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妄想平和・妄想性善説に毒された無防備・丸腰・無策の日本社会とは? 最近の猟奇事件について惟う。増補版 2019.7、21

作者: 舜風人

今現在の日本社会を睥睨してみると

私はもはや完全に日本的な「平和妄想」が完全に崩壊していると、、、思うのです。

社会の病根はそうとう根深いと私は思います。


凶悪犯罪は毎日のように新聞紙上を騒がしていますし、

中年ひきこもりの根深い問題もありますし、


少年犯罪

いじめ

パワハラ

セクハラ

ストーカー事件

意味不明の大量殺人事件

少女監禁事件

首つり士事件

レイプ魔

猟奇犯罪

親子の殺し合い

幼児虐待

老人虐待

異文化の流入

移民社会

地縁の崩壊

血縁の崩壊


そういう話題に事欠きませんよね。


しばらく前には


中高年のひきこもり?がかかわった無差別大量殺傷事件が先日も世間を騒がせていましたね。



30代以上の中高年ひきこもりは70万人ともいわれています。


不登校やニート青少年の引きこもりは以前から知られていますが



中高年ひきこもりには二つのケースがあるようです。



ひとつは


少年時の不登校が解決されずにずっとひきこもったままで無職でニートで


30代、40代になってしまった少年時のひきこもりが解決できなかったケースと、



もう一つは就職や進学が契機でそれまではひきこもりではなかった人が


新たに20代以降に就職先での挫折や、進学先での不適応で


ひきこもるという


二つのケースがあるようですね。




こう見てくると誰でも


いつでもひきこもりになりうるという、うそ寒い現実が見えてきますね。



こうしたひきこもりによる犯罪が起こるたび識者は。「日本社会の病根」「時代の狂気」という論調をされる方もいます。



確かに、、過去を振り返って見ると、その昔の地縁・血縁社会が崩壊し去った今の日本では


「隣近所の世話焼きおばさん」とか「村の共助社会」などは今や幻想でしかなくなったのです。


そういうソフトランディングが消滅したという現実です。


今はどこでもがビジネスライクに事務的に乾いた近隣関係・人間関係のみといってよいでしょう。

地縁。血縁、家族のきずなが崩壊して久しい日本社会の現状は


でも、それを目指して近代化がすすめられてきたんでしょ、と私は言いたい。


地縁。血縁、家族のきずなが重要なら、


工業化社会も、個人の人権も、都市化も、出来ないからだ。


大きな工場を造りそこで大量の労働者を雇って生産するということは、


農村から若者をかき集めて地縁も家族も一切奪うということでしかない。


そうして昭和30年代から東北の中卒青年が東京の工場に集団就職してきたではないか。


彼らとて故郷を家族を離れたくはなかっただろう。



しかし、東北の寒村に仕事などありえない現状だから泣く泣く集団就職したのだ。


こうして大東京で孤独で無縁で働くしかなかった。


このあたりが今の無縁社会の始まりではないのか?


大都市はますます人口が膨れ上がり、


多摩地区にはある日、マンモス団地がにょきにょきとそびえたち、


それこそ全国から集まった無縁者?たちが入居した。


そしてそこが彼らの終の棲家だったわけだ。


もう東北に帰って実家に住むことなどありえない。



東北には、仕事もないし、父母も死んだから、、、帰れないのだ。


この私も、(わたくしごとで恐縮だが、、、)


ふるさとを遠く離れたこんな〇県で仕事を得て


そこで結婚して子供もできて、今老いさらばえつつあるのが現状だ。


郊外の分譲団地の、マッチ箱のような家も購入した。



そこに住む人たちもみんな吹き溜まり?寄せ集め者?たちばかりだ。



地元の人なんて誰もいない。


まあ。分譲団地を買う人なんて地元の人であるはずもないわけで。


この県には自衛隊基地もあるので


全国から集まった自衛官も購入して結構住んでいるようだが


団地の常で隣はだれかよく知らない。


又分譲団地の常で、引っ越しで居なくなる人も結構多い、


私の隣の家などもう住人は来るとすぐに引っ越して、あるじは3人目だ。


最初の人は新婚で購入して入居して3年で離婚して出て行った。


しばらく空き家でそのうち、賃貸で出て、なんかわからない一家が


引っ越してきて数年住んでいたが


それもやがて引っ越して、、


今度は、売りに出されて今度は売れてどこからか一家が引っ越してきた。


その人がどんな人でどんな仕事なのかも私は知らない。


引っ越してきたとき挨拶には来たが、


それっきりで付き合いもないし、お互い、付き合いたくもないだろう。


まあこんなところが分譲団地の現状でしょうか?


