようにしていた。その為、姫乃はその事に気付く事が出来なかった。
……
仁の母校の校庭が、フェンス越しに見える場所。そこで、姫乃は自分の失敗に気が付いた。
校庭には、部活動をする生徒達の姿があった。野球部、サッカー部……そして、陸上部。
「うん……土曜日のお休みでも、皆頑張ってるなぁ」
そう呟く仁の横顔を見て、姫乃は申し訳無い気持ちでいっぱいになってしまう。仁の横顔から感じ取れたのは、哀愁だった。
哀しい思いをさせたかった訳ではない。しかし、仁の心の古傷に触れてしまった。
「……ごめんなさい、仁さん。辛い事を思い出させてしまいましたよね……」
申し訳なくて、姫乃は仁の肩に顔を埋めてしまう。そんな姫乃に、仁は優しく声を掛けた。
「ううん、大丈夫。一応、自分の中で踏ん切りはついているからね」
顔に出てしまっていた……それに気付いた仁は、姫乃を安心させたいとその髪を撫でる。
「それに……まだ終わっていないよ」
姫乃は未だ、顔を上げない。それでも構わないと、仁は言葉を続ける。
「VRでなら、まだ僕は走れる。きっと、誰よりも速く走ってみせる。それがたとえ、ゲームの中でも。ヒメと、そして皆と一緒なら……もっと、もっと速く走れると思うから」
それを教えてくれたのは、他でも無い姫乃だ。英雄経由ではあったものの、VRならば出来る事があるのだ。
だから、姫乃に向けられている視線は優しいものだった。
仁の言葉を受けて、姫乃はようやく顔を上げた。頬を伝う涙を拭う事無く、仁に微笑み掛ける。
「……じゃあ、私は仁さんが全力で走れる様に……お手伝いします」
姫乃は仁への想いを、より強く……より深くする。
仁が走り続けるのならば、自分は彼についていく。仁が走るのを邪魔するならば、全力でそれを阻止してみせる。誰が相手でも、仁を傷付けさせない。
一般的な中高生の恋愛観を越えたそれは、正しく夫婦間の愛情に等しい強い想いである。
そんな二人の頭上から、ポツリと雨水が落ちて来た。
「えっ……雨?」
「あれ……今日、ずっと晴れの予報だったはずですけど……」
予報から外れた雨に困惑する二人だが、雨が降り始めた事実に変わりはない。また一粒、更に一粒と雨が降り始める。
この様子だと、これから本格的に降り始める。そう判断した仁は、見慣れた道に視線を向ける。
「ここからなら、僕の家の方が近い。うちで雨宿りしていくと良いよ」
「はい……あっ、雨が本格的に……!! 仁さん、大丈夫ですか!?」
思いの外、雨脚が早い。もう傘が無ければ、びしょ濡れになってしまいそうな本降りである。
そして右足がうまく動かせない仁は、どうしても移動速度が上げられない。姫乃だけでも先に……と思うが、そう言って頷く彼女では無いだろう。
「大丈夫!! それより、ヒメ!! VRギアが濡れるから、これ!!」
仁は自分の上着を脱ぐと、それを姫乃の頭上から被せた。
姫乃が使用しているVRギアは、一応の防水加工はしてあるが試作品。故に、万が一という事もあり得る。もし雨で故障しようものならば、姫乃は疑似視覚を失い何も見る事が出来なくなってしまうのだ。
「あ……はい!! ありがとうございます!」
仁の上着をありがたく拝借し、姫乃は彼に寄り添って歩く。自分一人ならば、もう少し早く移動できる。しかし、仁を置いていくという選択肢がそもそも浮かばない。浮かんでも、選ばない。
更に勢いを増していく雨の中を、二人は黙って歩いて行った。
降り注ぐ雨の勢いは、増していく一方。二人は可能な限り、急いで移動……そうして、寺野家へとどうにか辿り着いた。
「着いたぁ……ヒメ、大丈夫?」
「はい……一応、大丈夫そうです。って、うわぁ……」
寺野家の扉を開けようとした所で、更に雨が勢いを増していく。豪雨と呼ぶにふさわしい降雨量に、二人は危ない所だったと溜息を吐く。
玄関の鍵を開け、寺野家へと入る仁と姫乃。
「ただいまー」
「お邪魔します」
「あれ、今日は二人共出掛けてるのかな……?」
玄関の鍵が掛かっていたし、両親の靴も無い。どうやら、外出中の様だ。
「とりあえず、ビショビショだし着替えを用意しようか。僕の服で申し訳ないけど……」
