07-19 旅行に行きました その5
旅行最終日の朝、初音家のプライベートビーチ。天気にも恵まれた為、仁達はビーチで再び海を満喫する事にしていた。
全員がソファ型のウォーターフロートに乗って、海を揺蕩っていた。仁と姫乃の物には安全用のロープが括り付けられており、もしもの時はビーチでロープを引っ張れば救助出来るようにしてある。
「仁、足は何ともないか?」
仁の側に居た英雄が、彼の足を気に掛ける。それに対する仁の反応は、とても楽しそうな笑みだ。
「うん、大丈夫! これなら溺れる心配が無いから、助かるよ」
そんな二人の様子に微笑んでいるのは姫乃で、彼女のフロートにはサンシェードが付いていた。サンシェードの存在に加えて、今日は波も穏やかだ。その為、VRギアの防水対策も最低限で済んだのは僥倖だった。
「恋ちゃん、プールと海はやっぱり違うんだね~」
隣で浮いている恋に、姫乃は弾んだ声で呼び掛ける。
「海に入るのは初めてなのよね、姫ちゃんは……楽しい?」
「うん、すっごく♪」
その言葉が本心から来るものだと確信させる、姫乃の満面の笑顔。そんな笑顔に、恋も表情を綻ばせた。
初日、仁と姫乃は海に入る事が出来なかった。英雄達はそれを気にしていたのだが、二人は「自分達に遠慮しないで良いよ」と言いビーチに留まって居たのだ。
しかし、二人を気に掛けていたのは英雄達だけではなかった。初音家の使用人達が、その姿に胸を痛めていたのだ。
そこで、二日目の内に周辺のビーチグッズを取り扱う店舗を回りまくった。人海戦術で。
各店舗で仁と姫乃が溺れる心配が無い、大きめの浮き輪やビニール製のボート、救命胴衣っぽいモノ等を探して来た。これらは意外と、そこそこ値が張るアイテムだ。そして全員で楽しめるならば、今使用しているソファ型が良いだろう! と思い、人数分を取り揃えて来たのだ。
初音家の使用人にそこまでさせるくらいには、仁と姫乃は気に入られた模様。二人共……というより、今回の招待客全員が良い子なので。
ちなみに万が一の時に対応する為に、初音家の使用人の皆様が姿を隠して周囲に待機している。酸素ボンベを装備して交代制で海中待機する人、浜辺で身を潜めている人と様々だ。ある意味、仁よりも忍者っぽいかもしれない。
そんな事は露知らず、隼は空へと視線を向ける。
「昼過ぎには、もう帰るんスねー」
雲一つない青空だ、快晴である。
「ですねー、何かあっという間に時間が過ぎていった気がします」
隼の名残惜しそうな言葉に、音也も苦笑しつつ同意する。それだけ、楽しい旅行になったという事だろう。
「和美様と紀子様は、飛行機の時間がありますから……あまり、お時間を確保出来ず申し訳ございません」
申し訳なさそうに言う鳴子だが、和美と紀子は首を横に振る。
「こっちこそ、私達に気を遣って貰ってありがとうございます」
「その……ありがとう、ございます……」
和美と紀子は、飛行機で九州に帰らなければならない。それを考えるとゆっくり出来る時間は限られてしまうのだが、それに文句を言う者がいるはずも無かった。
とはいえ、そういった話題になると空気が重くなるのは致し方ない。そのままにしておけば、折角の旅行を最後まで楽しめなくなってしまうだろう。
そう思った愛が、努めて明るい様子で皆に声をかける。
「この旅行で、皆ともっと仲良くなれた気がします」
愛の意図を察して、千夜と優もそれに乗っかる事にした。
「だねー。それに、楽しい思い出がたくさん出来たし!」
「現実でも、ゲームでも……だね♪」
三人のそんな言葉に、誰もが笑みを浮かべて頷いた。彼女達の気遣いを感じたから……というのもあるが、その言葉そのものに対しても同感だったからだ。
彼等【七色の橋】は、小規模ギルド。他のギルドと比べると、メンバー同士が親密な点が特徴だ。今回の旅行は、メンバー同士の仲を深める良い機会となっただろう。
それに今回の旅行で得られたモノは、決して少なくなかった。招待してくれた初音家への感謝の念は尽きない。
……
弛緩した空気の中、音也が口を開く。その声は、幾分緊張気味だった。
「……あの、第二回のイベントなんですけど……」
その内容は、二日後に迫ったAWOの第二回イベントについてだ。
