『フレイムレンジ・イクセプション』記念掌編
「――大輝が隠し事をしてるんだけど」
二月三日、月曜日の夕方だった。
柊美里は放課後になってから七瀬七海を喫茶店へと呼び出し、そんな風に切り出した。
「……それをわたくしに相談して、どうなさりたいのですか?」
「アンタが何か聞いているなら尋問、聞いてないなら一緒に暴こうと誘おうかなって」
「どちらにせよお断りしますわね」
どう転んでも七瀬にメリットがないのは、柊自身が理解している。こんなやりとりでほいほい従ってくれるようなお人好しでもないだろう。
「アンタは、大輝が裏で何やってるか知りたくないの?」
「誰にだって隠し事の一つや二つ、あるでしょう? 貴女は大輝様に今日の下着の色まで包み隠さずお伝えするつもりですか?」
「そ、れはしないけど……」
「ちなみにわたくしは一向に構いませんが」
「ちょっとは構いなさいよ!」
何故かそれを想像して自身が恥ずかしくなって顔を赤らめつつ、柊は声を荒くする。
「……アンタ、大輝が何をしてても気にしないの?」
「危ない橋を渡っていなければ」
七瀬はそう言い切る。だが、それは柊も同意だ。
柊がこうして心配しているのは、隠し事がプライベートな内容に絡んでいるとは思えなかったからだ。
「私が大輝を見かけたのは、地下都市の第3階層よ」
その言葉に、七瀬の表情が僅かに張り詰めたように見えた。
九千の能力者が、彼らを生み出した研究所から逃れ生活するために生み出した都市、それが地下都市だ。蟻の巣状に階層が分かれており、それぞれの階層には別々の役割や施設がある。
その中でも第3階層は、居住区ではない。第0から第2階層までは繁華街や住宅地など人の出入りを想定しているが、その階層の目的は『ライフラインの管理』である。
能力者がその能力を駆使して日々の生活を豊かにするための施設が揃っているが、少なくとも発火能力者である東城大輝がそこに出向く理由はどこにもない。
「神戸も連れていたから、おそらくは元研究施設棟にでも入ったんだと思う。あそこで誰か能力者を探して検索してたのかも」
「…………ところで、伝聞ではなく『神戸も連れていたから』と断言する辺り、貴女、もしやストーキング――……」
「この際手段はいいでしょ!」
痛いところを突かれた柊は否定せずに押し切ろうとする。
「その後、地下都市を真雪さんとうろついてた。レベルSで大輝の対極に位置する、あの掃滅ノ姫の、よ?」
能力者の情報を集め、最強の一角に座す西條真雪と共に行動する。そこにどんな思惑があるのか、考えるまでもない。
「この前の大戦でもそうだった。大輝は自分がどれだけ無茶なことをしているか自覚がない。だから、また危ない目に遭おうって言うのなら、それを私たちを護るなんて戯言で遠ざけて、自分一人が傷つこうとしているのなら、私は絶対に止めなきゃいけない」
「なるほど、貴女の言い分は理解いたしましたわ。大輝様は現在、地下都市第3階層で情報を集め、レベルSを頼るような事態に陥っている可能性が高い、と。そして、わたくしたちもそれを止めるべきでは、と」
「そう。だから、何をしようとしてるのか二人で暴こうって、そういう誘いよ。――ちなみに、アンタがとっくに大輝に協力している側だったら是が非でもその内容を吐かせる」
まるで試すように、柊は七瀬を睨む。だがその鋭い視線もどこ吹く風、七瀬は涼しい顔で受け流す。否定も、肯定もしない。
「ところで、今は何時ですか?」
「……急に何?」
「大事な質問ですので、貴女の問いの前にお答えいただかねばなりませんわ」
「…………午後の二時十五分だけど」
「頃合いですわね」
そう言って、答えを告げぬまま七瀬は立ち上がる。
「ちょっと、まだ話は終わって――……」
「答えが知りたいのでしょう?」
食い下がろうとする柊へ振り返りながら、七瀬は小悪魔ないつもの笑みを浮かべる。
「着いてきてくださいませ。その後で、大輝様を疑ったことを羞恥と共に大いに反省してくださいな」
