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人間 vs サキュバス見聞録

 その街は昔から、変な噂が絶えない街だった。夜に人間とは思えない、獣のような人影を見ただとか、空にはUFOが飛んでいただとか、幽霊を見たという証言もある。

 次第にその街からは人が去っていき、人口は減る一方になった。

 事態を重く見た町長は何とかならないものかと思案して、その取り組みは市長にまで伝わった。そして市長の取り組みが国会にまで伝わって、やがてその街は議題に取り上げられるほどになったという。


――その街の名は、『天龍街てんりゅうがい』。


 議題に取り上げられるようになってからしばらく議論が続き、ついに天龍街は異例の決定が下されることになる。

 それは、その街を国で管理して、そこに住む住人はあらゆる面で保証されることになる。例えば、その街のマンションに住んだり学校に通う場合、一切のお金はかからないし、物を壊してしまった場合も特にお金を取られる事がない。ただし、基本的な買い物、つまりは食料の買い出しなど、生活する上での買い物などはお金を払う必要がある。

 だが当然のことだが、元々住んでいる住人以外の人間でこの街に住むには条件があった。

 それは、病院などの診断で原因不明の症状として、病院では手が施せない状況の者であること。

 つまり早い話が、「病院じゃ治せないから、タダでこの街に住んで生活能力をつけながら療養しなさい」という事である。

 他にもこの街に住むための条件はいくつかあるが、どれも優先順位は下がる。まぁ、上記の条件を満たす住人もなかなかいないため、その枠を埋めるための措置で決めた事だった。

 かといって、何もうまい話ばかりではない。この街に住むには次のような事にも同意しなくてはならない。

 それは、この街で人知を超えた出来事による死亡事故が起きた場合、国は一切の責任は取らない、というものだ。

 つまり早い話が、「頭のおかしい人が理解できないような事件を起こしたり、幽霊に呪い殺されたりしても国は責任を持てないよ」という事である。

 そんな天龍街に、黒羽美羽は数年前から住んでいる。彼女の症状は、過度のストレスや怒りが溜まると、突如意識が反転して狂暴化するというもの。この、コメットによって『覚醒』と名付けられた症状の時には記憶が無くなっていたのだが、それはそんな自分自身を認めたくないという自己防衛によるものらしく、コメットと出会ってからは自分を見つめる機会を得て、少しずつ記憶が残るようになっていった。

 美羽が誰に対して敬語を使うのも、覚醒状態の時に両親を怯えさせ、嫌われてしまうのではないかという気持ちから無意識に始めた事だった。しかし当時、覚醒した時の記憶は残らない。だからなぜ自分が敬語を使っているのか、誰から嫌われたくないのかなど、理由が曖昧になってしまっていたのだ。

 そして今日も、美羽はこの街でコメットと共に暮らしていく。とんでもない街の住人と、その騒動に折り合いを付けながら……

「今日はカレーがいいな~」

「またですか!? 毎日カレーでもう飽きましたけど!? カレー好き過ぎでしょう!」


 学校が休みの昼下がり、美羽とコメットは夕飯の買い物のために商店街へと向かっていた。最近は特に事件も起こらず、平和な毎日と言えた。そんな平和ボケをしながら道を歩いていると、遠くから一人の少女が走ってくるのが目に入った。

