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2 からっぽ


 何故こんな事になったのだ。今更ながら、己の浅はかさを将太は呪った。

 日雇いの仕事仲間は言っていたではないか。

『警備だの警護の仕事はやめておけ。何をまもらされるか分かったもんじゃねえ。金よりも命が大事だろう』

 そう言う彼を、大げさなと将太は笑い飛ばした。命も大事だが金が無ければ食いつなげやしないだろう、と皮肉を吐いた。

 だが彼が言っていた事は正しかった。給金につられて応募した警護の仕事は、破天の頭目をまもる仕事だった。

 運ぶものがあるから道中頼む、と頭目は言っていた。その『運ぶもの』が何かは知らされていなかったが、ろくなものではないだろうという事は何となく分かった。

 そして受けた、乾壱班の襲撃。

「しょ、将兄、もう、無理だよ。もう、走れない」

「大悟……」

 大悟がその場にへたり込む。脚ががくがくと痙攣していた。

「頑張れ。あとちょっとだから」

 何が『あとちょっと』なのか自分でも分からないが、将太は大悟の肩を叩いて励ました。だが大悟は泣きながら首をふるばかりだ。

「大悟……」

 縋るように弟の名を呟く。

 だが己の脚もそろそろ限界だ。足裏はじんじんと痺れ、休息を欲した膝が鈍く痛んでいる。

 将太は辺りを見回した。側にあいつはいないようだ。足音はしない。

 ほっと息を吐いたその時だ。

「いっ……!!」

 何かが額に飛んできた。痛む額を押さえ、将太は蹲る。眼前には己の血が付着した石礫が転がっていた。

 上方からガサリと音がして視線を上げれば、樹の上に奴がいた。奴は軽い身のこなしで地面に降りるなり、将太の腹を蹴り上げた。

「っげ、あ、……っ!!」

 腹を押さえ、ひどく咳きこむ。息が上手く吸えない。零れた唾液が地面を濡らす。

「まもると言ったくせに」

 髪を掴まれ、ぐんと引かれた。髪がちぎれる音がした。

 仰向けに転がされ、腹を踏まれる。長靴の底が腹を圧し、濁った音が喉から漏れた。

「何をこんなに簡単に捕まっているのですか」

 は、は、と犬のように短く呼吸をする。もうどこが痛むのだか分からない。苦しい。

 涙に滲む視界で、奴は警棒を捻って小さくさせた。それを皮の腰帯に差し、将太の腹の上に馬乗りになる。

 奴が巡らせた視線の先を追えば、将太の手から離れた小刀が有った。

「拾えば良い」

 奴は将太ではなく、大悟に声をかけた。

「拾えば良い。それを僕に突き立てれば良い」

 大悟の荒い呼吸が聞こえる。

「僕が憎いでしょう? 大事な兄君を傷つけられて」

 僕が憎いでしょう、と奴はもう一度繰り返した。

 大悟は泣きながら震えている。

「何故動かない。立って、拾って、僕に斬りかかれば良い。あなたは手も足も動くでしょうに。何故何も言わない。僕が憎いと、恨みつらみをぶつければ良い。あなたは、声も、出せるでしょうに」

 大悟の嗚咽が聞こえる。

「にげ、ろ……」

 大悟、と呼びかける。

 奴の目がこちらを向いた。

「ねえ、しょうにい」

 抑揚の無い声で呼びかけながら、奴は将太の胸元に両手をついた。まるで鼓動を確かめているかのようだった。

「今、あなたは何を思っていますか」

「な、に……?」

「役立たずな弟が邪魔だと思っていますか」

 奴の手が将太の首筋に触れる。固い皮膚をしていた。冷たい指先だった。

「奴がいなければ自分一人で逃げられたのに。こんな目に遭う必要なんてなかったのに。そう、お思いですか」

 見おろす奴の向こう側で、月が照っている。今日は三日月だったのだと今更気がついた。

「……馬鹿を言うな」

 確かに、奴が言う事には一理ある。大悟がいなければ自分一人逃げ果せる事も可能だったかもしれない。

 だが大悟はたった一人の肉親だ。失いたくない。捨てるなんて考えられない。

「邪魔なわけがあるか。……死なせるものか」

 だから、大悟だけでも逃がしてやってくれと請うつもりだった。

 しかし将太がそう口にするよりも先に、大悟が動いた。

「ど、どけよ」

 がたがたと情けなく震えながら、大悟は小刀の鞘を払った。

「は、は、放せよ」

 大悟が洟を啜る。頬は汚らしいほどに涙で濡れていた。

「大悟。良いから、逃げろ」

「嫌だ!」

 ひく、と大悟は大きくしゃくりあげる。

「将兄が死ぬなんて絶対に嫌だ!!」

 叫び、こちらに踏み出した大悟だが、膝が笑ったのかすぐに転んだ。だが立ち上がろうと地面を掻く。立ち上がろうとしては転び、の繰り返しだった。

 それでも抜いた小刀を手離す事無く、奴を睨み据え、大悟は立ち上がろうとする。

 その様を、奴はぼんやりと眺めていた。

 どれくらいそうしていただろうか。やがて、奴は将太の上から降りた。

「興が失せました」

 言いながら大悟のもとに向かう。将太がやめろ、と叫んだのと奴が大悟の手から小刀を捻り取ったのが同時だった。

 落ちていた小刀の鞘を拾い、奴は抜き身の小刀を鞘に収めた。

 将太は起き上がり、大悟のもとに駆け寄った。泣きじゃくる弟を抱きしめる。

 疑問符を浮かべる兄弟を横目に、奴は小刀を懐に仕舞いながら両膝をつく。そして地面に耳をぴたりとつけた。

「何をして……」

 将太の問いには答えず、奴はそのままじっとしている。

「……七、……八人か」

 起き上がり、奴はこちらに向き直った。

「今からこちらに残党がやってきます。他の組の増援かもしれませんが。逃げたいのであればお好きにどうぞ」

 将太は戸惑った。仮にも破天に組していた兄弟を逃がすとはどういう了見だろうか。捕らえずとも良いのだろうか。

「僕が今から来る奴らを全員斬れば、あなた方が破天に組していたと知る者は消える。好きに生きれば良い」

 将太の胸中を見透かすように奴は答え、懐から煙草の箱を取りだした。片手で燐寸を擦ろうと苦心しているようだったが、やがて諦め両手で擦って火をつけた。

 さして美味くもなさそうに煙を吐いて、奴は何かを呟いた。

 と、奴の手に有った数珠が一振りの打刀に姿を変えた。緋鞘の打刀だ。

 奴は緋鞘を払い、腰帯に差した。鞘から抜き放たれた抜き身の直刃が、月明かりを鋭く反射している。

 これが世に聞く黒器かと驚く将太を、奴は睥睨した。早く行け、と言っているようだった。

 将太は大悟の手を引き、踵を返した。

 その背に、奴の小さな声が届いた。

 ごめんなさい、しょうにい。

 そう聞こえた。




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