横たわる巨人。
ある日の三限終了後。次の授業の教科書を机から出していると、
「比呂、チョコあげる」
私の背後で、繭が香川くんにチョコを手渡していた。今日もラブラブで羨ましい。
「小春も食べる?」
繭が私の背中を『ツンツン』と押した。小腹空いていたから有難い。
「うん、ありがとう」
遠慮なく箱に何個か入っているチョコを一つ摘まみ、口の中に放り込む。甘くておいしい。口の中でチョコを転がしていると、繭だけチョコを食べていないことに気付く。
「繭、食べないの?」
ていうか私、繭の分食べちゃったとか⁉ 自分が食べようと思ってたの、親切にも私にくれちゃったとか? でも、まだ箱の中にチョコあったよね? 食べちゃまずかったかなと心配していると、
「最近太っちゃって。大台に乗りそうなの」
繭が困った様に笑った。……ヨカッタ。私が悪いわけではないらしい。でも、全然太ってないのに。繭、痩せてるのにな。
「大台って?」
香川くんもまた「どこも太ってないじゃん」と言いながら繭に尋ねる。
「……四十キロ」
俯きながら答える繭。
……四十キロ。……四十キロ⁉ 四十キロが大台なの⁉ 私、六十二キロだよ……。四十キロが大台だとすると……私、二山越えちゃってるよ。
「四十キロ台って普通だろ? 繭、普段は三十キロ台なんだ? 痩せすぎ。ダイエットなんかしなくていいから」
香川くんが「食べなyい」と繭に促すも、
「大台に乗ったら女のコじゃない‼」
繭がほっぺを膨らませて怒った。
なんとまぁ、可愛いこと。……しかし、身長面で既に女のコではないことは分かっていたけど、私は体重面でも女のコでは無かったらしい。
四限が終わり、大志くんとお昼ゴハンを食べるべく学習室へ。
大志くんは、香川くんと私の勉強会の甲斐あってか、見事に追試に合格した。が、大志くんが『これからも一緒にお昼食べようよ』と言ってくれた為、今日もこうして大志くんに会いに行く。
私は、大志くんほど気が会う人間に出会ったことが、今までなかった。
何気に大志くんとのお昼休みが毎日の楽しみになっている。
香川くんも大志くんを気に入っている様で、週の半分くらいは学習室で一緒にランチをしている。
そんな香川くんは、今日は繭とお昼休みを過ごすらしい。いいなぁ。私も恋人欲しいなぁ。
他人の恋愛事情を羨ましがりながら学習室の扉を開くと、
「お疲れー。小春ちゃん」
先に来ていた大志くんが、自分が座っている席に私を手招きした。
今日も可愛いい大志くん。恋愛は出来ていなくとも、こうして心を開ける友がいるのだから、それでいい気がした。
「お疲れー。大志くん」
大志くん傍に駆け寄り、お弁当を開いた。
『いただきまーす』
仲良く唱和すると、早速お弁当をがっつく大志くん。
大志くんのお弁当は、絶対に魚とチーズが入っている。お母さんに頼んで、カルシウムがたくさん取れるお弁当を作って貰っているらしい。彩りが綺麗で、いつも美味しそうな大志くんのお弁当。どうか、大志くんと大志くんのお母様の努力が実って、大志くんの身長が伸びて欲しいところだ。
私のお弁当はというと……私のお母さんも、料理は上手な方だと思う。お母さんの料理に不満を感じたことは一度もない。でも、今日は箸が進まない。
「小春ちゃん、お腹の調子悪いの?」
ほんの少ししかお弁当に手を付けない私を、大志くんが心配そうに覗き込んだ。
「………イヤ。ちょっと痩せた方がいいかなと思って……」
「え? 小春ちゃん、痩せてるじゃん。ガリガリじゃんちゃんと食べなよー」
大志くんが私の手を掴み、無理矢理からあげに箸を突き刺した。
確かに私は今まで、自分を太っているとは思っていなかった。身体測定も、肥満度はマイナスだったし、痩せている方なんだと思っていた。
でも、私は六十二キロ。きっと、大志くんより重い。
