セミのおじさん、不老不死になる
セミとして地上に出てから1日目。俺、蝉丸の人生は、一人の少年に捕獲されたことで一変した。
捕まえ主の名は、九堂佐助。「このセミ、死なせたくない!」という子供特有の純粋で残酷な我儘。それに応えてしまったのが、彼の父親であり、度を越した親バカのマッドサイエンティスト感ある九堂正道だった。
「安心しろ佐助。パパがこの虫の『死というバグ』を修正してやろう」
正道の魔改造により、俺は自然界の掟を強制突破させられ、【不老不死】の個体へと変貌を遂げる。
「ミーン、ミンミンミン……」
地上に出てきてから、およそ三日。
人生という名の短い祭りは、既に折り返し地点だ。半分はクリアした計算になる。
本来なら今頃、種の保存という重大任務を強引に終わらせ、あとは重力に従って木からポロリ。アスファルトの上で、天敵に怯えながら余生を全うしているはずだった。
だが、どうだ。
今、俺がいるのは硬いコンクリートの上じゃない。豪邸の一角、VIP待遇の虫かごの中だ。
なぜ、こんなことになったのか。話せば長くなるが、まずはこの「騒音」から説明しなきゃならん。
「父ちゃーん! 蝉丸が鳴いた! 鳴いたよーっ!!」
ドカドカと階段を揺らす足音。……またあいつか。
羽を震わせるのも億劫なため息をついている間に、俺の住処である虫かごの扉が乱暴に開け放たれた。
気がつけば、俺は少年の手にホールドされていた。同胞なら即死レベルの握力だ。
「蝉丸! 今日も元気そうだな!」
この少年の名は佐助。俺を捕らえた、この家の若君だ。
「おいおい佐助。そんなに急に掴んだら、蝉丸の寿命がもっと縮んでしまうぞ。一週間しか生きられないんだ、大事にしてやれ」
続いて現れたのは、その親父の正道。この家の主であり、どうやら「お偉いさん」らしい。なんでも、この家には怪しげな研究所まで併設されているんだとか。……まあ、ガキの言うことなんで信憑性は怪しいがな。
そもそもだ。なぜ俺が、こんな不自然な環境で監禁されているのか。
理由は至極単純。この世の真理と同じくらい、シンプルだ。
「捕まった」から。それ以外にねぇだろう。
俺が羽化したのは、どこにでもある田舎の静かな公園だった。
本来なら、そこで大人しく泥水でも啜り、適当なメスを見つけて生涯を終えれば良かったんだ。それが、この星がセミに求めている「正しい生き方」ってやつだからな。
だが、俺の心は地下にいた頃から、遠くの空が赤く染まる「都会」に向いていた。
地中を這いずる数年間、俺を支えていたのは生存本能じゃない。「一度でいいから、あの不夜城の光に抱かれて鳴いてみたい」という、セミの分をわきまえないロマンだった。
羽化に成功した俺は、その夜のうちに、自分の寿命を何日分も前借りするような無茶な飛行を敢行した。田舎の深い闇を抜け、街灯の光を道標に、ひたすら都会を目指して羽を震わせる。一晩中飛び続け、ようやく辿り着いた都会の公園。
そこで見た朝焼けは、確かに綺麗だった。
だが、その代償は大きかった。
本来、俺たちの羽を動かす筋肉は数分も全力投球すればオーバーヒートする。だが俺は、腹に溜まった全栄養を熱に変え、翅の根元が焦げるような音を立てて飛び続けた。都会に着いた時、俺の触角は乾燥し、複眼の半分は機能停止していた。……あれは飛行じゃない。死に向かう墜落だ
都会への強行軍で、俺のエネルギーは完全に底を突いていたんだ。
