うたかた少女見聞録①
「もうダメ……コメッ……さ……あっあっあぁ! やああああっ!!」
寝室に嬌声が響き渡った。
美羽の体は大きく跳ね、しばらくビクビクと震えたあとに、ぐったりして動かなくなる。
今日もコメットに血を吸われて、盛大に果てたのであった。
「ん~~! 美味しかった~。もうお腹いっぱいだわ♪」
最初にミルティナの血を吸っただけに飽き足らず、続いて美羽の血まで吸ったコメットはどこまでも満足そうだった。
「ミウったら~、イヤだイヤだ言いながらも、私が首筋を舐め回すとそれだけで抵抗できなくなっちゃうんだから~。可愛いかったぞ♪」
「はぁ……はぁ……はぁ……」
美羽は未だに呼吸を荒くして、起き上がれないでいた。
「それとも~? 本当は私に吸われるのを期待しちゃってたのかしら~?」
「はぁ……はぁ……はぁ……」
コメットの軽口に付き合う余裕なんて無いほどに、美羽はベットから起き上がれないでいた。
「も~、このツンデレさんめ~♪」
「はぁ……はぁ……っくぅ……」
「……って、あれ? ミウ? どうしたの? ねぇちょっと!」
さすがに美羽の様子がおかしいとコメットが気付いた。
「嘘でしょ!? ねぇミウ、具合悪いの!? もしかして私、吸いすぎちゃった? あぁでも、吸引限界以上は吸ってないし……」
「あ……くぅ……」
身悶える美羽に、コメットは本気で取り乱し始めた。
こんな事は今までになかった。だからこそ、今、何が起きているのか全く分からなかったのだ。
「ねぇミウ、しっかりして! ぐすっ、お願いだから……元気になってよぉ……」
コメットがついに泣き始めた。それもそうだろう。今まで過ごしてきて、彼女が美羽の事を大事に想っているのは明白だ。どんな時でも美羽の気持ちを優先して、気遣ってきた。
今、美羽が苦しんでいるのは自分のせいかもしれない。そんな責任と重圧で、コメットは一種のパニック状態になっていた。
「コメッ……ト、さん……」
「なに!? どうしたのミウ!? なんでも言って!!」
ゆっくりと美羽がベットから起き上がる。そしてその体を支えようとするコメットだが……
――ボムっ!
「へっ?」
肩を強く押され、美羽に押し倒されていた。
コメット上から押さえつける美羽は、顔が赤く、目が虚ろで、未だ息が荒かった。
「コメットさんばかり、ずるいですよ………」
「えっと……何が……?」
「私だって、コメットさんが欲しいです!!」
そう言って、美羽はコメットの唇を無理やり奪った……
困惑するコメットを無視して、自分の舌をねじ込み、コメットの口の中をなぞり上げていく。
「むうぅ!? んんんん~~!?」
状況が理解できていないコメットを気にもせず、美羽はただ、コメットの口を貪っていく。
「ぷはっ!」
一度美羽が口を離した。
ようやく息ができるようになったコメットは、大きく息を吸って呼吸を整えようとしていた。
「ミ、ミウが壊れた……」
「体が熱いんです……もっと欲しいんです……我慢できないんです。もっともっともっと――」
「……いいよ」
コメットの言葉に、虚ろだった美羽の目が大きく開かれた。
「私、ミウになら何されてもいいから……だから、好きにしていいよ?」
――ドクン!
美羽の鼓動が高鳴った。
体全体がコメットを欲していた。
愛おしくてたまらなかった。
だから……美羽は再びコメットの唇を塞ぐ。
舌を絡め、なぞって、吸いつくして……とにかく貪る!
