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5瓶目

「んだはぁ(ナニナニ? 大人になるのが、怖いって?)」

「ぁうー(はい)」


 溜め息をついていると、嘉助が訳を尋ねてきたのだ。

 事情を説明したところ、勝手に身体が躍り出すのが嫌だと言ったくだりで、嘉助はまるで誰かに脇をくすぐられているかのように笑い転げた。目尻には涙まで浮かんでいる。

 どうやら嘉助はかなりの笑い上戸でもあるらしい。


 困ったまま見つめていると、ようやく笑うことを止めた嘉助が、手首に近い手の平で「てやんでいっ」と涙を拭う。

 マー坊は「テヤンデイ」とはどういう意味だろうかとぼんやり考えたが、全然分からなかった。

 嘉助は、親指をくいっと自分の方に向けた。もっとも、親指だけではなく、人差し指も立ってはいたが。


「えーっ(ついてきな。大人になるのも悪くねえってとこを見せてやんよ)」

「ぅあ(はい?)」


 そして嘉助はずんずんと伝い歩きでBARの奥へと向かい……マー坊が付いてこないことに気付き、怪訝そうに振り返った。


「へむー!(何でえ、何でえ。どうしてついて来ないんだ?)」


 マー坊は眉と肩を落とした。


「あうあ(ごめんなさい、ついて行きたくても、行けません)」


 何しろ、マー坊は生後三カ月。自力で立つどころか、首が完全に据わってすらいないのだ。


「ぅちゃ~?(こいつはうっかり。うっかり|八兵衛≪はちべえ≫)」

「う?(ハチベエ? それは一体……?)」


 またもや聞きなれない言葉が飛び出したので、マー坊は尋ねてみる。

 すると嘉助は「はーいっ(さあな。こういう時はそう言うって決まってるのさ。どうしてだかは聞くなよ)」と答えた。

 何と、意味が分からずに使っていたとは。

 きっと先程の「テヤンデイ」も意味を知らないまま使っているに違いない、とマー坊は踏んだ。


「ふーっ(仕方ないから、運んでやるさ)」


 ゴロゴロゴロ。

 ソファから何とか下りたマー坊を、嘉助が転がして運んでくれる。たまに休憩を挟んでいるのか、嘉助が全体重をかけてくる。お腹を押されるのは、ちょっと辛い。

 マー坊は目が回ってしまったが、我慢した。これも大人になるための試練の一つなのだろう。


 BARの奥には、細い廊下があり、その先には扉があった。マー坊の席からはちょうど死角になっていたため、気付かなかったのだ。

 扉の前には、五段ほどの階段が付いている。


「くっきゃっ(ちょっとそこで待ってな)」


 嘉助はそうマー坊に言い、廊下のくぼみに押し込み、自身もそこに入った。

 何だ何だ? 一体何が始まるんだ?

 ドキドキしていると、柱時計が「ポーン」と音を立てる。


「えっ(時間だ)」

「おっ(時間だ)」


 その途端、がたんと音を立て|人々≪赤ん坊≫が席を立つ。どれも月齢の高い者ばかりだ。

 ざっざっざっざっ

 そんな音がしそうなほど、彼らは軍隊のようにマー坊たちが潜んでいる細い廊下へと向かってくる。

 そして目の前を通過していき、――階段の前でぴたりとその歩みを止めた。


「ぁ(どうしたんで……)」

「しーっ(黙ってみてな!)」


 嘉助に尋ねようとしたマー坊は、口を塞がれた。

 仕方なく見守っていると、彼らはいきなり、くるりと扉に背を向ける。

 引き返すのだろうか?

 そう考えたが、違った。


 彼らは一様に床に手をついて腰をかがませると、何と、後ろ向きに階段を下り始めたのだ。

一段一段、慎重に階段を下りていく。

 何故後ろ向きに? そう考え、マー坊は先日のことを思い出した。お昼寝中に、分厚い座布団から落ちたのだ。幸い怪我は無かったが、びっくりして号泣してしまったのだった。少しの段差から落ちるのですらあんなに怖かったのだから、前から階段を下りる恐怖は相当な物だろう。

 後ろ向きに階段を下りるのは、手元の安全を確保しつつ先に進みたいという飽くなき探求心を満足させる、良い方法に思えた。


 階段を下りた先頭の男が、扉を相撲取りのつっぱりの要領で突く。すると扉は難なく開いた。

 その扉の奥に全員が消え、最後の女が向こう側から上手に扉をバタンと閉める。

 嘉助はこれを自分に見せたかったのだろうか?


「へーぃ(ここから見てみろ)」


 すると嘉助は扉の方を指差した。その方向には扉の上部にはめ込まれたのぞき窓がある。段差のおかげで、ちょうど部屋の中の様子が見えた。


「あー!(こ、これは……!)」


 そこには長方形の低い机(ローテーブル)を小人……いや違った、先輩(赤子)たちが取り囲んでいる。全員がこれまた小さな椅子に座って向かい合っている姿は、異様な光景だった。彼らは真剣な顔をして何事かを話し合っているようだ。


「うーあー(皆さんは一体何を?)」

「ふむん(やつらはこのBARを卒業する予備軍さ)」


 ということは、彼らはもうすぐ1歳になるのだろう。


「ちゃーっく!(さてさて、宴もたけなわではございますが、ここでマスターより皆さんにプレゼントがあるそうです!)」


 リーダー格の男が、ペチペチと拍手をして皆の注目を集める。

 部屋の奥にある、しゃれた観音扉が厨房と繋がっているようで、そこからマスターが大きなお盆を両手に持って入場してきた。


 それをテーブルの上に乗せた段階で、マー坊にもお盆の上に何が乗っているのかが分かった。

 ケーキだ。白くて丸いケーキの上には、色とりどりの細かく刻まれた果物と、たまごボーロが飾られ、側面には楕円形のスナック菓子でくるりと取り囲まれている。


「はいっ(パンケーキに塗ったクリームは水気を切ったヨーグルトで、周りは皆様のお好きな○イハインをあしらってみました)」

「んまっ(待ってました!)」

「あだー!(これこれ、これが食べたかったんだよ!)」

「うきゃー!(じゃあ、前祝いといきますか!)」


 彼らはマスターが次いで運んできた常温のミルク入りのコップを手に取り、乾杯をし、スプーンやフォークを使って上手にケーキをつつき始めた。

 丸いケーキはすぐに無残な姿になってしまったし、口の周りはパンケーキの生地やクリームやらがいっぱい付いてはいるが、皆非常に楽しそうだった。

 美味しそう……。まだまだ離乳食にも程遠いマー坊だったが、お腹がぐうっと鳴った。恥ずかさを感じたけれど、隣を見るとヨダレをポタポタと床に零す嘉助の姿があった。


 嘉助曰く、この会には|大人≪一歳直前≫にならないと参加できないそうだ。


 こんなパーティーに参加できるのなら、大人になるのも悪くないなと考えが変わってきたマー坊だった。


登場人物 ※()内は月齢

・マー坊(3)まだテレビを見せてもらっていないので、〇テレのお姉さんだけが交代したことも人形劇のキャラクターが変わったことも何も知らない無垢な赤子。

・嘉助(8)大人ぶっているものの、リアルでは人見知りが発動し、知らない人と目が合うだけで号泣してしまう。

・マスター(11)決して一歳になる日はやって来ないので、たまに気が向いた時に閉店後のBARで一人、マイバースデーパーティーを開催している。

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