09-09 幕間・二人の気持ち
第二回イベントを目前に控えた、ある日。まだ日が高い時間の為、【七色の橋】のギルドホームに居るのはカノンだけだった。
ジンは病院へ向かい、足の定期検査。ヒイロ・レンと、ハヤテ・アイネのカップルはデート。そうなると、レンの保護者代理であるシオンはログインしない事になる。ミモリはアルバイトで、新人三人組はフィールドでレベル上げ中だ。
周りを気にせず鍛冶に没頭できるものの、カノンはどことなく物足りなさを感じる。すっかり、【七色の橋】皆で生産作業に勤しむ事に慣れてしまったらしい。
製作しているのは、刀だ。ジン達から鑑定させて貰い、手に入れたレシピを用いて刀の鍛造を重ねていく。
いずれ、仲間達の為に納得のいく刀を打ちたい……それが、目下のカノンの目標だった。
そんな中、一人の少女が工房へとやって来る。
「あ、カノンさん」
来訪者は長い銀色の髪と、赤いマフラーを揺らす少女……ヒメノだ。
「ヒメノさん……こ、こんにちは」
「はい、こんにちは!」
明るい表情で、挨拶を返すヒメノ。その姿が、カノンには眩しく思える。
全盲というハンデを背負いつつ、真っ直ぐな性格に育った少女。それが、カノンから見たヒメノという女の子である。
「め、珍しいね……? いつもは、もっと遅い時間に、ログインする……よね?」
カノンの言葉に、ヒメノは真剣な表情で頷いた。
「ちょっと、お願いというか……相談があるんです」
……
ヒメノの相談……それは、ジンの装備についてだった。
ジンの持つレアスキル【変身】は、専用の装備が必要になるスキル。しかしジンは、これまで【アンコクキュウビ】から手に入れた装備と、変装用の装備しか持ち合わせていなかった。故に、【変身】は実戦で使えるスキルではなかったのだ。
しかしながら、迫る第二回イベントはPvP。そのスキルがあると無いとでは、大きな差があるだろう。切り札は多ければ多い程良いし、【変身】というスキルにはそうするだけの価値がある。
そこで、ヒメノはジンの【変身】専用装備を用意出来ないかと考えたのだ。
ヒメノの話を聞いたカノンは、内心で溜め息を吐いた。
――敵わないなぁ……私は目の前の事、自分の事だけで手一杯なのに……。
ヒメノの、ジンに対する直向きな想い。その純粋な想いを前に、カノンは自己嫌悪に陥る。
共に鍛冶をして、初めての戦闘に挑戦したあの日。あれから、カノンの中でジンの存在は特別なものになっていた。
人との会話、協力、そして探索。それがとても楽しく、素晴らしいものなのだと教えてくれた存在。年下ながら、どことなく大人っぽい少年。ハンデに負ける事なく、純粋で真っ直ぐな性格。
そのどれもが魅力的で、惹かれてしまうのも無理はなかった。
しかし出会った時には既に、彼には恋人が居た。それが、目の前にいる少女だ。
二人は相思相愛で、誰が見てもお似合いのカップルだった。ジンとヒメノの間には、余人が入り込む隙など無い。そう断言出来るくらいに、理想的な二人。
自分の想いは心の奥底に閉じ込めて、カノンは二人と接して来た。この想いを悟られないように……二人との関係が、これからも続けられるようにと。
だから今も、笑顔を装ってヒメノに返事を返す。
「うん……大丈夫、だよ。ジン君は幸せ者、だね……ヒメノさんみたいな、素敵な……恋人が居て……」
自分は、二人を見守るだけで良い。それが自分の役回りなのだ。そう結論づけて、カノンは今日も仮面を被る。
だが、ヒメノにそれは通じなかった。
「……カノンさん、間違っていたらごめんなさい……あの、カノンさんは……ジンさんを、どう思っていますか?」
その質問に、カノンは心臓を鷲掴みにされた様な気がした。
「ど、どうって……? それは、その……」
どもってしまうのは、いつもの事だ。別に、この反応は不自然じゃないだろう。そう思って誤魔化そうとするカノンだったが……それでも、ヒメノは確信している様に言葉を口にする。