身体が冷えてしまったのか、姫乃は小刻みに震えている。男物で申し訳ないが、自分の服を貸そうと仁は濡れて脱ぎにくい靴を脱いだ。靴下まで、ずぶ濡れである。
「あ、はい……くしゅんっ!!」
身体が冷えたせいで、姫乃はくしゃみをしてしまう。完全に濡れ鼠で、見るからに寒そうだ。
「拭くだけじゃ、風邪ひきそうだね……身体を温めた方が良いか。すぐにお湯を沸かすから、それまではシャワーで……」
姫乃には、風呂に入って温まって貰おう。仁はそう考えたが、姫乃がその言葉に困惑する。
「あ、あの……仁さん?」
「遠慮しなくて大丈夫だよ? ヒメに風邪をひかせるなんて、英雄や大将さんに顔向けできないし」
「いえ、その……くしゅんっ!! あ、あのぅ……」
戸惑う姫乃に、仁は何かあったのかと考える。
――もしかしたら、身の危険を感じてる? そこは何とか信じて欲しい所なんだけど……。
恋人とはいえ、男の家。しかも家人は不在で、二人きり。もしかしたら、襲われるかもしれない……そんな風に思われているのか? などと、仁は見当違いな事を考えてしまう。
しかし、姫乃が言い淀んでいる理由は別にある。
「……私、自分の家のお風呂以外は……何が何処にあるのか解らないんです……」
「あ……っ!!」
VRギアのお陰で忘れがちだが、姫乃は全盲。そして入浴時は、VRギアを外さなければならない。VRゴーグルでも、同様。
星波家の風呂場ならば、姫乃の為に様々な工夫がなされている。手摺もあるし、点字シールも貼られているのだ。その為自宅ならば、頑張れば姫乃一人でも入浴は可能だ。
しかし寺野家はそういった対応はされていない、普通の風呂場である。ちなみに余談だが、寺野夫妻は足に障害を残す仁の為に手摺を付けようとしている最中である。
ともあれ、問題は姫乃。全盲の姫乃一人では、寺野家の風呂には入れない。しかし、このままでは確実に風邪をひいてしまう。
「だ、だから!!」
顔を真っ赤にしながら、姫乃は仁にお願いをする。何せ、現状取れる手段がそれしか無い。
「い、い、一緒に!! お風呂に、は……入って下さい……っ!!」
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「これは医療行為これは医療行為これは医療行為これは医療行為これは医療行為」
「……仁さん、それはちょっと怖いです」
寺野家の浴場、そこに一組のカップルが居た。
シャワーから出る温かいお湯に当たり、姫乃の表情には血の気が戻っている。
背中合わせでシャワーに当たる仁は、目を閉じて理性を保とうと必死であった。
それも無理のない事であり、中学二年生とは思えない肢体を隠すのは……バスタオル一枚なのである。
「バ、バスタオル巻いてますけど、やっぱり照れますね」
「うん、僕も……」
バスタオル着用なのは、仁の必死の懇願からだった。
いくら相思相愛だとはいっても、二人はまだ中高生。未成年。十八歳未満。
まかり間違っても、問題を起こすわけにはいかない。しかし姫乃の素肌を見てしまえば、自分の理性は決壊を起こすかもしれない。仁はそう考えた。
しかし、バスタオルとはバスタオル。言ってしまえば、ちょっと厚手の布。吸水性を持つ、ただの布なのである。そしてバスタオルを巻いていようと、濡れれば張り付く。そうなると、姫乃の身体のラインが浮き彫りになってしまうのだ。
故に、背中合わせである。
だが姫乃は、それでも嬉しいらしい。口元を緩ませて、背後の仁に声を掛ける。
「将来、現実でも結婚したら……こうして、一緒にお風呂に入れるでしょうか」
そう言う姫乃の声は、期待に満ちたものだった。仁はそれを感じ取り、今は素直に自分の気持ちを口にする。
「うん、ちゃんと僕達が大人になって……二人の力で生きていけるようになったら」
ハンデを持つ自分達が、そうなるまでに越えなければならないハードルは多いだろう。
それを理解していて尚、仁はそうなりたいと思っている。それは、姫乃も同様だ。
「二人三脚で、頑張りましょうね!」
「うん。僕もヒメと、ずっと一緒に歩んで行きたい」
姫乃と並んで歩いていく為なら、どんな障害も乗り越えてみせる。
