夕立と相合傘
「こりゃひでえ雨だな」
「ねー」
突然の夕立、帰宅や部活の準備で騒がしい放課後が若干の混乱に包まれた。
天気予報が嘘をついたようだった。
「うっかり学校に傘を忘れていて正解だったな」
そう言ったキヌは校舎玄関の傘立てに押し込まれていたいかにも安っぽい半透明なビニール傘を引っ張り出し、開け閉めしてちゃんと使えるかを確認していた。よく見ると、骨組みに若干の赤錆が見える。傘の安っぽさも相まって余計ボロく見えた。
「かっこ悪い傘」
「うっせ、これ以外ないから仕方ないだろ。ってか、ナギ、お前は雨具持ってるのか?」
「大丈夫大丈夫、こんなこともあろうかとー」
鞄を探る、一応折り畳み傘を常備していたはずだった。
「こんなこともあろうかとー……」
普段使わないポケットや鞄の奥底も探る。
「こんなこともあろうかと……」
ない、いやあるはずだ。そう言い聞かせ、狭い鞄の中をかき混ぜるように探す。
「こ、こんなことも、あろうかと……」
「ないならないって認めろよ」
苦笑いをキヌへ向ける。キヌはとても呆れた表情を浮かべていた。
「折り畳み傘、忘れちゃった……」
「まあ、仕方ねえよ。備えあえば憂いなしとかなんとか言うけど、備えてるような奴なんてごく少数だろうし」
「帰り、どうしよう」
キヌははあとため息をついた。そして面倒ごとを早々と片付けようとするかのように玄関の外へ向かった。
「ちょっと待ってよ!」
「お前の方こそここで待ってろ、近くのコンビニで傘買ってきてやるから」
「そ、そこまでしなくても」
「じゃあお前はこの雨の中濡れて帰るのか?」
キヌが立てた親指が玄関の外を指差す。その先はバケツをひっくり返したかのような大雨がどこまでも続いていた。
「そ、それは……」
「じゃあ行ってくる」
「ちょっと待ってよ」
「あー?」
眉間にしわを寄せたキヌの鋭い目つきにたじろぐ。
「俺早く帰りたいんだけど」
「私も帰りたい」
「じゃあここで待ってろよ、すぐ傘買って戻るから」
「だから!」
「だったらどうするんだよ、相合傘でもするか?」
「……そうしよう」
「は?」
靴を履き、外にいるキヌの元へ向かう。そしてキヌが開く傘の内へくぐりこむ。
「これで大丈夫」
「ちょ、おま、本気かよ」
「言い出したのはキヌの方じゃない」
「いや、その……」
「どうしたの?」
高い身長から見下ろすようにキヌは私を見る。目線を合わせると、キヌは目線を反らした。
「これじゃあ、その……恋人同士みたいじゃねえか」
「あ……」
キヌは相変わらず拒んでいた。恋人のような真似をすることを。もうそんなの気にせずにいられればいいのにと度々思う。
「これでもいいよ、私は」
「いや、まあ、お前がいいならいいけど。本当にいいのか?」
「だからいいって」
「……わーったよ。途中でコンビニにでも寄って傘買って別れるんでいいか?」
「じゃあそれで」
「はいよ、それじゃ行くか」
雨の中、二人で一つの傘に身を寄せ合い雨をしのぐ。いつも以上の距離感に鼓動が加速し始める。
「あーあ、こんなんになるならもうちょいマシな傘準備しとけばよかった」
「どうして?」
「こんなボロい傘じゃ、恰好つかないだろ。俺一人で使うならまだしも、お前も一緒じゃあこれだとかっこ悪いだろ」
「べ、別にいいよこれで」
「はぁ……すまねえな」
「謝らなきゃいけないのは私の方よ。無理言って傘の中に入れさせてもらってるんだし」
「お前が雨に濡れずに帰れるんなら別にいい。もう少し寄れ、濡れるだろ」
そう言ってキヌはほんの数センチ傘を私の方へ動かす。見上げると、キヌの肩が傘よりはみ出て雨に濡れていた。