『大志くんより身長が高いんだから当たり前』なんて言ってちゃいけないのかもれない。だって、『大台に乗ったら女のコじゃない‼』 繭の言葉が頭を過る。
四十キロ台はさすがに無理だとしても、五十キロ台には乗せたい。あわよくば、五十キロ台前半に。巨人だけど、私も女でありたい。
「……痩せたら、ちょっとは小さく見えるかなーと思って」
他の人にこんなことを言ったら、『無駄な努力』と笑われるかもしれない。
でも、大志くんだったら絶対に笑ったりしないから。
「……程ほどにね」
大志くんは私の気持ちを察してか、私の頭をポンポンと撫でるとA「勿体無いから食べない分ちょうだい」と、私のお弁当を食べてくれた。
毎朝早起きして作ってくれているお母さんのお弁当を残すのは心苦しかったから、大志くんが食べてくれて良かった。
明日から、小さいお弁当箱にしよう。絶対に痩せてやる。
次の日から、『それ以上痩せなくていい』というお母さんをなんとか説得して、二段重ねだった私のお弁当は、一段で小ぶりのものになった。
朝ご飯もお弁当も夜ゴハンも野菜中心。夜ゴハンに至っては、炭水化物を抜いた。そんな生活で、あっさり五キロ痩せることに成功。現在の体重、五十七キロ。目標体重まで、あと三キロ。
「小春ちゃん、もうそろそろやめなよ」
お昼休み、相変わらず小さいお弁当を食べる私に、大志くんが険しい顔を向けた。
「まじでいい加減にしろって。倒れるぞ、小春」
今日は香川くんも一緒にお昼を食べている。香川くんも私がダイエットをしている事を知っていて、香川くんに至っては「太ってない人間のダイエットなんか、身体に毒だろ」と私のダイエットに反対していた。
二人に心配して貰えることは嬉しいし、有難いし、申し訳ないと思う。
「うん。でも、あともう少しだけ」
だって、あと三キロ。あと三キロ、どうしても痩せたいの。
五限は体育だった。今日は男子も女子もグラウンドで長距離走。ジャージに着替え、男子は五キロ、女子は三キロ走る。
体育教師の笛の音で、みんなが一斉に走り出す。
ダイエットのおかげか、身体が軽い。何だか走り易い。……と思って軽快に走れていたのは前半までだった。
走っているうちに、どんどん視界が歪む。足が縺れる。口の中が乾く。……ダメだ。倒れる。
視界に地面が迫りくる。足が一歩も前に出ず、膝から崩れ落ちた。
……あ、倒れちゃった。朦朧としていても、なんとか意識があった為、自分が倒れている自覚があった。
……起きなきゃ。でも、身体が重くて起き上がれない。目も開かない。体重、減ったはずなのに何で?
『どうしよう、小泉さん倒れちゃった。でも、おっきすぎて運べない』
『寝てても大きいね』
『おんぶして運べないから担架を持って来よう』
薄れゆく意識の中、先生と女子たちの会話が聞こえて来る。
頑張って痩せたけど、全然小さくなんて見えなかったんだ。頑張ったって、私は巨人のままだった。
自力で動けず寝そべっていると、
「小春‼ 大丈夫か⁉ 小春‼」
何故か香川くんの声が聞こえてきて、
「持ち上げるぞ、小春」
ふいに自分の身体が浮いた。香川くんが私を抱え上げてくれたらしい。
ダラリと力なく垂れ下がる私の腕を、香川くんが自分の首に巻き付けた。
これが俗に言【うお姫様抱っこ】というヤツか。私、されたの初めてだ。
そんな、巨人を運ぼうとしてくれている紳士な香川くんに、
『繭の彼氏は、繭の友達にも優しいんだね。イケメンー』
『あんなおっきい小春を軽々持ち上げたよ、男らしい』
と、女子たちが沸き立ち、香川くん株が急上昇した。
そして、香川くん株の筆頭株主の繭が、香川くんに心配そうな声を掛けた。
「大丈夫? 一人で運べる? ゴメンネ。女子じゃ運んであげられなくて…」
『小春、大きいから』ということだろう。事実だから仕方ないのだけど、やっぱり傷つく。なんで私は、こんなに大きいのだろう。
