死に化粧
夏のホラー2019応募作品
※途中残酷な描写があります。
気分を害される方は読むのをお控えいただくようお願いいたします。
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死に化粧
私の体験談をここで、お話ししたいと思います。私の名前は白石美香(仮)。都心から離れた小さな病院の、看護師をしていました。大学を卒業して早3年。仕事にも慣れてきて、余裕もでき始めていた頃でした。
「白石さん!急変!先生呼んで!」
「は、はい!!」
急変が起こったのは、昨日入院したばかりの女子大生だった。大学に入りたてで、これからが楽しい時だというのに。学校の帰宅途中、交通事故にあったのだそうだ。病院に運ばれてきた時は奇跡的に意識があったが、処置が終わった頃には昏睡状態だった。
「残念ですが・・・」
家族が駆け付けた時には、彼女はすでに息を引き取った後だった。
「そんな・・・。嘘ですよ。きっとまだ、寝ているだけです」
「力及ばず、申し訳ありません」
「嘘でしょ、ねえ、嘘って言ってよ!助けてください!先生!お願い!助けて!!!」
母親はあまりのショックで泣き崩れて、床にうずくまっている。私も先生と共に深くお辞儀をするしかなかった。その後しばらくして、母親は先輩に連れられて一時退室した。
その間に、私は死後の処置を任された。点滴や管などの医療品を全て取り除き、身体を拭いて服を着替える。そして少しでも表情がよく見えるように、最期のお化粧を行うのだ。処置をしていた私と後輩は彼女の顔にまいてある包帯を見て、しばらくどちらともそれをはがそうとはしなかった。
「先輩。やっぱり、した方がいいですよね」
「そうだね。せめて、新しい包帯に変えないと」
その子の顔の右半分には血や粘液で汚れた包帯が巻かれている。事故にあって一番ひどく損傷していたのが、この顔だった。電柱と車のボンネットに挟まれていたという。恐る恐る包帯に手をかけて、少しずつほどいていく。包帯の隙間から傷口が見えた時、私と後輩は思わず顔をそらしてしまった。
あまりも、ひどかった。
皮はめくれあがり、頬の筋肉もそぎ落とされている。下あごの方が割れて、その隙間から歯が見えていた。私はとっさにガーゼでその顔を隠すと、すぐさま包帯で顔を覆い始めた。後輩は気分を悪くしたのか、「すみません」と部屋の外に出て行ってしまった。包帯を巻き終えた私は、もう一度彼女の顔を確認した。傷はきれいに隠れて、左半分は、生きていた彼女の表情が見て取れる。なんとか終えた私は、あまりにも必死だったのか肩で息をしていた。
これで最期だ。
私は化粧道具の箱を開けて、ファンデーションを手に取った。だが、私の手はそこで止まった。もう一度、彼女の顔を見るのか、怖かった。先ほどの右半分の顔がフラッシュバックする。隠れているはずなのに、振り返るとそこにはまた、先ほどの顔があるような気がしているのだ。
それに、見ているんだ。彼女が。
そんなはずはないのに、背中に視線を感じていた。ここにいるのは、私だけ。私しか、ここにはいないのに、ひんやりとした汗が、背中を伝う。
「白石さん」
「――――っ!!!!」
心臓が跳ねるのが分かった。部屋の入口に、先輩が立っていた。
「は、はい」
「お母さんが会いたがってるんだけど、もう全部終わった?」
「・・・終わりました」
私は化粧道具の箱を閉じると、慌てて部屋の外に持って出た。入れ替わりに先輩と母親が部屋に入っていく。少し落ち着いた様子の母親は涙を流していたが、先ほどのように取り乱しはしなかった。
「すみませんでした、先輩。もうお化粧終わりましたか」
「・・・うん」
顔色の悪い後輩を背に、私はそのまま箱を片づけた。
「あの子、悔しかったでしょうね」
仕事が終わって更衣室に向かう途中、先輩がこんなことを言い出した。正直私は、もう彼女の話はしたくなかったが、小さく、先輩に聞こえるくらいの声を振り絞って返事をする。
「そうですね・・・」
「まだまだこれからだって時にね。お母さんもお気の毒よね。昔からずっとなりたがっていた職業になれるって、大学生活をとっても楽しみにしていたそうよ」
「そう、なんですね」
「確か、メイクアップアーティストになりたいって。お化粧、大好きだったんですって」
「お化粧・・・」
「女の子だもんね。だからきっと、あの事故は・・・」
先輩はそこまで言って黙ってしまった。その続きは言われなくても分かった。
あの顔。