ため息をつく。キヌの学ランの裾を掴み引き寄せ、より体を寄せ合わせ傘に私とキヌの二人を収める。
「私ばっかり心配しないでキヌ自信のことも心配しなよ」
制服越しにキヌの体温の温もりを感じる、相対的に雨に冷えた空気がより冷たく感じたのでより一層キヌへ身を寄せた。
「おい、離れろよ、早く」
「嫌、なんで離れなきゃいけないの?」
「だってそりゃぁ……もう一度いうけどよ、これじゃあ恋人同士じゃねえか……」
「それが何か嫌なの?」
「いや……お前の方こそ……」
「私は別にいいから」
そこからしばらく無言が続く。相変わらず止まない大雨は地面に落ちては水しぶきをあげて雨音を奏で続ける。雨は意外と心細くさせる。別に怖いわけじゃない、けれども、少し不安になる。この雨はいつ止むのか、暖かい太陽の日差しはいつ戻るのか。
そんな心細さは、キヌから感じる体温で和らいだ。
「すまねえな、俺なんかで」
また、キヌは謝りだした。
「だからなんなのよ、別にいいって言ったじゃない」
「……俺なんかより、もっといい人がいるだろう」
「え?」
「俺じゃあ、ナギと釣り合える気がしないから……」
釣り合えないだなんて言うキヌに首を傾げる。
「そんなことないよ」
「俺なんかよりずっとナギにとっての素敵な人がいるって」
「私はキヌのことが好きだよ」
「知ってる、けれども……お前を幸せにできるのは俺じゃないと思う」
いつもの、自虐色の弱音をキヌは吐いている。出会ったときから何度とみている暗い顔つきに私は小さくため息をつき呆れ、口を出す。
「私にとっての素敵な人はキヌだよ」
「そんなこと……」
「あるから言ってるの。もうキヌったら……私が好きだって告白したときだって弱気だったじゃない」
「あの時は、その」
「友達から始めてほしいだなんて言われたとき、私ほんとショックだったんだよ? 好きな人から告白されるかとおもったらそうじゃなかっただなんてさ。嘘ですーっていたずらの方がまだよかったと思ってるよ」
「すまない」
「また謝ってるー。もうちょっと自信もってよ、私の王子様っ」
そう言ってキヌの背中を強く叩く、これも何度目かわからない。こうでもしないとキヌは気弱なままだから。
「いっつー……わかったよ。ああ、コンビニについたが……」
ちょうど、少し先にコンビニが見えてきた。全国チェーンの緑と白のストライプ柄の看板が雨に負けじと明かりを灯している。
二人で一つの傘を使う時間がもう終わってしまうと思うと少し切なく思えた。コンビニの屋根の下でキヌが傘を閉じるとほんの少し赤錆が飛び散る。
閉じかけたところでギィといびつな音を鳴らし、変な角度で固定された傘の骨が折れてしまった。キヌはそれをコンビニのゴミ箱の口へ突き刺した。
「あー……傘一つしかねえな」
売れ残った傘は一本だけだった。急な夕立に備えられた傘は、私たちと同じことを考える別の人たちにいくつも買い取られてしまっていたらしい。
それでも、また二人同じ傘で雨をしのげると思うと、運命の神様に感謝の念を送った。
「帰りどうするか」
「また二人で相合傘でーって思ったけれど、帰る方向違うしね」
一つの問題点がそれだった。しかも私の家の方が少し遠い。一緒に帰るとなると面倒なことになる。
「そういや、確か……」
そう言ってキヌはスマホを取り出し何かを調べ始める、数十秒と待つと何かを見つけたらしく画面をこちらに向けてきた」
「近くに雑貨屋があるんだ、そこなら傘が売ってるかも」
「雑貨屋?」
「まあな……寄ったことないけど」
反応に困る一言を付け加え、キヌは苦笑う。他にいい提案は思い浮かばない。
それでも、また少し一緒にいられると思うと嬉しく思えた。