「誰かと一緒にだったら小春くらい運べるだろ。身長はデカくても、小春、軽いから」
香川くんは、繭に冷たく言うと「今、保健室に連れてってやるから」と私に囁き、歩き出した。
香川くん、なんで繭にあんな態度を取ったのだろう。目が開かないから繭の表情は見えなかったけど、きっと悲しい思いをしただろう。私が倒れたばっかりに……。繭、ゴメン。香川くんもごめんなさい。
『小春、軽いから』と言ってくれたけど、私はしっかり五十七キロある。身長からしたら痩せ型だけど、普通の女のコの体重よりはやっぱり重いだろう。五十七キロの肉の塊を、グラウンドから保健室に運ぶのは、どう考えても重労働だ。
もう二度と倒れたりなんかしない。巨人が倒れるということは、普通の人の倍、周りに迷惑がかかってしまうという事だから。
優しい香川くんは、私を運びなが「らもう少しで保健室に着くから辛抱して、小春」と声を掛けてくれた。
何を辛抱しろと言うのだろう。普通に考えて、辛抱するのは私ではなく、重たい私を運んでいる香川くんの方だ。
いたたまれない思いをしていると、パタパタと私たちの方に駆け寄る足音が聞こえた。
「小春ちゃん、大丈夫⁉」
大志くんの声が聞こえた。なんで大志くんの声がするのだろう。
「大志、授業中だろ? どうした?」
香川くんも大志くんがいる事に疑問を感じ、問いかける。
「俺の席、窓側なんですよ。教室の窓からグラウンド眺めてたら、小春ちゃんが倒れたのが見えたから」
大志くんは、私を心配して授業を抜け出してくれたらしい。
大志くん、授業サボってる場合じゃないくらい成績悪いのに。でも、ちょっと嬉しい。
そして、大志くんもごめんなさい。やっぱり申し訳ない。何やってるんだろ、私。
保健室に着き、香川くんが私をベッドに運んでくれた。少し横になると、気分もだいぶ良くなり、目が開けられるようになった。ゆっくり瞼を開くと、
「小春、大丈夫?」
「小春ちゃん、水飲む?」
香川くんと大志くんが私の顔を覗きこんでいた。
「……水、飲みたい」
喉も、口の中もカラカラだ。身体を起こし、大志くんから手渡されたペットボトルの水を受け取ると、喉を鳴らせて半分くらい一気に飲んだ。ペットボトルから口を離すと、
「小春、走ってる途中から物凄く顔色が悪かったから、やべぇなって思ってた」
香川くんが話し出した。香川くんは、具合の悪そうな私に気付いてくれていたから、倒れた時に駆けつけてくれたんだ……。
「ごめんね、香川くん」
うなだれながら頭を下げる私を、
「だから、ダイエットなんかしなくていいって言ったんだ」
香川くんが諭す様に叱った。香川くんの言う通り、私のダイエットなんか、無駄でしかなかった。
「……うん」
ちゃんと反省しているから、どうかこれ以上責めないで下さい。虚しくて、悲しくて、巨人のくせに泣いてしまいそうだから。
布団の下で握りこぶしを作り、涙を堪える。
「俺もねぇ、ちょっとでも身体大きく見せたくて、筋トレしまくってた時期があるの。筋肉を付けて、横にデカくなれば、全体的にちょっとは大きく見えるんじゃないかって思ってさ。でも、ただ不恰好になっただけだった。だから、それからは一切やってない」
今にも泣きそうな私の頭を、『よしよし』と大志くんが撫でた。
『程ほどにね』大志くんの言葉を思い出す。
私と同じ様な道を、一足先に歩いていた大志くん。やりすぎは良くないと、大志くんは身を持って知っていた。私は、そんな大志くんの言葉を聞き流してしまった。ちゃんと聞いていたら、誰にも迷惑かからなかっただろうに。
無駄に努力して、傷付く事もなかっただろうに。
……大志くんの前でなら、泣いてもいいだろうか。
「……私、小さくなれなかったよ、大志くん」
涙が、ボロボロと零れ落ちた。