きっと、学校に通えなくなったことよりも、ずっとずっと、自分の顔が見れないほどにぐちゃぐちゃになってしまったことが、悔しかったんだろうな。
私達はそれからあまり会話をせずに、更衣室で別れた。一人になった途端、彼女の顔が脳裏に浮かんだ。私、せめてもの最期のお化粧を、やらずに、送ってしまった。どうしよう。急に罪悪感が沸き上がる。けれど、もう彼女は家族の元へ帰ってしまったんだ。どうしようもできないんだ。そう自分に言い聞かせながら、ポケットから仕事道具を取り出した。
カラカラカラ・・・
ポケットから何かが零れ落ちた。ゆっくりと足元を見下ろす。そこには、見慣れた小さなコンパクトがあった。私はゾっとした。
死に化粧用のファンデーションだ。
あの時、先輩に声をかけられて、慌ててポケットに入れてしまったんだ。
「どうしよう」
ただ単に間違えて持って帰ってしまっただけ。
なのに、私にはこれが、“誰か”にそうさせられたんじゃないかと思ってしまった。
そんなはずはない。私は気を紛らわすように服を急いで着替えると、そのファンデーションをロッカーの中に置いた。明日持って行って、こっそり返せばいい。たったそれだけのことだ。私はロッカーに鍵をかけて、早々家に帰った。
翌日。昨日の事があって家でもあまりくつろげなかったが、ひと眠りすると少し気が和らいだ。鍵を開けてロッカーの扉に手をかける。ここを開くと、一番に目に飛び込んでくるのは、あのファンデーション。あれを見ると、きっと昨日のことが頭に浮かんでしまう。でも、返せば終わる。これで終わるんだ。
「ない・・・」
そんなことが、あるだろうか。確かに昨日、ここにおいていたはずなのに。中にあるものを全部引っ張り出して確認したが、その中にファンデーションはなかった。どうして?置いていたつもりだったのに間違えて持って帰っていたのだろうか?鞄の中を探ってみても見当たらない。頭の中では様々な思考が浮かんでは消えていく。
もしかして、亡くなった彼女が―――
そ、そんなはずはない!そんなこと、起こるはずなんてない!!
きっと、昨日来ていた白衣と一緒に、そのままクリーニングに出してしまったんだ。そうに違いない。自分に言い聞かせながら、私は急いで着替えを済ませて病棟へ向かった。病棟ではファンデーションの一つが無くなったことなど誰も知らないようで、いつも通りの業務が行われていた。見慣れた顔ぶれに、少しだけほっとした。
そして、何も起こることなく平和に1日が終わった。ほら、ただ偶然が重なっただけだ。それから3日間何もなく日常が過ぎて行ったので、私は少しずつ、そのことを忘れようとしていた。
そんな日の事だった。
「すみません」
私がナースステーションに戻ると、そこに一人の女の人が訪れた。あたりをキョロキョロして、誰かを探しているようだ。お見舞いに来た人だろうか。先輩が彼女の対応をしている。
「はい、どうされました」
「落とし物をしたんですけど、届いてないですか」
彼女が言うに、ポケットに入れていた口紅を落としてしまったらしい。ナースステーションにいる他の人にも聞いたが、届いているものはないとのことだ。
「もしかしたら、間違えてあの中に入れちゃったとか」
先輩がそう言って、あの箱をちらりと見た。そんな、まさかだ。口紅を拾ったからと言って、わざわざ死に化粧用の箱に入れるだろうか。私は立ち止まったまま箱を見つめていると、先輩の声がした。
「ねえ白石さん。ちょっと確認してみて」
その瞬間、あのファンデーションと、彼女の顔がハッキリと脳裏に映し出された。嫌だ。触りたくない。適当に言い訳をつけて断ろう。そう思い先輩の顔を見る。
すると先輩は、私を、じっと見つめていた。なんだかその視線が怖くて目をそらすと、そこにいた全員が自分を見ているような気がした。
私はその視線から逃げるように背を向けると、目の前には箱があった。
開けなければ。私が、開けなければ。
高鳴る鼓動を抑えつつ、ゆっくりと箱を手にとった。
意を決し、蓋を、あける。
そこには古びた化粧道具が入っていて、3日前と代わり映えなかった。
はあ、と息を吐く。よかった。私は今までの事があって、もし箱を開けて中から彼女が見てきていたらどうしよう、とか、あのファンデーションが勝手に戻ってきていたらどうしよう、とか、おかしなことばかり考えてしまった。何も起こらないじゃないか。ホラー映画の見すぎだ。私は箱を閉じて元あった場所へと戻そうとした。すると、何かが引っかかってうまく入らない。
「何?」
箱があった場所に何か光るものがあるように見えた。私はそこを覗き込む。
口紅だ!