結局、日本の近代化や、工業化や、都市化が、人口の可流動性を加速して


それまでの地縁社会、血縁社会を根こそぎもぎ取ってしまったということですね。


そこで生まれて親の跡を継いで百姓をして、その村で老いて死ぬという


一生、地域べったりの生活が崩壊したということでしょ?


みんな根無し草にしたのはそういうことでしょ?


まあ自由で気ままでいいといえばそれでいいのでしょうけど、


その対価が、無縁社会であり、孤立死であり、孤独死なのですよ。


隣にだれが住んでいるか全くわからない、


あれ?もう別の人が住んでるぞ。


いつ引っ越したんだろう?


今更、『地縁、血縁を復活を』


なんて言ったってもう、時代錯誤でしょうよ。


この大きな流れを止める事なんてできませんよ。


むしろ、無縁社会を気ままに泳いで生きる気概?こそ必要なのでしょうよ。


所詮人間、


一人で生まれて


一人で生きて


一人で死んでいくんですよ。



誰も一緒に生まれてきてくれませんし、


誰も一緒に生きてくれませんし、



誰も一緒に死んではくれませんよ。


死ぬときは一人なんですよ。


死ぬときは、、ひとりぼっち、、、。


甘ったれてはいけません。


独生、独死は必然なり、と


大悟しえて、


浩然と生き切ることですよ。


『死して、その屍、拾うものなし。』


それが現実でしょうからね。


生は一瞬の夢であり、


死は永い眠りだとしたら、


「かぶいて、狂いて生きるなり」、と、


古人は申しました。

一場を花と咲かし、、

酔い、狂って、生き花を咲かせるもよし、、

あるいは真実、神の道を、求道して、死に花を咲かせるも、よしでしょうか。

とにかく、

自由なんですよ。

それが近代社会の「人権宣言」の意味なんですよ。

何をしようと、

どう生きようと、

どこに住もうと、

法さえ犯さなければ自由なんですよ。

そして、

そのための支払うべき対価が、無縁社会であり、孤独死であり、孤立死であるということですよ。























さてここで、、、、話題を少々変えましょう、、。



ところで、、、


人間の中にはおそらく誰にでも、、どんな善人でも、、



ふかーい闇が


ふかーい狂気が、、


心の奥底を覗いてみれば、



秘められているのではないでしょうか、



あるいは人間には誰にも暗黒の部分があるのではないでしょうか。


たとえば、、、、、


どんな国にも

一定の割合で「猟奇犯罪」が起こります。

それをゼロにすることは不可能です。


猟奇犯罪者がどこの国にもある割合で必ず存在するからです。

100パーセントみんな善人?そんな国はありえません。


どこの国にも猟奇犯罪者が必ず、ある割合で存在します。


そういう犯罪者予備軍ともなればおそらく、、1万人くらいいるのではないでしょうか?

だからそういう予備軍をすべて把握して、事前に周到なカウンセリング等をできれば

こうした猟奇犯罪・大量無差別殺人はかなり予防は出来るでしょうね。


でも?考えてもみてください。

そんな人々を完全に把握なんてできませんよ。

どこにそんな人がいるのか?どう把握しますか?

そういう人を把握なんて不可能です。

第一、そういう人は市井に紛れて、正常人を装っている場合がかなり多いのですから。

より一層把握なんて不可能なのです。

仮に1万人把握できたとしましょうか?

でも彼らに周到なカウンセリングできる専門家が1万人は必要です。

つまり、、この事前の予防法は現実問題として、実施が不可能ということなのです。


というわけで、

世の中には猟奇犯罪予備軍がいっぱいいるのです。

みんな善人??などというようなノーテンキな

性善説は、そういう現実からの逃避でしかないのです。


たとえば、、

とつぜんガソリン40リットルを携行缶で買って

誰も予想すらしなかったアニメ会社のビルに放火して34人も焼き殺すという

犯罪者だっているのです。


人間社会にはこういう犯罪者が必ず一定の割合でいるのです。

ゼロにはできないんです。

それが人間社会なのです。

必ずある割合でこういう犯罪者がいるのです。

だから性善説や

妄想平和主義は

まあ、現実無視のまさに「妄想」でしかないということです。


そういう犯罪者がいるという前提で

社会の安全を考えなくてはいけないのです。


たとえば、、、先の事件の例でいえば

玄関のセキリティをもっと厳重にするとか、簡単に入れないようにするのは、今や当然でしょうね。

ビル内に炎が燃え広がりやすい螺旋階段などは絶対に作ってはだめだということや

ビルの外壁に外付けの非常階段をなぜ作らなかったのか?


、、という、まあ日本は「安全」なのだという妄想神話に基づく

「そんな事件が起こるはずがない」という性善説?