 少女は真っすぐ、こちらに向かって走ってくる。


「あの子なにかしら……ミウは下がって!」


 コメットが美羽の前に立ち、構えを取る。少女はブレーキもかけずに、コメットのふところ目がけて飛びかかってきた。


「甘い!」


 まるで闘牛士のように、少女の動きに合わせてクルリと回ると、綺麗に少女の背後を取った。その遠心力を活かしたまま、少女の首に手刀を叩きこむ。


「ぎゃふん!」


 飛びつこうとした少女を避け、手刀まで叩きこんだのだ。もちろんコメットの後ろにいた美羽に、少女は目を回しながら突っ込んでいく。


「きゃああああああ!?」


 ボグウゥ、ゴロゴロゴロ……

 美羽のみぞおちに少女の頭突きがクリーンヒットし、二人は絡まりながら転がっていった。


「ああ! 私のミウになんて事を!! 絶対に許さない!」

「……どう考えてもこうなる原因はコメットさんが避けた事だと思いますけどね。絶対に許せない相手を自分に変更してください……」


 そんなツッコミを入れていると、次第にコメットの表情が変わっていくのが分かった。


「えっ……嘘!? ティナ!?」


 目を回している少女を抱き起し、驚いた表情のまま少女を揺さぶる。

 何やらコメットの知り合いのようだ。


「う~ん……はっ!」


 少女が目を覚ます。その瞳でコメットを捉えると、泣きそうな表情になりながらヒシッと抱きついた。


「コメット~、会いたかったの~」

「ティナ! 本当にティナなのね!?」

「えっと、コメットさんのお知り合いですか?」


 抱き合う二人に困惑しながら、美羽は二人の関係を尋ねてみる。それもそのはず、少女は人間ではなかったのだから。コメットと同じような小さな羽が生えていて、悪魔のような先端がスペード型の尻尾までついている。薄紫色の髪は腰にまで届くほど長く、お金持ちのお嬢様のようなフリフリのドレスを着ていた。


「ええ。この子はミルティナ。魔界で一番の仲良しだったのよ」


 そうしてコメットは、初めて自分が魔界から逃げるように人間界へやってきた理由を話し始めた。ミルティナの種族がサキュバスである事。その両親が魔界ではかなり権力を持っている一族で、ミルティナの血を吸ったコメットに激怒し、魔界全土にわたって抹殺命令が下された事。

 コメットが美羽に説明している間、ミルティナは美羽を睨みつけるような目つきで見つめていた。


「それで、この下級種族は誰なの……?」

「ああ、紹介が遅れたわね。この人はミウっていう名前で、この人の家で一緒に暮らしているのよ。とっても優しくて私の大切な人なの。きゃっ♪」


 自分で言っておいて恥ずかしがるコメットを余所に、ミルティナの眼力が強くなる。その視線は強い殺意さえ感じるほどだ。


「そう、今までコメットがお世話になったの。それじゃあコメット、私と一緒に行くの」

「へ? 行くってどこに? え? え? え?」


 美羽に軽く頭を下げたあと、ミルティナはコメットの手を引いて歩き出す。コメットは何がなんだか分からない様子で戸惑っていた。


「ちょ、ちょっと待ってよ。ティナ、あなた今どこに住んでるの? こっちの世界でお世話になってる人とかいるの? そもそもどうして人間界にいるの!?」

「お世話になっている人なんていないの……私は……コメットを追って、家出してきたんだから!」


 ええ~!? と、美羽は驚きの声を上げて訊ねた。


「こっちに来たら、もう魔界には戻れないんですよ!? それを知っているんですか!?」

「それは大体予想してたの……けど、それでも構わなかった! だってお父様もお母様も、私の話なんてまるで聞かなかったの!! コメットは私の友達だから許してあげてって言っても、許すどころか魔界全土にお触れを出して、逃げ場を塞いで追いつめようとしていたの!! だったら私だっていらない……私から大切な友達を奪おうとする両親も、魔界もいらない! こっちでコメットと一緒に暮らせばいいの!!」