「じゅる、ちゅぱ……ぷはっ、ミウ好き、大好き!」
「私も……好きです!!」
コメットの唾液も、吐息も、全てを吸い取る。
妙にお腹が減って、ご馳走を前に我慢できない子供のような感覚だった。
「むぐぅ……やっ、弾ける! いやああああああっ!」
コメットがひときわ甲高い声で悲鳴を上げると、体が跳ね上がった。そしてそのままゆっくりと沈んでいく。
さっきとは立場が逆になったその光景を前に、美羽の虚ろだった瞳がようやくはっきりとしたものになっていった。
「あ、あれ? あわ、あわわわわ、私、今コメットさんを!?」
「えへへ~、私、ミウに襲われちゃったぁ♪」
「ご、ごめんなさい! わ、私はなんて事を……」
にへら~っと笑うコメットに対して、ベットから飛び降りて美羽は土下座をしていた。
「これはアレだな~。妊娠ちゃったな~。今日は危ない日だからな~♪」
「そんな訳ないでしょう! キスで子供が出来たらビックリですよ!!」
「でも、ミウがあんなに私の事を求めてくれるなんてな~。うへへ~♪」
「ああああれは違うんです! なんかいきなり体がおかしくなって……今の出来事は忘れて下さい! 全部嘘ですから! やったことも言ったことも、全部嘘ですからぁ!」
「えぇ~!? 好きって言ってくれたことも!? それは普通にショックなんだけど!?」
「あ、あれは……まぁ嘘って訳では……ってなに言わせるんですか!?」
完全にいつもの美羽に戻っていた。
それ以降、美羽の様子がおかしくなる事はなかったために、当の本人でさえもあまり深くは考えなかった……
・
・
・
「ミウ~、ご飯まだ~?」
「はいはい。もうすぐですよ」
そう言って、夕食のカレーをテーブルに並べる。そんな時だった。
――「ここで臨時ニュースです。夕方五時頃、ここ天龍街にドラゴンが出現して、一人の女の子がさらわれるという事件がありました。目撃情報が多数あり、現在このドラゴンの行方はわかっておりません」
ぶふーー!!
口に含んだ水を盛大に吹き出して、コメットが打ち震え、隣にいるミルティナも目をまん丸くしていた。
「スフレじゃん! これってスフレの事だよね!? あいつ何やってんの!?」
テレビの映像にはドラゴンの姿は映っていない。現場の映像や、目撃者の話が流れていた。
そしてそれを、美羽もジッと見つめていた。
「ミウ、見て見て! なんかえらい事になってるわよ! どうしよう!? スフレ探す?」
「……いえ、探さなくても大丈夫ですよ。それよりも早く食べちゃってください」
美羽は落ち着いていた。そして一人でカレーを食べ始める。
「あれ、驚かないの? これ絶対スフレの事だよね?」
「私はスフレさんの事を信じています。だからここはスフレさんに任せましょう」
「え? え? どゆこと?」
コメットとミルティナは意味が分からない様子で顔を見合わせ、美羽は神妙な面持ちでニュースを眺めていた……
* * *
「ふぃ~、この辺でいいかのぅ」
小柄な少女がブレーキをかけて呟いた。
赤い髪で、どこか年寄りくさいしゃべり方の少女。ドラゴニアのスフレだ。
「たまには竜の姿に戻らんとストレスが溜まっていかんわ」
現在、真夜中の0時。
場所は以前、美羽と争った森林公園の外れ。周りの木はあの時に薙ぎ払われたまま、横倒しになったままだった。
スフレはこうして、定期的に竜の姿に戻るため、人気のないこの森を訪れるようになっていた。竜の姿にならずとも、ドラゴニアの身体能力ならば人型であっても、あっという間に到着するほどの跳躍力とスピードを持っている。
さて、さっそく竜化しようとしたその時だった。周囲に人の気配を感じて思いとどまる事にした。
「そこにいるのは誰じゃ?」
呼びかけに答えるように、一人の少女が姿を現した。
「ええっと……こ、こんばんは。いい夜ですね」
見つかっちゃったと言わんばかりの、誤魔化すような笑みを浮かべていた。
しかしここは森林公園からかなり外れた場所だ。足場だって悪いし、こんな時間に入り込んだら迷子になる可能性だって低くはない。
「お主、ここで何をしておる」
スフレが警戒しながら問い詰める。