そこからくる

甘い考えの無防備なビル設計であり、危急への備えの完全に抜け落ちた「欠陥ビル」だったのでしょうね。


そもそも、、日本は安全でもないし、

日本は善人ばっかりでもないし

日本社会も相当「危険」で「アブナイ」社会ですよ。


それを妄想的に、、、、、、、、


「日本は安全」

「日本は善人だらけ」


などという妄想に基づく「ノーテンキ」な安全妄想がダメなんですよ。

「そんな事件が起こるはずがない」という思いこみ

まさかガソリン40リットルもばらまいて火をつけるはずがない、、という

想定外??



だが、、実際、事件は起きたのです。

想定外はないのです。

悲惨極まる猟奇犯罪はいつだってどこだって起こると想定すべきなのです。

想定外だったなんて言い訳は決して口にしてはいけないのです。


世の中には変質者や猟奇犯罪者がいっぱい存在するのです。

あなたの町にもきっといるはずです。

ただ、、いま現在はそれが事件化していないだけです。

何かのきっかけでいつ顕在化するやもしれません。

それが現実なのです。


「うちの近所はみんなよい人ばかり」


「日本はみんな善人ばかりの安全な国」


そんなノーテンキな妄想平和とか、、、


お気楽な性善説が、、


実は、、安全管理には一番危険な「思い込み」なんですよ。



例えば、、、、

善人の見本のような、そこのあなたにも、もしかしたら誰にも知られたくない「黒歴史」があるのかもしれませんよね?



ただ、、いわゆる善人といわれているような人は


そういう深い狂気や深い闇の部分が抑制されて決して表面化しなかったということなのです。


心の奥の闇を決して開放してはいけません。


心の奥の狂気を決して呼び出してはいけません。



でも?ある日?


もしかしたら何かの偶然で?


あるきっかけで?


あるいは必然の運命で?


そんな善人にも、ふっと、悪魔のささやきが聞こえることがあるのかもしれない。



そしてそれがそのきっかけがどんどん膨らんでいって


こういう悪魔の所業へと転落していってしまうのではないでしょうか?


まかり間違えばあなたももしかしたらこんな犯罪を犯していたのかも知れないというコワサですよね。


ちょっと間違えばあなたもやっていたかもしれない?


でも、、、


おそらくは、多くの人は悪魔のささやきを無視したり


抑制したりできる心の余裕があるのでしょう。



でもこういう犯罪者にはそれがなかった。


あるいはあえて悪魔のささやきに乗っかってしまった。


ということなのでもあるのでしょう。



なぜ?



踏みとどまれなかったのか?



なぜ?



悪魔のささやきにブレーキがかけられなかったのか?



その微妙な差がおそらく世の中の多くの善人と


こういう鬼畜の猟奇殺人犯との決定的にして


「微妙な僅差」、、だったのでしょう。



あなただってもしかしたら?


魔が差して


魔に乗って


魔と連れ立って


こんな犯罪者になっていたかもしれませんよね?



そうならなかったのは


おそらくほんの「僅差でセーフ」ということでしかないというところが


人間という実存のコワサ


不気味さ


不条理さ


人間の闇の深さ


暗黒さ



なのでしょうね?



善人の鏡のような、、そこの、、、あなたにも


もしかしたら、、ある日、、、悪魔のささやきが


「あいつを殺しちまいなよ」

「あのビルに火をつけて焼き殺しちまいなよ」


などと、あなたをそそのかす時が来るかもしれないということです。



ああ、



願わくばこれからも



あなたにも



そうしてこの私にも



こういう悪魔のささやきが


決して、、決して、、聞こえてきませんように、、。



でも?



実際、現実に、


猟奇事件は毎日のように



あなたのまじかで



起こっている、



あなたの隣の



猟奇犯罪者



あなたの町の



変質者



いるのが当たり前



それが人間社会の闇なのだ


ゼロにはできないんです。

必ずいるんです

ある割合で、、、、





「人を見たら泥棒と思え」ということわざがありますよね。


残念ながらこれは本当の事実なんですね、



「人を見たらストーカーと思え」

「人を見たら詐欺師と思え」

「人を見たら猟奇犯罪者と思え」

「人を見たら幼女誘拐者と思え」

「人を見たらレイプ魔だと思え」


それがかなしい、、

そして


残念ながらこの人間社会の恐ろしい「現実」なんですよ。




そういう厳しい現実に基づいて

シビアに

冷静に

的確に

この社会の


安全をどう図るか  

どう守るのか?