「ティナ……私のためにそこまで……」


 感動で瞳を潤ませるコメットが、ヒシッとミルティナに抱き付いた。そんな涙ぐましい友情に、美羽は割って入る事が出来ないでいた。


「じゃあそんな訳で、山奥にでも行って私と一緒にひっそり暮らすの」

「……え?」


 ミルティナの言葉にコメットが焦ったような声を漏らす。


「で、でも……私はミウがいるし……ああでも、ティナは私のために来てくれた訳だし……うぅ~……」

「そう……この人間がコメットをたぶらかしているの……」


 悩むコメットを見て、ミルティナは再び美羽を睨みつけた。


「だったら、コメットを賭けて私と勝負するの!!」

「えええぇぇ~~!!」


 ミルティナは本気だ。全てを捨ててここまで来た彼女だからこそ、自分の妨げになる者を許さないのだろう。


「この勝負に勝った方がコメットと一緒に暮らす権利を得るの」

「そんな……二人ともやめて! 私のために争わないで! あぁ、でもなんかすごく楽しいわ」


 当のコメットはなんだかすごく楽しそうだった……


「それでティナ、どんな勝負にするの?」

「ん……コメットの事をどれだけ想っているのか、わかりやすく言葉で言い表すの。コメットを感動させた方の勝ちなの」

「おお~!? なんだか愛の告白でもされそうな勝負内容で緊張してきたわ」

「え……? 私まだやるって決めてませんけど!?」


 困惑する美羽だが、コメットはすでに目を輝かせていた。ばっち来いと、なんなら本当に愛の告白でもどうぞと言いたげな瞳をしている。


「こういうのは大体、先手が負けるの。だから先手は人間に譲るの」

「ほ、ほんとにやるんですか? ええっと……」


 美羽は仕方なく言葉を考え始めた。出来る限り二人を説得するようなセリフにしたいと思い、そういう言葉を中心に練りだした。


「じゃ、じゃあいきますね。私はコメットさんが誰と暮らすとか、どんな生き方をしたいとか、そういうのに口を挟むべきではないと思います。それはコメットさんが自分で決めて、その考えに私達が出来る範囲で手を差し伸べるべきじゃないでしょうか? えっと……でも……」


 美羽は一度区切ってから、さらに言葉を続ける。しゃべっていながら自分の想いだとか、感動させるだとか、その辺りがあまりにも欠如している事に気がついた。


「……それでも、私個人のわがままを言わせてもらえば……私は、その……コメットさんと一緒にいたい……です……」


 カァっと顔が熱くなっていくのがわかる。パチクリと目をまん丸くしているコメットの顔を凝視できなくて、思わず顔を背けた。


「か、勘違いしないで下さいねっ! コメットさんをちゃんと見てないと何をしでかすか分からなくて心配なだけなんですからっ!」


 すでに顔を真っ赤にしながら言い訳くさいセリフで誤魔化そうとする美羽に、コメットは嬉しそうに抱き付いてきた。


「ミウかわいい!! これが人間のツンデレって属性よね? 胸のキュンキュンが止まらないわ! 大丈夫ずっと一緒にいるから! 死ぬまで一緒にいるから! ぜひ一緒にいさせてくださいムフー!!」

「コメット落ち着くの! たぶらかされちゃダメなの!」


 鼻息を荒くしながら美羽に頬ずりするコメットを、ミルティナは必死に引き剥がしていた。


「それじゃあ次は私の番なの……コメット、初めて出会った日の事を覚えてる? あの日、コメットは私に楽しいお話を沢山聞かせてくれたの。その日から、自分の庭からあまり出してもらえない私のために、毎日会いに来てくれて、色んなお土産や楽しい遊びを教えてくれたの。いつも私なんかのために付き合ってくれてありがとう。これからは私がコメットを楽しくできるように頑張るの! だからこれからもよろしくね。おしまい」


 ポワ~。

 お花が咲き乱れ、心までほっこりするような空気に二人の頬は緩んでいた。


「ミルティナちゃん可愛いです。小学校でお母さんに感謝の気持ちを伝える作文を書いた娘のようなほっこり感です」

「そうなの。いや作文は知らないけど、ティナってホントに可愛いのよ~」


 二人はお年寄りのように目を細めて、温かい眼差しをミルティナに向けていた。


「敵までほっこりしてるの!? それでコメット、どっちがよかった?」

「そうねぇ~……ティナの言葉は母性本能をくすぐられるような気持ちになったわね。それに対してミウの言葉は、恋人同士のやり取りって言うか、もうトキメキが止まらなくてハァハァしちゃうから、これはミウの勝ちね!」


