四話
北の方角から、四つの足音がやってくる。そのうちの二つは、小さな呻き声と共に立ち止まった。恐らく、精霊エピの幻惑から抜け出した際、光に目をやられたのだろう。レアは、緑草の絨毯におおわれた長剣の場所を確認すると、上半身を起こし北を向く。そこに佇むのは、長身の青年二人。そのうちの一人に、見覚えがある。
「……イースト…」
レアは、小さくつぶやいた。吐息にわずかに声をのせたそれは、恐らく常人の耳には届かないだろう。しかし、この青年達は例外なようだ。面識はないが、服装と身のこなしからして恐らく高貴な名跡の持ち主だろう青年の、草原の色にも似た瞳が見開き、横に位置する相方にそそがれる。一方の青年も、聞き覚えのある声に、すばやく反応していた。
「―――、…レア?」
しかし、返事はない。青年――イーストは、未だ慣れない光に抵抗を感じながらも、強引に視界を開く。そこには確かに、先刻呼んだ名前を持つ者――レアがいた。
「―――どうしたんだお前、こんなところで。」
イーストは、少し驚いた様子でレアに駆け寄る。アルフォードもそれに続いた。動揺を隠さない二人に、レアは、唇の端をかすかに上げ、皮肉な笑みをつくる。
「別に、単なる暇つぶしだ。今日になっていきなり時間が空いたんでね。」
「うっ、」
言葉に詰まったイーストに顔を寄せて、アルフォードがささやく。
「―――もしかして、剣の稽古の相手?」
「のうちの一人だ。」
イーストは、バツの悪い顔で答えた。そのままそれを、レアに向ける。
「悪かったよレア。稽古はまた今度な。」
「――まあいいさ。」
心なしか腰が低めのイーストに、レアはそっけない素振りで答えた。それから、アルフォードに向き直ると、
「貴殿とはお初にお目にかかるが――」
平淡な目線を向ける。威嚇か拒絶、はたまた無関心か――あらゆる感情を同時に感じさせるその表情に、今まで多くの人間がてこずらされたものだが、どうやらこれに関しても、アルフォードは例外に属するらしい。
「僕はアルフォード。君はレアだね、よろしく。」
アルフォードは、レアの顔の位置に合わせて少しかがむと、ほほえんだ。
「……、じゃあ、あいつらは。」
レアは、一瞬後ずさりしそうになったが、何とか踏みとどまった。緊張の崩れかけた表情を隠すように、北に首を回す。そこには、両手で目を押さえているアドラとダイナン兄弟がいた。レアの問いには、イーストが答えた。
「ああ、あいつ等とは、この森で会ったんだ。道に迷ってボロボロに なっててさ、どうしてもって泣き付かれたんで、ここまで連れて来たんだ。」
「ふーん。」
レアは、軽く二人を一瞥した。彼らの体からは精霊術士特有の波動――あるいは気、が少しも感じられない。
熟練した術士の中には、意図的にそれを隠せる者もいるが、あの二人に関してはそこまで疑う必要はないだろう。万が一、そう思う根拠はどこにあると問われたら、ない、としか答えようがないのだが。それでもあえて理由を述べよと言われた時には、とりあえず、連中の顔つき、とでもしておこうか。イーストに関しては、長からず短くもない付き合いの中で、戦いにおいての彼が肉弾戦派だということを知っている。とすれば、疑わしきは、ただひとりだ。
「――アルフォード殿」
気がついた時には、その名を最後まで口にしていた。アルフォードは、少し首をかしげるようにしながら、柔和な視線で応じてくる。レアはいったん唇を軽く結び、覚悟を決めると、はっきりとした口調で訊ねた。
「私は、ガイの称号を預かるサフライト家の者。格名はレア・ラージ ェス・ガイ・サフライト。差し支えなければ貴殿の格名を伺いたい。」
注意は払っているのだが、語の節々が、どうしても刺々しくなってしまう。まあ、たとえそれが彼の気に障っていたところで、詫びるつもりはさらさらないが。しかしそれは杞憂に終わったようで、アルフォードは、困ったような顔をしたものの、低めの落ち着いた声で快く応じてくれた。
「僕の格名は、アルフォード・レヴィン・サフィ・ライジニアと言うんだ。」
ライジニア―――
レアは、その名を知っている。
ライジニア家と言えば、王家の血を引く分家の中でも、一、ニを争う家柄だ。いつか読んだ歴史書の概略には、古くからこの国にあり、王家を影から支えてきた一族と記されていた。現在でも、レセタにある王宮聖殿において、姫巫女に次ぐ権威を持っている程だ。それにしても、イーストが王族の血を引くアルフォードと同行しているのなら、彼の急用が王宮機密だということも、あながち嘘ではないのかもしれない。とすれば、彼らの目的は、いったい何なのだろうか。しかし、今、尋ねてみたところで、まともな答えは帰ってこないだろう。
