小人と巨人の勉強会。
三時間目を保健室でサボり、只今四時間目、古文。
席替えの時、不正に不正を重ねた為、俺の席は窓側の一番後ろ。繭の席は俺の隣。小春は繭の席の前。つまり、俺の斜め前の席だ。
小柄な繭は、『小春が前の席だと隠れられて凄くいい』と雑誌を読んだり、スマホを弄ったりしている。
普段真面目に授業を受けている小春は、机の下でタブレットをスクロールしては、何かをメモっている。
小春がタブレットの画面を拡大した時に【数Ⅰ】の文字が見えた。大志に教える為に、色々調べているのだろう。どことなく楽しげな小春。確かに、さっきの小春は楽しそうだったもんな。大志、面白い奴だったし。何気に俺も楽しかった。
四時間目が終わった。
昼休み、いつもは俺と繭と小春で弁当を食う。元々、繭と小春が二人で食べていたところに、俺が入り込んだ形なんだけど。最初、小春は俺らに気を遣って『二人で食べて』と言っていたのだけど、俺が入ったことで小春を追いやる感じになるのは、何か嫌だったから、今は三人で食っている。……が、
「私、今日は他で食べるから、二人でお弁当食べて」
小春が弁当とタブレットを胸に抱えて立ち上がった。多分、大志と一緒に食うつもりなのだろう。
「そっか」
繭は小春を止める事もなく、俺の手を『きゅっ』と握ってきた。
繭と二人きりでご飯を食えるというのに、俺も小春たちと食べたいな、と思ってしまった。だって、さっき楽しかったから。
小春が教室を出て行った後、
「……繭、ゴメン。俺もちょっと用事があって……」
俺の手を握っていた繭の手を静かに降ろす。
「用事って、何?」
繭が、その大きな瞳で俺を見上げた。
別に隠さなければいけないことじゃない。でもきっと、言ってしまったら繭も付いて来てしまう。繭は人に勉強を教えられるほど頭が良いわけではないし、繭がいたら小春はさっきみたいに笑えなくなってしまう気がする。
大志と一緒にいる時は、自分のコンプレックスを気にせず喋れる小春。
可愛くて、女の子扱いを存分に受けてきたであろう繭がいたら、きっとまた小春は苦笑いしかしなくなる。
「……進路迷ってて、ちょっと進路指導室に行きたい」
なんとか嘘を搾り出す。
「そっか」
繭が残念そうな顔をした。でも、残念に思ってくれたことが嬉しかった。
「本当にごめん」
繭に両手を合わせると、昼に食おうと買っておいたパンを手に、教室を出た。小春と大志、どこにいるんだろ。保健室かな?
保健室に向かうと、扉の向こうから保健室にはそぐわない賑やかな声が聞こえてきた。
「大志くん、ヤバイよ。まじで全然分かってないやん」
小春の驚愕の声が聞こえる。
「分かってないから二点なんじゃん」
笑いながら開き直る大志。
「……念のために聞いておくけどさ、他の教科は何点だったの?」
恐る恐る小春が尋ねる。
「んーと、とりあえず英語は0点」
恥ずかし気もなくハッキリ答える大志は、逆に清々しい。てか、0点て。
小春の「嘘でしょー」と言う声と共に、『ゴツン』という鈍い音がした。おそらく、机に頭でも打ち付けたのだろう。
「英語で0点てよっぽどだろ。四択問題すら一コも当たらなかったのかよ」
保健室の扉を開け、思わず突っ込むと、二人が俺の方を見た。
「アレ? どうしたの? 香川くん」
俺に、『繭とお弁当食べなくていいの?』と心配そうに尋ねる小春。
「このバカは小春一人の力じゃ無理だ。俺も手伝うわ。繭にはちゃんと言ってきたから」
と言いながら小春と大志の間に座ってやった。
「 ヨロシクお願いしやーす」と笑う大志。笑ってる場合じゃねーだろ。
とりあえず、俺が唯一教えられる数Ⅰの問題を大志に解かせることに。
「コレ、解いてみ」
教科書の基礎門の中の一番簡単な問題を指差す。
「ほーい」
大志がルーズリーフにシャーペンを走らせる。しょっぱなから解き方が違う大志。
『ばっかじゃねーの!?』
またも小春とハモってしまった。そんな俺らを見て、大志は楽しそうに笑う。
なんかこの空間、めっさ楽しくて心地良い。
