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一話

本日は、序文、一話を同時掲載しております。

 一面に生えわたる緑の息吹が、今にも聞こえてきそうな気さえした。

 ここをどこかと問われたら、飢えることを知らない豊かな水とふくよかな腐葉土、そしておしみなくふりそそがれる、日陽輪のやわらかい光の恵みによって培われた、祝福の地と答えるだろう。

 レアは、軽い昼食をすませると、蒼蒼と繁る草の上に寝転んだ。黄昏時の陽光を吸い込んだかのような金色の髪と、整った目鼻立ち。身長はどちらかというと高い方に入るだろう。身につけているのは、赤紫の貫頭衣と、生成色の袖つき衣、衣と同色の脚衣に、かかとの少し上まで丈のある皮の靴。どことなく頬に残る幼さをのぞけば、実際の年齢よりもかなり上に見える趣きをしている。そのレアの隣では、イザヤがトルグをほおばっている。残りあと半分。イザヤの食事が遅いのはいつものことだ。

「今日は風が気持ちいいね。」

 イザヤは、食べやすいようにあらかじめ二つに切り分けたトルグ――トーガルの実を蜂蜜にひたし、焼きあげたもの――を、それぞれ両手に持ったまま、あどけなくレアに笑いかけた。明るい金色の髪を持つ少年は、青の半袖上衣に、レアの脚衣と似かよった色の長靴下と皮の靴を着用している。実際の年はレアとそう変わらないが、かなりの童顔を持って生まれたがために、過去において年相応に見られた試しは一度もない。まあ、容姿だけに問題があるとは言い切れないが。

 イザヤの嬉しそうな声に、レアが、紫がかった青い双眸を少しだけ横に動かすと、天真爛漫な空色の瞳と出会う。レアは、大人びた仕草で唇をほころばせた。

「そうだな。」

「来てよかったね。」

 言い終えてから、イザヤはトルグをかじった。蜂蜜にひたして多少やわらかくなってはいるものの、もともと繊維質で硬い木の実なので、噛み切るのは容易ではない。加えて、イザヤの母は、成長期の彼のために蜜につけておく時間を短くしているのだ。よく噛んで歯と顎を丈夫にしなさい、という心使いらしい。そうして、イザヤがトルグと格闘を続けている間、レアは、大空をゆったりと泳ぐ雲を眺めて時間をつぶす。

 ここシトレの森は、二人の住む緑園都市リトリアルから、馬を駆って半時ほど行ったところに位置している。その全容は今のところ計り知れないが、これまでも特に危険な事態に遭遇したことはない。そして何よりも、森の中には、好奇心旺盛な少年達の遊び場としては充分すぎる要素がふんだんにあった。以前から、二ヶ月に一度くらいは、足を向けていた場所だったが、最近は、週に三、四回の間隔で頻繁に訪れている。木々の合い間に、穴が開いたように広がる小さな草原を気に入っているのも確かなのだが、理由は、他にもう一つあった。

「―――そういや、プレムはまだ寝てんのか。」

 レアは、思い出したように、イザヤに問いかける。

「――…ンっ、………ん、そ…、…ッ…。」

 突然話しかけられたせいで、口の中のトルグを喉に詰まらせたらしい。イザヤの顔が、みるみる赤くなっていく。苦しまぎれに、胸のあたりを必死に叩いてみるが、たいした効果はないようだ。