結構使い古している。この中から落ちたものだろうか。けれど、この状況で口紅だけ外に落ちているなんて偶然・・・。一応確認だけと思い、その口紅を持って先輩のところへ戻った。
「先輩、これ違いますか?・・・え?」
そこに、先輩はいなかった。そして、一緒にいた子もいない。ナースステーションを見渡す。誰も我関せず仕事を進めている。どうして。もし他に探しに行くとしても、私が中を確認する間くらい待っていてもいいはずなのに。私は先輩が戻ってきたら確認しようと思ったが、なんだかこの口紅を持っておくことが嫌だった。また、あの時みたいに持って帰ってしまったら。机の上にでも置いておこうと振り返った時、目の前に後輩が立っていた。
「ひっ」
私は肩を震わせて驚いた。そして、すぐ我に返る。なんだ、ただの後輩じゃないか。だが、様子がおかしかった。血色が悪い。視線もはっきりと合わない。
「どうしたの?」
声をかけると、後輩は何も言わず、視線から消えた。彼女は足元に、倒れていた。
「ちょ、ちょっと!」
ナースステーションにいた全員が駆け付けて、後輩を簡易ベッドへ寝かせた。回診中の先生もかけつけて診察していたが、ただの貧血だという。
「今日朝食抜いてきちゃって」
そんなことを言いながら苦笑いをする後輩を見て安堵しながらも、私の心臓はまだ大きな音を立てて脈打っていた。
その時、また誰かに見られているような気がしたが、振り返りは、しなかった。
「先輩、今日はありがとうございました」
勤務が終わって更衣室へ向かう。あの後後輩は早めの食事をとると、まるで何もなかったかのように元気になっていた。
「大丈夫?早退してもよかったのに」
「平気です。今までも朝食食べずに外に出ると、倒れちゃうこととかあったんです。でも、今日は寝坊しちゃって」
寝坊ね。今まで誰よりも早く来て情報を取っていたのに、珍しい。疲れがたまっていたんだろうか。
「今日は早く寝ないとね」
「ええ、まあ・・・」
軽い相槌を返すように返事をしたつもりだったが、後輩はなんだかくぐもった声を出した。
「どうかした?」
「あの、先輩。私、なんか最近寝れなくって」
「悩み事でもあるの?それともストレス?」
「いや、特に思い当たるところはないんですけど。なんか―――
見られている気がして」
そういわれた時、私は息が止まりそうになった。
そうだ、あの時あの場所で、あの顔を見たのは―――私と、後輩の二人だ。
「き、気のせいよ」
「そうですよね。考えすぎですよね」
そういう後輩の顔は、また青白く見えた。
「明日は休みなんで、気分転換でもします。ありがとうございました」
「お疲れ様・・・」
だるそうに歩く後輩の背中を見送る。その時、無意識にポケットへ右手が伸びた。硬いものが指に触れた。中から取り出して、確認する。
――――くちべに だ。
その時、私は「返さないと」と思ってしまった。そして、一人慌てて病棟へと戻って行った。ナースステーションには誰もおらず、ナースコールだけが鳴り響いている。私は箱に近づくと、ちょっとだけ蓋を開けて、その隙間に口紅を押し込んだ。これでいい。ちゃんと返したから、もう私には関係ないんだ。
願うような気持で箱をしまい、逃げるように出て行こうとした時だった。また、背中に、視線を感じた。見たくはなかった。なのに、目の前にあった扉に反射して、その姿を見てしまった。
そこには、亡くなった彼女の姿があった。右半分は私に重なって見えない。嫌だ、見たくない。見たくないのに。私の目は見開かれたまま、扉越しの彼女を見つめていた。少しずつ、近づいて来る。
嫌だ、来ないで。見たくない。見たくない!!!
私は勢いよく振り向いていた。そこには――――誰も、いなかった。
ただ、箱が、置いてあった。
「死に化粧用の、箱」
私はそっと近づくと、膝をついて箱に手をかけた。そして、恐る恐る蓋を開ける。
そこには、あったのだ。
私の、化粧道具が。
震える手で、私はファンデーションに手を伸ばしていた。いつものお化粧をするように。けれど、違うのだ。この箱に入っているものは。確かにこれは――――死に化粧なんだ。
そこからの記憶は、あいまいだった。気が付いた時には、病院のベッドに寝かされていた。ぼんやりと天井が見えるが、視点が合わない。ゆっくりと自分の右手を持ち上げて、頬に触れた。そこには、包帯が巻かれていた。
どうして―――私の指は自然と、その包帯を、ほどいていた。
そこには。
焼けただれた皮膚。唇は晴れ上がり、まるで口紅を塗ったように真っ赤な血が滲んでいた。
後から聞いた話だと、あの時私は、処置道具に入っていた即効性の高い薬剤を、何度も何度も、顔半分に塗りたくっていたという。次第に皮膚にしみ込んだ薬剤は私の細胞を壊し、中から焼けるように肉が溶け出していたとのことだった。
それからすぐ、私は看護師をやめました。こんな顔になってしまった今、人の視線が怖く、ただただ怯えて過ごしています。風の噂で、私と一緒に処置をしていた後輩も、看護師をやめたそうです。今は遠くに引っ越してしまい、連絡はとれていません。
日本では最期のお見送りのために、沢山の方が故人のお顔を拝見しに来られます。少しでも生きていた時のような安らかな表情を、また、亡くなる前の苦しみの表情が少しでも癒えるように。そんな思いを込めて、死に化粧は存在しているのです。
初投稿。企画挑戦作品。