魅きだし。
小説家になろうには若いユーザーが多いらしい。
思うに、彼等に足りていないのは技術より熱意より気力より、好奇心だ。好奇心で熱意も技術も補える。
気合いでなんとでも! っていうのとは違うが。
若い方々の書く小説は、どれもどこかしら似ている。
というのも、彼等の引き出しが少な過ぎるのが原因だと思われる。人生経験が浅い分、手の届く範囲、自分の知りうる範囲でしかものを書かないのだ。
もちろん若い方に限ることを言うわけでばないが。
例えば学生は身近な学校生活を、学生を話の前提におく。
その他が書ける上でそれを選ぶのではなく、それしかできないからだ。
知っている題材だけを使ってやりくりするのはよろしくない。
プロの方が「取材」を行ったと語るのをよく耳にする。
これは足りない引き出しを補う行為であり、物語を膨らませるためには必須だ。
足りない経験を広げるために知識を増やすのだ。
小説家になろうに参加しているユーザーは、インターネットもあるのだし、題材についてある程度の知識を得ることは容易なはずだ。
なぜ足りない部分を埋めようとしないのか。そもそも知らないことは書こうともしないのだろうが…。
引き出しを増やそうとしない、これは怠慢で、物語を洗練する気が無いということではないだろうか。
なんらかに触発されて物語を書くのならその題材について詳しくなるべきである。
ネトゲ最強チートの美少女ハーレム物が書きたいなら、関する小説を漫然と読むのではなく学習すべきだ。設定を真似して取り入れる以外になにも思いつかないのだろうか。
小説を書く上での引き出しは小説や取材などからしか増やせないわけでもない。
人生においてすべての経験は血潮となって物語を支える。一つの事柄についてどれだけのことを考えられるか? どれだけに興味を持ち、考え調べるのか?
文を書く上で、これほど大事なことはない。特定の事柄(特に娯楽性の強いもの)にしか興味を抱かない者の書いた文章は、それは貧相だ。
どんな文章にも、形を作れば作るほど書いた人物の柄が表れる。
充実した中身を持つ人物、深くはなくとも幅の広い人物、浅く知れる人物。幅なんかは読んでいて思い知らされるものだ。商業目的ではないになろうに置いては、特にその差が激しい。
後者は顕著なのですぐに見破られてしまう。
学生までの人生は、大抵誰もが似通っている。
だから同じ、なのか、なのに違う、のか。
集中と散漫のかけあいの子が必要である。