 ガビ~ンと目に見えてショックを隠せないミルティナは、プルプルと震えながら小さく何かを呟き始めた。


「だ……だ……だ……」

「だ?」

「第一回戦終~了~。次は第二回戦で、先に三勝した方が勝ちなの!」

「ええ~!? まだやるんですか!?」


 自分が勝つまで辞めるつもりはないらしい。だがそれはそうだろう。彼女はそのために人間界まで来たのだから……

「それじゃあ次はどんな勝負にするの?」と相変わらずコメットは楽しそうだ。


「コメットと一緒にいるなら、それ相応の容姿が必要なの。そうじゃないと釣り合わないの!」

「だとしたらミウは大丈夫よ。だってすっごい美少女だもの。もちろんティナも美少女だけどね。って、ミウを美少女と呼ぶならティナは美幼女って言うのかしら? それとも美童女? あれれ?」


 どうでもいい事に悩み始めるコメットを無視して、ミルティナは説明を続ける。


「この辺を通る人に声をかけて、私とあなた、どちらをお嫁さんにしたいか答えてもらうの。10人に声をかけて、多く選ばれた方の勝ち! 誰に声をかけるかはお互いに交代で決めるの!」

「ふふ~んなるほどね。つまり自分を選んでくれそうな人を見た目で決めて声をかける必要がある訳ね。人は見た目で判断できない。けれどあえて、自分を選んでくれそうな人を見た目で判断しなくちゃいけない観察力も試される勝負になるわね」


 勝負の概要を解説してくれるコメットはどこまでも楽しそうだ。


「それじゃあ今度は、私が先行で行くの。人間はそこで見ているの!」


 そう言ってミルティナは道行く人を吟味し始める。その間、美羽はコメットに話しかけた。


「あの、コメットさん……」

「ん? どうしたの?」

「この勝負、正直言って私が有利じゃないでしょうか。見た目が小学生くらいのミルティナちゃんをお嫁さんにしたいと答える人は少ないと思うんです」

「ん~……確かにそうかもしれないけど、ティナが決めた勝負だし、何か作戦でもあるんじゃないの? あ、ほら、誰にするか決めたみたいよ」


 見ると、ミルティナが一人の男性に声を掛けようとしているところだった。


「あの、ちょっと聞きたい事があるの」

「ん? ふぉおおお!? 幼女キターーー!!」


 声を掛けられた男性は奇声を発しながら興奮している。

 小太りでチェック柄のシャツを着ている男性は、メガネをかけてリュックを背負っていた。そのリュックからはアニメのポスターがはみ出している。今日は特に暑くはないのだが、やたら額には脂汗をかいており、そのせいで前髪がぺったりと貼り付いていた。


