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タクシー見聞録


――ブロロロロロロッ!


 一台のタクシーが街中まちなかを通っている。お客さんは誰も乗っておらず、空車と表示されたまま、そのタクシーは赤信号で停止した。

 運転手は背広にワイシャツ、ネクタイをしっかりとしめて、タクシードライバー専用の帽子を被っている三十代の男性だ。

 男の名前は小島こじま孝男たかお。残念ながら、この物語の主人公ではない。

 信号が青に変わりアクセルを再び踏み込むと、信号の先で一人の女性が手を挙げて立っているのが見えた。孝男はその客の前でタクシーを止め、ドアを開けて車の中へ招き入れる。


「すみません。白雪しらゆきマンションまでお願いします」

「白雪マンションですね。かしこまりました」


 その女の子は、この近くの高校の制服を身にまとっていた。全体的に白く、縁取るラインとリボンだけが赤いセーラー服に、フリルのついたスカートがお嬢様っぽい。黒く艶のある髪は腰まで長く、大和撫子という言葉がしっくりとくる美少女だった。


――彼女こそがこの物語の主人公の一人。よく周りに振り回されやすい苦労人で、ツッコミ兼ブレーキ役の黒羽くろばね美羽みうだった。


 孝男はゆっくりとアクセルを踏み、車を動かした。出来るだけ急発進、急ブレーキを使わず反動を感じさせない孝男の運転技術に、美羽は驚きの声を上げていた。


「わぁ~、すごく優しい運転をするんですね。目を閉じたら、動いているのか止まっているのか分からなくなりそうです」

「ははは、ありがとうございます。タクシーに限らず、ドライバーというのは誰かを乗せた時点で、その人の命を預かっている事になります。出来るだけ不安を感じさせないように運転をする。それが僕のポリシーなんです」


 そう、孝男は乗客の立場を第一に考えられる、心優しい男性だった。

 そんな孝男の運転に、安心しきった様子で背もたれる美羽だったが、目の前におかしな物を見つけた。

 助手席の背中の部分、美羽の目の前に、大きなスイッチが取り付けられていた。しかも、そのプレートには『絶対に押すな!』と書かれている。

 美羽の視線がそのスイッチに固定される。決して目を逸らす事をしない。

 人間とは、『絶対にするな!』と言われると、無性にやりたくなる生き物だ。今、美羽の心も、このスイッチを押したいという衝動が駆け巡っているのかもしれない。

 ついに美羽が手を伸ばした!

 人差し指をそのスイッチに向けて、ゆっくりと伸ばしていく。プルプルと指先が震えているあたり、心はまだ迷っているのだろう。その表情も緊張した面持ちだった。

 だが、スイッチの手前で美羽の指は止まった。首をブンブンと振り、邪念を振り払っているように見える。彼女の中で、押してはいけないという常識的な思考が、好奇心に勝ったのだ。

 少し名残惜しそうな表情で、その手を下げたその時!


「危ない!」


 唐突な孝男の叫び声と共に、車が急停止をした!

 猫だ! 孝男のタクシーの前に、猫が飛び出して来たのだ! だが、安全運転を心がける孝男は徐行、いわゆるいつでも止まれる速度で運転をしていたため、猫を引く事はなかった。


「ふぃ~、すみませんお客さん。猫が飛び出してきたんで急ブレーキをかけました。お怪我はありませんか?」


 孝男の問いに美羽は返事をしない。バックミラーで美羽の様子を確認すると、俯いたままガタガタと震えていた。


「お客さん? どうかしましたか?」

「……私、押しちゃいました……」


 顔を上げた美羽の表情は引きつっていた。


「……え?」

「今のブレーキで前のめりになって……絶対に押すなって書いてあったボタン、押しちゃいました!」

「な、なんだって!?」


 孝男が声を荒げる。

 慌てて緊急用の強制停止ボタンを探し、押そうとしたが……間に合わなかった!

 タクシーの屋根が、まるでオープンカーのように開ききった次の瞬間――

 ボオオオオォォォン!!

 美羽の座っていた座席が勢いよく跳ね上がり、美羽は天高く打ち上げられてしまっていた。座席にはバネが取り付けられており、美羽を遠くに飛ばした後に、何事も無かったかのように戻ってきては元の位置に装着された。


「くそ! なんて事だ!!」


 孝男がハンドルを横から強く叩く。緊急停止ボタンを押すのが僅かに遅れたせいで、乗客を助ける事が出来なかった悔しさを痛感していた。

 そう、このタクシーは孝男が密かに弄り回した、改造タクシーだったのだ!

