そうぞう。
はて。
無から生まれたものとはなんだろう。無から何かを生み出したそれは無であるか。
小説において、いまだ存在しない何かを文章にするなどというのは無理だ。
見られぬ世界の中で形どられていないものはなく、ありふれた脳で新奇創造するなどは不可能であろう。
それを1から考えついた人物はすばらしい。おばけ幽霊にUFO、魔法や気、特殊な力……。なんらかの科学的発明だって同じだ。
それが初めて発想されたのはいつなのか。
オリジナリティ溢れるたくさんの面白い作品達も、その発想の元や欠片が必ずと言って良いほど存在する。
その元が他の作品であることも多々あるだろう。
いまだ存在しない何かを言葉にするなど無理だ。ないものは頭に浮かばない。存在しないものはそれを描写できるほど明確に想像できない。仮に完璧に想像できたとしてもそれを表す言葉が難しい。また仮に完璧に描写できても、それは読み手に理解されない。
文字では、視覚にも触覚にも聴覚にも嗅覚にも味覚にも刺激を与えることはできない。五感に訴えることができない。
読者が読者たりえるのは、それまで見聞き経験したものを組み合わせ、文章から得たものを想像するからである。小説を無から書くなどありえないのだ。
ではこの世の作品すべてがパクリか。そうではない。
例えば畳を題材に、畳について詳しく調べ、畳に人生を預けた女性の一生を書けば、それは何かをパクったのであろうか。畳をパクったというのか。
いいや違う。
パクリとは、既に書かれている物語や、その設定を模倣することを指す。
何をいまさらと思うだろうか。しかしどうだろう。何故こんなに似たような作品が多いのか。
当たり前だが、作者にもそんなつもりは無いかもしれない。だがそれはパクリではないのか。何かのパクリだろうと疑われてしまうような後ろ暗さはないか。影響を受けていないと断言できるか。
気が付いたらお話が似ていた。それもあるだろう。
だが無意識のうちに真似してやいないか。
影響を受けました、どころか侵食されていないか。
その作品ははたして貴方のオリジナルか。
誰に言い訳することもない。模倣になってしまったかそうでないかは作者自身がもっともわかっているだろう。
自分が既に読んだ小説に似たような物語は書きたくない。書くなら書くで、本家と比べられても恥ずかしくないものを書き上げたい。
貴方は何の影響を受けたと認め、また認めず、その上で自分の小説に胸を張れるか。