人間 vs 上位種族見聞録①
「コメットさんの金髪は本当に綺麗ですね」
お風呂上りで髪を乾かしたあと、美羽はコメットの髪をとかしていた。
まるで異国の者とも言える、いや、魔界は正に異国と言えるのかもしれないが、そんな日本人には珍しい金髪は、美羽にとってお姫様のような印象だった。
「そう? 私は髪の色よりも、もっと美人に産まれたかったわ。だってミウと並んだら私なんて不細工だもの」
「いやいや、コメットさんは十分可愛いですよ」
お世辞ではなく、美羽は本当にそう思っていた。
コメットは自覚がないみたいだが、そのクリクリとした瞳。小顔で、鼻と口の距離が絶妙。かつ肌が綺麗と、どこら辺が不細工なのか逆に問いただしたいと思えるほどのすばらしいバランスだった。
「ん~でもなぁ、ミウとティナが並べば神がかった一枚の絵になるんだけど、そこに私が入っちゃうと汚くなっちゃう気がするのよね……」
う~ん、と、コメットは本気で悩んでいるように唸っていた。
「そんな事ないですよ! 私、コメットさんのこと大好きですから! えっと、その……お顔が」
ポンッと美羽の顔が真っ赤になる。途中で自分がとんでもなく恥ずかしい事を言っているのに気が付いた。
「あうぅ……あ、ありがと。私も、ミウのこと大好き……」
ポンッと、コメットの顔も真っ赤になった。
二人が黙る事で、その場は妙に気恥ずかしい空気になっていた。
「こら~、なに二人でイチャイチャしてるの!? 私も混ぜるの!」
丁度今あがったミルティナが、腕をブンブンと振りながら割り込んできた。
「おいでティナ。私がとかしてあげる」
言われるがままに、ミルティナはコメットの前にちょこんと座る。
美羽がコメットの髪をとかし、コメットがミルティナの髪をとかす。その三人の構図は、美しい一枚の絵になりそうな光景だった。
「あ~、なんかムラムラしてきたわ。どっちでもいいからあとで血ぃ吸わせて!」
「……コメットさんって、性欲と食欲が連結してるんですか……?」
たった一言である。コメットのその一言で、美しい光景は完全に台無しになっていた……
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「なんだか、嫌な天気ですね」
美羽が、ガラス戸越しに空を見上げてそう言った。
日曜日の昼食を三人で食べたあと、急に天気が悪くなっていた。雨は降っていないが、雷雲が立ち込めてゴロゴロと雷の音はしっかりと聞こえてくる。
「ほんと嫌な天気ね。なんだかソワソワするわ」
コメットが部屋の中をウロウロと歩き回っていた。行ったり来たりを繰り返し、実に落ち着きがない。
「コメット。少し落ち着くの。とりあえず座ったらいいの。もぐもぐ……」
ミルティナがお菓子を口に放り込みながらコメットに促す。しかし、見る限りミルティナがお菓子を食べる速度が尋常じゃない速さだった。常に口を動かしていないと落ち着かない様子で、せわしなくお菓子に手を伸ばしている。
「二人共どうしたんですか? なんだか落ち着きがないですよ? あ、もしかしてカミナリが怖いんですか?」
「バカにしないでほしいの! 魔界はむしろ、しょっちゅうカミナリが鳴ってるの!」
ミルティナがそう言ったあとだった。コメットが目を大きく見開いて、いきなりベランダに飛び出した。
「……そうか、そうだったんだ」
「どうしたんですか? コメットさん」
「魔界よ! なんか落ち着かないと思ったら、魔界の匂いがするの!!」
ミルティナもお菓子袋を投げ捨てて、コメットの隣に走ってきた。
「クンカクンカ……確かに魔界の匂いがするの。しかも、すごく危険な『臭い』……」
「危険な臭い……? 魔界の匂いなら懐かしいんじゃないですか?」
美羽の疑問に、コメットは空から目を逸らさずに言った。
「魔界はね、人間界ほど平和じゃないの。戦闘能力が高くて好戦的な上位種族が縄張り争いで地形を変えて、それに巻き込まれないように下位種族は逃げるか隠れるの。まぁ、私達みたいに飛べる種族は結構のんびりしてたりもするんだけど、基本的にヤバい種族が近くにいる時は臭いや音で判断するのよ。魔界の瘴気に紛れて漂う獣くさい臭い。鱗の臭い。魔力の臭い。焦げくさい臭い。腐った臭い……血の臭い」
