人間 vs 上位種族見聞録②
天龍街の外れに緑が多く残っている山がある。そこにアスレチックを一定間隔で設置して、それらを一つずつ攻略しながら森の中を進んでいくという森林公園があった。
小さな子供ならば、最後まで辿り着く前にばててしまうだろうという規模の遊び場で、その正式なルートから外れた森の中を三人は飛んでいた。
あの竜がこの辺に降り立ったであろうと、それだけを頼りに三人はキョロキョロと辺りを見渡して竜を探した。だが、巨大な竜どころか野生の鳥さえ見かけない。
少し前までは雷雲が立ち込めてゴロゴロと嫌な音を鳴らしていたにも関わらず、あの竜が出現してからは青空が広がり、森の中でも木漏れ日が差していた。
先ほどの天気の影響か、森林公園には人が誰もおらず、密かに竜と会うには丁度いいと思ったが、その竜が全く見当たらない。そんな時だった。
――「あそこ、誰かいるの」
ミルティナが遠くを指差した。そこには、遠くからでも目立つような赤髪をした人影があった。美羽はコメットに抱えられたまま、ゆっくりとその人影に近付いていく。それはまぎれもなく少女だった。
周りは木々に囲まれているが、少女のいる場所は少し開けた場所となっていて、日の光が差し込んでいた。山なだけあって、岩肌で段差が出来ている箇所もあるために、人が入り込んでこれるような場所ではない。
それでも一応三人は、地面に降り立って歩いて少女に近付いていく。
足音が聞こえるくらいの距離まで近づいた時、その少女はゆっくりと振り返った。
「お前達、何者じゃ?」
とても澄んだ、少女らしい可愛い声だった。
赤髪のセミロングで、修道院で着るようなローブを身にまとい、けれどフードは被らずに一本の髪の毛がピンとはねていた。
ミルティナよりも背が高く、コメットよりも背が低い少女は瞳の色まで赤かった。
「魔界の瘴気と鱗の匂いがするの。間違いなくドラゴニアなの……」
ミルティナがそう美羽に伝える。相手にも聞こえているだろう。
それにしても想像していた以上の美少女で、美羽は拍子抜けしていた。
「ミ、ミウ……逃げよう……」
コメットがそう言った。降り立ってからずっと、コメットは美羽の後ろに隠れてばかりだ。
ここまで来て話し合いもせずに逃げるなんて選択肢があるのだろうか? あるはずがない。
美少女に目がないコメットにしては妙だと思いながらも、美羽は赤髪の少女の問いに答える事にした。
「私はこの世界に住む人間です。敵意はありません。あなたと話がしたいだけです」
「ふむ。いいじゃろう。儂もこの世界の情報が欲しかったところじゃ」
願ってもいない答えが返ってきたことに、美羽の心は弾んだ。二人から聞いていたよりもずっと話の分かる相手だと思った。
「魔界には人間という種族は存在せん。まぁ似たような姿の者は多いがな。強いのか?」
「いえ、むしろ弱いですよ。どっちかと言うと、考える事に長けた種族だと思います」
「なるほど。頭の良い種族か」
表情を変えず、落ち着いた様子で少女は答える。それはもしかしたら対等ではないのかもしれない。赤髪の少女がその気になればいつでも相手を屠れる。だから慌てる必要もないし、怯える事もない。未知の種族と出会ったにも関わらず、全くの無表情なのがその証拠と言えた。つまりは美羽の命は少女の気分次第なのだ。
けれど、それでもいいと美羽は思っている。とにかく話を聞いてもらえるなら、それは願ったりかなったりだからだ。
「この街は平和です。魔界の住人も暮らしていますし、あなたの住む所も用意できます。だから争いごとは起こさないでほしいんです!」
「……郷に入れば郷に従えと言う事か。分かった。おぬしに従おう」
「あ、ありがとうございます!」
肩の荷が下りたようで、一気に気持ちが楽になった。
安心感がドッと溢れて、その場にへたり込みそうになる。けれど気を抜く訳にはいかない。まだまだ考えなくてはならない事が多いのだから。そもそも竜の姿を見た者は美羽だけではないだろう。この少女が人間の姿になれるといっても、隠しきれるのだろうか……?