少女はワタワタとしながらもしっかりと答えてくれた。
「あ、怪しい者じゃありません。私、郎女 夕って言います。ここには、お化けを探しに来ました!」
「お、お化け?」
「はい! あなたはもしかして、お化けですか?」
そういって、手に持つ懐中電灯の光を付けて、スフレを照らした。
ほのかに映る夕という少女は、長い黒髪を二つに分けて、首のあたりで縛っていた。
どことなく美羽が髪を結ったように見えるスフレだが、考えてみれば人間という種族は髪の色が同じであれば、誰でも似たような外見だと思った。
「お化けだとしたらどうする? お主を食い殺してしまうかもしれんぞ!」
もちろん冗談だ。けれど、竜に戻るタイミングを邪魔された事が、ちょっとばかり癪だったため、脅かしてやろうと考えたのだ。
けれど――
「はい! 構いませんよ。私、命賭けてますから!!」
「えぇ~……」
まさかの答えに、さすがのドラゴニアも困惑せざる得なかった。
そしてなぜか、スフレは夕と一緒に並んで座り、おしゃべりをすることになっていた。なぜこうなったのかはわからない。けれど、この夕という人物がスフレに興味を持ったらしく、グイグイ話しかけてくる。
「あの、お名前を教えてもらってもいいですか?」
「あ~……スフレじゃ」
「スフレさんですか? 変わった名前ですね? 外人さんでしょうか?」
てきとうに返事をして終わらせるつもりが、いつまでたっても終わらない。
なんだかすっかりと夕のペースにはまっているような気がした。
(そういえばこの娘、人間界で目上を敬う敬語とかいう言葉遣いじゃな。儂のような子供にも使うという所がミウに似ておる。よくよく考えれば、名前からして少し似ておるな)
今日限りだし、少しくらいは話しに付き合ってやってもいいかと思った。
「ユウよ。お主はお化けが好きなのか?」
「あ、はい! 実は私、学校ではオカルト研究会というのを作っていまして、大のオカルト好きなんです! ですが霊感が無いせいか、これまで一度もそういう経験をした事がなくて、これはもう、命を賭けるしかないと思いました!」
「いややり過ぎじゃろ!」
呆れて物も言えない。が、その心意気は気に入った。
ドラゴニアは勇気や度胸のある者を好む習性がある。逆にミーニャのような、いつでもオドオドしているような相手を見るとイライラする。そう言った観点からすれば、夕は好感が持てる相手だと言えた。
「で、お化けに会うためにこんな時間にこの森へ入り込んだという訳か」
「はい! ですが見て下さい。この周りのなぎ倒された木々を! これは絶対に人間の仕業じゃないですよ! スクープです! きっとこの辺に、人知を超えた怪物が住んでいるに違いありません!」
まぁ、当たっている。これをやったのは今、目の前にいるスフレなのだから。
「それに、スフレさんにも会えました」
「……なに?」
「やっぱり一人でこんな所に来ると、さすがに気が滅入ります。なので今日、スフレさんに会えてよかったです」
えへへ、と、純粋な笑顔を向けられて、何故か体が熱くなるような感覚を覚えた。
「そろそろ帰るぞ」
「ええ!? もうですか!?」
なんだかこの少女と一緒にいると、調子が狂う気がした。
「いや、十分に遅いじゃろ……お主は家族が心配せんのか?」
「ご安心を! 私のオカルト愛は両親でも止められないと諦めています!」
「それは……難儀じゃな」
そう言ってそそくさと帰ろうとすると、後ろからまた声をかけられる。
「あの、もしよければ明日もここで会いませんか? この森を荒らした正体を一緒に突き止めましょう!」
「あ~、気がむいたらの~」
そう言って、夕を置いてさっさと帰った。
そして美羽と同じ、白雪マンションに着いたスフレは九階の自分の部屋へと入っていく。
もう布団に入って眠るだけだ。けれど、眠るまでの間、なぜか夕の事ばかり考えていた……
次の日、何故かスフレは同じ時間、同じ場所で夕を待っていた。
(いやいや違う違う。別に気になった訳ではない。昨日は竜に戻れなかったから今日こそタイミングを見て羽を伸ばしたいだけじゃ。言葉通りのな!)