「……ジンさんの事が、好き……ですよね」
壊れてしまう……今の、この居心地の良い雰囲気が。【七色の橋】というギルドの、今の空気が。自分達の関係が、壊れてしまう。カノンは、そう確信した。
息苦しさを感じ、手が震える。心臓が早鐘を打ち、目からは涙が溢れそうになる。
そんなカノンの手を、ヒメノはそっと握る。
「私が、こんな事を言うのは酷いって思ったんですけど……カノンさん、笑っていても辛そうだったから……」
ヒメノの手から伝わる温もりが、カノンの心にじわりと染み渡る。不思議と心は落ち着きを取り戻し、ゴチャゴチャになっていた思考が纏まっていく。
「……私、笑えて……なかった……?」
「……楽しいとか、嬉しいとかが半分……もう半分は、哀しいとか、苦しいとか……そんな風に思えました」
ヒメノの言葉は、的を射ていた。
仲間達とゲームを満喫出来て、ジンと共にプレイ出来て楽しかった。反面、行き場の無い感情を押し込める事が苦しくて仕方がなかった。
「ふ、二人の仲を引き裂こうとか……そんなつもりはないの……」
恐る恐る……といった声で、カノンは初めてその心の内を吐露する。口火を切ったそれは、一度出たらもう止まらなかった。
「ヒメノさんから、ジン君を取ろうとか思ってないの! 今、こうして皆と居られるだけで充分なんだから! 誰一人欠けても、駄目なんだから! だから……だから……」
らしくない大きな声、捲し立てるような口調。彼女を知る者ならば誰にでも、カノンが平静でない事が解るだろう。
「ごめんなさい……!! ごめんなさい、ごめんなさい……!! ごめん……なさい……」
顔を伏せ、ひたすら謝罪の言葉を口にするカノン。その姿を見て、ヒメノは咄嗟の行動を起こす。それは、カノンを優しく抱き締めるというものだった。
「何も悪い事ないです、カノンさん。人を好きになるって、凄く大切な事だと思うんです」
優しく語り掛けるヒメノの言葉に、カノンは何も言い返せない。
「カノンさんがジンさんを好きになってくれた事、嬉しいんです。変かもしれないけれど……私の大切な人が、カノンさんみたいな素敵な人に、好きになって貰える人なんだって……おかしいですよね」
それは変だとも、変じゃないとも言えない。何故なら、カノンも同じ感覚を抱いていた。
自分が好きになった、ジンという少年。彼がヒメノという可愛らしい少女に、愛されている事。それが苦しくて、切ない。けれども何故か、微笑ましくて喜ばしい。
「だから、ジンさんを好きになった事……それが、悪い事だなんて思わないで欲しいです」
溢れ出る涙は、もう止まらない。嗚咽を漏らしながら、ヒメノの腕の中でカノンは泣く。
……
どれだけ時間が経っただろうか。ヒメノとカノンは、抱き締めあったまま立ち尽くす。
最初に沈黙を破ったのは、カノンだ。
「私、ジン君が好きだよ」
それは、決して明かすまいと自制していた本心。口にする事を禁じていた、彼女の初めての恋心。
「でもね、ヒメノさんの事も……好きだよ。二人が幸せになってくれたら、それで良いって……今なら、本心から言える」
「……私も、カノンさんが大好きです」
目を潤ませながら、微笑み合う。もう、仮面を被る事はない。その必要は無くなった。本心を打ち明けて、それを受け止めてくれた存在が居るから。
「……作ろう、ジン君の為の装備。私達なら、最高のモノが作れる……はず。絶対」
自信があるのか、無いのか解らない言い回し。しかし、カノンの眼には熱が籠もっている。だから、ヒメノも笑顔で返した。
「はいっ!!」
そして、二人が知恵を出し合って製作した【変身】専用装備。それが第二回イベントにおいて、ジンの窮地を救う事になるのだった。
次回投稿予定日:2021/2/1
カノンの想いと、ヒメノの想いを描いた回です。
二人にとっては、苦しくて切ないやり取りでした。
でも本音をぶつけ合った事で、二人の間に強い絆が生まれたと思います。