それでも今は、物事が良い方向に向かっている。それは素直に喜ぶべき事だと言えた。
「お主以外の二人からは魔力の匂いがする。そやつらは何者じゃ?」
やたらお年寄りくさい言葉遣いで少女がそう聞いてきた。
見た目は少女でも中身はドラゴニア。もしかするとかなりの高齢なのかもしれない。
それでも、頭のてっぺんで揺れるはねっ毛が愛らしく感じた。
「私はミルティナ。種族はサキュバス。ミウと一緒に暮らしているの。それでこっちが」
次はコメットの番だと言わんばかりに視線を向ける。だが――
「ミウ……逃げよう……」
コメットはずっとこんな調子だった。美羽の後ろに隠れて出て来ようとしない。
「なに言ってるんですかコメットさん。ちゃんと話の分かる相手なんですから、挨拶して下さい!」
美羽は後ろに隠れるコメットを無理やり前に突き出した。
……そして気付いた。コメットが異常なほど震えている事に。
あまりにもガタガタと震える体に、流石におかしいと感じたその刹那――
「くっくっく……ふっははははははは」
さっきまで無表情だった赤髪の少女が突然笑い始めた。
「なんという運命か。まさかここで出会うなんて思いもしなかったぞ。コメットさん」
グラグラと地面が揺れた。いや、揺れたような感覚に陥った。
普通の人間である美羽にさえわかるほどの、恐ろしい殺気が広がっていた。いや、殺気なんてものは正直分からない。だが、少女から吹き出すネットリとし熱風が、凍り付くような鋭い目つきが、引き裂いてやろうと震える爪先が、剥き出しになったその牙が……その何もかもが殺してやろうという意思を読み取るのに十分だった。
「ごめんミウ! 前に吸血衝動で襲ったドラゴニアが、こいつなのおおおおお!」
「えええええええぇぇ~~!?」
その場の全員が、これから何が起こるのかを簡単に予想できた。
「今度こそ、ズタズタに引き裂いて消し炭にしてくれるわああああああ」
ゴキゴキと不気味な音を立てて、少女の姿が膨れ上がっていく。人の姿から再び竜の姿へと変わっていく彼女は、軽く二階建ての家ほどの大きさにまで変貌した。
頭のはねっ毛がそのまま一本の角となり、一角の竜がこちらを見据えてた。
「グアアアアアオオーーーーン!!」
威嚇するように吠える竜を目の当たりにして、美羽の体はすくみあがっていた。
そんな美羽の体を後ろから抱きかかえ、コメットが一気に羽をばたつかせてその場を離脱する。もちろんミルティナも一緒に付いて来ていた。
――バキバキバキ!!
竜の尻尾が周囲の木を薙ぎ払い、コメットの背後に迫っていた。
美羽を抱えたコメットは機敏な動きが出来ず、とにかく前に進もうと必死になって飛び、そして尻尾の先が僅かにコメットの羽をかすめた。
それだけの事だったにも関わらず、ぐるんと上下が逆になり、方向感覚がわからなくなったコメットは美羽を抱えたまま地面へ墜落して転がってしまった。
美羽は急いで身を起こす。モタモタしていたらすぐに踏みつぶされてしまうからだ。だが、最初に美羽の目に飛び込んで来たのは、地面にポトリと落ちたネックレスだった。
ハッとして自分の首元を触るが、コメットに作ってもらったネックレスはついていなかった。たった今、地を転がった時に外れたのだろう。
美羽はネックレスに向かって手を伸ばした。しかし真上には、飛び上がった竜の巨大な足が迫って来てた。
「ミウ!!」
コメットが思い切り体当たりをかます勢いでぶつかってきた。そのままの勢いで美羽を抱えたまま、低空飛行で一気に駆け抜ける。
――ズガアアアアアン!