なんだか自分に言い聞かせている部分もあるようだが、その羽を伸ばすという期待はあっさりと裏切られた。
「あ~! スフレさん来てくれたんですね~」
夕がトコトコと姿を現した。
はぁ、今日も竜化は諦めるか、と思いつつ、何故かそこまで嫌な気分ではなかった。
(そう言えば、人間界に来て長いこと暮らしておるスライムやミーニャは敬語を使っておるのぅ。儂もいつかは敬語を覚えなくてはならんのか? 面倒じゃの~)
「では、この森を荒らした正体を探しに行きましょう!」
「ちょっと待てユウよ。少しは儂からも質問さてくれ」
「はい。なんでしょう?」
「お主のように誰に対しても敬語を使う者を儂は知っておる。そやつは……まぁ訳ありだったんじゃが、お主はどうして誰に対しても敬語を使うのじゃ?」
「……」
夕は少し考え込んでいた。
「色んな人にお世話になったからでしょうか。私は多くの人に支えられ、助けてもらってきたんです。だから、いつの間にか誰に対しても敬語を使うようになっていました」
いやお恥ずかしいと照れ笑いを浮かべる夕を見て、やっぱり美羽と似ていると感じていた。
美羽。この人間界に来て、一番初めに出会い、そして気に入った人間。
強く、優しく、自分の意思を曲げずに、人間という力のない種族でありながら懸命に挑もうとする所が美しい。そんな彼女に似ている夕という少女を、気にならない訳がない。
「なぁユウよ。一つ頼みがあるんじゃが……」
「なんでしょうか?」
「儂に敬語を教えてくれないか? ほら、知り合いには恥ずかしくてこんなこと頼めんじゃろ? ユウになら教わっても良いかなと……まぁそう思ったわけじゃ……」
「でも、それって毎日会わないとダメですよ?」
「うむ。儂は良いぞ……まぁ、お主が良ければの話じゃが……」
照れくさくて頬をかきながら、チラッと夕の方に視線を移してみる。すると、こんな暗い森の中だというに、眩しいくらいの笑顔でこっちを凝視していた。
「はい! もちろんいいですよ! わぁ~嬉しいです! 私もスフレさんともっと会いたかったんです! ありがとうございます!」
そう言って、ヒシっと抱き付いてきた。
なんで夕がお礼を言うのか理解できない。本当に、この娘と居ると調子が狂うと思った。
「あ、でも、この森を調査するのも忘れないで下さいよ。それも重要ですから!」
「いや、もうその必要ない」
そう言ってスフレは立ち上がり、夕の前に立ち両手を広げた。
「この森をやったのは儂じゃからな」
「……え?」
夕は唖然としていた。
無理もない。いきなりすぎた。
「敬語を教えてくれるお礼に真実を教えてやろう。儂はドラゴニアという……まぁお主たちの間でドラゴンと呼ぶ種族じゃ。ここに初めて来た時にちょっと暴れてのぅ。その時に木を何本か倒してしまったんじゃ。よかったのぅ。初めてオカルトと呼べる相手に出会えたぞ? 嬉しいか?」
そう言っても、夕は固まっていた。
これはある意味スフレの思惑で、同時に試す意味も含まれている。
スフレはこの街で共存するには、正体を隠すのではなく、むしろバラしていかなくてならないと考えている。だからこそ、こういう伝えられる機会があるのなら、積極的にバラして、少しずつ認知してもらえればいいと思っていた。
だが、もし夕がこの事実を受け入れる事が出来ず、怯えて逃げるようでは毎日会うという約束は破却する。自分の見る目が無かったと、相手を試す意味合いもあったのだ。
「スフレさんが、ドラゴン?」
「そうじゃ。怖いか?」