「私もコメットも、あまり臭いを意識しないで暮らしていたからまだ慣れないけど、これはなんだかヤバい臭いな気がするの……」
その場に緊張が走る。だが、美羽にはいまいち状況が理解出来なかった。
「その魔界の匂いがするっていうのはどういう事なんですか? 人間界と魔界が混ざっちゃったんですか?」
「混ざったって言うか、多分だけど、『繋がった』んだと思う……」
その瞬間だった。ベリベリ……というカミナリとは違う音が辺りに響く。
すると、コメットがこれまで以上に体を強張らせて、目つきを鋭くして言った。
「何か……来る!!」
――ギ……ギギギ、ベリベリ……ガガガガガギギギギィィ……
何かを引き裂くような音が鳴り、空間が歪んだ……
まるで空中に張り付けた透明のビニールシートを引っぺがすように、その空間から蠢く物体が現れた。美羽のベランダからは200メートルほど離れた空中、そこにはトカゲのような顔が徐々に伸びていた。長い首が見えたかたと思うと、一気に巨大な羽を広げてもがくように羽ばたき始める。
――「ギャオオオオォォオオン!!」
大きな咆哮を上げると、ズルリと体全体のフォルムが姿を見せた。
全身が真っ赤な鱗で覆われて、トカゲのような顔の上には大きな一本の角が立っている。その角の周りのもゴツゴツとしたトゲが乱雑に生え、まるでトカゲが兜を被っているように見えた。
それはまさに、ゲームの中で出てくるような一角を持つドラゴンだった。
真っ赤なドラゴンはぐらりと体を揺らして、不安定な動きでグルグルと飛び回っていたが、やがてこの街の森林公園がある山の方へと飛んで行く。そんなドラゴンの姿を、美羽は唖然としながら眺めていた。
「なんですか、アレは……」
完全に山の木々に隠れて見えなくなってから、美羽がやっと声を出した。
「どうして竜が突然出てくるんですか!? コメットさ――」
何も言わないコメットに詰め寄ろうとした美羽だったが、その途中で息を呑んだ。
コメットは顔面蒼白となっていて、なぜかガタガタと震えていた……
「コメットさん? どうしたんですか!?」
声をかけたが、返事をしたのはコメットではなくミルティナだった。
「コメットは魔界にいた頃、ドラゴニアの血を吸ってその相手に殺されかけたことがあるらしいの。前に教えてもらったの」
コメットが、コクンコクンと首を大きく縦に振って肯定していた。
そう言えばコメットが寝ている時、たまにドラゴニアという言葉を出してうなされていたような気がすると美羽は思い出した。
兎にも角にも、まずは落ち着くことが先だろう。美羽は二人を連れて部屋に入り、三人で小さなテーブルを囲んだ。
「落ち着いて状況を話し合いましょう。コメットさん、もうしゃべれそうですか?」
「コクンコクン。コクコクコク!」
必死で頷くコメットに、まぁ少しは余裕が出てきたと美羽は判断した。
「では最初に、あの竜はやっぱり、魔界から来たってことですか?」
「コクコク!」
「周囲には魔界の匂いも漂ってたし、まず間違いないの。まぁ理由は分からないけど」
「ふむ……では次の問題点です。あの竜はこの街を襲うと思いますか?」
「コクコク」
「竜はかなり好戦的だから、自分の居場所を作るために襲ってくる可能性は否定できないの」
「では……竜と話し合いをする事は可能ですか?」
「……」
この質問に、コメットとミルティナは顔を見合わせて考え込む。そして、ようやく頷いていただけのコメットが口を開いた。
「なんとも言えない……かな? まず魔界の竜には大きく分けて二種類の種族がいるの。一つはドラゴン。人間界のゲームとかに出てくるのとほとんど同じで、こいつらには基本的に話し合いは無理。っていうか、言葉が通じないわ。そしてもう一つは、さっきティナが言った『ドラゴニア』と呼ばれる種族で、私が昔、襲われた方ね。ガクガク……」
「それは、ドラゴンとどう違うんですか?」