体重を乗せた竜の踏みつけから間一髪逃れる事に成功したが、再度飛び上がった竜の足元には、粉々に砕け散ったネックレスの残骸があった。
それを見た瞬間に、美羽の体は熱くなった!
目の前が赤く染まり、頭に血が上っていく感覚を覚え、鼓動が早くなる。
竜が襲ってくるという恐怖と、それ以上の怒りが入り交じり、美羽の瞳から光が消えた……
竜が思い切り地面を踏みつけたことで、その場は一時的に砂埃が舞い、視界が悪くなっていた。竜が翼を羽ばたかせたために、足の下のネックレスは確認できたが、その周囲は隕石でも振って来た後のような砂煙が上がっていた。
コメットはその煙に乗じて、大きな岩陰に身を隠した。すぐのミルティナも後を追って滑り込むように合流を果たした。
その直後、どんどん視界は良くなっていく。
「ドラゴニアがよそ見をしたら一気に逃げるわよ!」
コメットの作戦に、ミルティナが力強く頷く。だが――
「いえ、ダメです……」
静かな口調で、美羽が否定した。
「ドラゴニアはここで倒します」
「…………え?」
信じられない言葉を聞いたせいで、コメットの反応は遅かった。
「倒す? ドラゴニアを? どれだけの攻撃力が必要だと思ってるの!?」
「別に完膚なきまで叩きのめそうとは言いません。せめて動きを封じるくらいはしないと」
淡々と語る口調と、一切の感情が読み取れない瞳を見て、コメットはようやく気付いた。
「ミウ、覚醒してたのね……今、血を吸って戻してあげるから。そしたら冷静になって考えよ?」
そう言って、美羽の首筋に噛みつこうと顔を近付けていくが、
――ムギュウ!
美羽に顔面を鷲掴みにされて、強引に引き離された。
「冷静に考えるのはあなたですよ。今、私達がここから逃げたらどうなると思いますか? ドラゴニアは怒り狂ったまま街までおりてきて、大きな被害を出すでしょう。だから今、ここで、私達が止めるしかないんです」
「それはそうかもしれないけど……」
美羽は冷静だった。激しい怒りや恐怖はストレスとなり、美羽が覚醒する原因となる。ここまでは今までと変わらない。変わったのは美羽の心構え。
美羽は覚醒して攻撃的になった自分を受け入れるようになっていた。
人間は本来、『殺意』というものを誰もが持っている。それを理性と本能で抑え込んでいるだけで、美羽はそれらが少し外れやすい体質だった。それを理解した上で、美羽は全てを受け入れた。
壊したい。
殴りたい。
ぶちまけたい。
法律なんて知った事か!