キヌが言った通り、歩いて五分もしない場所に雑貨屋はあった。店内はシックな雰囲気で、並ぶ商品も色合いのうるさすぎない落ち着いた雰囲気のものが所狭しとあちこちに積まれていた。
「えーと傘は……」
キヌはそんなものお構いなしと傘を探しに奥へ突き進んでいった。そこまで広くはないように見えた店舗なのですぐに見つかるだろう。
店内を見て回っている最中、視界の隅に何かが留まった。
ひと昔前の絵本の動物を立体化したようなビニールの小物に紛れ、それは商品棚の真ん中に居座っていた。
鮮やかなビビットカラーで飾られた、自分は玩具であるという自己主張をこれでもかと放つ玩具風を装ったクマのストラップだった。
安っぽいプラスチックの外観は、玩具特有の優しくそれでいてファンシーな雰囲気を持っていた。
その雰囲気に引かれ二つ手に取る。ちょうどその時、キヌが棚の曲がり角からひょっこりと顔を出す。
「こっちに傘あったぞ。それ何だ?」
「え? いや何でもない」
「欲しければ買ってやるよ」
「いや、だから大丈夫だって」
「……すまない」
そう一言ぼそりとキヌは言い、すぐに棚の角から頭を引っ込め奥へ進んだ。その後を追うとすぐそこに何本もの商品の傘が立ててあった。
派手な柄物だったり、落ち着いた単色のものだったりと、同じ物はなくそれぞれ一本ずつ様々なものが置かれていた。
何本か手に取り、小さく広げどれにするかを選ぶ。しっくりくるものが無く、半分ほど見たときに、納得のいく一本が見つかった。
「それにするのか?」
「うん。これがいいと思って」
気に入った一本、それは藍色の傘。そのかわいい色合いにこれしかないと私の感性がうずき、これにしようと思った。
「いいじゃんそれ」
「でしょでしょ?」
選んだ傘を手に、笑って見せる。キヌも釣られ、優しくはにかむ。
その笑顔に、心の内が満たされうずきだす。
「それじゃあ行こうか」
そう言い、私はキヌに身を寄せる。ほんの一瞬キヌはたじろぎ、恥ずかしそうに目線をそらした。
そのままレジに進む、店員の察したような微笑に私は微笑を返し、キヌは苦笑い頬をかく。
代金を払おうと財布を取り出そうとしたその時、キヌが私よりも先にお金を出しトレーへ入れた。
「まあ、その。俺が払ってやるから」
「私が払うからいいってば」
「いいから、財布しまっとけ。ああ、店員さんこれでお願いします」
「ほんとにいいの?」
「俺の好きでやってるんだからいいだろ」
「その代わり……」
「その代わり?」
「いや、何でもない」
言い淀み、キヌは黙ってしまう。商品を受け取ると、行くぞと一言言い真っすぐそのまま店の入り口まで歩いて行ってしまった。
店の入り口の外で傘を開く、店員さんがこの雨のことを気遣いすぐ使えるようにしてくれて、気が利くななんて思ったりした。
「ちょっと大きいなそれ」
「確かに」
開くとやや大きめの傘。でも丁度いい使い方がある。
「キヌ、ちょっと来て」
「なんだ?」
つい先ほどコンビニで買った安っぽいビニール傘を開きかけたキヌを呼ぶ。数歩キヌが寄ったところで、私が入る開いた傘にキヌを入れる。そしてちょっと前みたいに再びキヌに身を寄せた。
「帰りもこれじゃあダメかな?」
「……お前がいいなら、いいけど」
そう言ってキヌは開きかけた傘をたたみ、私の傘へ寄る。
また、キヌのぬくもりを感じられる。そう思うと、雨で寒いのに、とても温まるような感じがした。
「それじゃあ、行こうか」
そう言って、二人一つの傘に身を寄せ合い、雨の中へ踏み込んだ。
こうして一緒にいられる、私は幸せだとつくづく思う。好きな人と同じ時間を過ごし、同じように想ってもらえるのだからと。
