社長の遺言
The president liked spaghetti Napolitana
『すまないな』
それが…菅原社長の、最後の言葉だった。
◆
「しっかしよぉ、あの社長が最後の最後にあんな弱音めいたセリフを吐くとはねぇ。あの人間嫌いで変わり者の変人社長がだぜ? 病気ってのは人も変えちまうのかねぇ」
ボクの同期である小林が、隣のデスクからこちらの様子を覗き込むようにしてそう呟いた。
「うん。でもさ、その最後の言葉って、一体誰に向けられたものだったのかな」
「はぁ? そんなの決まってるだろ? 俺達だよ、お・れ・た・ち! でけープロジェクトの途中で逝っちまったんだ。そりゃー、俺達に向けての謝罪に決まってんだろ」
「そうかな」
「そうだよ。それに、実際あっという間だったからな。社長が倒れてから、本当にあっという間だった。やっぱ病気ってこえーわ」
正直言ってボクは納得していなかった。勿論、社長の最後の言葉に対して、である。
…何を隠そう、社長の最後の言葉を聞いたのは、このボクだったから。たまたま社長のお見舞いに行き、たまたま最後のセリフを聞いてしまった。
だからと言っても、何か核心があるわけじゃない。けれど、確かに感じる漠然とした違和感と異物感。
すまいないな。一体誰に対して? 何に対して? なぜ、ボクに向かって。心当たりは、悲しい程に何もない。
この時のボクはきっと、喉に突き刺さったままのそんな小骨を取り除き、ただただ納得したかっただけなのかもしれない。
◆
「なぁ~ごぉ」
不謹慎な話だけれど、ボクは最初…社長が化けて出たのかと思った。
納得したい。そんな好奇心の果てに、天涯孤独であった社長宅の遺品整理の手伝いを買ってでたのは、つい先日の事。
古びた洋館。
そう言えばボクは、これまで社長の住所も、その住まいも知らなかったということを今更ながら思い至る。飲み会、社員旅行の類には一切参加しない。年賀状のやり取りすら嫌がる、そんなとにかく人間嫌いな変わり者。それがこの菅原社長という人物だった。
けど、今のボクの脳内を占めるのは、そんな過ぎ去ってしまった事実などではなく、今、目の前の事実。
洋館の正面玄関を抜け、その大きな扉を開け、社長宅へと侵入する。
そんな闖入者、いや、ボクを出迎えてくれたのは……見渡す限りの猫、猫、猫。大量の猫達だった。
何者も寄せ付けず、他人に厳しく自分にも厳しかった社長。そんな社長の意外な一面を表すかの様に、猫達は洋館を我が物顔で跋扈していた。
「す、すごいな。人は見かけによらないって言うけど、これは」
洋館もとい猫屋敷。 白、黒、三毛、斑、灰色、なんだか青っぽい奴まで。だいたい20匹近くはいるんじゃないだろうか。猫の種類に疎いボクでも、ここには多種多様な猫が集まっているという事がすぐに分かった。
……集まっている?
今、どうしてボクはそう思ったのだろう。飼っているではなく、集まっている。などと。
額から、嫌な汗がぽたりぽたりと伝い落ちる。
「なぁ~おぉ」
灰色の猫がいつの間にかボクの足元にそっと擦り寄り、その喉をごろごろと鳴らす。
「もしかして君、お腹、空いてるのかい?」
まるで肯定を示すかのように、灰色猫は尚もボクの足元に纏わり続ける。随分と人に懐いているように見えるけど、さて、どうしたものだろう。
「ごめんよ。今、ボクは君たちに食べさせてあげられるものを、何も持っていないんだ。ごめんね」
勿論、ボクの言葉を理解したわけでは無いと思う。単なる気まぐれか、一時の物珍しさだったためか。灰色猫は、今ひとたびゴロゴロと喉を鳴らしたのち、ボクの元から離れていった。
数十匹あまりの猫の集団と、一人の人間。この場において、どちらが異質で異物なのかは、考える以前の問題だった。
社長は…この猫達を飼っていたのだろうか? この洋館でたった一人で?