「す、凄い……凄いですよ! 初めてそういう相手に出会いました! やっぱりこの世界は不思議で満ち溢れていたんです! 誰もなかなか出会えないだけで、やっぱりそういう人智を超えた出来事はまだまだあるんです!」
驚いた。怯えるどころか、感動している。まだ証拠すらみせていないというのに……
けど、だからこそよかったとスフレは安心した。人間の中で二番目に気に入ったのが彼女でよかったと、本気でそう思った。
「あの、それじゃあドラゴンの姿になれるんですか?」
「ああ、なれるぞ」
「すごい! ぜひ写真を撮らせて下さい!」
そう言って、夕は四角い箱を取り出した。
「シャシン……? とはなんじゃ?」
「知らないんですか? このカメラで撮ると、その映像を記録できるんです!」
ドクンッ! と、スフレの心臓が跳ね上がる。
それは危険だと、頭では警鐘が鳴り響いていた。
確かにスフレは自分から正体をバラす機会をうかがっていた。けれど映像として残るのはマズい。そう本能が告げていた。
個人に見せるだけなら構わない。その相手が誰かに話したとしても証拠はないし、信じようが信じまいが、そうやって少しずつ広めていくのがベストだから。
けれど映像として残ってしまうと、それは確かな証拠となり、それを見た相手に与えるインパクトは壮絶なものとなる。下手をすれば一気に動揺が広がり、共生、共存どころか争いが起きかねない。
「いや、それはダメじゃ。竜の姿は見せられん」
「え~、どうしてですか~……」
「証拠として残すのはマズい。儂らはまだであったばかりじゃ。まだそこまで信用はしておらぬ」
夕が少し、悲しそうな表情を見せた。それがスフレの胸にチクりと刺さるが、ここで下手を打って美羽に苦労をかける訳にはいかない。
ついこの前、任せろと言ったばかりなのだから……
「じゃあ、写真は撮りませんからドラゴンの姿を見せて下さい」
「……まぁ、そのうちな。儂がお主を本当に信用したならその時に見せてやろう」
「本当ですか!? 絶対ですよ~」
(まだじゃ。今はまだ見せる訳にはいかん。この娘はオカルトというジャンルにおいて、異常なまでの執着を見せておる。命さえ賭けている。姿を見せた瞬間に映像を記録され、周りに公開されるという可能性がある。まだ、今はまだ心を開くな……)
だが、その日からスフレと夕は毎日のように会い、言葉を交わした。
時間は少し早めて、夜の9時から0時までの間という事になり、その間、二人は色んな事を話す様になっていた。
「ユウはどうしてこの街に来たのじゃ? やはりオカルトがらみか?」
「そうですね。この街は昔から変な噂が絶えない所でしたから。私にとっては絶好の場所なんです! ……まぁ、理由は他にもありますけど」
「ほう。それはなんじゃ?」
「ん~……まだ秘密です。スフレさんが本当の姿を見せてくれたら教えますよ?」
駆け引きがうまい娘だと思った。
恐らく、自分に竜の姿を見せるためのてきとうな嘘なのだろう。そんな事で正体を晒す訳にはいかない。
そういうやり取りを得ながらも、さらに夕との時間は過ぎて行った。
「スフレさんの頭にはアホ毛が生えてますよね。可愛いです」
「アホ毛!? アホ毛とはなんじゃ!?」
「クスクス。その頭のてっぺんで揺れている跳ねっ毛の事ですよ」
「これは角じゃ。儂は一角の赤竜じゃからな」
「そうなんですか!? わぁ~カッコいいですね!!」
一日が過ぎ、二日が過ぎ、雨が降る日以外は毎日のように夕と会っては雑談を交わし、お化けを探して森の中をうろついたりもした。