 孝男はすぐにハンドルを握り、アクセルを思い切り踏みつけた! 遠くに飛ばされた美羽を確認しながら、急加速した車を巧みに操る。

 美羽は……まだまだ上昇していた。


「必ず助け出してみせる……この僕が、絶対に!」


 ロケットのように打ち出された美羽を見て、落下位置を予測しながらハンドルを切る。孝男は決して諦めていなかった。そう、孝男は決して諦めない粘り強い男だった!


「くそ、ダメだ! 追いつけない!」


 美羽の姿がどんどんと小さくなっていく。

 物が投げ出された時に、一番遠くに飛ぶ角度は45度だと言われている。美羽は、その45度の角度で射出されていた。当然、道に沿って走らなくてはならない車では追いつけない。


「ちくしょう! 僕が射出角度を真上に……いや、せめて70度にしておけば、こんな事にはならなかったのに!」


 孝男は自分を責めた。射出角度をてきとうに設定したばかりにこんな事になってしまったのだ。悔やんでも悔やみきれない。そう、孝男は責任感の強い男だった。


「こうなったらコレを使うしかない……ブースト、オン!」


 孝男が一つのスイッチを入れると、エンジンが火を噴いた! ニトロを使って爆発的に加速する、このタクシーに搭載された自慢のギミックだった。

 急加速によるGが孝男に襲い掛かる。だが、それでも孝男は可能な限り美羽を追い続ける。スピードメーターはすでに200キロを振り切っていた。

 ここでついに、美羽が綺麗な放物線を描いて落下を始める。だが、孝男も超スピードで美羽との距離は縮まっていた。

 だが、ここで孝男が恐れていた事が現実となる。

 渋滞だ。全ての車線に車が止まっており、隙間を抜ける事も出来ない。

 後ろに並ぶか……?

 一瞬そんな考えが頭をよぎる。だが、そんな順番待ちなんぞしていたら、決して美羽の落下には間に合わないだろう。

 僅かな時間の中、孝男は答えを迫られる。出した答えは……ギミック解放による突破!

 自分が助けなければ誰が助けると言うのだろうか……? 自分にしかできない事。他人には任せることが出来ない役目。自分の命に代えても、必ず救い出す! 孝男はそう考えていた。

 そう、孝男は正義感の強い男だった!


「さぁここからが勝負だ! 行くぜ相棒!」


 孝男が力強くボタンを押すと、タクシーの下からバネが飛び出し地面を叩き、その車体を宙に浮かばせた。ジャンプしたタクシーは渋滞待ちをしている車の上に着地をして、バウンドをしながら次々と車の上を移動していく。


「な、なんだ!? 車が車の上を走ってる!?」

「俺らを踏み台にしてやがる!?」


 渋滞で止まっている車から、ドライバーの喚きが聞こえてくる。それでも止まる事は許されない。硬く握ったハンドルをコントロールする孝男の前に、渋滞の最前線が見えてきた。どうやら、踏切待ちだったようで、ちょうど電車が通過している最中だった。

 孝男は最前列に泊めてある車の上へ乗っかった瞬間を見計らい、再びバネを使い大ジャンプを試みた。下の車をジャンプ台のように使い、通過する電車の頭上を飛び越えた!

 ダンッ! と、見事な着地を決めた孝男は、猛スピードで再び美羽に向かって真っすぐに走る。落下を始めた美羽が少しずつ大きく見え始め、孝男は前方の様子と美羽の様子を交互に見比べていた。

 ようやく美羽の表情が見えるほどに近付けた孝男はハッとした。美羽は……ビックリするくらい無表情だったのだ。


「あまりの恐怖で感情が停止しているんだ。可哀そうに……」


 孝男は心を痛めた。なぜ彼女がこんな目に合わなくてはならないのか……

 彼女が一体何をしたというのか……

 彼女の身に起こった、あまりにも理不尽すぎる運命のいたずら。そして、彼女を助けられるのはもはや孝男しかいないのだ!

 いつか彼女の心の傷が癒えた時、この事件を笑い話として語れる日が来ることを祈って、孝男は懸命に美羽の背中を追った。


「暴走車発見! そこの車、止まりなさい! 直ちに停車しなさい!」


 拡声器を使った音声が盛大に響き渡った。警察だ!