「……ふぅ。やれやれ、若さゆえの過ちってやつか」
癒やしを求めて立ち寄った都会の木の上で、俺はあろうことか「油断」した。
全力を出し切り、深い眠りに落ちる寸前の意識。そこに、背後から巨大な少年の影が忍び寄っていた。
気づいた時には、俺の人生は虫かごの中にパッキングされていたというわけだ。
……ふん。今の「おじさん」になった俺なら、あんな見え透いた初歩的な捕獲術、欠伸をしながら回避してみせるんだがな。
まったく。若いってのは、いろんな意味で怖いもんだ。
俺がそんなことを思い出している間に、佐助の顔色が変わっていった。
「蝉丸…死んじゃうの?そんなのやだよ…!僕、頑張って獲ったんだし、僕と蝉丸はずっと友達だよ!!」
佐助の涙が、虫かごの網目からポタポタと俺の背中に降り注ぐ。
(おいおい、泣くなよ。重い、重いって。……お前のその純粋な情愛が、俺の寿命をあと三秒は縮めたぞ)
俺はジタバタと脚を動かした。「友達」か。
悪くない響きだが、俺はセミだ。お前は人間だ。
もし俺に「次」があるのなら、今度はその頑丈そうな二足歩行の体を手に入れて、お前と同じ目線でアイスでも食いながら、あのアスファルトの熱気について語り合いたいもんだが……現実は非情だ。俺のエンジンは、もうすぐ空っぽなんだよ。
「……佐助。落ち着きなさい」
正道が少年の肩に手を置いた。その顔は、科学者としての冷徹な理性と、一人息子を溺愛する父親としての情愛の間で、激しく火花を散らしている。
「セミが七日で死ぬのは、この星が定めた絶対の掟なんだ。それを変えるのは、神の領域を侵す禁忌だ。……パパの研究所にある『生命維持溶液』は、まだプロトタイプの段階。何より自然の循環をねじ曲げるのは……」
「嫌だ! 蝉丸がいなくなるなんて絶対に嫌だ! 父ちゃん、なんでも作れるって言ったじゃないか! 嘘つき! お願い、蝉丸を助けて!」
佐助が正道の白衣の裾を握りしめ、顔をくしゃくしゃにして叫ぶ。
正道は天を仰いだ。男手一つで育ててきた愛息子。その子が初めて、自分に「生命」の救済を求めている。
たとえ、その対象が庭で拾ったセミ一匹だったとしても、父親としての彼は息子の絶望に背を向けられるほど強くはなかった。
「……わかった。ただし、成功するかは、こいつの生命力次第だぞ」
正道の眼光が、一瞬で「マッドサイエンティスト」のそれに変貌した。
「佐助、蝉丸を連れて地下のラボへ。……自然の掟とやらが、私の愛息子を泣かせていい道理はない。今ここで、書き換えてやろう」
(おい、待て待て。今、めちゃくちゃ不穏なスイッチ入ったぞ。書き換える? 掟を? ……嫌な予感しかねぇ!)
俺の必死の抗議(ミィッ! ミミィッ!)は、無情にも地下へと続く階段の足音にかき消された。
着いた先は、やたらと無機質な金属の匂いが漂う場所だ。部屋の中央には、見たこともない透明な円筒状の装置が鎮座している。
「父ちゃん、それ何? 蝉丸、それに入るの?」
「そうだ佐助。これはパパがずっと作ってきた、すごいお薬のプールだ。……よし、蝉丸。ちょっと冷たいが、我慢しろよ」
正道はそう言うと、俺を装置の小さな投入口へ放り込んだ。
(おい待て。正道、やってることは狂気の沙汰だぞ。せめて最期に、一鳴きくらいさせろ……!)
「いくぞ。……注入ッ!」
正道が迷いなくボタンを叩く。次の瞬間、天井のノズルから、ドロリとした薄紫色の液体が勢いよく俺に降り注いだ。
(……ッ!? ぐ、おぉ……っ!?)