そうした自分の汚い部分。けれど、決して否定してはいけない部分。全部ひっくるめて『自分』なんだと、認めて、受け入れる。その結果、美羽は覚醒状態に入っても我を忘れる事が無くなった。自分の意思で動けるし、冷静に考える事もできる。
「お願いしますコメットさん。私に力を貸して下さい!」
美羽がギュッとコメットの手を握り、真っすぐに見つめる。
いつもとは違う美羽の様子に、コメットはタジタジになっていた。
そしてミルティナは、二人が話し合いをしている最中ずっと空中で佇む竜の様子をうかがっていた。うつ伏せとなり、出来る限り体制を低くした状態で岩陰から顔を覗かせ、竜の動きを見極める。今、自分にできる事はこうして竜の動向を探り、何かあった時には二人にすぐ伝えなければならない。それが今の自分がすべき事だと判断しているようだった。
「うぅ~……ミウは勝てると思ってるの?」
「思っています。もちろん私一人だったら無理ですが、ここにはコメットさんとティナちゃんがいます。三人の力を合せれば勝機はあります!」
「あ~も~わかったわよ! こうならヤケよ!!」
コメットが叫ぶと同時に、竜がギロリとこちらに目を向けた。
「気付かれた! こっちに来るの!!」
ミルティナが迅速に伝えると、その場の全員が一斉に駆け出した。
「ティナちゃんは私と。コメットさんはヘイトを取って下さい!」
「ええええええ~!?」
美羽がそう指示を出し、両者が二手に分かれると、もちろん竜はコメットに狙いを定めて追いかけていく。
ここで美羽が言った『ヘイトを取れ』というのは、ゲーム用語で囮になれとか、注意を引きつけろ、と言う意味である。
竜化して怒り狂うドラゴニアが、こちらの言葉を理解しているのかは分からない。けれど、美羽は念のために自分たちにしかわからない用語を使い、こちらの狙いを分かりにくくしていた。
竜がコメットに気を取られている隙に美羽は、タンタンタンと地を蹴り、岩山を蹴り、木を蹴り、一本の枝まで飛び移っていた。枝に掴むと同時にその勢いに体重を乗せて、思い切り枝をしならせると、ボキっと派手に折れ曲がる。
綺麗に着地した美羽の手には、槍のように先端が鋭く尖った枝が握られていた。
たかが枝。けれど、この場で入手できる唯一の武器。
美羽が覚醒状態のまま、冷静に状況を見極める。
美羽はすでに覚醒状態のままでも自我を持ち、怒りに身を任せずに冷静に物事を考える事ができる。では、通常時と何が変わるのかといえば、『恐怖』という感情がなくなる。
いわば、怖いものなしという状態であった。
「ティナちゃん。私を抱えて高く飛んで下さい。できればドラゴニアよりも高く」
「わかったの」
美羽の背中にピットリと貼り付くようにして、ミルティナは美羽を抱えたまま浮かび上がった。目指すはドラゴニアの頭上。
一方、そのドラゴニアはコメットを地面に叩き落とそうと猛威を振るっていた。ちょこまかと回避するコメットに、かなり熱くなっているようだった。
――ブオン!
コメットの背後から思い切り腕を振り下ろすと、ヒョイっと軽やかに身をひるがえして、その一撃をやり過ごす。どうやら逃げ回るのは得意のようだ。
だが、回避した瞬間に今度は横から何かが迫ってきていた。それは尻尾だ。腕を振るってコメットが回避した方向に合わせて、瞬時に尻尾を横薙ぎに払ってきた。
咄嗟の事に体が固まり、回避が間に合わない。だが――
スカ!
払われた尻尾はコメットの頭上を通過した。
コメットの体は、まるで墜落する紙飛行機のような軌道で急激に落下した。羽の角度を変え、まさに一気に下降したのだ。
「死んでた! 今の攻撃が当たってたら絶対死んでた!!」
涙目になりながら、コメットは地面の近くを逃げるように飛び続けた。
コメットの強制言語は上位の相手には通じない。その事はコメットが一番よく分かっている。だからこそ、逃げ回るしかないのだ。
すると竜がコメットを追わなくなった。
動きを止め、上昇する美羽を見つめている。それは武器を持っている事が気に入らなかったのか。はたまた逃げる訳でもなく、むしろ近付いて来る事が気に入らなかったのか、バサリと翼を一回羽ばたかせて、美羽に向かって腕を振るってきた。鋭い爪の付いた、丸太のような巨大な指先が目前に迫る。
――ドン!!
美羽は思い切りミルティナを突き飛ばし、その反動で攻撃の軌道から辛うじて抜け出す事に成功した。しかし、ミルティナから離れた美羽は、真っ逆さまに落ちていく。
「コメットさん!」
名前を呼ぶ。苦し紛れではない。呼べば必ず駆けつけてくれると信じている、最も信頼した相手の名前。
そしてその期待を体現するかの如く、美羽の真下にはコメットが低空飛行ですでに駆けつけていた。
「あわわわわ……」
コメットがお姫様抱っこで美羽を受け止めようと両手を広げる。だが――
「足場になって下さい!」
「ええ~!?」
空中で体を捻り、うまく足から落下する美羽の要望に応えるため、コメットは体に力を入れた。
――ダム!