「もしもお嫁さんにするとしたら、私かあそこの人、どっちにする?」

「ファ!?」


 声が裏返りながらも、その男性はミルティナと美羽を見比べる。


「それはもちろん君でつよ。拙者は13歳以上は年増だと思ってるからね。フヒ♪」

「ちょっと待ってください。それだとほとんどの女性が年増という事になってしまいますが!?」


 美羽の戸惑いなんてどこ吹く風か、男性は目の前のミルティナの虜になっていた。


「コポォ、コポォ、そ、それでキミはなんて名前なのかな?」

「ん? ミルティナなの」

「へぇ~、ミルティナたんかぁ。デュフフ、ミルティナたん萌え~!」


「コメットさん……あの人ちょっとヤバくないですか? 思考も発言も普通じゃないですよ」

「ん~……まぁこの街に住んでる人だからねぇ。きっと病院じゃ治せない病気なんじゃないの?」


 美羽がかなりの嫌悪感に青ざめていると、ようやくミルティナが話を区切ろうとしていた。


「ありがとなの。それだけ聞きたかったから、もう帰っていいの」

「オウフ!? もう終わりでつか!? せ、せめて写メだけでも撮らせてほしいでござるよ」

「シャメ? よくわからないけど、それで終わりにするの」


 男性は携帯からミルティナの写メを何枚か撮ると、天に掲げて喜んでいた。


「ぴゃああああ、ミルティナたんは拙者の嫁ええええ。嫁の画像ゲットオオォォ!!」


 歓喜する男性を放って、ミルティナが美羽のそばに戻ってきた。


「私を選んでくれそうな男性の外見は把握したの! 投票も私が一歩リード。どう? 怖気づいたの」

「そうですね……あと四人も今のような人に声をかけるんだと思うと、恐ろしくもなりますよ……」

「もう勝負は始まってるの。さ、次は人間の番なの。自分を選んでくれそうな人を選ぶの!」


 そして美羽は道行く人を選定する。これは決して難しい事では無い。美羽の場合、ごく普通の、少し年齢層が高い人物を選べばいいだけの話なのだ。なぜならば、いい歳をした大人が小学生を嫁にしたいなどと普通は言える訳がない。

――こうして第二回戦が始まり、互いに五人ずつ選ぶこと数十分が経過した。


「それでは結果を発表するわね~! 6対4でぇ~、ミウの勝ぉ~利ぃ~!!」


 コメットが高らかに美羽の腕を振り上げる。ミルティナはガックリとその場に崩れ落ちていた。


「では、勝利したミウから一言どうぞ~!」

「そうですね、この短時間で幼女と結婚したいという男性が4人も見つかってしまった事で、改めてこの街のヤバさを実感しました……」


 勝った美羽すらげんなりしている。ありとあらゆる性格の者がこの街を闊歩かっぽしているという事実を再認識していた。


「これでミウの二連勝でリーチね。次はどんな勝負にするの?」


 コメットが訊ねると、ミルティナが薄く笑い始めた。両手両足を地面に付けた格好のまま背中の羽をパタパタと動かし、フワリと浮かび上がると急速に美羽の目の前まで飛んできた。一瞬で目の前に移動され、二人の目が合う。

――ギチッ!!


「う! え……? 体が……動かない……?」


 ミルティナの瞳が赤く光ったかと思うと、美羽は金縛りにあったかのように動けなくなっていた。それだけではない。まるで体全体を柔らかい肉壁で包み込まれているような圧迫感まである。


「サキュバスが獲物から吸引する時に、少しでも抵抗出来ないようにするための能力なの。あまり強い力じゃないけれど、低級な人間になら効果は高いはず。第三回戦の内容は単純に、私があなたを奴隷にするから、あなたはただ、私の誘惑に耐えればいいの……コメット、この勝負の許可をちょうだい」


 ミルティナがコメットに許可を取ろうとしている。美羽としては嫌な予感が止まらない。この勝負をコメットに止めてもらいたかった。だが――


「ん~……別にいいわよ」


 コメットはあっさりと承諾をしてしまった。

 二人が何を考えているのか、美羽には理解できない。ただ理解できるのは、今、自分が上位の種族によって捕らわれたという事だけ。

――ギチギチッ!

 美羽を包みこむ見えない肉壁がさらに圧迫してくる。お腹、胸、さらには首まで絞めつけるように、体のラインに沿ってギュウギュウに締め付けてくるために息ができない。


「くぅ……あっ……息が……」


 抵抗して身をよじるが、到底抜け出す事は不可能だった。


「苦しそうに悶えるミウ、なんかエロいわ! ムラムラしてくるハァハァ……」

「エロオヤジですかあなたは!!」


 なぜか興奮しているコメットに全力でツッコむ。美羽はそうせざるを得ない気がしていた。


「ごめん。ちょっと強すぎたの」


 ミルティナが力を弱めてくれたおかげで、なんとか呼吸はできるようになった。だが、未だ抜け出すことは出来そうになかった。

 するとミルティナが羽をパタつかせて美羽に抱き付いてきた。二人の吐息がかかる距離で、ミルティナは小さく呟いた。


「じゃあゲームを始めるの。全力であなたを魅了してあげる」


 そしてゆっくりと顔を近付け、なんと美羽の唇に自分の唇を重ねた!