「ドラゴニアは人とドラゴン、両方に姿を変えることが出来る種族なの。言葉も通じるから、さっきのがドラゴニアだったとしたら、もしかしたら話し合いも出来るかもしれないけど……ま、まさかミウ……」
「はい。私は今すぐにでも追いかけて、話し合いをするべきだと思います」
美羽の考えに、再びコメットが青ざめる。
いつも話に食い込んでこないミルティナでさえ首を横にブンブンと振っていた。
「むりムリ無理!! ドラゴニアだって好戦的なのよ!? 私が血を吸った時だって、怒り狂って山一つ消し飛ばしたんだから! ガクガク……」
「……それも少し疑問だったんですが、コメットさんは相手の許可も取らずに血を吸ったんですか?」
「……ううん。私は必ず相手に頼んで血を吸うわ。けどその時は吸血衝動に襲われてて、目に入った美少女を襲っちゃったの。そしたらそいつがドラゴニアだったって訳」
「と言う事は、やっぱり話し合いが無理だなんて断言はできませんよ。……二人はさっきの竜が空に出現した時、どんな印象を感じましたか?」
再び二人は顔を見合わせた。
「いや、どんなって言われても……」
「ぎゃお~んって叫んでて、ちょっと怖かったの……」
「私には困惑しているように見えました」
竜は出現した時、フラフラと落ちそうになりながら羽ばたいていた。状態を持ち直して安定した後もグルグルと空を回っていた。
それが美羽にとっては困惑しているように見えていた。
「そりゃいきなり別の世界に来たんだから困惑もするでしょう?」
「…………そうでしょうか? コメットさん言ってましたよね? お互いの世界の均衡を保つため、干渉しないようにしているって。にもかかわらず、あの竜はこっちに来ました。明確な理由を持って来たのに、落下しそうなくらいに慌てるのはおかしいと思うんです」
「そう言われてみれば、最初フラフラしてたの。もしかして怪我してた?」
そう考えるミルティナに、コメットは首を振った。
「いや、ドラゴンの鱗はかなり頑丈だから、そう簡単に怪我をするとは思えないわね。魔界で最も守備力が高い種族だし」
「怪我をしているにしろ、していないにしろ、あの竜はこの人間界でどうすべきか悩んでいるんじゃないでしょうか? 変な気を起こす前に話し合った方がいいと思うんです!」
するともう何度目になるのか、コメットとミルティナは顔を見合わせる。
「いやいやいや、その役を私達がやる必要は無いって! 危険すぎるわよ!」
「……わかりました」
美羽はスッと立ち上がった。
「二人はここで待っていてください。私一人で行ってきます」
そう言って、小物入れからネックレスを取り出した。以前、コメットが作ってくれた綺麗な石のネックレス。美羽はそれを、ここぞという時にお守りの代わりに使っていた。
「いやいやいやいや、無茶だって! 相手は魔界の上位種族なのよ!?」
「大丈夫ですよ。危なくなったら逃げますから」
「危ないと思った時には殺されちゃうの! ……ああもう!」
勝手に出て行こうとする美羽を見て、ついに二人も立ち上がった。
「分かった分かりました! 私も一緒にいくわ!」
「二人が行くなら私も行くの。ちょっと怖いけど……」
「……二人とも……ありがとうございます!」
嬉しかった。美羽は本当に一人で行くつもりだったが、不安と恐怖で押しつぶされそうだった。だから二人が来てくれると言ってくれたことが、心の底から嬉しかった。
しかしそれと同時に、申し訳ない気持ちがあるのも事実だった。自分の考えが見当違いかもしれない。そんな憶測に巻き込んでしまう事が心苦しかった。
だからこそ今一度気合いを入れる。これは遊びでも興味本位でもない。命を懸けた交渉になるだろう。この街で人と魔界の共存を実現できることを伝えなくてはならない。それが出来るのは、ちょうどその中間にいる美羽が適任なのも事実だった。
後ろからお腹に手を回されて、コメットに抱きかかえられるようにぶら下がりながら、ベランダから飛び上がる。そのまま一直線に、竜が見えなくなった森林公園へと飛んで行った。