「応援出来る席とか、あるんでしょうか?」
彼の言葉に込められた意味合いは、誰もが正確に汲み取れた。
音也はVRギアのテスターを引き受けるか否かについて、家族に相談の上決めると口にしていた。そんな彼の心の天秤は、テスターを引き受ける方へと傾いているのだろう。
「決勝トーナメントに出場出来たら、一つのチームにつき十人分の応援席が用意されるそうだよ」
それに応えたのは、ギルドマスターであるヒイロこと英雄だ。
今回開催されるイベントは、ギルド単位での参加が想定されている。その中で出場枠から漏れたプレイヤーも楽しめるようにという、運営からの計らいだ。
「それ以外の人は、システムで自動的に席を割り振られるそうですね。一応、プレイヤー全員が座れる席は用意されているとか」
「へぇ……運営さん、本気だねぇ」
恋の補足説明に、千夜は関心した様な声を漏らす。彼女の言う通り、その対応だけを取っても運営のイベントに対する熱意を感じ取れる。
今回は特に、VRMMOの花形ともいえる決闘を前面に出したイベントだ。盛り上がる事は容易に想像できる。
「まずは決闘トーナメントに出場出来るように、予選で全力を尽くそう」
「だね、僕達の方針は無事に決まったし」
英雄と仁のやり取りに、第二回イベントに出場する事が決定した面々が頷く。
仁達の方針……それは結局”いつも通りに”となった。しかしながら、それには但し書きが付く。
決闘イベントとなれば、対戦相手の情報を探ろうとするプレイヤーは多いだろう。特に大規模ギルドは、諜報にも力を入れているはずだ。
第一回イベントで衆目に晒した手札は、既に知られているだろうから問題無い。問題は、イベントの後に手に入れたスキルや装備だ。
例えばヒイロの【千変万化】に≪武装一式≫、そしてヒメノの二門大砲≪桜吹雪≫。
ジンはジンで、≪カノンの手裏剣≫や量産型≪手裏剣≫もある。
更には第一回イベント後に加入した、ハヤテ・アイネ・ミモリ・カノンの実力も、恐らくは警戒されるだろう。特に対人戦で効果を発揮する、アイネの【百花繚乱】は秘匿したい。
その上、ジン達のユニークスキルはレベル10に到達している。つまりジンの武技【九尾の狐】同様の技が、ヒメノ・レン・シオンにもあるのだ。
それらの新スキル・新装備は、基本的に晒さない方向である。
つまりは足枷がある状態での戦闘になるが、そう悲観する事も無いだろう。第一回に参戦したメンバーは、既にメインスキルをレベル10まで上げているのだ。
ジンの【アサシンカウンター】とヒメノの【シューティングスター】は、ボスに対して絶大な効果を発揮する。それと同等の性能を誇る武技を、他のメンバーも得ているのだ。
「明日、最終調整かな」
英雄の言葉に、全員が頷いた。最終調整……それはエリアボスとの戦闘を意味する。その戦闘で、予選ボス戦のリハーサルを行うつもりだ。
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海から上がったジン達は、そのまま昼食に突入した。最終日の昼食は、ビーチに用意されたセットを使ってのバーベキューだ。
夏のアウトドアレジャーらしい、ビーチでのバーベキュー。肉や野菜を焼く音と匂いが、食欲をそそらせる。
そんなバーベキューだが、初音家の使用人の皆さんにも参加して貰う様にお願いした。今日まで三日間、大変お世話になった人達だ。最後は一緒に……というのが、恋と鳴子以外の総意だ。
そんな仁達の要望に、恋と鳴子を含む初音家の皆様は折れた。そして別荘に居る者総出で、バーベキューと相成ったのだった。
そんな【七色の橋】の面々と、初音家の皆さん。最後まで楽しむべく、バーベキューを大いに楽しむ。
「トウモロコシ焼けたわよー!」
「麻守様、こちらのお皿をどうぞ」
「姫ちゃん、優ちゃん。トウモロコシ食べる? 持って来ようか?」
「あ、うん! 食べる!」
「愛ちゃん、ありがとう!」
「失礼致します。次はこちらの鉄板で、焼きそばなど如何でしょうか?」
「おぉ、良いっスね!」
「あ、佐野峯さん! それならキムチ入れて良いですか!」
「千夜ちゃん、キムチ好きだねぇ……」
