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六話

「一時はどうなることかと思ったぜ。」

 主の姿が完全に視界から消えると、イーストは、長い息を吐いた。その時、草原の方から何やらくぐもった声らしきものが聞こえて来た。最初は獣のいななきかと誰もが思ったのだが、よくよく耳を傾けてみると、それは人の扱う言語に他ならなかった。聞き取りにくいが、声は確かに言っている、助けてくれ、と。

「―――まさか、」

 先刻落とし穴に落ちたむこうみずな兄弟の姿が、ふとイーストの脳裏に浮ぶ。

「あいつら、あのまんまかよ。」

 さすがのイーストも二人に同情の感を示し、いち早く振り返って草原に戻って行った。レアは、貫頭衣の裾を持ち上げると、白銀の珍獣で両手がふさがっているイザヤの額に押しつけ、浮んでいる汗を拭い、

「行くぞ。」

 ぶっきらぼうに言って、イーストに続く。

「あ…、うんっ」

 イザヤは、返事をしながら慌ててレアを追いかけた。アルフォードは、既にレアのすぐ後ろを走っている。

「おお~い、助けてくれ~。」

「頼む、ここから出してくれっ。」

 イーストが穴の中をのぞきこむと、男達が口々に助けを求めてきた。

「ああ、ちょっと待ってろ。」

 二人が、腕やら足やら衣服やらを、互いの体にからませて涙ぐんでいる様を見て、 イーストは、おかしいようなそれでいて不憫なような気持ちになる。アルフォードは、その傍らで周囲を見回しながらつぶやいた。

「何か、縄みたいなものがあればいいんだけれど、」

「そうだな…、」

 イーストが腕を組んで唸る。と、背後から、適当に束ねられた茶褐色 の皮紐が差し出された。

「?」

「はいこれ」

 イザヤが、にっこり笑って紐を手渡す。横からすかさずレアが付け加えた。

「細いが、丈夫さは保証する。」

「――よし。」

 イーストは、紐を受け取ると、うす暗い森へ向かった。左右に伸び悩んだ枝葉を、時にとなりの小枝に絡みつかせ、狭い中でも要領を忘れずに生い育つ木の中で、手ごろな太さの幹を持つものを選ぶと、紐を何重かに巻きつけ固く縛った。ニ、三度強く引っ張り、強度を確認してから、イーストは、紐のもう一方の先端を持って戻ってくる。その間、アルフォードが、交錯しあいながら最終的には、太陽の近くに伸びてゆく木々とは対照的に、むやみに互いを束縛し、このまま放置しておけば退化してしまうかもしれない兄弟に助言していた。

「――そこでお兄さんが右手を上げると、ああ、剣帯が取れましたね。そうしたら…」

 努力の甲斐あって、イーストがアルフォードと肩を並べる頃には、二人の男は、既に、穴の中で何とか直立できる状態になっていた。そこへイーストが皮紐をたらし、地中の二人に、兄、弟の順で引き上げると指示を出す。イーストが、自ら先頭に立ち紐を握りしめると、地上組の三人も、レア、イザヤ、アルフォードの順でそれに従った。そして、アドラが紐を腰にくくりつけたことを確かめ、イーストが皆に号令をかける。四人は、紐を思い切り引き上げた。アドラの体は、難なく宙に浮き、緑の草が生い茂る地点に到達する。一息つこうとしたアドラだったが、イーストに言われて休む間もなくレアとイザヤの間に入り、紐を握る。そうしてダイナンも無事に穴から抜け出した。アドラとダイナンは、息を切らしながら転倒する。イーストは、やわらかい緑草に投げ出された皮紐を手繰り寄せ、木に縛った紐を解きに行こうと歩き出す。ちょうどその時、草の上に降ろされていた白銀の珍獣がキイキイと鳴いた。

「あ、」

 イザヤが抱き上げようと手を伸ばしたところに、一方から不粋な腕が伸びて来て、珍獣をかすめ取った。イザヤの顔がさっと青ざめる。

「あっ、ダメっ、」

 うろたえるイザヤの声に皆が反応し、振り返ると、そこには、森の珍獣を手中にしたアドラの姿があった。

「…やった…。…やったぞ!手に入れた!」

「兄い!」

 喜びと興奮で身も心も舞い踊るアドラに、ダイナンが走り寄って行く。

「返してっ!」

 イザヤはわき目もふらず、自分より背丈も力も勝ることは間違いない二人の青年相手に飛びつこうとしたが、ふいに腕を掴まれ引き戻される。

「待て。」

 イザヤを止めたのはレアだった。

「でもっ…」

 イザヤが、今にも泣き出しそうな声で訴えかけてきたが、 レアは沈着な様子で横に首を振った。すると、

「?!」

「ああっ――?!」

 先刻までは歓声だった兄弟の声が、仰天さを色濃く出したものに変わった。無分別な狩人の手から逃れようともがいていた獣の毛が、丸ごと抜けてしまったのだ。――いや取れてしまったと言った方が正しいかもしれない。アドラは、草の上に落ちた銀の毛を拾い、自分の手の中にあるなま暖かい動物に視線を移した。

「…あ?」

 そこにあったのは、彼が苦労の末ようやく手に入れた珍重な白銀の獣ではなく、リトリアルではむしろよく見かける小さなリスだった。リスは、初めて受けたぞんざいな扱いにおののき、真っ黒な瞳を見開いて小刻みに震えている。