「スフレさんって、お年寄りくさいしゃべり方ですよね? もしかしてドラゴンなので、見た目よりも高齢なんですか?」
「いや、儂はまだ13歳じゃ。ただ、魔界にいた頃に他のドラゴニアが年寄りばかりだったんで、喋り方が移ってしまっただけじゃ」
「へ~。じゃあ会えなくて寂しいんじゃないですか?」
「ん~……でもまぁこっちの世界も案外楽しいからのぅ。面白い奴も多いし」
夕と話すようになってから、毎日がもっと楽しくなった気がした。
いつも夜の森を歩いて奇妙な現象を探すけれど、結局は何も起きない。そのあとは敬語の勉強をして、すぐに飽きて関係ない話に移っていく。そんな流れだ。
夜じゃなくて昼に会おうかとも思った。けど、夕にとってはオカルト現象を探すのは夜が最適だ。なんとなく、そんな夕の意思を妨げたくは無かったし、夕の方からも夜以外に会おうという話は出なかった。
――自分はオカルト探しの二の次にされている。
そんな釈然としない感情が沸く事もあったが、それはスフレが言える立場ではないだろう。スフレもまた、夕に本当の姿を見せてはいないのだから。
――そんな曖昧な関係を続けて、さらに数日が立った日の事。
「スフレさん……」
「おお! 来たか!」
今日も夜の森に夕がやってきた。
けれど、どこか元気がないように見えた……
「今日は、スフレさんにお別れを言いに来ました……」
「…………え?」
一瞬、頭の思考回路が停止して何も考えられなくなった。
「もう夜の外出が認めてもらえなくなって、ここには来れなくなったんです」
「そ、そうか……なら、昼間はどうじゃ? 儂は昼でも暇をもてあましているぞ?」
「ごめんなさい……日中はちょっと用事があって会えないんです。だから、本当に今日で最後なんです……」
地面が揺れた。目まいがするような感覚にとらわれて、世界がグニャリと捻じれたのかと思った。
夕の言葉はスフレにとって、それほどまでにショックだった……
「だからその……最後に見せてもらえませんか? ドラゴンになるところ」
「……」
迷った。迷って迷って、しばらくの間なにも言えなかった。
夕は今、カメラを持っていない。だから見せてもいいように思える。
けれど……
もし隠し持っていたとしたら?
ここにカメラを持った他の誰かを連れてきていたら?
そもそもこの話自体が、本当の姿を見るための嘘だったとしたら?
竜の姿を記録されるかもしれないという事態だけは、絶対に避けなくてはならない。スフレはそれほどまでに、カメラの存在を懸念していた。
そして――
「……ダメじゃ。まだ見せるわけにはいかん」
小さく、そう答えた。
「……そう……ですか……」
夕も、そう小さく答えた。
その時の夕の表情が、スフレの胸に突き刺さった。
とても悲しそうな表情だった。まるで信じていた者に裏切られたかのような、この世の終わりを見たような、そんな、とても深い悲しみに包まれた時の表情。
「あ……けど、もしもまた儂と出会う事があれば、その時は見せてやるぞ」
慌ててそう言い繕う。
夕は少しだけ笑うと、丁寧に頭を下げた。
「それは……楽しみです。では、さようなら……」
そう言って、すぐに元来た道を戻っていった。
――どさり……
スフレがその場に崩れ落ちた。しばらくそのまま動けずに、何も考えずに、ただ人形のように固まったままでいた。けれど、どんなに放心しても、夕のあの悲しそうな表情は胸に突き刺さったままだった。