*
案内されたのは、高級マンションの最上階をまるまる一フロア借り上げた、西條真雪の自宅だった。
「……なんで?」
「百聞は一見にしかず、というでしょう? 疑問の答えは、扉の先にありますわ」
怪訝な顔を向ける柊だが、七瀬はどこ吹く風と言った様子でスルーしている。
諦めた柊は一人ため息交じりにノブに手をかけ、扉を開け放った。
瞬間。
パン、パパン、と。
そんな連続した破裂音と共に、紙テープが降り注いだ。
「誕生日おめでとー!」
東城をはじめ、西條や美桜、神戸がいた。見れば陽菜を筆頭に落合たち自警団も揃っていたし、青葉和樹もいる。柊のあまり大きくないコミュニティの中で、親しくしている能力者がそろい踏みだった。
うっすら火薬のにおいを纏いながら、目を丸くした柊はただただ立ち尽くしていた。
「……え、?」
「え、じゃなくて。――今日、お前の誕生日だろ?」
東城の言葉で、ようやく、柊は我に返った。
そう。今日は二月三日。紛れもなく、彼女の誕生日だった。
「――わたくしたち能力者は幼少期を所内で過ごした影響で誕生日を祝う、という慣習は縁遠くはありますが、知らないものではないでしょう?」
「まぁ、そりゃね……」
「それで、記憶をなくしてから外の常識で育った大輝くんが、それ以前に外で暮らしてたわたしと美桜ちゃんに声をかけて、こうして美里ちゃんの誕生日パーティーを企画したのです」
弟が人のために行動しているのが嬉しいのか、何故か西條がドヤ顔で胸を張っていた。
「あ、あれ? もしかして気に入らなかったか……?」
柊がずっと呆けているから、企画側の東城はひどく不安げな様子で様子を窺っている。
「そんな訳ない。嬉しい、すごく、うん……」
それから、小さく、掠れるような声で柊は聞く。
「……あの、さ。少し前に、神戸と二人で第3階層に向かってなかった?」
「うん? いや、情けない話だけど、俺、記憶喪失だろ。お前の誕生日も分かんなくてな。神戸がそろそろだったと思うって言うから、あそこのデータベースで確認しに行ったんだよ」
「……そんな大事な日を忘れる男がいるかよ」
「うるせぇ、バカズキ。テメェがそう言って教えねぇからわざわざ調べに行ったんだろ。なんなら今日はお前だけハブったってよかったんだぞ」
「なんだと?」
突っかかる青葉に東城も応戦して睨み合い、そのままドタバタと取っ組み合いになる。それを呆れながらもいさめる他の仲間をよそに、柊は恐る恐ると言った様子で西條に声をかける。
「あの、大輝と二人で出かけてたのは……?」
「うん? ほら、わたしの誕生日って美里ちゃんが大輝くんにアドバイスしてプレゼンと選んでくれたんでしょ? だからそのお返しに、わたしが一緒に探してたの」
柊の質問の意図が分からないのか、きょとんとしながら西條は答える。それが真実であることはそのリアクションが証左であった。
なるほど、と理解する。
理解して、柊は俯いた。
「…………あの、七海」
「あら、何でしょう?」
「私はどうすればいい……? 正直すごく逃げ出したいんだけど」
顔を赤らめ、穴があったら入りたいと思いながら柊は絞り出すように問いかけた。
東城がこれほど柊のために企画し用意してくれていたというのに、自分はそれでまた彼がよからぬことに首を突っ込んでいるのでは、と邪推していた。それも一切他の可能性を考慮していないほどに、だ。
申し訳なさが羞恥と罪悪感となって八方から襲いかかり、もうどう取り繕ったらいいかも分からなかった。
「だから言ったでしょう? 大いに反省してください、と」
七瀬は呆れたようにそう言って、するりと柊の横を抜けた。
そして、エスコートする位置からそのまま迎え入れるような形で彼女も柊と向き合っていた。
「ただ、逃げ出すことはおやめくださいな。――わたくしのたった一人の親友が生まれた日ですから、祝う前に逃げられるのは困りますわ」
そう言って、彼女は笑顔で手を差し伸べる。
「誕生日おめでとうございます、美里」