ハツコイ
特有の歯ごたえと、特有の柔らかさ。
《アセクシャル》という言葉をご存じだろうか?
世の中にはセクシャルという名の付く言葉が幾らでも存在している。例えばセクシャルハラスメント。
バイセクシャル、ホモセクシャル…etc
とは言え、このアセクシャルという聞きなれない言葉の意味を知っている人間は、やはりまだまだ多くない。
《アセクシャル》
日本語に訳すと、無性愛。他者に対し、一切の恋愛感情や性的欲求を抱かないこと。無論、男性に対しても女性に対しても。である。
一節によると、全世界における人口の1%がこのアセクシャルであると言われている。勿論、正確な検証が実際に行われたわけではないので、その数値自体は眉唾物ではあるのだが。
とにもかくにも、そう言った人間は確かにこの世界に、この地球上に存在していて、今ももしかするとあなたの隣に存在しているのかもしれない、という話である。
さて、前置きが少々長くなったが… あえてここでカミングアウトしよう。
私は、アセクシャルだ。
いつからだろう。私は人と少し違うのではないかと感じ始めたのは…。
私の卒業した高校は男子校だった。まるで発情した猿のように年がら年中、考えることは異性のこと。男子校という環境を考えれば或いは仕方のないことなのかもしれないが、私はとにかくそのノリについていくことができなかった。
男同士で下らない下ネタ話に花を咲かせる。どうでもいいような小さい自慢話、見栄の張り合いに興じる。そう言った誰もが一度は通過するであろう青春の1ページを殆ど体験することなく卒業を果たした。
大学はご多分に漏れず共学だった。多くの学徒達は、まるで何がしかの抑圧から解放されたかのように見境もなく惜しげもなく、所謂大人の階段という奴を数段飛ばしで駆け上がっていく。私には、それが不思議でならなかった。もしかすると、嫌悪に近い感情さえ抱いていたのかもしれない。他人事のようにただ傍観するだけの私。加えて、ちょっとした事情で、スポーツ方面に縁のなかった私は、半ば必然的に勉学に力を注ぐ以外のほかの道を知らずに育っていった。言っておくが、両親や家族から愛情を与えられなかったわけじゃない。私も人並みに愛されて育ったのだ。いや、ある事情から、人並み以上の愛情を注がれてここまで育てられたと言っても過言ではない。けれど、家族愛と恋愛は、似ているようでその質は全く異なるもの。だからこそ、これは私自身の問題。両親のせいでも、環境のせいでも、誰のせいでもない… 私だけの問題なのだ。
恋愛をしないこと、他者に好意を抱くといった経験がないことがまるで悪のように。社会はそれを許さない。
やがて社会人になり、かつての同級生、同期、兄弟たちはこぞって結婚という一つのゴールに向かう。まるで最初から、決まりきったゴールはひとつしかないと、言わんばかりに。何故? なんで? どうして? 向こうが質問を投げかけてくるように。私も疑問を投げ返す。結果的に見て、世間から或いは他の何かから取り残された私は、それでも疲れ切った体を動かし、こうして独り深夜のプラットホームにて終電を待つ。
独りでいることは気楽だ。好きなときに好きなことができる。それは正しい。誰かに生活を侵されたくない。土足で踏み込んでほしくない。それも正しい。誰かに自分を変えられたくない、また相手を変えてしまいたくもない。やはり、正しい。けれど、これらの言い分は単なる独身貴族のそれと言っても差し支えない。
好きこのんで独りでいることと、そういった概念そのものが欠落しているとでは、そもそもの前提が違うのだ。
男は社会に出て結婚し身を固めて、守るものができて一人前などと言われることもある。両親から孫の顔が見たいなどと揶揄されることもある。独りだと寂しくない? などとお節介にも心配されることもある。
例え恋人がいなくたって、私にも守りたい親兄弟はいるし、孫の顔ならその兄弟に任せたし、独りでも寂しいと思ったことはないし、好きな人はいなくても、友人ならば私にも居るのだから。例え真冬の、一般的に人肌の恋しくなる季節である今でも、そうきっぱりと断言できる。そう。言いたい奴には、言わせておけばいいのだ。今更、私のような人種がいるということを、別段理解してもらいたいとも思っていない。