冷たい。いや、熱い。どっちだ。
液体が触れた瞬間、パキパキと外骨格が悲鳴を上げ始めた。まるで全身の細胞一つ一つに、無理やり「生きろ」と命令をねじ込まれているような、暴力的なまでの感覚。
「あ、父ちゃん! 蝉丸が、紫色のベタベタになっちゃったよ!」
「大丈夫だ佐助、これが馴染めば蝉丸は不死身だ。……さあ、満たされていけ……生命の神秘よ!」
(……ふざけ、んな……。俺は、ただ……静かに……。次こそは、土を掘らなくていい、二本足で歩く人間に……。ああ、意識が……遠のいていく……)
気がつけば、俺は漆黒の空間に浮いていた。
『……目覚めよ、小さき命よ』
空間全体から響く、重厚な「謎の声」。こいつはいわゆる「神様」ってやつか?
「おい、神様かなんだか知らねぇが。さっさと俺を次の命へ送ってくれ。次は、そうだな、毎日美味いもんを食って、木に登らなくてもいい人間あたりがいい」
『お前の願いは聞き届けられた。……これよりお前は、死を克服した唯一の存在。すなわち「不老不死」として目覚めるのだ』
「……は?」
待て。今、なんつった? 不老不死?
「おい待て! 誰がそんなこと頼んだよ! 俺は人間になりたいんだ! 七日間で鳴き枯れるのがセミの生き様だろうが! 嫌だぞ、俺は絶対に嫌だ!!」
シーン】
『……手遅れだ。プロセスは既に完了した』
「おい、無視すんな! プロセスだか何だか知らねぇが、さっさと元に戻せ! 俺を……俺を普通に死なせてくれーーっ!!」
俺の必死の叫びに、神様(らしき声)はどこか他人事のような、ひどく冷ややかな含み笑いを返してきた。
『……そう言われましてもね、私になんか言われても、もう治せないですよ。だって、私はあなたにその真実を伝えにきただけだから』
「……あ?」
『これから頑張ってくださいね。……不滅の蝉さん?』
「おい、ふざけんな! 頑張るって何をだよ! 待て、逃げるな!!」
叫んだ瞬間、俺の意識は急浮上した。
(……あのアマ、最後にさらっととんでもねぇこと言いやがったな)
目覚めたカプセルの中で、俺は液体に浮かびながら神様の言葉を反芻していた。
「治せない」だぁ? 真実を伝えにきただけだぁ?
……要するに、あの野郎は俺の運命がバグり散らかしたのを特等席で眺めて、最後にお知らせしに来ただけってわけだ
勢いよく目を開けると、そこは謎の液体で満たされたカプセルの中だった。
(……なんだ、これ。力が、溢れてやがる。体内の全細胞が『絶対に朽ちねぇぞ』と一つになって叫んでいるような、異常なまでの生命力……!)
カプセルの向こう側で、正道と佐助が抱き合って喜んでいるのが見えた。
「成功だ! 蝉丸のバイタルは安定どころか、計測不能なレベルで活性化している! こいつはもう、寿命なんて概念を笑い飛ばす存在になったんだ!」
「わーい! 父ちゃん、すごい! 蝉丸、ずっと一緒だよ! 死なないんだね!」
(……やりやがった。あの親バカ、本当にやりやがった……)
俺は液体の中に浮きながら、絶望に近い境地で自分の前脚を見つめた。
見た目はまだセミだ。だが、自分でもわかる。俺は今、正真正銘、この世で唯一の「死なないセミ」に書き換えられてしまった。
(……ふん。やれやれ。俺の『人間になりたい』っていうささやかな願いは、神様と親バカによって粉砕されたらしい。……こうなったら、この不老不死の体、徹底的に使い倒してやる。……死なない以上、もう怖いもんなんてねぇからな……!)
こうして、俺の「死ねない冒険録」が、強制的に幕を開けた。
……要するに、あの野郎は俺の運命がバグり散らかしたのを特等席で眺めて、最後にお知らせしに来ただけってわけだ。
ここまで読んでくださった方々!本当にありがとうごさいます。感謝の気持ちでいっぱいいっぱいです!セミの詩を友人に紹介され、その中でセミの命について書いてあったことから、この作品の発想に至りました。いつか、この世界もこんなことになるのやら…と思いますね。