はっきり言って想像が出来ない。それは、社長と言う人物像とは全くかけ離れた事象のように思えたからだ。けれど、もしも本当にそうなのだとしたら、きっとどこかに彼らの餌があるはずだ。この猫達、この数日間の主の不在の間は、一体どうやって過ごしてきたのだろう…。
もしかすると、社長のあの最後の言葉は、この猫達に宛てられた言葉だったのかもしれない。
一人そう納得したボクは、彼らの食糧を確保すべく、無人の洋館の探索を始めるのであった。
◆
社長宅は、ボクが思っていたよりもずっとずっと広大だった。つまり、たった1日程度の努力で整理など終わる筈もなく。
「おっ。何だよお前、今日も社長ンち行くのか?」
今日の業を為し終え、早々に退社の支度をしていたボクのデスクを、小林は、ちょっとだけ訝しむような目で覗き込む。
「うん。だって、まだ終わっていないから」
「かぁ~っ。物好きだねぇお前も。まっ、自由気ままにってやつがウチの会社の社風だからな。俺は止めねーけど」
「うん。それじゃ、また明日ね」
猫屋敷、再び。
相変わらず大きくて奇妙な建物だ。猫だけじゃない、それこそ何が出てきても可笑しくはないくらいに…。
さて。今日はどの辺りから片づけをするべきだろう、まずは目立つところから手を付けるべきか。
とはいえ、一先ず現在の住人である猫達に餌を与えるべきだろう。
「お待たせ、君達。ごめんね、お腹空いてたよね?」
両脇に彼らの食糧を抱え現れたボク。その姿を認めるや否や、砂場に落とした磁石が如く一斉に走り寄って来る猫達。
けれど。
けれども。
何だろう。
何かが……引っかかる。
何かが、昨日と違う。
案山子の様にその場で立ち尽くすボクを余所に、猫達はあっという間に餌を完食し、瞬く間にふらふらと消えていく。
華やかに咲き乱れ、あっという間に散って行く。その様はまるで色とりどりの花の様で。ボクは、思わずそんな様子に心を奪われてしまう。
そして。そんな光景にぼーっと見入っていると、唐突にふと気が付く。
むしろ、何故もっとすぐに気が付かなかったのだろう。
昨日と異なる点。それは、昨日より猫達の数が増えているという点だ。
昨日が20匹。今日は、まず間違いなく、5,6匹くらいは増えているじゃないか。
猫は元来気分屋で自由気ままなもの。例えこの屋敷が彼らの住処なのだとしても、毎日現れるとは限らない。昨日はまだフルメンバーではなかったという事か?
にゃあにゃあと姦しい社長の猫屋敷の中で、所在無さげに片付け作業に明け暮れるは、ただ一人の人間なのだった。
◆
「おいっ、気が付いたか? 今日も重役連中の姿が見えねーぜ、こりゃーもしかして…」
今日も今日とて、小林はボクのデスクをぬっと覗き込むようにしてボクに声を掛けてくる。体は大きい癖に、その挙動一つ一つが実に素早く気配を感じさせ無いのが彼の特徴だ。
「滅多な事言わないでよ。それに会社のトップが亡くなったんだ。暫く混乱が続いても可笑しくないよ」
「んー。まぁな。ってかお前! まさかまた社長んとこ行くのか? 皆どうしたらいいのかわからねーって時に呑気というか、マイペースにもほどがあんだろ」
有能でワンマンなトップが居なくなったことで、会社自体の存続も危ぶまれる。良くある話だ。
………だからこそ。ただの偶然だと思った。そう思い込みたかったんだ。
「な、なぁおい。今日も、なんか少なくね? ってか、重役どころか上司すら出社してねーんだけど。あのさぁ、ぶっちゃけこの会社、もう…」
「…うん」
毎日毎日、猫は増え続けた。
いっぽうで。
会社から、社員の姿が消えていった。
だからこそ。
気が付いた時には、もう。後の祭り。
そう。そうだったんだ。あの時社長の放った『すまないな』の本当の意味は…………
END