もう少し積極的になってほしいかな、なんて思うことも多々あるけれども。草食で私のことを気遣ってはくれる、だけどもっとその想いに素直になって欲しいと何度とキヌには思ってきた。
「その……」
「どうしたの?」
「いや……なんでもない」
思ったそばから、こんな調子だ。
「遠慮しなくていいよ、何か言いたいことでもあったの」
「いや、だから……」
「言って、命令」
「……傘買った代わりにって」
「何かしてほしいこととかあるの? ほれほれ何でも言ってみ」
「あのなあ……その」
一息、キヌは一瞬口を止めた。
「さっきみたいに……二人で相合傘させてもらえないかって。そしたらお前のほうから誘ってきて……」
耳まで赤くしてキヌは言った。その恥ずかしがる素振りに愛しさを覚える。
「もう、キヌったら。かわいいっ」
傘を持ち替えキヌを抱きしめる。恥ずかしがるキヌも、たじろぎ頬を紅潮させるキヌもかわいいとたまらず、ぎゅうっと強く抱きしめる。
「ちょ、おま……」
「このヘタレ王子様めっ、でもそういうところがほんと大好き」
「そこまで言うか? 俺流石に傷つくぞ」
「へへーんだ」
抱きしめたまま笑って見せる。今の私はとても幸せだ。
でも、その幸せは今に終わってしいそうだった。そうこうしていたうちに、キヌの家がすぐそこまで見えていた。
「これでお別れかー」
「まあ、そうだな」
家の前で足を止める。名残惜しいけれどもキヌから離れた。
「それじゃあまた明日ね」
「また明日」
そう言ってキヌは玄関扉へ駆けていった。
踵を返す。キヌのいない一人で差す傘はとてもさみしく思えた。つい先ほどまですぐそこにあったキヌの体温がとても恋しい。
思わず泣きたくなってしまう程のさみしさに、気が沈むように思えた。
その時だった。
「ちょっと待て!」
「え?」
突如耳に入ったキヌの声。振り向くと先ほど買った新品の安っぽいビニール傘を差すキヌがこちらへ向かって走ってきていた。
そしておもむろに傘を閉じ、私の傘へ入り私を抱き寄せた。
「こんな雨の中、女子を一人で帰らせるのは……その、気が利かないしかっこ悪いだろ……ちょっとぐらい、かっこつけさせろ……」
ほんの少し声を震わせ、キヌは言う。さっきのように耳まで赤くしていたが、それはキヌだけではなかった。
むしろ、私の方が紅くなっていたかもしれない。思いがけないいきなりの出来事にさっきまでは緩やかだった鼓動が急激に速まる。
「それじゃあ行くぞ」
そう言ってキヌに連れられ私の家の方へ歩き出す。
あのキヌがこんな行動にでるなんて、と。いつもは弱気なキヌが、今はとても頼もしく思える。
何を言えばいいのかわからなかった。いつもの自分のような饒舌さはどこへいったのか。それほどに、キヌの思いがけない行動が私を狂わせる。
いつもなら気兼ねなく話せただろう。けれども今はそれができない。
キヌも、顔を赤くしたまま黙りこくる。間
結局、私の家までの道のりの一言もしゃべることがなかった。
「着いたな」
「うん」
口数少なく一言交わす。
「ありがとう」
「……こっちこそ」
私は再び身を寄せ、キヌはそれに応えるかのように私を抱き寄せた。温かい、この温もりと別れなきゃいけないと思うと、少し憂鬱だった。
ほんの数秒の時間をもって離れる。キヌの照れくさい微かな笑みを見て、私も微笑んで見せた。
「それじゃあまた明日な」
「また明日」
キヌが私の傘を出て再びビニール傘を開き帰路を歩いていく。私も家に入ろうと玄関へ向かう。
そっとキヌの方を振り向く。奇遇なことに、キヌも同じように私の方へ振り向いていた。
小さく手を振って見送る。そのときに見えたキヌの笑顔が、とても愛おしく思えた。
実際相合傘しようとすると、よほど大きな傘でもない限り二人も入りきらないと思ったり。