12-19 幕間・あるマンションの前で
浦田霧人はその日、上機嫌で帰宅した。
理由は勿論、クラスメイトである拓真をスパイとして利用する事が出来る様になったから。
つまり目の上のたんこぶだった、【七色の橋】を貶める為の手段が確立できたのだ。これを朗報と言わずして、何と言う?
マンションのエントランスに入るその直前、背後から彼を呼ぶ声が耳に届いた。
「おかえり、霧人」
霧人はその声色から、自分を呼ぶ存在が何者なのか察した。他の何を犠牲にしてもいい、愛して止まない彼女の声だったからだ。
振り返ると、そこにはハットを被り黒縁の伊達眼鏡を付けた女性の姿があった。ゆったりとしたパーカーからでも、その均整のとれたプロポーションが解る。
「美紀!! 会いに来てくれたの!?」
見た目(だけ)はイケメンな霧人が、幼さを感じさせる笑顔を浮かべる。その表情はアレク達も、同級生達にも見せたことが無い。心からの、純粋な笑顔である。
そんな霧人に、美紀……話題沸騰中のアイドル・伊賀星美紀は、慈しむ様な笑顔を向けていた。
「今日はオフになったからね。近くに来てたし、可愛い霧人に会いに来ようかなって」
「もう、連絡くれれば良かったのに。それなら、迎えに行ったんだぞ」
まるで子犬の様だ、と思いながら、美紀は霧人の隣に並ぶ。
「叔父さんと叔母さんは? 今日も仕事?」
その質問に、霧人はムッとした表情になってしまう。どうやら彼は、彼女の前ではよそ行きの仮面を被ることはしないようだ。
「そ、仕事だよ。どーせ遅くまで帰ってきやしない」
「そっか、残念。でも、メインは霧人に会う事だからまぁ良いかな」
美紀がそう言うと、霧人はまた表情を変える。無論、ご機嫌麗しい方に。
「美紀、上がっていくだろ? 立ち話もなんだし」
「ありがと、そうだね。お邪魔しようかな」
微笑む美紀を見て、霧人は思った。親が居ない今なら、好都合だと。
霧人は言葉を口にする事無く、美紀の手を取った。マンションのオートドアを認証で開けると、美紀を引っ張る様にして入っていく。
「もう、可愛いんだから……ふふっ、慌てなくても逃げないよ?」
「解ってるけど……! あ、それに朗報があるんだ! やっと、【七色】の懐に潜り込んだんだぜ!」
興奮気味に、褒めてくれと言わんばかりにそう告げる霧人。そんな彼に、美紀は目を細めて頷いた。
「そうなの? 頑張ったんだね、霧人。それじゃあ頑張った霧人を、甘やかしてあげちゃうよ」
霧人が自宅の扉を開け、二人は連れ立って中に入る。すぐに玄関扉の鍵が掛けられ、霧人の母親が帰宅するまで開く事は無かった。
次回投稿予定日:2021/10/25(本編)