幸いな事に仁は、陸上選手として培った根性がある。姫乃との未来を勝ち取る為なら、どんな困難な道だろうと望むところだ。
「こういうのも……婚約って言うんでしょうか?」
「そうだね。口約束って言われるかもしれないけど……僕は、これは婚約で良いと思う」
子供の口約束、そう思われるかもしれない。将来なんて解らない、そう言われるかもしれない。
しかし、二人は本気である。共に未来を歩む相手は、他に居ない。そしてこの愛する人とならば、一緒に歩いていける。仁も姫乃も、そう確信していた。
「人には言わない方が、良いでしょうか……」
「僕達だけが知っている、それでも良いんじゃないかな?」
「でもでも、お父さんとお母さんは、仁さんが義息子になるのが楽しみだーなんて言ってますよ?」
「……それ、ウチの両親もだよ」
もしかしたら、両家の親はその気満々なのではないか? そう思わざるを得ない。
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風呂に入る時に、服をそのまま乾燥機へかけた姫乃。恋人とはいえ、流石に下着等に触れられるのは恥ずかしかったらしい。仁に見られないように、操作方法だけ教えて貰って乾燥機にかけたのだった。
仁は風呂から上がり体を拭くと、すぐに姫乃の着替えを用意した。それを脱衣所に置き、姫乃を風呂場から脱衣所まで誘導して退室。
身体さえ拭けば、姫乃はVRギアを使用可能になるのだから。
姫乃が着替えている間、仁はリビングで窓の外を眺めていた。雨音は絶え間なく鳴り響き、庭先にちょっとした水溜りが面積を増していく。
「……まだ、かなり降ってるなぁ」
「これは……まだ外には出られそうにないですね……」
背後からかかる声に、仁は振り返る。そこに居たのは、仁のシャツを着た姫乃の姿があった。
「ヒ、ヒメ!? そ、その格好は……!?」
挙動不審になる仁の様子に、姫乃も恥ずかしそうにシャツの裾を伸ばす。
「えぇと、何とか下着は乾いたんですけど……セーターやスカートは、乾燥機に入れると縮んでしまいますし……」
「ズ、ズボンは!?」
「ウェストがぶかぶかで……」
ちなみに、姫乃の着ていたトップスだと下半身の下着が見えてしまう。しかし仁のシャツならば、幸い姫乃にとっては丈の短いワンピースの様になる。そこで完成したのが、この彼シャツ姫乃さんであった。
「そ、それだけだと寒いだろうし!! この毛布をかけておくと良いよ!!」
「は、はい! ありがとうございます!」
念の為に、部屋から持ってきて正解だった。仁は数分前の、己の判断を称賛する。
「雨、なかなか止まないね」
「……まるで、私達の境遇みたいですね」
姫乃の口から、ふとそんな言葉が漏れて出た。
そんな姫乃の呟きに、仁もAWOで起きている騒動を思い返す。
楽しい時間を遮って、外に出させまいとする様な大雨。いつ止むのか解らない、そんな天候。それが、不正騒動と重なる様な印象を受けてしまうのだ。
しかし、仁は悲観していなかった。
「雨は必ず止むよ」
姫乃の肩を抱き寄せて、仁は姫乃を安心させるかの様に頭を撫でる。
「雨上がりは、必ず来る。そうしたら……空にかかる虹が見れるよ」
クサい台詞だと自覚しつつ、仁はそう言ってみせた。
雨が上がった後、空に掛かる虹のアーチ。必ず、その時が訪れると信じているから。
そんな仁の言葉に、姫乃もようやく表情を緩めた。
「ふふっ……【七色の橋】ですね♪」
仁が一番好きな、ふにゃりとした笑顔だ。そんな笑み見せた姫乃に、仁も笑顔で頷いてみせる。
「うん、そうだよ。最もこの雨と違って、あっちは人の手で作られた偽物の雨だ」
「はい。だから止むのを待たなくても、良い……ですね」
「あぁ、僕達の手で……いや、皆の手で」
仁は姫乃の手を握り、優しく力を込める。姫乃もそれに応えるように、ぎゅっと仁の手を握り返す。
「終わらせよう、偽りの雨を」
「はい……必ず」
その為の準備は、最終段階に進んでいる。
第四回イベント……その日は、もう目前に迫っていた。
次回投稿予定日
2021/12/15 1:00(第十三章の登場人物)
2021/12/20(第十四章 本編)