 美羽は困惑するが、動けないために何もすることができない。

 ヌルりと、舌が入ってきて美羽の舌と重なった。その瞬間、頭が理解の範疇を超えてパニックを起こす。だがそれと同時に体全体が熱くなり、ゾワゾワと快楽がにじみ出てくる。

 ミルティナの舌が、美羽の舌と絡まりながら裏側の奥へと侵入してきた。そのまま奥から手前まで、舌をなぞり上げられる。


「むうぅぅ……んんんんんっ!!」


 コプっと美羽の口から唾液が溢れだす。だが、そんな事にさえかまう余裕はない。まるで頭の中に霧がかかって何も見えなくなるように、ミルティナが舌を這わせる度に体が震え、快感が押し寄せてくる。

 コメットの吸血の比ではなかった。快感の他にも興奮が混じり、体が動けない事で抵抗が出来ずになお感じてしまう。頭がおかしくなりそうだった。


「ぷはっ。あなたの精気おいしの。コメットが夢中になるのもわかる気がする」


 一度呼吸をさせるためだろうか。口を離して少しだけ間をあける。すでに美羽の表情は蕩けていた。


「ふふっ。コメットは私を未熟だと思って許可したんでしょうけど、サキュバスとしての技は遺伝子として受け継がれているの。確かに私は子供だけど、相手を虜にするこの能力は魔界でも一、二を争うレベル。あなたを完全に魅了して、私なしでは生きられないほど虜にしてあげるの! そうすればあなたに執心しているコメットも実質私のもの」


 そうして再び唇を奪うと舌をねじ込んで、下唇に沿って下の歯茎を端から丁寧に舐めつくしていく。美羽の瞳には涙が溜まり、流れ落ちていった。幼い子供に責められる恥辱、けれど抗いようのない快楽。未知への戸惑い、恐怖、けれど僅かな興味。それらが全て混じり合い、涙へと変わっていく。

 下の歯茎が終わると、上の歯茎を舐めつくしていく。気持ちよさはさらに加速していき、まるで体中の細胞の一つ一つに快感を与えられているように、ゾクゾクが止まらない。


「もう、止め……むぐぅ!」


 しゃべろうとしても無理矢理口を塞がれて吸いつくされる。その場は淫らな音が響いていた。

――ドクンッ!

 鼓動がひときわ高く跳ね上がると、何かが押し寄せてくるもの美羽は感じた。

 吸引限界。

 吸血と同じで、生物に対して必要以上に吸い過ぎないように組み込まれている防衛処置。精気というものを吸い過ぎるとどうなるのか美羽にはわからない。けれど、確かにそれは近くまで迫っていた。


「ちゅぱ。おいしいの……じゅるるるるるるっ!」

 ミルティナが一気に吸い上げる。唾液も、吐息も全部まとめて吸い上げると、同時に美羽の体が跳ね上がった。


「うっくっ……んああああああああああぁぁっ!!」


 頭の中どころか、目の前さえも真っ白になりながら、美羽は盛大に果てた……


――「ん~、すごく美味しかったの」


 満足気に伸びをするミルティナ。その足元には、倒れ込む美羽の姿があった。意識はあるが、虚ろな目で息が荒い。そんな美羽のそばで、ミルティナは羽をパタつかせて、まるで空中に座るような恰好のまま浮かび、倒れている美羽に向かって足を伸ばした。


「さぁ人間。私の靴にキスをするの。そうすれば契約は完了して、あなたは永遠に私の奴隷なの」


 美羽がピクリと反応して、ゆっくりとその身を起こす。


「あなたはもう逃れられない。あの快楽を味わってしまったら、体が覚えてまた欲しくなる。私の奴隷になれば、毎日今のような快楽を与えてあげるの」


 下を向いたままの美羽がミルティナの足に手を伸ばす。未だに顔は赤く、手は震えていた。


「いえ、今の快楽なんてまだ序の口。もっともっと気持ちのいい事をしてあげるの。この世で絶対的で、これ以上にない甘美な快楽。あなたはそれを手に入れる事が出来る。それはとても幸せな事なの。さぁ、私の靴に誓いの口づけを」