備えをどうするか


そういうセキュリティの備えを

的確にかつ十分にしなければならないのが


それこそが、


今現在の


相当


アブナイ


キケンに充ちた


日本社会の喫緊の現実だということなのだ。


だが大方の平均的日本人は。。


「日本は安全」

「日本は善人だらけ」


などという妄想に基づく「ノーテンキ」な安全妄想にどっぷり浸りきって

無防備で何もしないで、、のうのうと暮らしてしているだけ、、。


日本で「そんな凶悪な事件が起こるはずがない」という完全な妄想的思いこみ



いい、加減

もう

こういうような妄想平和から目覚めるのです。


いつまでこういう妄想性善説にどっぷりつかってるんですか


いい加減目覚めるのです。


むかーし


むかしの


地縁血縁の

みんな親戚

みんな善人

ここには悪い人なんていないよ


だから家の鍵なんて、掛けなくっても大丈夫

人の善意を信じようよ

人間はみんな善意に充ちている

人を疑うのは、人として、一番してはいけないことだよ。

人間はみな善人なんだからね。

人間万歳???




そんな妄想平和


そんな妄想性善説


ノーテンキなお人よし、、、


今やこの日本社会はそんな時代じゃあないってことなのです。



家にはきちんと鍵をかけて

護身術も身に着けて

常に備えることです。

日常生活でも常に気を配って「もしも」に身構えることです。

電車の中でもグーグー寝てるなんて大馬鹿です。

もしも?突然通り魔が電車ジャックしてあなたをめった刺しすることだってあるかもしれないのですよ。

グーグー寝てる場合じゃないでしょ?


歩いていたって突然高齢者の車があなたに向かって暴走してくるかもしれない。

その時とっさにジャンプして避ければ、助かる可能性だってあるんです。

ボケーッとしてまったり歩いてるなんてダメなんですよ。

常にあたりの危険な気配に気を配りなさい、


結局、、自分の身は自分で守るしかないのです。

猟奇犯罪者の毒牙にかからないためにも

自分なりの「護身術」を身に着けることは誰にでも、、

というか万民に必須なのです。

しかし?そんな護身術を教えてくれるところは

この妄想太平楽の令和日本にはほとんどないというのが現実なのです。





そして、、

あなたが会社の経営者ならば

所有ビルの防犯・防火は厳重にする。

セキュリティについての基本をしっかりと身に着けることが必要です。

ノーテンキな妄想安全神話に毒されて、、「無防備」「無策」では

そんなところで働く社員があわれです。


間違っても、、

ビル内に火のまわりやすい螺旋階段を作るなんてもってのほか、、、、絶対にだめです。

ビルの外付けの非常階段だってちゃんと作らなきゃあダメでしょ。

避難訓練はしてますか?

してないでしょ??

入り口の訪問者チェックはしてたのでしょうか?

してないでしょ?

入り口にガードマンはおいてましたか?

おいてないでしょ?


だから、、34人も焼け死んだんですよ。


これは妄想性善説にハマってしまったノーテンキな日本人的な過失の典型的な具体例なのです。


まさか?こんな変なやつが、、、こんなひどいことするなんて、、、。


日本でこんなことが起こるはずがない、、という想定外?

ノーテンキ性善説

無防備で何もしてない

みんな善人ばかりだから、、ビルも出入り自由にどうぞ

、、って間抜けすぎるでしょ?




だが、案の定、事件は起こった、


だから、、これは


ある意味


「人災」なのです。




今の日本では


安易な性善説に基づく


ノーテンキな


こういうような


「無防備」があまりにも横行しすぎですよ。


でもそういうノーテンキな性善説が


さっきの34人焼死事件のような


最悪な結果を招くという


恐ろしい事実に一刻も早く目覚めるべきなのです。



「安全と水はタダ」


「みんな善人」


「人間はみんな善意を持ってる」


「みんな仲良し。人を疑ってはいけません」


そういう妄想善人説


性善説が


それが長い間日本人の常識だった。


だがもうそんな時代はとっくに完全に終わってるんだよ。


安全も水も相当、経費(お金)をかけて

手間暇かけて


守らねばならないという厳しい時代に


日本もなってしまったんだよ。



そういう事実に目覚めるのです。



そうでないと


トンデモナイ


悲劇的な事件がこれからも


いくらでも



何度でも


この日本で



多発・頻発し続けるんでしょうね。




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― 新着の感想 ―
[一言]  私は津山事件が脳裏に浮かびました。  社会に絶望し追い詰めらた男が、二時間で三十人を惨殺した事件です。  
[一言] 元々血縁・地縁が濃かった日本では、市民による相互監視が『1984』みたいに行き届いていて、精神的・社会的・身体的私刑も充実していたからみんな「世間様に恥ずかしくないよう」生きていたと思うんで…
2019/07/20 10:07 退会済み
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