とにもかくにも、相手は王族だ。彼らと接する時には、特別の礼儀を忘れてはならない決まりがある。
「それは―――、改めてお時間をいただくご無礼、ご容赦下さい。」
レアは、一礼してからその場にひざまずき、アルフォードの外套の端を手に取る。そして額にあてがおうとしたのだが、大きな手が差し出され、レアの動作をやんわり遮った。
「かた苦しいあいさつは抜きにしよう、ここは王宮じゃないからね。」
アルフォードは、レアを気づかうように微笑んだ。それでも姿勢をくずそうとしないレアの背中を、イーストが軽くたたく。
「今日は無礼講ってことにしとこうぜ、な。」
言うと、レアの返事を待たずに腕をつかんで引き上げた。
「名前と言えば、――あいつらの名前、聞いてなかったな。」
そういえば、とイーストがつぶやく。あいつらとは恐らく、ふりそそぐ光弾をまともにくらい、未だに身動きできずにいる二人の大男のことだろうと知った上でレアは言う。
「必要ない。」
淡白なその態度に、イーストは、思わず吹き出した。
「あいつらはどうでもいい訳だ。」
「何だよそれ、イーストだってそうなんだろ。」
「まあな。」
イーストは、唇の右端を少し持ち上げて笑った。それからざっと周囲を見回し、
「それにしても、めずらしいなお前ひとりなんて、イザヤは」
どうしたんだ? で、しめくくられるはずだったイーストの言葉が止まった。いや、止めざるを得なかったのだ。何故なら、南東の方向にある、巨大かつ強大な老木の陰に、隠れるようにうずくまっている人の気配を感じたから。それも、かなり見知った人間、…まさしく…、
「……、」
イーストは、何か言いたげな視線をレアに送る。解りすぎるほどにそれを察したレアは、心の中でため息をついた、とその時、
「わあ…っ」
極力声を押し殺した点は誉めるべきだろう叫び声が、南東から聞こえてきた。しかし努力の甲斐もなく、その声は、比較的近くにいたアルフォード、イースト、レアはともかく、ようやく目を半開きにできるようになったアドラとダイナンの耳にも届いたようだ。皆の視線が、推定樹齢何百年もの大木に向かう。そのあたりの茂みから、突然飛び出てきた小さな物体に、五人は息を飲んで立ち止まった。
「―――――。」
驚くのも無理はない。生い茂る草葉の上に、銀色の毛皮を全身にまとい、頭の上に小さな角を生やした不思議な生き物が、ちょんと座っているのだ。
「これが、…噂の魔物…?」
静止の状態から最初に抜け出したのは、アルフォードだった。イーストは、背中の大剣をいつでも抜けるよう構えを取る。それからアドラとダイナンが、体長恐らく一尺未満の白銀の小獣めがけて突進して行ったのだが――。
「うわぁ~っ!」
拍子抜けした悲鳴と共に、二人の体が地上から消えてしまった。
レアは、それを目の端で捕らえながら、緑の草の新鮮な香りに匿われていた長剣を奪うように手に収め、謙虚な叫び声が聞こえた方向に駆けていく。
「!――おい、」
イーストがアドラ・ダイナン兄弟のもとへ駆け寄ると、二人の消失地点に落とし穴を見つけた。深さにして六尺以上は余裕であるだろう。アドラとダイナンの二人は、その中に折り重なるようにして倒れていた。
「おい、大丈夫か?」
イーストは穴の上から呼びかけてみるが、答えは返って来ない。変わりに、情けない会話が聞こえてくる。
「い、痛てててて。――おいダイナン早くどけっ。」
「そんなこと言ったってよぉ、せまいからうまく動けねえんだ。」
「つべこべ言うなっ!早く俺の上からどけっ!」
「あっ、だめだ兄ぃ、今動いたら…!うわあぁぁっ!」
深く細い穴の中で、二つの巨体がおのおのむやみにもがいている。これではいつまで経っても脱出できる筈はない。イーストはもうニ、三度呼びかけてみたのだが、言い争う声は聞こえても、呼びかけに対する返事はない。どうやら、沸騰した頭が冷えるまで放っておくしかなさそうだ。とりあえず仲間の元へ戻ろうと振り返ったイーストだったが、その場所には既に誰もいなかった。
レアは大木に向かって全力疾走し、銀色の小さな魔物が飛び跳ねるようにしてレアを追いかけている。そのすぐ傍にはアルフォードがいた。イーストも遅ればせながら後に続く。他の若木に阻まれることなく、数百の年月に育まれた巨大な老木の全貌があらわれる場所まで辿り着くと、老木の脇にへたり込んでいるイザヤの姿を見つけた。
「―――っ…!」
しかし。同時にイザヤの正面に立ちはだかる存在に気づき、レアは息を飲む。
「なんだありゃあ…」
レアに少し遅れて状況を把握したイーストが、小さく呟く。
思いもよらない展開に、レアは唇を噛みながら答えた。
「あいつは…、この森の主だ」
レアが睨む先にいるのは、全身を針のような赤い毛で覆われた、巨大な熊だった。