 俯いたままミルティナの靴に手を伸ばし、触れそうになる位置で手が止まった。

 そして――

 パン! とミルティナの足を払いのけた。


「え!? 嘘……」


 ミルティナが驚く。なぜならば、顔を上げた美羽の瞳にはしっかりとした光が宿り、ミルティナを睨みつけていた。


「私を……人間をなめないで下さい。快楽で人の心まで従えられるだなんて思わない事です!!」

「そんな!? 私のメルティキッスが効かないの!? 心も体も、全部私のモノになるように本気でやったのに」


 すると今まで静観していたコメットが、何食わぬ顔で近寄ってきた。


「やっぱりね~。ミウってこういう魅了系の技が効かないのよ。私の吸血にだって依存しないんだから。こうなる事はわかってたわ」

「いや、だからって見てないで止めて下さいよ。死ぬほど恥ずかしかったんですから!」


 立場は完全に逆転していた。ガクリと崩れ落ちるミルティナを立ち上がった美羽が見下ろす。決着は着いたのだ。


「これでミウの三勝目。ミウの勝ちね~」

「負け……私の、負け……なの……?」


 うな垂れるミルティナの小さな体が震えているのがわかった。


「それじゃあ私、なんのために人間界まで来たの……? コメットに会うために、一緒に暮らすためにここまで来たのに! 住んでる家も、庭も、家族も魔界も富も権力も何もかも捨てて家出してきたのに!」


 ポタポタと地面が濡れていく。ミルティナの悲壮な想いと比例して、止めどなく涙が零れていった。


「結局私には何も残らなかった……うわあああああああああん」


 ついに俯いたまま、ミルティナは大声をあげて泣き出した。

 コメットが慌てて駆け寄ろうとするが、それよりも早く美羽がミルティナの前に屈みこんでいた。


「ミルティナちゃん泣かないで下さい。あなたも私のお家に来ませんか?」

「ふぇ……? でも私、勝負に負けたの……」

「別に、私が勝ったらどっか行けだなんて決めてませんよ? だから、一緒に暮らしませんか? 私の部屋なのでもちろん私も居ますけど、コメットさんとも一緒にいれますよ?」


 そう言って、ミルティナの頭を優しく撫でる。

 少女は戸惑っているようだった。


「そうしましょう! 私もティナと一緒に居たいわ!」


 コメットが満面の笑みでミルティナを見つめる。そんな彼女にすがるように、ミルティナはコメットの腰に抱き付いた。もう離れたくないという気持ちが伝わるくらいに、強くしがみついていた。


「わかったの……けど、私はまだ人間の事、信用してないから! 私はコメットの言葉しか信じないから!」

「それで構いませんよ。それじゃあ買い物の続きに行きましょうか」


 そうして美羽は歩き出す。今はこれでいいと思っていた。いきなり別の世界にやってきて、右も左も分からない状態でその世界に住む者の言う事を真に受けるなんて、騙してくれと言っているようなもの。だから少しずつでいい。毎日を通して、少しずつでも心を開いてくれたらそれでよかった。


「ねぇティナ」

「……ん?」


 美羽の後ろにコメットがつき、そのコメットが腰にしがみついたままのミルティナに声をかけていた。


「あなたにはまだ分からないかもしれないけど、人間って結構面白くて、優しくて、そして強い種族なのよ?」

「……」


 ミルティナが前を歩く美羽を見つめる。憂いを帯びて、けれどどこか熱い視線。そんな彼女が一体何を思っているのだろうか……

 今日この日から、美羽のアパートには一人のルームメイトが増えたのだった。

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