大志の考えられない間違い方を小春と二人で笑ったり、スパルタに教える俺の似てないモノマネを二人がやって爆笑したり、小春の弁当を大志と2人で小春が見てない隙に盗み食いしたり、昼休みは、笑いに笑って終わった。楽し過ぎた。
放課後も小春と大志は二人で勉強するらしい。
正直、混ざりたい。でも、今日は繭とデートの約束をしていた。
繭を昼休みに放ったらかしにしておいて、デートまですっぽかすわけにいかない。
繭とのデートの最中にも、勉強会の様子が気になってしまう。
またふざけ合って笑ってるんだろうな。俺のいないところで、また似てないモノマネしてんのかな。そんなことを考えていると、
「ねぇ、コレ見て」
繭がスマホの画面を俺に近づけた。
そこには、小春と大志の後ろ姿が写っていて、〔小人に襲いかかる巨人〕とツイートされていた。
勿論、小春は大志に襲いかかってなどいない。ただ、並んで歩いていただけ。
「やだなー。私も今までこんな風に思われてたのかなー」
繭が困った様に笑った。何が嫌だと言うんだ。嫌なのは、襲いかかる巨人扱いされている小春の方だ。
「何が嫌なん?」
「だって、小春といると自分の小ささが際立っちゃうから」
繭が可愛く口を尖らせた。
なんて可愛いのだろう。なんてあざといのだろう。繭の言い分が『小さい自分は可愛いでしょう』にしか聞こえない。
翌日、小春はいつも通り登校して来た。まだあのツイートを見ていないのだろうか。
「おはよう、小春。昨日、小春と小柄な男子がツイートされてたよ」
繭が席に着いた小春に話かけた。隠す必要もないけど、わざわざ言わなくても良いんじゃないか? 最近、繭の小春に対する些細な態度が目に付く。
「小人に襲いかかる巨人?」
小春は昨日のツイートの件を知っていた。気にならないのだろうか。傷ついたりしていないのだろうか。
「誰? 一緒にいたコ」
繭は、小春を心配することも『気にするな』と励ますこともなく、大志について問いかける。まるで『巨人なんて言われ慣れてるから平気でしょ?』とでも言わんばかりの態度だ。
「大志くんっていう、一年のコ。お昼休みとか放課後に勉強教えてるんだ」
小春は嫌な顔一つせず、繭の質問に答える。多分、繭に悪気がない事を分かっているから。
俺、神経質になりすぎかな。ちょっと引っかかるけど、これが繭の素なのだろう。……これが繭の素。
「今日も勉強教えるの?」
「おはよう、香川くん。大志くんに迷惑が掛かるの嫌だから、もうやめようかなって思ったんだけど『明日も今まで通りちゃんと勉強教えてね』って大志くんがLINEメッセージくれてさ。……嬉しかった」
挨拶もなしに投げかけた俺の質問にも、律儀に答える小春。
小春と大志の間には、思いやりがある。やっぱり繭にはそれが足りない。
……俺は、繭のどこを好きになったのだろう。顔? それだけじゃないはず。だって告白が成功した時、飛び上がって喜んだし。じゃあ、どこ? 最近、繭への気持ちが冷めてきていると感じるのは、繭との付き合いに慣れてきて、盛り上がっていた気持ちが冷静になったという事なのだろうか。
昼休み、小春は今日も大志と弁当を食いながら勉強会をするらしい。
繭への気持ちが分からなくなった俺は、やっぱり小春たちと昼休みを過ごしたかった。
「……実は、俺も大志のこと知ってて、数学教えてやってんの。今日、教えてやりに行ってくるから繭と一緒に食えない」
もう、繭に嘘を吐くのも面倒に感じて、正直に話す。と言うか、本当の事を言った方が、
明日も明後日も小春たちと昼メシを食い易いだろうから。
「私も行く」
予想通り繭もついて来ようとした。
「繭、勉強教えられないじゃん」
繭が来るのを阻止しようと、とっさにキツイ言葉を出してしまった。俺も大概思いやりがない。
「黙って見てる。邪魔しないよ」
繭が目に涙を溜めて俺を見上げた。俺の心臓を鷲掴むには充分。やっぱり繭は可愛い。でも、
「嫌な言い方してゴメン。でも、大志ってまじで進級危ういくらいの成績でさ、繭が来ちゃったらアイツ集中出来ないから。繭、可愛いから」
繭は連れて行きたくない。
「……分かった」
『可愛い』と言われてか、少し機嫌を直した繭は素直に聞き入れてくれた。