 だが孝男は止まらない。止まる訳にはいかないのだ! もう少しで少女を救い出す事ができる。そのためなら、警察だって振り切って走るのにためらいは無かった。

 そしてついに、孝男は美羽を捉えた! おおよその落下位置を予測して、その場所へ滑り込むように車を走らせる。肝心なのはタイミングだ。遅ければもちろん、美羽を地面に突き刺す事になる。だが早すぎても通り越して、結果は同じになってしまう。いかにタイミングよく、この打ち出した天井からまた彼女を向かい入れ、座席に戻すか……それが重要だ。

 孝男はイメージを始める。美羽をゴルフのホールに吸い込ませるかの如く、この天井から一発でホールインワンを決めるイメージを。そしてこう言うのだ。「おかえりなさいませ」と。

 そしてそのまま彼女が指定した目的地である白雪マンションまで無事届け、料金を受け取り、また次の客を探して車を走らせる。

 大丈夫。自分なら出来る! 孝男は自分にそう言い聞かせた。

 ついに美羽が落下してくる縦の動きと、それを受け止めるべく孝男の横の動きが交錯する時がきた。慎重に美羽の落下速度に合わせて車のスピードを調整する。

 大丈夫、ここは歩道だが、周りに人はいない。ラッキーだ。何も問題はない。

 孝男が速度を一定に保ち、美羽を屋根から迎え入れようとしたその時――

 ガタン!

 タクシーが大きく跳ね上がった! どうやら転がっている石でも踏みつけたのだろう。そのままタイヤは横滑りをして、孝男の計算が一気に狂ってしまった!

 すぐにハンドルを切り、横滑りを真っすぐに戻すも、この減速によって美羽はタクシーの前に落下してきた。孝男の息が止まる。このままでは、タクシーのフロントガラスに激突してしまう。

 孝男の脳が急速に回転を始めたことで、周りの景色がスローモーションのように過ぎていく。この一瞬の間にどうすべきか、決断しなくてはならない。

 もう、天井から招き入れる事はできない。だとすれば……。もはやボンネットで受け止めるしか選択肢はなかった。

 苦渋の決断を強いられて、孝男は美羽をボンネットで受け止めようとしたその時だった。美羽の体がフワリと浮かび上がり、タクシーと接触する事はなかった。

 孝男は驚愕した。一体何が起きたのか……?


「やっぱりミウだ~。空の散歩をしてたらミウが飛んで行くのが見えたからさ、びっくりしちゃった~」


 そこには、金髪の少女が美羽をお姫様抱っこで抱えながら浮いている姿があった。背中にはコウモリのような小さな羽がパタパタと可愛らしく動いている。


――彼女がこの物語のもう一人の主人公、コメットだった。


「コメットさん! うわ~ん私もうダメかと思いました。ありがとうございます~」


 そんな、美羽がコメットにしがみついて泣きつく姿を呆然と眺めて、孝男は前方を確認するのを忘れていた。ハッと我に返って前を見ると、そこにはブロック塀が広がっている。

 慌ててブレーキを踏みハンドルを切るが、タクシーは助手席側からブロック塀に突っ込んでしまった。ガラガラと崩れるブロックに埋もれながらも、孝男は今一度二人をマジマジと見つめる。


「どうするの? 今の空を飛ぶ遊び、まだやる?」

「遊んでません! なんか勝手に射出されたんです! とにかくもうこのまま帰りましょう」

「は~い。ウェヘヘ、ミウを抱っこしながら帰れるなんてラッキーだわ。ねぇ、このまま血ぃ吸っていい?」

「駄目です! この体制のまま、その……あんなことされたら、私落っこちてしまいます!」

「あ~確かに。ミウって結構暴れるもんね~」


 雑談を交えながら、二人組の少女は遠くの空へと消えて行く。孝男はそんな光景をぼんやりと見つめていた。自分しか助けられないと思っていたが、まさかこんな形で彼女が助かるとは思ってもみなかった。だが、これはこれでいいのかもしれない。なにせ、乗客が無事だったのだから。


「暴走車、停止しています!」

「よし、取り囲めー!!」


 警察がタクシーの周りを囲み始めた。孝男は、なんだか肩の荷が下りたような気持ちになり、タクシーのドアを開けて外に出た。


「運転手が出てきました! 人質無し! 凶器無し!」

「よし、取り押さえろー!!」


 一気に警察が孝男に向かって走り出し、全員で押しつぶす勢いで覆いかぶさって来た。

 こうして、この日のタクシー暴走事件は幕を閉じる。だがこの出来事は、これからこの街で起こるお騒がせ事件としては氷山の一角にしか過ぎないのであった。

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