「―――馬鹿か、お前。」

 レアは、ため息をついて手を伸ばし、牛乳の入った瓶を取ると、イザヤに渡した。

「飲み込んでから話せばいいだろ。」

「んん。」

 イザヤは、瓶を受け取りながらこくりとうなずいた。 そして、喉に引っかかった異物を、牛乳で一気に押し流す。

「…、…っ、…、…、…っ。……ふーう。」

「―――、……ったく…。」

「ありがと、レア。」

 イザヤは、瓶を手元に置くと、深呼吸をする。それから、綿の布で頬をつたう汗をふいた。

「で、どうなんだ。」

 イザヤが落ち着きを取り戻したところで、レアは、もう一度先刻の質問を繰り返した。だが、

「?」

 イザヤは目を丸くする。

「何が?」

「――あのなあ…。」

 大きなため息と共に、レアの肩が落ちる。 イザヤは、はたと気がついて、

「あ、プレムのことだね。さっき見た時はまだ昼寝してたよ。」

 少しも悪びれずに答えた。

「――…、…そうか。」

「……、…どうかしたの?」

 イザヤは、疲れた表情のレアを気づかい、そっと顔をのぞき込む。

「いや、何でもないよ。」

 レアは、適当に言葉を繕うと、目を閉じた。

「…………。」

 そっぽを向かれた理由がわからないイザヤは、食事の続きも忘れて考えこんでいたが、やがて、一つの答えに行きついた。

「あ、そっか。レアも牛乳飲みたかったんだね。――だいじょうぶ、 まだあるよ、ほら。」

 言いながら、牛乳の入った瓶を持ち上げると、懸命に振ってみせる。確かに、瓶の中には、まだ液体が残っているようだ。

「――――――……、貰うよ。」

 レアは、笑みをこらえながら起き上がると、イザヤの手から瓶を受け取り、牛乳を飲み干した。



 まるで、出口のない迷路を彷徨っているようだった。

 昼時の力強い日差しさえも遮断する、うっそうとした森の木々。その重量感あふれる幹と枝には、水気を多く含んだつる草が執拗に巻きついている。二人の男は、時おり喘ぐような呼吸をくり返しながら、それでも陰鬱とした森の奥へと足を進めていた。四方からたち込める濃霧に視界を遮られている上に、沼地を思わせるようなぬかるみにしばしば足を取られて、いったい何度転倒しそうになったことか。森のいたるところに生えている苔は、うすい暗闇の中、彼らをいぶかりながら観察しているかのようで、思わず息を潜めずにはいられない。そして苦しくなったら立ち止まり深呼吸をする。この地に足を踏み入れてからというもの、ひたすらそのくり返しだった。

 ―――シトレの森には、魔物が棲んでいる。

 そんな噂が流れるようになってから、どのくらいの月日が経ったのだろうか。 全身を白銀の毛で覆われ、頭には角が生えている魔物。 体長は小さくて一寸、大きくて一丈と言われているそれを捜し求めて、森を訪れたものがこれまでにも何人といたが、捕まえたものは誰ひとりとしていない。しかしそうなればなるほど、魔物は、貴重な存在として一部の人間に熱望されていった。実際、先刻森に入ってから、同じ目的を持つだろう人間と何度もすれ違っている。