本当は、可愛い繭を大志に見せたくないからじゃない。繭に、俺ら三人の空間に入って来てほしくなかったんだ。
最近、小春と大志は保健室ではなく、学習室で勉強しているらしい。
さすがに保健室での勉強は、本当に具合の悪い人からしたら迷惑だもんな。
学習室に近づくと、小春と大志のゲラゲラと笑う声が聞こえた。
……アイツら、真面目に勉強してんのかよ。大志、全然笑える状況じゃないだろが。
呆れながら視聴覚室のドアを開けると、二人が俺の方を向いた。
「あれー? 昼休みにこんなとこに来てていいんですか? 彼女さん、ほったらかしにしちゃダメじゃないッスか。小春ちゃんから聞きましたよ。香川さんの彼女さんって七瀬繭さんなんでしょ? 超絶可愛いくて有名ですよね。まじで羨ましい」
羨望の眼差しを俺に向けた大志は、「恋人欲しいね」と子猫の様に小春の肩に頭をスリスリさせた。そんな大志の頭を「欲しいよねー」と言いながら小春が撫でた。
恋人同士の俺と繭より、目の前の二人の方がよっぽど仲が良さそうで、楽しそうだった。
「……俺、繭の外見以外、どこを好きになったのか分からなくなってきた」
楽しそうな二人を眺めながら、二人の傍に腰を下ろす。
こうして小春と大志といる時間の方が、繭といるより居心地が良い。
「でも、外見って大事だよね」
そう言う大志の隣で、小春が「うんうん」と頷いた。
身長にコンプレックスを持っているこの二人は『外見なんか関係ない』って考え方だろうと勝手に思っていたから、正直驚いた。
「この前、小春ちゃんとさ『ウチラ、身長が逆だったら付き合ってただろうね』って話をしてさ」
話し出す大志に「したねー」と相槌をする小春。羨ましいくらい、コイツらは仲が良い。
「俺はさ、この身長だから『自分より背が低い女のコじゃなきゃ嫌だ』とは思ってないのね? それは小春ちゃんも逆の意味で一緒で。でも、せいぜい十五センチ上くらいまでだなーって。それ以上高いとなんとなく恋愛対象に見られないの。小春ちゃんも十五センチ以上自分より低いと無理らしくて。まぁ、十五センチ以上低い俺を好きになってくれる女のコもそうそういないと思うしね。『人は外見じゃない』って言うけどさ、確かに外見が全てじゃないけど、それなりに重要だったりするよねーって。ね?」
大志が小春に同意を求めると、小春も「ねー」と大志に笑い返した。
『外見で人を好きになって何が悪いの?』とでも言いたげな二人。
でも、二人が言っている外見の重要性と、俺のとではだいぶ違う気がする。
だって俺は、身長を気にして誰かを好きになったことがない。今まで俺より身長がデカかった女に出会ったことがなかったし。自分より大きい女に出会ったのは、小春が初めてだ。
俺は、二人みたいに自分のコンプレックスのせいで、相手の外見に条件の様なものを作ったことがない。
ただ、可愛いか、そうでないかで選別していた。繭を好きになったのは、繭がただ可愛かったから。……なのかもしれない。
「私は、香川くんが繭を好きになった理由、分かる気がするけどな」
さっきまで相槌を打つだけだった小春が話し出した。
「え?」
小春に視線を向けると、小春がにっこり笑った。
「繭、外見も勿論可愛いけど、好きな食べ物も好きな洋服も、全部可愛いもん。女の子女の子してて。何をやっても可愛い。どこから見ても、どの角度からでも可愛くて。何もかもが可愛くて。私さ、自分に無いものを全部持ってる繭が羨ましくて、繭を見ながら『私が繭だったら……』って妄想しながら楽しんでることがある」
「危なッ‼ 淋しッ‼ 怖ッ‼ この話、誰かにした?」
小春の突然の変態発言に、大志が軽く引いている。
「イヤ、してない」
「ヨカッタ。他の人には絶対しない方がいいよ。キモがられるから。……とか言いながら、俺も小春ちゃんの気持ち分かるわ。俺も『もし俺が香川さんだったら……』って妄想してニヤニヤしたことあるし」
ここにも一人変態が いた。大志の言葉は、嬉しいけれどやっぱりほんのりキモイ。
二人の変態発言は置いておいて。小春の言う様に、俺は『外見だけじゃなく、中身も可愛い繭』を好きになったのだろうか。でも、時折繭が見せる小春への態度が、可愛いと思えない。