「…何だこりゃ…。」

 当のアドラは、小動物を気づかう余裕などなく、こげ茶色のリスと肌ざわりのよい銀の毛を見比べてつぶやいた。

「あーあ、取れちまったか。」

 そこへ、レアがため息をつきながら近づいて来る。

「よく出来てるだろ、その毛。」

 言って、アドラの手にある銀の毛に触れた。瞬間、アドラははっとして尋ねる。

「てことはまさか…、」

 途中で途切れたアドラの発言を受け取って、レアが言った。

「そう、これがシトレの森に住む魔物の正体さ。つっても、誰かが勝手に勘違いしただけだけどな。」

「―――。」

「そういう訳で、こいつ、返してもらっていいか?」

 目と口をだらしなく開き、呆然と佇んでいるアドラの手から、レアは難なく小動物と銀の毛を取り返すと、駆け寄ってきたイザヤに渡した。イザヤは目を輝かせてそれを受け取り、ほおをすりよせる。ダイナンは、口をあの形に開けたままそのやりとりを見ていた。

「――ちょっと待てっ!」

 立ち去ろうとしたレアとイザヤを、しばしの間呆然としていたアドラが、躍起になって引き止める。二人がきびすを返すと、アドラは、背後から掴みかかるような勢いで質問を投げかけた。

「情報によれば、背丈が一丈にもなる魔物がいるはずだ、銀の毛を持った…!」

「…、一丈…、…」

 レアは歩みを止め、少し考える素振りを見せる。それから、ああ、と口を開いた。

「もしかして、あれのことか。」

 レアは、先刻イザヤと寝そべっていた場所に戻る。そして、昼食を入れてきた籠の中から、空になったミルクの瓶や小刀などをどけ、銀色 をした一枚の布を取り出した。

「…そ、それは…。」

「前、これをぬらしちまった時に、そこいらの木にかけて乾かしたことがあったっけな。」

 レアは、おののいて後ずさりするアドラに語りかけるような、しかし独り言にも取れる口調で言った。それから周囲に比べて多少枝ぶりのよい木に近づき、

「…確か、この枝だった、…ほら、こうすると、遠目から見たら間違えるかもな。」

 実際に布をかけて説明してみせた。白銀の布は、さらさらと音を立てながら左右に広がり、皆の前で生き物のように揺れ動く。

「―――!」

 アドラの膝ががくりと折れ、崩れ落ちるようにして座り込んだ。落胆したアドラの顔をのぞき込みながらダイナンが不思議そうに首をかしげる。

「てこたあ、兄い、魔物の話ってぇのは、みんな…嘘ってことか?」

「…そういうことになるな…。」

 弟の声で我に返ると、アドラはすくっと立ち上がった。そして、体についた埃や泥を両手ではたき落とす。どことなく意識して高貴さを漂わせているその仕草は、先ほどまで見せた失態の数々を、全て帳消しにしたいが為に行った風に思えなくもなかった。

「――帰るぞ、ダイナン。」

 まるで儀式の様に行っていたその行為が一段落すると、アドラはダイナンを軽くうながした。

「…、」

 しかし、ダイナンの足取りは重い。兄が三歩進んでやっと一歩を踏み出す始末だ。

「何をしている!」

 アドラが神経質そうな声で怒鳴ると、ダイナンは首を縮めながら、恐る恐る尋ねた。

「でもよぉ兄い、どうやって帰ればいいんだ?」

「うっ。」

 ダイナンの最もな意見に、アドラの歩みも止まる。そこでレアが口を挟んだ。

「こっちから帰るといい。」

 レアは、東を指差した。アドラとダイナンが、はっとレアに視線を向ける。レアは、二人をうながし、濃紺に染まった迷路の入口まで足を進めた。

「ほら、ここに細いけど道があるだろう?これをずっと歩いていくと外に出れるんだ。俺達、何度かここに来てるけど、この道を通るのが最短距離だし、化け物も出にくいみたいだぜ。」

「そ、そうか…。」

 レアの説明が終わると、アドラは安堵の息をもらしながら答えた。そして額からにじみ出た汗をぬぐう――が、その様をレアに見られていることに気づくと、こほんと咳払いをして言った。

「説明ご苦労。助かったよ、ありがとう君。」

 アドラのどこか体裁ぶった態度に違和感を覚えながら、レアは答えた。

「いや。俺らこそ、騙したようになっちまって悪かったな。」

「なんの、君達に罪はないよ。そんなに気にしないでくれたまえ。」

 乾いた笑いが、宙を舞う。

「……」

 イザヤ達は、二人のこのやりとりを遠巻きにして聞いていたが、その うちイーストがぽつりとつぶやいた。

「…疲れる会話だぜ。」

 アルフォードとイザヤは即座にうなずき、同意を示す。

 ……したくてしてんじゃねーよ。

 イーストのわずかな囁きを耳の端で捕え、レアは心の中で言い返した。本当は喉元まで出かかっていたのだが、一刻も早く彼らをここから追いやるためと、拳を握りしめて自重する。彼らの足を、一歩でも森の中に踏み入れさせれば片はつくのだ。

「……、」

 どう言ってこの兄弟達を帰路につかせようと考えていたレアだったが、その期は以外と早く訪れた。

「――よし。行くぞ、ダイナン。」

 アドラは、今度こそ自信ありげに弟に号令をかけると、一足先に暗澹の森に消えていく。

「ああっ、待ってくれよ兄い~。」

 ダイナンも、はぐれまいと兄を追いかけ、迷宮へと走り去った。

次回で完結です。更新は、7月17日0時です。

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