美羽がコメットの両肩に着地をして、その重みでグンと沈む。
――パタパタパタパタ!
全力で羽を動かし、今度はグンと浮かび上がった。
それはまるでトランポリンだ。沈んだ分だけ一気に浮上するトランポリンのように、ポヨンと跳ね上がるその勢いに足腰のバネを加え、美羽が高く飛びあがった!
一気に顔面まで迫った美羽を見て、ドラゴニアはどう思っただろう。恐らく、振り落としたはずの人間が瞬時に迫ってくるなどと予想も出来なかったと言わんばかりに、唖然として反応が遅れていた。
そして美羽は、その硬直を見逃すはずもなく……
――ズン!!
手に持つ先端が鋭く尖った木の枝で、竜の右目を思い切り突き刺していた。
「ギャアアアアオオオオオオオォォォン!!」
断末魔のような咆哮が上がると同時に、美羽は顔面を蹴り、すぐに竜から離れていた。そうしなければ、顔を抑えようとした竜の腕に捕まっていただろう。
「コメットさん!」
再び落下する美羽が、名前を呼ぶ。
名前の最初の一文字目で、すでにコメットは動き始め、すぐに美羽の背後まで飛んでいた。お腹に腕を回し、美羽を抱えると竜から離れるように退避した。
そんなコメットにミルティナも合流して、三人は竜から一定の距離を保つ。
「やったの?」
「……わかりません……」
美羽の顔は険しかった。
生き物である以上、目というのは鍛えようがなく、弱点であるはずだった。しかしあの竜の瞳を突いた時は、まるで水晶玉を突いたような固い感触で、枝の方がひん曲がっていた。
ここまで頑張っても竜の動きを封じる事が出来ないのであれば、もはや為す術がない。だが、
――シュウシュウ……
竜の体はどんどん縮んで、ここで最初に会った赤髪の少女に戻っていた。
「ぬおおおお、目が、目が~~」
少女は地面をのたうち回っていた。
「やった! それでミウ、ここからどうする? 逃げるの?」
「いえ、ここで逃げてはなんの解決にもなりません。今、おとなしくなっている間になんとしても和平をこじつけないと」
そう言って、あの少女の元に向かうように手振りをする。
すると今度はミルティナが美羽の顔を覗き込んできた。
「話し合いをするなら覚醒を解いた方がいいと思うの。って、あれ? すでに解けてるの」
美羽の瞳にはいつの間にか、しっかりとした光が宿っていた。
「まぁ、あれだけ派手に動いたんだからスッキリしたんでしょ」
「……そうですね」
美羽はそう言って茶を濁す。コメットが作ってくれたネックレスを壊されてマジ切れしたなどと言えるはずがなかった。
そうして三人は、慎重に赤髪の少女に近付いていく。少女は地面にうずくまっていた。
「あの……ドラゴニアさん」
美羽は謝らない。ここで謝ったり、大丈夫ですかなどと聞いてしまったら、それはもう相手を侮辱する行為になるからだ。
「コメットさんの事を許してあげてくれませんか? 確かにコメットさんは、いきなりあなたに噛みついて、血を吸ったかもしれません。けれどその時は吸血衝動に襲われていたんです。普段は絶対に、無断で相手の血を吸うような子じゃないんです!」
「……………吸血衝動。ヴァンピールが餓死する寸前に陥る防衛本能か」
少女がゆっくりと顔を上げる。右目は手で押さえたままだった。
「よかろう。そこのヴァンピールの非礼は水に流すとする。最初の、この街では暴れないという約束も守ろう」
「あ、ありがとうございます!」
「……それで人間よ。お主、名はなんと言うのじゃ?」
「私は美羽。黒羽美羽と言います」
「ふむ。ミウか。よし覚えたぞ」
「あの、ドラゴニアさんはなんて名前なんですか?」
「儂はスフレじゃ。よろしくの、ミウ」