「仁君……座らなくて、大丈夫……かな?」
「あぁ、確かに。えぇと、座れそうな椅子は……」
「寺野様、こちらの椅子をどうぞ」
「あ、服部さん。ありがとうございます!」
「恋お嬢様、追加の具材をお持ちしました」
「ありがとうございます。塩寺さんも召し上がって下さいね?」
「河野さん、手をお借り出来ますか? 飲み物を追加でお持ちしましょう」
「了解です、土出さん」
楽しかった時間を惜しむ様に、仁達は一層明るく振る舞う。初音家の使用人の皆さんも加わり、全員で盛大なバーベキューを堪能するのだった。
……
いよいよ旅行も最後の段、車でそれぞれの最寄りの場所へと直接送って貰おう事になった。時間も大分押している為、今回はこうなったのだ。
別荘の使用人の皆さんに何度も感謝の言葉を伝え、それぞれが帰路に就く。
先に車で出立するのは、このまま空港へ直接向かう女子大生コンビだ。
「私達は、今夜はログイン出来ないかしら」
「出来ても……日付が変わるくらい、かな?」
「ログインボーナスだけでも、取っときたいわねぇ」
和美と紀子は飛行機で九州に帰り、そこから電車で最寄り駅まで帰らなければならない。関東に住む他のメンバーよりも、帰宅時間が遅くなるのはやむを得ないだろう。
次に出発するのは、新加入の三人と隼・愛だ。
「僕は、帰ったら早速両親に相談してみます」
キリッとした表情で、今夜にでもテスターの件を親に相談するらしい音也。千夜と優もそれに頷いており、このメンバーでゲームをする事に乗り気な模様だ。
「どうしましょう、私達もご説明に伺いますか?」
恋はこの件に関しては、依頼した自分に説明責任があると考えている。高額な新製品のテスターとなれば、親御さんもさぞ驚くだろう。念の為、既にファースト・インテリジェンスの担当者にも話はしてある。
しかし、音也はそれに苦笑して返事をした。
「まずは自分で話して、必要そうならお願いしようかと」
「成程、解りました。では、その時はご連絡を頂ければ」
RAINのアドレス交換は、初日の夜に済ませていた。その上、グループトークも出来るようになっているし、連絡がしにくいという事は無いだろう。
そして最後が仁と星波兄妹、そして恋と鳴子だ。恋と鳴子は、三人を送ってそのまま初音家に帰宅するらしい。奇しくも第一回イベントでパーティを組んでいた五人が、同乗する形となった。
「恋さん、本当に今回はありがとう。すごく楽しかったよ」
仁の感謝の言葉に、恋は穏やかな微笑みを浮かべて頷く。
「私も楽しかったんです。こんなに楽しかったのは、もしかしたら生まれて初めてかもしれません」
そう言って、視線を隣へ向ける。そこには、疲れからか夢の世界へと旅立ってしまった恋人の寝顔があった。その寝顔を見て、恋は愛おし気に微笑む。
「AWOで皆さんに出会えて、幸せでした」
そう呟く恋に、仁は苦笑する。
「過去形じゃないよ、恋さん。これからも、もっと……でしょ?」
仁に言われて、恋はハッとする。もしかしたら、旅行の終わりでセンチメンタルになっていたのかもしれない。
「……えぇ、そうですね。仁さんの言う通りです」
そう言い切った恋は、仁の肩に凭れ掛かる姫乃に視線を向ける。兄同様、彼女も車が走り出してすぐに眠ってしまったのだ。
「そう言えば私と英雄さんが結婚して、仁さんと姫ちゃんが結婚したら……私は仁さんの義姉になるんですね」
「何で今それに気付いちゃったの!?」
英雄と姫乃が寝ているので、将来の義弟……もとい、仁をからかい始める恋。そんな後部座席の様子に、助手席に座っていた鳴子は穏やかな微笑みを浮かべるのだった。
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旅行から帰還した仁達……なのだが、ここで一つ問題が勃発した。
まず、仁。自宅に帰る前に、仁は星波家へ立ち寄りお土産を渡す事にした。自分の家族だけではなく、恋人の家族にもお土産を用意するあたりマメである。
そんな星波家のご両親、姫乃からRAINで「もうすぐ家に着きます」とメッセージを送っていた。
折角だから招待してくれた恋に、直接お礼が言いたいと玄関先へ。そこでご両親が目にしたのは、仲睦まじそうにする英雄と恋の姿だった。