とどのつまり、私はいま、十分に幸せであるということなのである。
いつの間にか三十路を超え、それどころか四十路の道も見えてきた今日この頃。決して私は不幸などではなく。お独り様ライフを満喫しているのである。世間からどう思われようと、社会的評価がどうであろうと。私は私なのだから。幸せの形は、人それぞれだということだ。
そんな折だった。
寒風が容赦なく吹き付けるこの少し廃れた駅の深夜の駅のプラットホーム。流石にこの時間帯になると人気もまばらだ。
だからこそ、なのだろう。私の立つホームとは反対側の路線のホームのベンチに、先ほどから一人の女性が座っている。年齢は、二十代後半か、或いは三十代の前半か。経験のなさゆえか、私は女性の年齢を判断するのが苦手なので、正直言って正確なところは知る由もないが、少なくとも私より年下の女性。真冬の今の季節にふさわしく、ロングコートにマフラー姿のいで立ちの彼女。ありていに言って、それは美人だった。幼少の頃からたくさんの愛情に囲まれて育ったのだろう。その顔には、そんなある種の慈愛ような品が見て取れる、そんな種類の美人だった。それだけならば、別段特筆すべき点はない。いつもの、何気ない一風景。次の瞬間には忘れているような些末なシーンだ。が、今は残念ながらそうではない。なぜならば……
彼女は、明らかに私の方を見ていた。否、明らかに私を見ていた。この際、凝視と言い切っても良い。
私は、言い知れぬ不安を抱く。何故? という疑問よりも先に、である。
私は落ち着き払ったふりをして、ふらふらと近くのイスに腰を下ろし、自らの身だしなみをチェックする。服、裏表が逆? まさかタグがついたままってことはないだろうか? 寝癖? よもや、社会の窓が全開なんてことは…。
結論から言えば、私の見た目には問題がなかった。と、思う。仮にも独り身の三十路過ぎだ。周囲の目もあり、これでも見た目には気を使っている方だと自負している。オーダーメイドのスーツと、アイロンの効いたワイシャツ、某有名ブランド物のネクタイ。あくまでも仕事が恋人ですよ、社会にそう偽るための最低限度以上の身だしなみ。この寒空の中では、もう少し厚着をしてくるべきだったとは反省しているが、見た目には関しての問題は何もなかった。では、だったら何だ? 何故、対岸の向こうの彼女は、私を見る?
もしかしたら私の気のせいだったかもしれない。もしかしたら私の気の迷いだったのかもしれない。そんな淡い期待を胸に、私は再度、レールを挟んだ反対のホームの女性に視線を移す。
…残念ながら、女性はこちらの焦りなど全く意に介さず、尚も私を凝視し続ける。
こちらのホームには私以外の客はいない。つまり、私の後ろの人物や隣の人物を見ていただけ、というオチは成立しない。試しに、私はベンチからふらっと立ち上がり、近くの自販機の傍まで歩いてみる。チラリと、視線を対岸の向こうの彼女に向ける。案の定、彼女の視線は私の後を追っていた。私は、小さくため息を吐きながら目の前の自販機に硬貨を入れる。冗談じゃない、何だこれは。何だこの状況は。いつものように目覚め、いつものように仕事をし、いつものように帰宅しようとしているだけなのに。そのはずなのに。一体全体何だこの状況は。私は、誰にも干渉されたくない。誰にも巻き込まれたくない。そっとしておいてほしい。独りにしておいてほしい。それだけだ。たったそれだけなのに。
「あっ」
思わず声が出てしまった。いつもと違う状況、私にとって少なからず緊迫した状況がそうさせてしまったのか。それともこのところの仕事の疲れが溜まっていたためか。私は、自販機の操作を誤り、飲み慣れた温かいお茶ではなく、冷たい炭酸飲料のボタンを押してしまっていた。しばし呆然としたのち、今もまだ彼女が見ているということを思い出し、慌てて取り出し口からキンキンに冷えた炭酸飲料を取り出す。やってしまった。よりにもよってこの真冬のこの時間帯に、持っているだけで手が凍えそうな炭酸飲料…。
チラリと反対ホームの彼女を盗み見る。眼鏡の奥の切れ長の瞳から放たれる熱い視線。肩当たりまで伸びた黒髪が風に吹かれて揺れている。駅のホームは、しんと静まり返っている。駅そのものが、もう眠りにつく直前だからだろうか?