「――チッ、まただよ。」

 二人連れの男の一人――野太い眉に白眼、袖なしで太ももまで丈のある革の鎧を身に着けている男――が、巨体を揺さぶりながら、短剣で、足に絡みついたつる草を切った。

「立ち止まるなよ、ダイナン。」

 もう一方に比べれば小柄な男――といってもかなりいい体格の、細めの白眼で、薄い唇をし、鎖で編んだ鎧を着込んでいる――が、立ち止まった弟を、後ろから急き立てる。

「そんなこと言ったってよ、アドラ兄ぃ、ここら辺、歩きづらいったらないぜ。」

 ダイナンと呼ばれた男は、その風体にそぐわない、猫なで声で言った。 しかし、兄は、限りなく薄い眉毛を引きつらせると、

「うるさい、急がないと他のヤツに先を越されるぞ!」

 弟の臀部を蹴飛ばした。

「――イテッ!」

 弟は、浅黒く汚れた大きな手で患部をなでる。

「行くぞ。」

「わ、分かったよ…」

 蹴られた痛みも癒えぬ間に、脅されるまま、ダイナンは一歩を踏み出す。

「う、うわあぁぁぁっ!」

 同時に、調子はずれの叫び声があがった。

「ダイナ…、あ――ッ!」

 数本のつる草が体に絡みつき、空中に宙吊りにされたダイナンを追いかけたアドラも、寸刻のちには同様の目に遭うことになった。

「な、なんだこりゃあ…。」

「なんだじゃないだろ、お前が前を確認しながら歩かないから、こう いう事になるんだ。」

 大の字の形で宙に吊られた二人は、何とか逃れようと必死にもがいてみるが、つる草は、まるで中に針金が入っているかのように堅くて、びくりともしない。

「とにかく、お前のバカ力でつる草をぶち切れ。」

「ムリだよ…」

「簡単にあきらめるな!」

「でも、」

 ダイナンが恐る恐る反論しようとした時、不意に後方から声があがった。

「――大丈夫ですか?」

「!」

 兄と弟は、顔を見合わせる。相手はどうやら男性のようだ。

「――た、助けてくれっ、」

「ここから下ろしてくれぇ~~」

「情けない声を出すなっ、」

「だってよぉ、兄いぃ、」

 実りのない兄弟ゲンカをしているうちに、一人の青年――赤茶けた髪の毛に、少し上がり気味の漆黒の瞳、銅色の肌をして、くるぶしがほとんど隠れる袖なしの貫頭衣を着、革の紐で作った履き物を履いている――が二人の前に姿を見せた。

「…は―、こりゃすげえなあ。」

 焼けた肌に、鍛え上げられた鋼のような体躯をした精悍な顔つきの青年は、二人の置かれている状況はさて置き、つる草に触れてその強度を確かめながらつぶやく。

「感心している場合じゃないだろう、イースト。」

 その後ろから、穏和な雰囲気の青年――つやのあるこげ茶色の髪、深い森をたたえた緑の瞳に、緑色を主とした膝丈の貫頭衣、その下に長袖の衣を着て、膝下まである革の靴を履き、濃鼠色の外套をはおっている――がもう一人現れた。端正な容姿を少しだけ歪ませている。どうやら、最初に声をかけてきたのは、こちらの青年のようだ。

「解ってるさアルフォード。」

 イーストは、左手を大剣の柄にかけると、鞘から軽々と引き抜いた。 眼光が鋭く閃く。口元には、傲慢とも取れる笑みが微かにあった。

「!」

「ひ、」

「おっと、――動くなよ。」

 言い終えると同時に、イーストは、刃こぼれひとつない切っ先を、荒っぽく宙に突き上げた。両刃の剣身は、四方に広がる濃紺の闇を吸い込んだかのように、にぶく黒ずんでいる。イーストは、獲物に向かってゆっくりと構え、吐き出す息と共に、剣を一気に振り下ろした。風圧で兄弟の髪の毛が逆立つ。つる草は、もろくもちぎられ、弦音に似た音を響かせながら後方に飛び散った。

「おわっ!」

 束縛から開放された体は、支えを求めて落下する。兄弟は、ほぼ同時に尻餅をついた。

「イテテテ…。」

「怪我はありませんか?」

 そこへアルフォードが話し掛ける。

「…あ、ああ、特には…。」

 アドラが、体の状態を確認しながら答えた。アルフォードはゆっくりとダイナンに視線を移す。ダイナンは、首を横に振った。

「そうですか。」

 アルフォードは、ほっと息をつく。イーストは、剣を鞘に収めると、兄弟に背を向けた。

「じゃあな。次から気をつけろよ。」

「――ちょ、ちょっと待ってくれ。」

 アドラは、慌てて傍にいたアルフォードの腕を掴んだ。

「俺達、道に迷っちまって、どうにもならないんだよ。一緒に連れて 行ってくれないか?」

「一緒に?」

「さっきから、木にけつまずくわ、樹液が服に染み付いて虫に追いか けられるわ、そこなし沼にはまって溺れそうになるわ、ほんとについてないんだ。たのむ、助けてくれ。」

 アドラは、アルフォードの手を握ったままでひざまずく。 アルフォードは、少し考えたがやがて穏やかな笑みを浮かべた。

「いいですよ。ただ、ここを出るのは、僕達の用事を済ませてからに なりますけど。」

「結構です、ありがとうございます。」

 アドラは、額を地面にこすりつけた。状況経過の早さについていけな いダイナンは、一重まぶたを見開いたまま呆然としている。

 イースト は、そんな三人の様子を眺めながら右手を左肩に添えると、首を一周くるりと回した。

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