「えぇと、そちらが初音さん?」
「はい、初音さん家の恋ちゃんです」
姫乃の謎紹介を他所に、英雄と恋は固まってしまった。やましい事は何も無いのだが、心の準備が何も出来ていなかったのだ。
というのも英雄は彼女が出来た事については報告をしていたが、その恋人が今回の旅行に招待してくれた恋だという事を話すのを失念していたのだ。
結局、仁と恋……ついでに鳴子は、星波家にお邪魔する事に。初めての顔合わせが、突如発生したのだった。
「姫乃と仲良くしてくれてありがとう、恋ちゃん。いつも姫乃は、恋ちゃん達との事を嬉しそうに話してくれるのよ~」
「それに、英雄の事も……だな。もし君が良かったら、仁君の様に顔を出してくれると嬉しい」
結果、恋は星波パパママに気に入られる事に成功した。
「御迷惑でなければ、お言葉に甘えさせて頂きます」
一度は心の態勢が崩れかけたが、そこは社交界の華(と影で呼ばれている)初音恋お嬢様。気合いを入れ直し、恋人のご両親へのご挨拶をきっちりとやり遂げたのだった。
「しかし英雄……まさか、そんな大企業のご令嬢を射止めるとはな……父さん、負けた気分だぞ」
「いや、勝負してないだろうよ……というか、母さんを嫁に貰った時点で勝ち組だ」
「あぁ、それもそうだな」
「もう、うちの男連中ったら……あら? そうしたら仁君も勝ち組?」
「えぇ、勝ち組ですね。ヒメは可愛いですから」
「じ、仁さん……」
「成程、この親あっての子なのですね」
「鳴子さん、失礼な事を言わないで下さいね」
いつになく、和気藹々とする星波家のリビング。しかし、長々とお邪魔する訳にもいかないだろう。
「仁さん。良かったら、そのままご自宅まで乗って行きますか? その足では、お辛いでしょうし」
「あー、御言葉だけありがたく。朝、ウォーキングが出来ていなかったから」
足の筋肉が衰えない様に、少しは歩いた方が良いと医者に言われているのだ。家までだったら、丁度良い距離である。
恋と鳴子が乗り込んだ車を見送って、星波家の面々に挨拶をした仁は、自宅へ向けて歩き出した。
……
夕焼けが街を赤く染める中、仁は二日振りの我が家を目指してゆっくりと歩く。通学の際に歩く道という事もあり、旅先から帰って来たという感覚が胸の中に広がっていく。
初音家の別荘も居心地が良かったが、慣れ親しんだ街もまた居心地が良いものだ。そんな事を考えながら、家まであと五分程……という所だった。
「そこの君……」
背後から、男性に声を掛けられた。仁は歩みを止めて振り返ると……そこには、金髪にピアスをいくつもした強面の青年の姿があった。その目付きは鋭く、眉間に皺を寄せている。傍から見ると、仁を睨んでいる様にも見えるだろう。
仁は平然としている風を装うが、内心では「まさかカツアゲか?」と不安感が襲い掛かる。
すると青年は、仁に歩み寄り……右手で握る杖に視線を向ける。
「大丈夫? その杖、障害者用のでしょ」
それは思いの外、穏やかな声色だった。仁が青年をよく見ると、気遣わし気な視線を向けているのだと解る。
「あ、大丈夫です。ありがとうございます」
仁は不思議な程に、すんなりと青年が善意で声を掛けてくれたのだと確信した。
――見た目は不良っぽいんだけど、良い人だなぁ。
すると青年は、仁の持っているお土産の紙袋を見た。
「荷物を持とうか? そっちなら心配要らないでしょ」
財布の入っている鞄では無く、お土産の紙袋ならば安心だろう? と青年が言っているのに、仁はすぐに気付いた。
「いえ、申し訳ないですよ。家もすぐそこなので」
「そう? それじゃあ、気を付けてね」
ひらひらと手を振って、歩いていく青年。仁は感謝の言葉を、その背中に投げ掛けた。
「気に掛けて下さって、ありがとうございます!」
一度振り返った青年は、二ッと笑って歩き去って行く。人は見かけによらない……そう思いつつ、仁は再び歩き出した。
「おばあちゃん、大丈夫? 荷物持とうか?」
「あらぁ、悪いわねぇ」
青年は次に、腰の曲がった老婆に声を掛けていた。
――めっちゃ良い人じゃん……。
ちょっとほっこりした仁は、茜色に染まる街を再び歩き始めるのだった。