ドクン。
先ほどから、やけに私の胸だけが騒がしい。私は、私はいったいどうしてしまったのだろう。この感覚を、言葉にして表現することは、今の私には難しい。なぜなら私は、この感覚を知らないから。いや、もしかすると忘れていただけかもしれない。忘れようとしていただけなのかもしれない。
喉が渇く。やけに喉が渇いていた。
私は、プルトップを立て、炭酸飲料の口を開ける。寒空に似つかわしくないプシュッという音が辺り一帯に響き渡った気がした。相変わらず周囲に人気はない。まるで、世界は私と彼女の二人だけ。たった二人の世界。何かに取り残されたような異様で異常な雰囲気が、二人を包んでいるように感じた。
思えば、今日は朝から何かが引っ掛かった。それも言葉にして表現することはできない。私がアセクシャルであることと同じだ。そこに理由や理屈は介在しない。そうだからそうなのだ、としか言えないのだ…。ゴクッゴクッと喉を鳴らして炭酸飲料を煽る。乾きが満たされると同時に、自らの体温が内部から奪われていくのが分かる。寒い。あぁ、糞っ。終電はまだやって来ないのか。
ドクン。
今にして思えば、どうしてそんな軽率な行動をとってしまったのか。彼女の視線のせいか、或いはそれ以外の何かのためか。
いずれにしても、私のそんな行動は、完全にトリガーであった。
ドクン。
世界が暗転する。
世界が反転する。
瞬間、私は理解する。
あぁ、そうか。《アレ》か。この数年は、鳴りを潜めていたのに。すっかり忘れかけていたのに。アレは、やっぱり私の中に居たのだ。決して、消え去ったわけではなかたったのだ。今か今かと、私の中から、私の何かが壊れる機会を窺っていたのだ。待っていたのだ。虎視眈々と、私に従順なふりをしてまで。こんなものを抱えておいて、こんな爆弾を抱えておいて。何が恋愛だ。何が人並みの幸せだ。私は、消え入りそうな意識の中、冷たいコンクリートに横たわりながらも最後の力を振り絞り、反対側のホームに視線を送る。
残念ながら。彼女の姿は、もう、そこには無かった。
◆ ◆ ◆
《アセクシャル》という言葉をご存じだろうか? 日本語にすると無性愛。男女問わず、他者に対し一切の恋愛感情、性的欲求を抱かないことを言う……それも、《恒常的》に、である。
「お加減はいかがですか?」
「あ、あの、はい。良いです、頗る。お陰様でと言いますか。あなたのおかげで、と言いますか」
「ふふっ。それは良かったです」
そう言って、彼女は天使のように華やかで暖かい笑顔を私に向けた。私は、ナースが白衣の天使などと謳われる一端を垣間見た気がした。柄にもなく、顔が一気に熱くなるのを感じる。
「いえ、冗談ではなく。本当に、あなたには助けられてしまった。何度お礼を言っても言い足りないくらいです」
「もうっ、やめてくださいよ。そんなの言いっこなしだって言ったじゃないですか。誰だって同じことをしたと思いますし、当たり前のことをしただけなんですから」
あの日、私は駅のホームで倒れた。持病の心臓病の発作で、だ。ここ暫く調子のよかった私は、すっかりこの病を飼い慣らせていると愉快な勘違いをしてしまっていたらしい。誰とも付き合ってこなかった私が、よもや幼少のころからの付き合いであるこの病に今更振り回される羽目になるだなんて、とんだ皮肉である。
そして。皮肉と言えばもう一つ。
ホームの反対側の彼女、対岸の彼女。
その正体は、近くの大手病院に勤める看護師だった。つまりは、私が搬送され、入院する運びとなった病院の看護師だった。
曰く、あの日ホームで私の姿を見た彼女は、顔面蒼白で、どこかふらふらとしていて、生気のない私の姿が、一目見てとにかく気になったのだそうだ。言わば、看護師としてのカンだったらしい。とどのつまり、あの視線の正体は、体調の気になる患者に向ける看護師のそれ、だったわけだ。見ず知らずの私を注視し、倒れた瞬間すぐに走り駆けつけ、応急処置を施してくれた、そんな私の命の恩人。それが、私にとっての彼女という人物の全てである……今のところは。
「お礼だというのならば、また元気になってください。それがあたしにとっての一番ですから」
ドクン。
そう言ってほほ笑む彼女。 何故だろう。胸が苦しい。
正直言って、これが発作の後遺症なのか、私の中の欠落器官である、所謂恋愛感情なのかは分からない。もしかすると私は、アセクシャルなどではなく、ただの運命の出会いを待っていただけの、ただの恋愛無経験者だっただけなのかもしれない。単に人の愛を知らなかっただけだったのかもしれない。私自身にも分からない事なのだ、これは他の誰であっても、分かるわけがない問題なのだ。
……だからこそ、この先私はどうなってしまうのか。全く予想ができない。この感情と、この想いとどう付き合っていけばいいのか。どう折り合いをつけ、どうけりをつけるべきなのか? 何しろ、私にとっては未知の領域であり、すべてが初体験なのだ。いい年をしておいて、どうしたらいいのか、私には右も左もさっぱり分からないのだ。まさか、自分自身の臓器によって、そんな欠落した感情を教えられるだなんて、考えたこともなかったのだから。
けれど今は、この感情を、生まれたばかりのこの感情を、ただただ大切にしていきたいと思っている。
忌々しいけれど、それを含めて私の一部であるこの心臓が示してくれた、私の 心臓恋を。
END
独り焼肉、余裕です。