そんな二人のやり取りに、コメットは震えるほどに驚いていた。
「すごい……ドラゴニアは相手を叩き潰すだけで、名前を覚えようとしない種族なのに……」
「アホか! 儂らをただの戦闘バカみたいに言うでないわ! ドラゴニアはちゃんと相手を認めて対等に扱うだけの器を持っとるわ!」
「ドラゴニアに認められる時点で、ミウはすごいの」
ミルティナが尊敬の眼差しで美羽を見つめていた。
「お主たちはドラゴニアを少し勘違いしておる。儂らが相手を認めるのは、何も戦闘能力だけではない。高く評価するのはむしろ、勇気じゃ」
「勇気?」
そう美羽が繰り返した。
「うむ。戦闘能力が低い人間という種族でありながら、果敢に立ち向かってきたあの勇ましさは称賛に値する。故に、儂はお主を気に入ったぞ。住む所を用意してくれると言っていたが、それならミウの近くがいいのぅ」
「へぇ~、なら私達はご近所さんになるんだ。よろしくね、スフレ」
一気に距離を縮める勢いでコメットが歩み寄る。だが、そんなコメットにスフレは目つきを鋭くした。
「言っとくがな、儂が認めたのはミウだけで、お主たちを認めた覚えはないぞ! ただミウの指示に従い動いていただけの従者が馴れ馴れしいわ!」
「ひいいぃぃ……」
一転して、怯えたコメットがミルティナに抱き付いていた。
美羽は慌てて話題を変えようと、一番気になる質問をしてみる事にした。
「あの、スフレさんはどうして人間界に来たんですか? 確か、魔界から人間界に来るのは禁じられているんですよね?」
「う~む……」
美羽の問いに、少しだけスフレは考え込んでからこう言った。
「その前に儂から一つだけ聞きたい事がある。ミウよ。お主はこの街が好きか?」
「えぇ? えっと……好きですよ。この街で暮らす様になったのは訳ありですけど、それでもここでずっと暮らしていくうちに、もうここが私の第二の故郷みたくなっていたんです」
美羽にはスフレがなぜこんな質問をするのか分からない。けれど自分の気持ちを正確に答えた。
「この街に、儂のような魔界の住人がいてもか?」
「はい。むしろそういうところが好きなのかもしれません。コメットさんと出会って、ティナちゃんと出会って、魔界の住人とだってこんなに仲良く暮らせるんだってわかったんです。この街には変な人も多いけど、そういうのも全部ひっくるめて、私は好きですよ」
そうか。と、スフレは今まで押さえていた右目を開ける。その奥には綺麗な瞳がしっかりとした輝きを持ち、傷も無く埋まっていた。
どうやら水晶玉を突き刺したような感覚は間違いじゃなかったらしい。ドラゴニアという種族は瞳まで硬いのだ。
スフレは両方の目で美羽を見つめ、小さく笑っていた。
「儂がここに来た理由など何もない。なぜなら、気が付いたらここに飛ばされていたんじゃからな」
「ええ~!? それってどういうことですか!?」
「うむ、魔界には人間界に行くための神殿がある」
それは美羽も聞いていた。コメットが魔界から逃げる時に使った物であり、ミルティナもまたそこから人間界へとやってきた。
「これは儂の憶測じゃが、その神殿に異界の門というのがあるんじゃが、これと同じ原理で、相手を人間界に飛ばせる魔法を使える者が現れたと考えておる。これが何を意味するかわかるか? ミウよ」
コクンと美羽は頷いた。
「はい。これからもこの街には魔界の住人が飛ばされてきて、どんどん増えていくという事ですね」
けれど、すぐにその覚悟は決まった。なぜならば自分の周りには、こんなにも頼もしい仲間がいるのだから。
美羽にとってそのような事は、さほど問題ではないのかもしれない。




